表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺の主君は、自分を悪役だと信じて疑わない。~最強のモブ騎士(俺)は、自掘り墓に付き合わされて今日も溜息をつく~  作者: 雪沢 凛


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/34

第三十話 夜の厨房と言えないこと

 婚約式まで七日。


 王宮の廊下には白い花飾りが増え、侍女たちが忙しなく行き来していた。

 その喧騒をよそに、俺は深夜の厨房にいた。


 理由は単純だ。

 ルシアンが「眠れない」と言い出し、「温かいものが飲みたい」と言い、「カイルが作ったやつじゃないと嫌だ」と言い張ったからだ。


「殿下、俺は騎士であって料理人ではありません」

「ホットミルクくらい作れるだろ」

「……それは、作れますが」


 厨房の夜番の使用人が俺たちを見て目を丸くしたが、ルシアンが「二人の邪魔をするな」とわけの分からない理由で追い払ったので、今は二人きりだ。


 俺は鍋に牛乳を注ぎ、火にかけた。


 ルシアンは調理台の端に腰かけ、足をぶらぶらさせている。王子としての品位は欠片もないが、いつもよりずっとリラックスした顔だ。


「……眠れない理由を聞いても良いですか」

「婚約式のことを考えてたら眠れなくなった」

「シルヴェスター殿下の次の手が気になりますか」

「それもある」

「それも、ということは、他にも何かありますか」


 ルシアンは足のぶらつきを止め、調理台の縁を指先でなぞった。

「……なあ、カイル。聞いていいか」


「はい」


「俺が安全になったら、君はどうするんだ」


 俺は鍋の火を調節しながら、その問いを頭の中で転がした。


「どういう意味ですか」


「そのままの意味だよ。シナリオが終わって、兄上の脅威がなくなって……俺に護衛が必要なくなったら。君は辺境に帰るのか」


 牛乳が鍋の底からゆっくりと温まり始める。


「それは……その時になってから考えます」

「今考えてくれ」

「今すぐ答えを出す必要はないでしょう」

「俺が聞きたいんだよ」


 ルシアンの声は、いつもの駄々をこねる調子とは少し違った。


 俺は木べらを持つ手を止め、鍋の中の牛乳をしばらく見つめた。

「……殿下が安全になっても、騎士の仕事がなくなるわけではありません」


「それは答えになってない」


「今出せる答えは、それだけです」


 沈黙。


 ルシアンは何か言いかけて、やめた。

 それから、また足をぶらぶらさせ始めた。


「……そうか」

 その声は、さっきより少しだけ低かった。


 牛乳が温まり、俺は杯に注いだ。蜂蜜を少し落として、ルシアンに手渡す。


「やけどしないように」

「分かってる」


 彼は両手で杯を包むように持ち、一口飲んだ。

 白い湯気が顔にかかり、睫毛を少しだけ濡らす。


「……美味い」

「それは良かった」


 俺は片付けを始めた。


「カイル」

「はい」

「君って……俺のことを、どう思ってるんだ」


 手が、一瞬だけ止まった。


「護衛対象です」

「それは分かってる。そうじゃなくて」

「……面倒くさい主君です」

「それも分かってる」

「手のかかる、目が離せない、時々信じられないほど馬鹿なことをする——」

「それ以上言うな」


 ルシアンは杯を持ったまま、俺を見ていた。

 夜の厨房は薄暗く、かまどの残り火だけが二人を照らしている。


「……俺さ」

 彼は視線を杯に落とした。


「ゲームをプレイしてた頃、この世界のルシアンのことが好きじゃなかったんだ。悪役で、嫌な奴で、断罪されて当然だと思ってた」


 俺は片付けの手を動かしながら、続きを待った。


「でも実際にこの体で生きてみたら……ただ怖かっただけなんだよな、あいつ。誰も信じられなくて、どこにも逃げ場がなくて。だから全部壊す前に壊されようとして、嫌われ者を演じてた」


「……殿下」


「君に会うまで、ここで生き残れるとは思ってなかった」


 俺は鍋を置いた。


 振り返ると、ルシアンは俺を見ていた。

 真剣な目だった。

 いつもの「助けてくれ」でも「給料分働け」でもない、もっと別の、俺にはうまく名前をつけられない種類の目だ。


「だから……帰らないでくれ。理由とか、給料とか、そういうのじゃなくて」


 言葉が続かなかった。

 彼は照れ隠しに杯を口に押し当て、残りを一気に飲んだ。


 俺は何も言わなかった。


 答えを持っていなかったからだ。

 正確には——答えは出ていたが、それをこの男に向かって口にするのが、どういうことを意味するのか。それが、まだ俺には整理できていなかった。


「……殿下」

「なんだ」

「次に眠れない夜は、自分で厨房に来てください」

「えっ」

「ホットミルクの作り方くらい、覚えられるでしょう」


 ルシアンは呆然とし、それから唇を尖らせた。


「……冷たい奴」

「そうですか」

「そうだよ」


 厨房を出る時、ルシアンは俺より半歩前を歩いた。

 いつもは俺が前を歩く。


 その半歩の意味を、俺は考えないことにした。


 考え始めると、今夜は俺まで眠れなくなる気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ