第二十五話 聖火の反噬(はんぜ)と名優(シェイクスピア)の誕生
純白の炎が祭壇の中央で狂ったようにのたうっていた。
その熱は極めて異質だ。
衣類を焼くのではなく、無数の細い鋼の針となって、毛穴を通り魂を直接突き刺してくる。
「――っ、……!」
ルシアンが苦悶の声を漏らし、足取りがよろめく。
俺は奴の腕を力強く掴み、己の側へ引き寄せた。
その瞬間、聖火の中に潜む鋭い悪意を感じ取った。――ユリウスの魔力だ。
それは毒蛇のようにルシアンの胸元へ潜り込もうとしている。
反対側でアリス嬢が誘導する聖力は強大だが、冷徹な潮水のようで、その毒蛇が通り過ぎるのをただ傍観していた。
「ヴァルツ騎士、手を離しなさい」
ユリウスの声が炎の爆ぜる音に混じり、正確に耳に届く。
「それは凡人の身で耐えられる試練ではない。今すぐ下がれば、殿下は多少の傷で済む。貴方も命だけは助かるでしょうに」
俺は顔を上げ、白光の中で歪んだ憐憫の笑みを浮かべるユリウスを睨みつけた。
「――断る」
歯を食いしばり、その二文字を絞り出す。
同時に、視界の端で祭壇の下にいるセインを捉えた。
一秒だけ交わった視線。
奴は腹の前で極めて密かに、何かを「上へ放る」仕草を見せた。
好機だ。
聖火の噴出で死角ができた一瞬、俺はもう片方の手を腰へ走らせた。――昨夜、セインから渡されたあの冷たい小瓶。
迷わず瓶の口をこじ開け、濃厚な血生臭さと悪寒を孕んだ薬液を飲み干した。
「ガハッ……、ゴホッ……!」
薬効は想像以上に狂暴だった。
苦痛は演技ではない。
胃袋を巨人の手で握り潰されたかのような衝撃。
生温かい鉄の味が喉を突き破った。
「カイル!?」
俺がいきなり大量の鮮血を吐き出したのを見て、ルシアンが青ざめた。
彼は悲鳴を上げ、崩れ落ちる俺を支えようとする。
俺はそのまま後ろへ倒れ込み、震える声を会場全体へ響かせた。
「殿下……下がって……! この火には……邪気が……貴方を守るために、俺が……っ!」
もう一度、血を吐く。
今度はその鮮血が、純白の聖火盆の縁を真っ赤に汚した。
「――なんてこと! 聖火が反噬したわ!」
ここでようやく、アリス嬢が「驚愕」の声を上げた。
彼女が杖を一振りすると、眩い閃光が爆発し、ユリウスの魔力供給を強引に遮断する。
祭壇は瞬時に濃密な白霧に包まれた。
「カイル! 目を開けてくれ! 死ぬな、死なないでくれ!」
ルシアンが床に膝を突き、俺を必死に抱きしめる。
頬に落ちてくる涙は、決して演技などではない本物の恐怖だ。
高台のシルヴェスターを見た。
彼は立ち上がり、手にした金杯からワインが溢れるのも構わず、驚愕と困惑の表情を浮かべていた。
そしてユリウスは立ち尽くし、計略に満ちていたその瞳で、俺が残した「おぞましい血溜まり」を凝視している。
衆人環視の中。
俺は、魂が「不純」とされる第二王子を守るため、聖火の審判を身代わりとなって受けた「忠義の騎士」となったのだ。
「ヴァルツ騎士……」
ユリウスが呻くように呟く。
その顔は土気色だ。
奴は俺を排除するか、ルシアンに恥をかかせるつもりだった。
だが、俺がこれほど自殺に近い方法で、聖火そのものに――引いては主催した教会側に泥を塗りつけるとは、計算外だったに違いない。
「セイン……助けてくれ! 早く!」
ルシアンが下に向かって、なりふり構わず叫ぶ。
セインが祭壇へ跳ね上がり、俺の瞼をめくって重々しい口調で告げた。
「殿下、ヴァルツ騎士の内臓は深刻な損傷を負っています。……直ちに運び出さねば、命の保証は……」
「行くぞ! 今すぐだ!」
ルシアンが立ち上がった。
その瞳には、かつての卑屈な影はなく、前代未聞の「殺気」が宿っていた。
彼はシルヴェスターとユリウスを真っ向から睨みつける。
「――もし、俺の騎士が死ぬようなことがあれば。この神殿を道連れにしてやる。……誓ってな」
その台詞は、どんなシナリオにも存在しない、超A級の熱演だった。
俺は目を閉じ、心の中で奴に親指を立てた。
盤をひっくり返すこの博打、俺たちの勝ちだ。




