第二十一話 閉ざされた扉と真実の欠片
「――ッバン!」
重厚な木の扉を叩きつけるように閉め、俺はそのまま鍵を回した。
「か、鍵までかけるなんて! カイル・ヴァルツ、正気か!」
ソファへ放り出されたルシアンが、狼狽えながら這い上がってきた。
金髪は乱れ、端正な法衣も無様に崩れている。
怒りで顔を真っ赤に染め、彼は叫んだ。
「不敬罪だぞ! 衛兵を呼んで捕まえさせてやる!」
俺は答えず、ただ扉の前に仁王立ちになり、退路を断つ沈黙の石碑と化した。
「何か言えよ! さっきまでの威勢はどうしたんだ!」
俺が黙り込んでいるのを見て、ルシアンの勢いが削がれた。
彼は視線を泳がせ、縋るように言葉を絞り出す。
「……ユリウス様が正しかった。君は、俺が立派になるのが気に入らないんだ。……無能なルシアンを顎で使っていた頃が懐かしくて、完璧な王子になるのが怖いんだろ?」
「完璧な王子、ですか」
ようやく俺は口を開いた。
声は低く、砂を噛んだように掠れている。
「殿下。この王宮で、シルヴェスター殿下が『もう一人の完璧な王子』の存在を許すと、本気で思っているのですか?」
ルシアンは絶句した。
「ユリウスが貴方を助けていると? 奴はあの規律で、あの静寂で、貴方を『極上の料理』に仕立て上げているだけだ。第一王子の食卓へ捧げるためのな」
俺は一歩、彼へと詰め寄った。
「セインからの情報です。第一王子は貴方の殺害を決めた。貴方が『高貴』になったその瞬間、貴方の命日は婚約式の日に定められたんですよ」
「そんな……兄上は、最近あんなに優しく……」
ルシアンの顔から血の気が引いた。
彼はソファの隅へ、目に見えて縮こまっていく。
「優しくなったのは、貴方がもはや脅威ではなく、いつでも収穫できる『果実』になったからです」
彼の怯える姿を見て、俺の中の怒りは冷め、代わりに泥のような疲労感が残った。
俺はその場に膝を突き、彼と視線を合わせた。
「殿下。黒い森へ向かう時、貴方は俺に何と言いました? シナリオだの悪役だの、あの下らない画集を見せびらかして……」
「あれは……俺が子供だったから……」
「いいえ、あれこそが『ルシアン』だ」
俺は言葉を遮り、真っ直ぐに彼を見据えた。
「ユリウスの与えた平穏は偽物です。体裁は整えてくれるが、その人形には呼吸も魂も必要ない。……貴方が、あの『すべてをぶち壊してやりたい』という生々しい衝動を捨ててしまうなら。俺が守っているのは、ただの空っぽの器だ」
ルシアンの瞳から、溜まっていた涙が溢れ出した。
「……でも、カイル。俺、もう疲れたんだよ……」
子供のようにしゃくり上げながら、彼は零した。
「悪役なんて難しいよ……。ユリウス様が隣にいれば、何も考えなくていい。言われた通りにしていればいいんだ……。俺はただ、生きていたいだけなんだ……」
鼻水を垂らし、八重歯を覗かせて泣きじゃくる第二王子。
……これだ。これこそが、俺が放っておけない、最高に厄介で愛すべき馬鹿殿下だ。
「生き残りたければ、愛される芸術品じゃなく、踏みつけるのも汚らわしいゴミに成り果てることです」
俺は溜息をつき、懐から粗末な手拭いを取り出すと、彼の顔を無造作に拭った。
「カ、カイル……痛いよ……」
文句を言いながらも、彼は俺の手を拒まなかった。
その時。扉の外から、静かだが規則正しいノックの音が響いた。
「ルシアン殿下。ヴァルツ騎士。中にいるのは分かっていますよ」
ユリウスの声だ。
相変わらず慈愛に満ちているが、扉を透過してくるような冷ややかさがあった。
「このような粗野な対話は、優雅な午後に相応しくありません。扉を開けなさい。……正しい軌道に戻りましょう?」
ルシアンが反射的に俺の袖を掴んだ。
その手は、小刻みに震えている。
「……やり遂げるのがそんなに疲れるなら」
俺は彼の顎を掴み、無理やり顔を上げさせた。
辺境の砂塵にまみれた、聖潔さとは無縁の俺の目を見ろ。
「最初に『俺を救えるのはお前だけだ』と泣きついてきたのは、どこの誰ですか?」
ルシアンの呼吸が止まった。
「綺麗に剪定されて、花瓶の中で死にたいなら、今すぐ俺をクビにしてユリウスの人形にでもなればいい」
俺は手を離し、半歩下がった。
剣の柄を握る拳が、白く強張る。
「だが。もし生きたいと願うなら、その安っぽい涙を拭け。今日から俺は、貴方に『路人悪役』なんて真似はさせない。……この国で一番輝かしい『狂人』になれ。俺が、貴方の手の中で一番汚れた剣になってやる」
ルシアンは呆然とした。
そして、彼の瞳の中の恐怖が、狂気と依存の混じった光へと塗り替えられていく。
「……一番、汚れた剣?」
彼はうわ言のように繰り返し、そして――歪んだ笑みを浮かべた。
あの八重歯が、不敵に光る。
「カイル、君……俺よりずっと狂ってるじゃないか」
外のノックが止まった。
「ルシアン殿下。開けないというのであれば、ヴァルツ騎士による監禁と見なさざるを得ません。貴方の魂を守るため、強硬手段を執らせていただきます」
ルシアンは立ち上がった。
数日間彼を縛っていた司祭の肩掛けを引きちぎり、ゴミのように床へ投げ捨てる。
その足取りは、ユリウスに教わった優雅なものではなく、不遜で、傲岸不遜なリズムを取り戻していた。
「カイル。聞いたか? 挟み撃ちだってさ」
ルシアンは振り返り、最高に悪辣な笑みを俺に向けた。
「だったらさ。この『無礼な騎士をお仕置きする』って名シーンを演じてあげないと、司祭様に失礼だよね?」
俺は胸の内の澱みが消えていくのを感じた。
「……御意。我が悪役殿下」
俺は扉へ歩み寄り、一気に鍵を開けた。
そこには完璧な姿勢を崩さないユリウスと、少し離れて見守るアリス、そしてセイン。
「ユリウス様。……貴方、うるさいんだよ」
ルシアンが部屋から踏み出した。
ユリウスには目もくれず、俺の頬を――蚊を叩くほどの力で――ひっぱたいてみせる。
「ヴァルツ騎士が俺に口答えをした。今、俺が直々に教育してやったところだ。……こいつは明日の朝まで、寝室の前に跪かせて反省させる。貴方の『魂の授業』だか何だか知らないけど……」
ルシアンはユリウスを斜めに見下ろし、久しく忘れていた放蕩息子の傲慢さで言い放った。
「俺は今、気分が最悪なんだ。脂ぎった唐揚げでも食わないと気が済まない。司祭様のその清らかな教えは、神様にでも聞かせてあげなよ」
ユリウスの微笑みが、完全に消えた。
彼はルシアンを、そして跪きながらも挑発的な目を向ける俺を見つめ――その瞳の奥に、深淵のような陰湿な憎悪を走らせた。




