第二十話 砂糖菓子(ドラジェ)で包まれた断頭台
ここ数日の王宮は不気味なほど平穏だった。
ルシアンは今や所作の一つひとつが優雅になり、いくつかの公式な場では「教会に薫陶を受けた聖潔な姿」として老臣たちの賛辞を浴びた。
シルヴェスター殿下までもが晩餐会で自ら酒を注ぎ、「弟もようやく大人になったな」と目を細めて笑う。
だが、俺はその瞳の奥に、「不要な部品」を処理する時のような冷徹な光を見た。
「ヴァルツ騎士、何を呆けている?」
いつの間にか背後に現れたセインが、庭園でユリウスから「聖光の印」を学んでいるルシアンを見下ろし、嘲笑を浮かべた。
「君の主は最近の売れっ子だ。教会では、彼を『護教王子』に推挙しようという署名運動まで起きているそうだよ」
「……それは、いいことなんじゃないのか?」
「いいことだと?」
セインは鼻で笑った。
「王位を巡る場において、『人気が出すぎる』ことは原罪だ。第一王子はすでに、この婚約の『安全性』を再評価している。ルシアン殿下がこのまま『完璧』であり続ければ、彼の命日は婚約式の夜になるだろうね」
……心臓が跳ねた。
これが「飼い殺し」というやつか。
ユリウスはあの息の詰まるような優しさで、ルシアンを断頭台へとエスコートしている。
俺は礼儀など構わず、庭園へ突き進んだ。あの神聖さの押し売りを中断させるために。
「殿下。お話があります」
俺は強引に、ユリウスとルシアンの間に割り込んだ。
「ヴァルツ騎士。魂の共鳴を妨げるのは無作法ですよ」
ユリウスは相変わらず微笑んでいるが、その澄んだ瞳に不快な色が走った。
「カイル?」
ルシアンがこちらを向いた。
かつての生き生きとした輝きは失われ、死んだ水面のように静まり返った瞳。
「ユリウス様が感情の制御を教えてくださっているんだ。話なら、晩餐の後にしてもらえないかな?」
その姿を見た瞬間、俺の底で焦燥が爆発した。
「いけません。殿下、今すぐ部屋に戻ってその忌々しい法衣を脱ぎ捨ててください。そして、ベッドの下に隠してあるあの下らない同人誌を片っ端から読み返すんだ!」
俺は彼の腕を掴み、強引に引き戻そうとした。
「離せ!」
ルシアンが俺の手を振り払った。
その力は、普段の彼からは想像もできないほど強い。
「カイル、君は何がしたいんだ!? 以前の君は、俺をうるさいと言い、トラブルメーカーだと言い、品がないと嫌がっていただろ。……今、俺はユリウス様の言う通りにして、静かになった。王子らしくなった。なのに、どうしてまだ満足してくれないんだ!」
「満足の問題じゃない。……このままじゃ、お前は死ぬと言ってるんだ!」
俺は怒りを抑え込み、彼に向かって吼えた。
「死ぬのは、俺が今まで無能だったからだろ!」
ルシアンが叫び返した。
目尻が赤く染まり、抑え込んでいた鬱屈が溢れ出した。
華奢な身体を震わせ、泣き出しそうな声で続ける。
「ユリウス様は、完璧になれば誰も俺を傷つけないと言ってくれた。……やっと、この世界で生き残る術を教えてくれる人が現れたのに。君はまた、俺を皆から見捨てられるだけの『悪役』に戻れと言うのか!?」
俺は立ち尽くした。
不安に満ちていながら、偽りの完璧さに縋り付こうとするその顔を見て、俺の中で「忍耐」という名の弦が、音を立てて断ち切れた。
「ヴァルツ騎士、自重しなさい」
ユリウスが一歩前に出た。
壊れやすい磁器を守るようにルシアンの肩に手を置き、俺を冷たく射抜く。
「貴方の放つ『ノイズ』が、殿下を苦しめている。下がりなさい。ここには貴方のような粗野な武力は必要ありません」
……知るか、そんなこと。
「俺が粗野だと言うなら、最後まで粗野に振る舞ってやりますよ」
驚愕するユリウスを余所に、俺は一歩踏み込むと、長い腕を伸ばしてルシアンの腰を抱え上げた。
そのまま、麻袋でも担ぐように彼を肩に担ぎ上げる。
「うわっ!? カ、カイル! 何をする! 放せ、この俺を誰だと思っている!」
ルシアンは魂を飛ばしたような声を上げ、空中で手足をバタつかせ、俺の背甲を拳で叩いた。
「謀反か! 逆賊か! ユリウス様、助けてくれーっ!」
「ヴァルツ騎士! これは犯罪ですよ!」
止めに入ろうとするユリウスの手を、俺は剣鞘で撥ね退け、奴を鋭く睨みつけた。
「こいつは俺の護衛対象だ。部屋に連れ戻して休ませる。それが俺の職務だ。司祭様、……どいてろ」
振り返ることなく、喚き散らすルシアンを担いだまま庭園を突っ切った。
回廊の曲がり角でアリス嬢が目を丸くし、扇で口を覆っていた。
彼女は隣で平然と見物を決め込んでいるセインに視線をやる。
「セイン……どういうことですの? あのカイルが、あんなに熱くなるなんて」
セインは口角を吊り上げ、肩をすくめた。
「何、さっき少し『背中を押して』あげただけですよ。第一王子が最近、熱心に剣を研いでいるとね。……よもや、あの石頭の騎士がこれほど火のつくような反応を出すとは思いませんでしたが」
「貴方も意地悪ですわね、セイン」
アリスは扇を下ろし、感嘆の入り混じった声を出す。
「……けれど、こういう混乱こそ、私たちには必要なのかもしれませんわ」
セインは鼻を鳴らし、肯定も否定もしなかった。
その頃、担がれたルシアンはまだ諦めずに喚いていた。
「カイル! この馬鹿! どこへ連れて行くつもりだ! 給料カットだ! 辺境へ左遷してやるーっ!」
「勝手になさい、殿下」
俺は冷たく言い放ち、私室の重い扉を蹴開けて中に入ると、そのまま鍵をかけた。
「ですがその前に、じっくり話しましょう。……本当の意味での『生存戦略』ってやつを」




