第十九話 純白の干渉者と焦点のボヤけた守護
シルヴェスター殿下が仕掛けた「婚約演習」が本格的に始まるより先に、教会の者が一歩早く門を叩いた。
アリス嬢の聖女の力を安定させるため、教会は当代随一の天賦の才を持つ若き司祭――ユリウスを派遣した。
「主に祝福がありますように」
王宮の静修室。
扉を開けて現れたユリウスは、一点の曇りもない純白の法衣を纏っていた。
肩に流れる淡い水色の髪、魂を透かすような澄んだ瞳。
セインが危険な「黒」なら、この男は圧力を感じるほどの純粋な「白」だ。
彼はまず礼儀正しくアリス嬢に一礼した。
しかし、次にルシアンの方へ向き直った瞬間、その聖潔な顔に、聖女に向けるよりもずっと燦爛とした微笑みが咲いた。
「貴方がルシアン殿下ですね。祈りの中で、幾度も感じておりました……未開発の純粋な波動を。今日お会いして確信しました。貴方は……磨き上げる必要があります」
ユリウスは真っ直ぐにルシアンへ歩み寄り、当然のようにその手を握ると、手背に恭しく口づけを落とした。
あまりに完璧な所作は、王宮劇のワンシーンだ。
「殿下、貴方の生活には『粗野な』ものが溢れすぎているようです。よろしければ、これからの聖力修行の間、私の導きで貴方の魂を高貴なる場所へ回帰させましょう」
「えっ? あ……高貴? は、はい?」
ルシアンは華麗すぎる攻勢に毒気を抜かれ、呆然と立ち尽くしながらも、どこか少し嬉しそうに頬を染めている。
俺は傍らで眉を跳ね上げた。
……こいつは何なんだ? 聖女を教えに来たはずだろう。なぜルシアンを貴族の全寮制学校にでも叩き込もうとするような構えなんだ。
「ヴァルツ騎士。司祭様の手を切り落としたそうな目ですよ」
いつの間にか隣に現れたセインが、低く、相変わらずの毒を吐く。
「おや、本来なら貴方だけの専売特許だった『面倒な仕事』に、より専門的な代行者が現れて、寂しくなってしまいましたか?」
「ふん。あの笑顔が胡散臭いと言っただけだ」
冷たく返したが、視線はルシアンにじりじりと距離を詰めるユリウスから離せなかった。
それからの数日、事態は俺の予想を裏切り、「静か」な方向へと転がっていった。
ユリウスは極度の完璧主義者だった。
ルシアンへの彼の「慈しみ」は、二十四時間の強制矯正の上に成り立っていた。
「殿下、お茶を召し上がる時は背をあと三センチ伸ばして。それから、このような表紙の騒がしい小説は貴方の魂に相応しくありません。片付けておきましょう」
ユリウスはしなやかな指先で、ルシアンが抱えていた『覇道騎士は俺を離さない』という同人誌をエレガントに没収し、代わりに分厚い『古代神学』を置いた。
「うぅ……カイル、助けて……」
ユリウスの監視下、石像のように背筋を伸ばして座るルシアンが、必死にアイコンタクトを送ってくる。
俺は無視した。
それどころか、ユリウスがルシアンに毎朝五時の瞑想と、食事中三十分間の「沈黙の修行」を課した時、俺は甲斐甲斐しくタオルを差し出しさえした。
……実際、楽になったのだ。
これまでのあの馬鹿殿下は、毎朝俺に「悪役の着こなし美学」を熱弁したり、俺が剣を磨いている横で、次の自作シナリオの主役にならないかとブツブツ勧誘してきたりしていた。
今は、そんな「ノイズ」のすべてが、ユリウスの優しくも拒絶を許さぬ規律によって濾過されている。
「ヴァルツ騎士、殿下の食事は揚げ物が多すぎます。これは聖力の流れを乱します。厨房には温野菜と白身魚の清煮に変えさせました。これからは護衛の際も、殿下の心の平穏を保つよう協力してください」
ユリウスの微笑は聖すぎて、こちらが汚物であるかのような錯覚さえ覚える。
俺は頷き、この司祭は天から降ってきた救世主ではないかとさえ思い始めていた。
ルシアンも最初は抗っていた。
「カイル! 助けてくれ! この魚、味がしない! 唐揚げ食べたい! 同人誌返して!」
ユリウスが茶の準備に席を外した隙に、彼は俺の籠手に縋り付いて助けを求めた。
「殿下、魂のためです」
俺は無表情にその手を払い、なんなら『古代神学』の今日の学習ページを開いてやった。
だが、次第にルシアンは変わっていった。
ユリウスの「優しさ」は魔力を持った罠のようなものだ。
退屈な礼儀作法にルシアンが落胆の色を見せるたび、ユリウスはそっとその髪を撫で、空霊で慈愛に満ちた声で囁く。
「すべては貴方をより輝かせるため。殿下、貴方はよくやっていますよ」
この「飴と鞭」の攻勢に、ルシアンはいつしか慣れてしまった。
食べ物に文句を言わなくなり、早朝五時に叩き起こさずとも、テラスに静かに座り、ユリウスの真似をして目を閉じるようになった。
「カイル、見て」
ある午後、ルシアンは机に整然と積み上げられた経典を指差し、俺に余所余所しく、だが優雅な微笑を向けた。
「ユリウス様が、上達が早いと褒めてくれたんだ。……静かにしているのって、案外心が楽になるんだね」
その笑顔は、あまりに完璧で精緻なフィルターのようだった。
少しだけ歪んでいたあの八重歯は、もう見えない。
空虚なほど透き通った瞳を見つめると、掌が突如としてむず痒くなった。
「……そうですか。それは重畳ですね」
俺は絞り出すように答えた。
これこそが、俺が望んでいたものではなかったのか。
静かで、体面を保ち、俺に迷惑をかけない殿下。
ユリウスは聖女を導くだけでなく、ついでに俺の手に負えなかった「問題児」を綺麗に整理整頓してくれたのだ。
喜ぶべきことだ。……なのに、俺のポケットの中では、書く予定だった辞職願が、ぐしゃぐしゃの紙屑になっていた。
「ヴァルツ騎士。どうやら貴方も、やっと心置きなく『お休み』できそうですわね」
回廊の影から、アリス嬢が姿を現した。
彼女は静修室の中で一枚の絵画のように完璧に座る司祭と王子を見つめ、氷のように冷たい声で言った。
「アリス様……」
「ですが、貴方もお感じになって?」
彼女の瞳が、嘲笑を含んで俺を射抜く。
「あそこに座っているあの聖なる王子が……今にも消えてしまいそうな『幻影』に見えるとは思いませんこと?」
俺は答えなかった。
ただ腰の旧剣を強く握りしめた。
「厄介払いができた」という快感は、いつの間にか、窒息しそうなほどの焦燥感に変わっていた。




