第十八話 悪役の覚悟と歪んだ婚約
王都へ戻った当夜、シルヴェスターは俺たちに息をつく暇さえ与えなかった。
金碧輝煌たる王宮の晩餐会場。
彼は名だたる貴族たちの前で、会場全体を凍りつかせる重磅な爆弾を投下した。
「ルシアンとアリス嬢の黒い森での武勲を称え、二人の婚約を正式に父上に奏上した。聖女の力は王室に留めるべきだ。……そしてルシアン、これは王子としての君の義務だ」
シルヴェスターは杯を掲げた。
銀色の髪が灯火の下で冷たく輝く。
俺は会場の隅で、味のしない果汁を啜りながら鼻で笑った。
シルヴェスターの奴、実に見事な計算だ。表向きは弟への褒賞だが、実体はアリスという強大な力を自分の管理下に置くための鎖だ。
本来のルシアンなら、恐怖で腰を抜かしているはずだった。
だが意外にも、彼は一瞬硬直しただけで、その直後に「分かったぞ!」と言わんばかりの奇妙な光を瞳に宿した。
「兄上のお考えとあらば……私は、この婚約を受け入れます」
ルシアンは胸を張り、震える声ながらも毅然と応じた。
傍らで扇を揺らしていたアリス嬢は、断る口実を考えていたようだった。
だが、ルシアンを見、そして隅で死んだ魚のような目をしている俺を見た瞬間、彼女の瞳が細められた。
……俺が最も恐れる「神秘的な微笑」がその唇に浮かぶ。
「殿下にそれほどの誠意がおありでしたら、私に拒む理由などはございませんわ」
アリスはくすりと笑い、扇の陰で「面白いことになってきましたわ」と興奮を露わにした。
晩餐会が終わった後の長い回廊。
俺は自室へ逃げ込もうとしていたルシアンを捕まえた。
「殿下。お話があります」
俺は彼を陰に追い込み、声を潜めた。
「頭は大丈夫ですか? 第一王子が貴方を利用してアリス嬢を監視するつもりなのは明白です。なのに婚約を受けるなんて……。シナリオから逃げるという計画と真逆じゃないですか」
「違うんだカイル! 聞いくれ!」
ルシアンは鼻息を荒くし、妙な自負心に満ちた目で語り出した。
「これは、俺がたった今思いついた『完璧な悪役プラン』なんだよ!」
「……は?」
「いいか、今ここで拒絶すれば、兄上は俺が何か企んでいると疑う。だから一度は受けるんだ。そして! 婚約式の当日、全貴族の前で大声で婚約破棄を宣言するんだよ! それも、最高に最低で最悪なやり方でな!」
ルシアンは手を振り回し、至って真剣な表情だ。
「そうすれば、俺は王都一の嫌われ者『悪役王子』として名を馳せることになる! そうなれば王位継承を支持する奴なんていなくなる。俺は……俺は完全に自由になれるんだ!」
希望に満ち溢れたその顔を、俺は三秒間、無言で見つめた。
「殿下」
「なんだい?」
「……最初から強硬に拒絶して、俺と一緒に辺境への転属届を出せば、今すぐこの件とはおさらばできたんですよ」
俺は淡々と事実を指摘した。
「殿下のプランは、無駄に遠回りして無駄に多方面の恨みを買うだけで、全く意味がありません」
ルシアンの全身が凍りついた。
美しい紫の瞳が限界まで見開かれ、興奮は瞬時に極度の戦慄へと変わる。
「……えっ? つまり……婚約なんてしなくても逃げられたの?」
「当然です」
「な、なな、どうしよう! 兄上に受け入れるって言っちゃったよ! 今さら『やっぱり無しで』なんて言ったら、絶対吊るし上げられてボコボコにされる……!」
俺の腕を掴み、泣きべそをかく第二王子。
その時、回廊の柱の陰から、抑えきれない興奮を含んだ小さな笑い声が漏れた。
アリス嬢が柱に寄りかかり、羽ペンをノートの上で猛烈な速さで走らせていた。
「おお……『月光の回廊。定まったばかりの婚約を巡り、王子とその騎士が激しくも密やかな愛の諍いを……』」
アリスの頬は赤らみ、瞳は爛々と輝いている。
「なんて素晴らしい光景。退屈な婚約かと思いましたが、これほど可愛いリアクションが見られるなんて……」
俺は振り返り、完全に妄想の台本に没入した聖女様と、俺の腕の中でガタガタ震えているポンコツ殿下を交互に見た。
……この王都、やはり黒い森より一万倍は危険だ。




