第十六話 祭壇の下の影と浄化の光
セインは先行して路を探る名目で、身を翻すと密林の奥へ没していった。
険しい樹根の間を跳躍する姿は、しなやかな黒豹を思わせる。
俺は奴が消えた方角を見送り、まずこう思った。――よし、面倒な仕事は自ら志願した奴に任せればいい。
「殿下、ここで待ちましょう」
俺は剣の柄に手を置いたまま、隣のルシアンに淡々と告げた。
「えっ? 追わないのか? セイン一人じゃ危ないだろ!」
ルシアンは焦燥しきった様子で、乱れた金髪を揺らしている。
「奴は公爵家の懐刀だ。実力は俺より遥かに上ですよ」
俺は事実を伝え、体力を温存するために手近な樹根に腰を下ろそうとした。
しかし、傍らにいたアリス嬢が扇を優雅に揺らし、深淵な眼差しを前方へ向けた。
「ヴァルツ騎士。私が案じているのは別の事ですわ。セインという子は近頃、精神的に不安定なところがありまして……。もし彼が先で『抗いがたい』誘惑や脅威に直面したなら、ここに留まる私たちも無事では済まないでしょう」
暗闇に光る彼女の瞳は、拒絶を許さない圧迫感を孕んでいた。
「殿下の安全のためにも、様子を見に行きませんこと?」
……溜息が出た。
分かっていたさ。この連中が揃っている限り、俺の「平穏な計画」なんてものは永遠に実現しないんだ。
「お二人とも、俺から離れないでください」
俺は渋々ルシアンとアリスを連れ、セインの残した微かな足跡を辿って森の中核へ足を踏み入れた。
歪な古樹の群れを抜けると、視界が突如開けた。
五本の巨大な石柱に囲まれた遺構。石畳には蜘蛛の巣のような亀裂が走り、中心には暗紅色のルーンが刻まれた円形の祭壇が鎮座している。
空気中の魔力は窒息しそうなほど濃密で、祭壇の隙間から不気味な紫色の光が溢れ、周囲を禍々しく照らし出していた。
セインは祭壇の縁に立ち、こちらに背を向けていた。
肩が微かに震え、右手が腰の暗器袋を強く握り締めている。
「セイン! 何か見つかったのか?」
ルシアンが無防備に駆け寄ろうとする。
「殿下、止まれ!」
俺はルシアンの襟首を強引に掴んで引き止めた。
その瞬間、セインが猛然と振り返った。
彫刻のように端正な顔は氷のように冷え切り、抑え込まれていた殺意が爆発した。
言葉もなく、右手から肉眼で追えぬ速度で三本の漆黒の透骨針が放たれる。必殺の威力。
「ちっ!」
不意打ちだったが、長年死線を潜ってきた本能が、勝手にあの旧剣を抜き放っていた。
――ガ、ガ、ギィィン!
澄んだ金属音が祭壇に響き渡る。
幅広の剣身で、ルシアンとアリスの急所を狙った暗器を正確に叩き落とした。
「セインさん。執事にしては、少々過激なサービスだな」
俺はルシアンの前に立ちはだかった。
掌が痺れるほどの衝撃。こいつ、先ほどの蜘蛛どもの時より遥かに本気で、遥かにえげつない。
絶体絶命の緊張感の中、背後のルシアンが突如大きく息を呑んだ。
「あ! 思い出したぞ!」
ルシアンはパンと手を叩き、目前の殺気などどこ吹く風で、俺の耳元に興奮気味に囁いた。
「カイル! セインの個別ルートを思い出した! こいつ、第一王子……いや、黒幕に病気の妹を人質に取られてるんだ! ここでアリス様が慈愛と救済を見せれば、こいつは最強の忠犬執事にデレるはずなんだよ!」
真剣な顔のルシアンに、俺のこめかみがズキズキと痛む。
「殿下、今は『イベント解説』の時間じゃありません。あの針はマジで頭蓋を貫きに来てますよ」
だが、ルシアンの言葉はセインの耳にも届いていた。
セインの動きが止まり、瞳に驚愕が走る。
「なぜ……貴様がそれを……」
その隙を見逃さず、アリス嬢が平然とした足取りで俺たちの前を通り過ぎ、紫光放つ祭壇へ歩み寄った。
「セイン。貴方を脅す者たちのことを案じているのなら、もう必要ありませんわ」
アリスの手が、祭壇中心のルーンに触れる。
「なぜなら。この瞬間から、この森の『台本』は私が預かりますから」
その瞬間、禍々しい紫の光は、地底から噴出した純白の輝きに呑み込まれた。
アリスを中心に光が爆発し、温かくも強大な魔力の波動が黒い森全体を洗い流していく。
セインはその浄化の力に圧され、その場に膝を突いた。手にしていた暗器がバラバラと地面に散らばる。
「セイン。王都に戻れば、公爵家の名において貴方を縛る脅威は全て片付けますわ」
光の中で振り返ったアリスは、茫然とする執事に神秘的な微笑を向けた。
「その代わり。貴方は生き延びて、これからも私に『面白い』創作の素材を提供しなさい」
セインは深く頭を垂れた。強張っていた背中の糸が、ようやく切れたようだった。
危機が去ったのを確認し、俺は剣を収めてルシアンの肩を叩いた。
「イベントは円満解決です。さっさと帰りましょう」
「本来のシナリオ通りなら、あの二人に任せておけばいいんですよ」
さらに歩み寄ろうとするルシアンに、俺は低い声で釘を刺した。
「首を突っ込むな。俺たちの関わるべき領域じゃない」
「でもカイル……!」
引きずられていくルシアンが、未練がましく声を上げる。
「あの『薄幸の暗殺者が令嬢に救われる』って名シーン、もっと近くで台詞を聞き込みたかったのに! 帰ってから君と考察会議をする予定だったんだぞ!」
「そんなもの重要じゃありません、殿下」
俺は主君の悲鳴を無視し、「聖なる光」に包まれた祭壇から力ずくで彼を連れ出した。
台本はめちゃくちゃに歪んでいるのかもしれない。
だが、俺にとっては「定時に王都へ帰り、残業なしで終わる」こと。
それこそが最高に美しいシナリオなんだ。




