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俺の主君は、自分を悪役だと信じて疑わない。~最強のモブ騎士(俺)は、自掘り墓に付き合わされて今日も溜息をつく~  作者: 雪沢 凛


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第十五話 崩壊する台本(シナリオ)と覚醒の前兆

 フォレスト・スパイダーは単独で動かない。

 垂れ下がった蛛糸を利用し、樹々の間を高速で揺動する。

 剛毛に覆われた長肢が空気を削り、耳を劈く摩擦音を響かせていた。


「この畜生ども、想像以上に飢えてやがるな」

 俺は着地と同時に転がり、衝撃を逃がしながら背後の剣を振り抜いた。

 旧剣の刃が蜘蛛の関節を正確に断つ。セインが「薪割り」と馬鹿にした厚い剣身は、甲殻を叩き割るのに都合がいい。


「ヴァルツ騎士、そのような美意識に欠ける肉弾戦を続けるつもりなら、早めにまともな武器に買い替えることをお勧めしますよ。剣が折れてから遺体回収するのは手間ですので」


 背後からセインの棘のある声が飛んでくる。

 奴の指先から伸びる鋼糸は、薄暗い森では不可視の障壁だ。


 馬車を狙う蜘蛛が飛び込むたび、その肢体に深々と切り傷が刻まれていく。

 残酷なまでに優雅な、芸術品を作るような手際だ。

 だが、前方の先遣騎士たちは苦戦を強いられていた。

 重厚な鎧が泥濘に足を取られ、蛛糸に絡まった馬が身動きを封じられている。


「セイン、馬車を頼む!」

 俺は返事も待たずに地を蹴り、周囲の樹幹を足場にして包囲網の真ん中へ斬り込んだ。


「狂いましたか? 錆びついた剣で救える命などありませんよ!」

 セインは毒づいたが、その指先から放たれた鋼針は、俺の背後を狙った蜘蛛の目を寸分違わず射抜いていた。


 ……口は悪いが、連携の腕だけは確かだ。


 混乱の中、車内のルシアンはアリスの衣の端を必死に握りしめていた。

 隙間から、俺が巨大蜘蛛に囲まれ、鋭利な爪が背中を掠める光景を見て、歯の根が合わずに鳴り響く。


「カイル……カイルが囲まれてる……死んじゃうよ……」


 俺は横一文字に剣を払い、馬の足を狙っていた最後の一匹を両断した。

 母体と思われる蜘蛛の撤退を告げる嘶きが響き、森は再び粘り気のある静寂に包まれる。

 剣に付着した緑色の体液を振り払い、馬車へ歩み寄った。

 ルシアンは窓から身を乗り出し、金髪を振り乱して真っ青な顔をしていた。


「殿下、終わりました。中へ」


「カイル……取られるかと思った……いや、死ぬかと思ったんだぞ……!」


 俺は背後から突き刺さるセインの探るような視線と、車内のアリス嬢の、今にも発火しそうな興奮の眼差しを感じて、黙り込むしかなかった。

 整備を終え、一行は重苦しい空気の中をさらに深部へ進む。


「殿下の先ほどの反応、実に印象的でしたわ」

 車内のアリスはノートを閉じ、瞳を妖しく輝かせた。

「ただの巡回では見られない、素晴らしい『風景』でしたわ」


「それは……その、怖かっただけだよ。巡回はもういいだろ? 帰らないか?」

 ルシアンが隅で小さく抗弁する。


「殿下、まだシルヴェスター殿下のお考えが分かりませんか?」

 アリスが窓枠を指先でなぞり、くすりと笑った。


「殿下は、我々に『見回り』など期待してはおられません。近年の魔物の異変、その背後には必ず何らかの『干渉』があります。ただ歩いて帰るだけでは、この試練は何の意味も持たないのですわ」


 彼女は俺に向き直り、意味深に告げた。


「森の深淵にある異変を解決することこそが、あの方の期待。……いえ、ヴァルツ騎士、貴方への『最後通告』なのです」


「異変を解決……ですか」

 俺は手綱を握り締めた。


「私も多くを知っているわけではありませんわ」

 アリスは茶目っ気たっぷりに瞬きをしてみせた。

「ですが、この森の最奥には王族の血脈に関する古の秘密が眠っているとか。……殿下、これこそ貴方の『価値』を示す最高の舞台ではありませんか?」


 ルシアンの顔色がさらに土気色に変わった。

 彼は俺の耳元で震える声で囁いた。


「カイル……やっぱり兄上は、俺たちをここで消すつもりなんだ。もしさっきの蜘蛛で死ななくても、どのみちここで詰むようになってるんだ……」


 俺は目の前の、すべてを呑み込みそうな樹海を見据えた。

 もはや巡回ではない。これは深淵へ突き落とされる「生贄」の儀式だ。


「……なら、行きましょう。給料分は働かないといけませんからね。その『秘密』とやらを拝ませていただきましょうか」


 馬車を動かす直前、俺は後方の騎士たちを待たせ、ルシアンを少し離れた場所へ連れ出した。


「お前の言っていた『シナリオ』では、アリス嬢が覚醒して森を浄化するはずなんだろう?」

 俺は周囲の音を警戒しながら低く問うた。

「なら、何もしなければ安全なはずだ。何をそんなに怯えている?」


 ルシアンの視線が泳ぎ、指が服の裾を弄んだ。


「……多分、そうなるはずなんだ。でも、カイル。この世界があまりにリアルで、なんだか上手くいかない予感がするんだよ……」


「分からないなら、無暗に騒ぐな。お前が震えていると俺の判断が鈍る」


「うぅ……」


 俺の叱咤に、ルシアンは首を竦めてしょげ返った。

 その不憫な姿に溜息を吐き、話題を逸らした。


「……そういえば、新しい攻略対象が出るとか言っていなかったか? どんな奴だ」


「あ、それ……」

 ルシアンは唇を尖らせ、投げやりに言った。

「もう出てるよ。セインがそうなんだ」


「は?」

 俺は呆然とし、次の瞬間、こみ上げてくる怒りを感じた。

「なぜそれを早く言わない!」


「……だって、重要じゃないと思ったんだもん……」


 重要じゃない、だと?

 俺は溜息を吐くことすら忘れた。

 だが、すぐに考え直す。……ああ、確かに重要じゃない。

 誰が攻略対象だろうと知ったことか。俺はただの騎士だ。


 馬車へ戻ろうとした時、セインとアリス嬢が音もなく背後に迫っていた。


「あら、ルシアン殿下が騎士を『お仕置き』していると聞いて駆けつけましたけれど……」

 アリスが楽しげに俺たちを見つめる。

「噂とは少し、様子が違うようですわね?」


「お仕置き」という言葉を聞いた途端、ルシアンは慌てて胸を張り、拙い悪役モードへ切り替えた。

「ふん! カイル! 貴様のような卑賤な者が、俺に意見するなど百年早いんだよ!」


 そう言って、俺の胸元を突き飛ばそうとした。

 だが、この森の地面は滑りやすい苔で覆われている。

 勢い余ったルシアンは足を滑らせ、悲鳴を上げながら後ろにのけぞった。


「わ、わあああぁっ!」


 俺は溜息と共に、思考より先に身体を動かしていた。

 右腕を回し、その腰を抱き止めて支える。

 慣性のせいで、ルシアンは俺の胸に金髪の頭を預けるような形で、半ば抱きついた状態になった。


 扇で顔を隠したアリスの、具現化しそうなほどの興奮の眼差し。

 ……この光景は、彼女にとって「満点」だったらしい。


 この気まずくも奇妙な空気の中、それまで沈黙を守っていたセインが突如として鋭い視線を森の深淵へ向けた。


「……戯れはそこまでにしてください」

 セインの声は氷のように冷たく、その右手はすでに暗器を握っていた。

「あそこに、何かがいます」


 俺は即座にルシアンを離し、セインの視線の先を追った。


 墨を流したような闇の奥。そこには、巨大な眼球のように不気味に明滅する「紫色の光」が、音もなく俺たちを凝視していた。


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