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2018/8/9以前の冒頭

2018/8/9以前の、本作の冒頭に使われていた文面を記念に保管しています。


 湖国初の女武官となった楊珪己については、この時代になっても話を聞くことができる。しかしその内容はといえば、あることないこと、はては巨体の男も目をむくほどの超人であったとか、遠い国の民であったとか、この世のものではない存在であったとまでいう者もいる。


 そこで、楊珪己の生涯について、剣女の列伝をここに記すことになった。彼女について理解するためには、まず、湖国の創世について簡単に振り返る必要がある。


 三百年の長きに渡って続いた戦乱の後、武将・ちょう龍舜りゅうしゅんによって十の小国が一つの大国に統一された。これにより、世に名高い十国時代が終焉し、千湖の連なるこの地が平定され湖国が興った。


 初代皇帝となった趙龍舜は手始めに、これまでの武官による国の支配を改めることで、国家の安寧を図ることを決意した。有名無実であった文官の採用試験・科挙を改革、文官の数を増やし、自らも殿試によって特に優秀な文官の発掘に尽力した。殿試を通った文官は「天子門正」と呼ばれ、皇帝の強い威光を周囲に認められた。これにより文官の地位は格段に高められた。文官による政事によって湖国の安寧を維持する試みに成功した初の皇帝として、始皇帝はその後世に名を残すこととなる。


 その結果、首都開陽には宮城に勤める官吏、特に文官が急増した。すると、これらを頼って商売を始めんとする平民が乗じて開陽に居を移す。始皇帝によって商売を保障された平民たちは目覚ましく流通を動かし、その流れに自然と人や物資が開陽に集中した。


 二代皇帝の世には千の湖を繋げる運河が整備され、国中の至るところで紙や陶器や茶などの特徴ある名産品が生まれる。運河はさらに、馬でも片道一か月はかかる東の海まで繋げられた。すると、他国からも各地の名産品を目当てに少なくない商人達が湖国を訪れるようになる。二代皇帝により正式な貿易市が開陽に設置される頃には、ここ開陽は前代未聞の大都市となっていた。


 また、二代皇帝の秀でた点として、科挙の門戸を女人に解放したことが挙げられる。合格者は当初数名もいなかったが、同時期に紙の大量生産、そして版木を利用した印刷技術の開発に成功したことが、女人の受験を後押しした。勉学のための書物を手にする機会が増えたことが、知識層に女性の数を増やしたのである。そのため、女官吏は年々増加していく。


 そして、楊珪己が歴史に初めて登場した年は、三代皇帝の御世、貴青十年のことである。


 四方五十里の城壁で囲まれた開陽には、さまざまな商売店のほか、酒楼や妓楼が軒を連ね、道を行き交う人馬や牛、駱駝などで始終にぎわいをみせていた。宮城での女官吏の活躍は市井の民にも聞こえるようになり、その影響を受け、自ら商売を起こす女商人や、悠然と馬を駆る女性が、ここ開陽ではちらほらとみかけるようになっている。このような自由な雰囲気の市街からは、白話の小説や詩、劇など、大衆文化が花開き、貴族や官吏はもとより、平民にすら世を謳歌することが許される雰囲気が、ここ開陽に生まれつつあった。世は平和を謳歌していた。


 三代皇帝として趙英龍が即位し、湖国の治世は百花繚乱の気勢があふれんばかりであった。二代皇帝の死去に伴い当時の第一皇子・英龍が即位した際、世の常とは異なり、目立った争いや不義は生じることはなかった。少なくとも処世に暮らす民には何ら悪影響は及ばなかった、と、当時のことを記録した史書・湖国通鑑には記されている。そればかりか、三代皇帝の御世となり、より整備された法や交通網、また産業・商売の手厚い保護により、夜も安心して外出できるほど、開陽は信頼される町となっていた。


 このような世に必要とされるのはよい政治を執り行うための優秀な文官である。始皇帝の肝いりによって改められた科挙により、ここ開陽では、地方に比べて多数の文官の姿を見ることができた。そして、国が産声をあげる際に必要とされた武官は、華である文官の影としての価値しかないと見るものが多かった。


 ただ、どのように良い国といえ、力を駆使して罪を犯す輩や、領土を狙う隣国というものが消えることはない。ましてや、ここ開陽は皇帝や国の最高機関が鎮座する首都、そして他国にも影響を及ぼす商売の聖地でもある。そのため、開陽には湖国で最も多くの武官の姿を見ることができた。一説には、地方の武力をそぐために首都に有能な武官を集わせたとのことだが、これについての真偽は定かではない。


 とはいえ、この時代、開陽の民にとって武芸を習うということには、まだ多数の意味があった。第一は、当然、武官となるためである。これを望むのは継ぐ家のない長子以外に多い。いまだ不安定さもある地方在住者とは異なり、武官となることは命を懸けることではなく、体の鍛練によって禄をもらう職業と捉えられていた。第二は、嗜み、お稽古事としての価値である。現在でも、平民や文官にも武芸はそれなりの人気を維持していた。ただ一つ、武芸を学ぶ者に共通していえるのは、稽古をする者は全て男であるということだった。自由な雰囲気あふれる現在の開陽においても、『武に女人かかわるべからず』というのは、十国時代以前から変わることのない不文律であった。


 城下町に連なる多数の道場の一つが、楊家の屋敷の隣にあった。この道場には他とは大きく異なる特徴があった。それは、師の一人が女人、しかも十六歳の少女であった点である。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ヒロインの珪己が明るくまっすぐな少女らしい性格なのに対して、配置された男性陣の侑生と仁威の過去にとらわれた複雑な思いが対比されて、すごく読みごたえがありました。侑生も仁威も同じように、必ず…
[良い点] キャラがみんな生きてる感じがして、良かったです! 私は侑生さま推し♪ 悩みを抱えているところすら、なんかかっこいい。 虫さん大好きな菊花姫も可愛いですね♪ 個人的には、定莉くんも結構好きで…
[良い点]  ようやく少女篇1、拝読させていただきまして、中華風の物語の背景、奥深さ、エンターテインメント性、魅力的な登場人物、とてもバランスの良い作品で、感動しました。大好きな部類のお話です!!  …
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