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前世の婚約者は王太子殿下でした  作者: 夏目若葉


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第2話 毒の杯

 マリーザのいるほうへ近づこうとした瞬間、レーナは調理台の角に身体をぶつけ、そのせいで置かれていた調理器具が音を立てて下へ落ちてしまった。


「レーナ! 忙しいときになにをやってるの!」


 すぐさま使用人頭であるオディルの怒声が飛んでくる。


「すみません」と頭を下げて調理器具を拾い上げ、再びマリーザのほうへ視線を移したのだが、すでにそこには姿がなかった。青い小瓶も消えている。


(まさかマリーザが毒を? そんなバカな)


 なにか細工する場面をはっきりと現認したわけではない。

 だけど、レーナの中でマリーザに対する疑惑が濃くなっていく。


(マリーザを疑いたくない。彼女が犯人じゃないなら、それを証明しなきゃ)


 あの青い小瓶が、マリーザのものでなければ証明できるのだろうか。

 その後、休憩に入ったレーナは、ひっそりと宿舎に戻った。


◇◇◇


 大広間では高官たちや騎士団の団長、部隊長たちが一堂に会し、決められた席に着いて談笑している。

 しかし、少し遅れて王族たちが登場した途端、場の雰囲気が緊張感に満ちて静かになった。

 王太子のオスカーが大広間に現れ、そのうしろからは国王の五歳年下の弟にあたるフョードルもゆっくりと歩いてくる。


「オスカー、近ごろはずいぶんと国王陛下の信頼が厚いようだな」


 フョードルがオスカーに声をかけた。

 話の内容はたわいないものだが、口調にはなんとなくトゲがあり、笑顔だが目は笑っていない。


「身に余る光栄です」


 オスカーは無難な返事をし、その場をやりすごした。


 最後に第十二代国王であるブノワ・バルヴィア王がやってくる。

 全員椅子から立ち上がり、右手を左胸に当てて表敬の意を込め会釈をするのがこの国の礼儀だ。


 大広間の正面、少し高い位置にある席が国王と王妃の座で、向かって左脇にオスカー、右脇には側妃やほかの王族が座を占めた。


 皆が再び椅子に腰を下ろしたところで、目の前に据え置かれたワイングラスにワインが注がれていく。

 貴族や騎士たちは同じ等級の赤ワインだが、王族たちには特別に香りのよい上等なものが用意されている。

 給仕係がボトルを手にし、オスカーのグラスにもワインを注いだ。


「待て」


 オスカーは静かに言い、そばに佇む給仕係の女性の顔をじっと観察した。

 女性は一瞬ポカンとしたあと、自分になにか不手際があったのかと動揺し始める。


「ルシアン、別のグラスを」


 オスカーが後方に控えていた侍従のルシアンに伝えると、彼は手元で隠すように持っていた銀製の器をテーブルの上にそっと置いた。


 ルシアンはこのタイミングで器を出すよう秘密裡に知らされていたので、なにも驚くことなく無駄のない動作で再び後方へ下がっていく。

 国王がそれに気づき、オスカーに視線を向けた。


「オスカー、どうしたのだ?」


「恐れながら国王陛下に申し上げます。飲み物に毒が入っているやもしれません。乾杯はしばしお待ちを」


 その言葉を聞いたブノワ王はキュッと眉をひそめた。

 会話は貴族たちにも聞こえていたため、当然あちこちでザワザワとし始める。


「毒? 誰が盛るというのだ」


 横から口を挟んだのは国弟のフョードルだった。


「見よ、オスカー。お前のせいでせっかくの宴が興ざめだ」


 フョードルは不機嫌さを全面に顔に出し、やれやれと言わんばかりに大げさに息を吐く。


「国王陛下、このままでは宴が始められませぬ」


 位の低い貴族や騎士ならこんなふうに国王に物申すことはできない。王弟であるフョードルだからこそだ。


「グラスの中身を銀製の器に移し替えればすぐにわかります」


 オスカーは立ち上がって右手でワイングラスを持ち、左手に持った銀の器にワインを移した。

 手の上でぐるぐると器の中身を回してしばし待つと、器に異変が現れる。


「私は危うく死ぬところでした」


 やっぱりかとうなずいたオスカーは、近づいてきた国王の侍従にそれを預ける。


「器が黒く変色しております。ヒ素のような毒でなければこんな色にはなりません」


 ヒ素は無色で無味無臭。飲み物や食事に入れられても見分けはつかない。

 しかしヒ素には不純物として硫黄が含まれており、銀と反応すると黒く変色させる特色がある。


「……まさか。余と王妃のワインも調べよ」


 顔が真っ青になったのはその場にいた給仕係の女性たちだ。

 侍従の指示であわてて銀の器を用意し、毒が入っていないか確認したが、ほかの王族たちのワインにはなにもおかしな点は見つからなかった。


「どうやら狙われたのは私だけのようですね。ワインボトルにではなく、グラスのほうに細工されたかと」


 焦りの素振りなど微塵も見せず、オスカーは平然とそう言い切った。

 国王は顔をしかめ、その隣にいる王妃は恐ろしさから身体をブルブルと震わせている。


「料理は毒見係もおりますし、安全でしょう。国王陛下、それではどうぞ宴をお始めください」

「オスカー……」

「私は調べることがありますゆえ、ここで退席いたします。どうかお許しを」


 オスカーは毒入りのグラスを持って静かに立ち上がり、数名の侍従たちを従えて颯爽と大広間を出ていった。

 残された者たちは一様に口を閉ざして神妙な面持ちになっている。


「――宴は中止だ」


 しばらくして国王がそう宣言した。

 笑みをたたえて和やかに酒を酌み交わす雰囲気ではなくなったのだから、当然の成り行きだ。


 オスカーは普段執務室として使っている部屋の扉を開け、最奥にある豪奢な椅子に腰を下ろした。


「毒を仕込んだのは給仕係のうちの誰かでしょうか」


 感情を抑えきれない様子のルシアンが続けて部屋の中へ入ってきて、オスカーに詰め寄るようにして尋ねた。


「落ち着け」

「あれをそのまま口にされていたら命を奪われていたかもしれないのに、落ち着いてなどいられません!」


 ルシアンは王太子であるオスカーからたしなめられても、感情のまま憤りの言葉を口にする。

 こんなに怒るのは本気で心配している証拠だと、オスカーは顔に出さないものの内心ではその気持ちがうれしかった。


「殿下がワインに毒が入っていると仰ったとき、単に疑っておられるだけかと思っていましたが、まさか本当に盛られていたとは。しかし……」

「ん? どうした?」

「なぜわかったのですか? もしや犯人に心当たりがおありで?」


 声をひそめるルシアンに、オスカーはふるふると小さく首を横に振った。


「俺が毒を口にし、血を吐いて倒れると教えてくれた者がいたんだ」

「ではその者を問い詰めれば犯人がわかりますね」


 重要な手がかりだと言わんばかりにルシアンは低い声で言い、それはいったい誰なのかと問うような目でじっとオスカーを見つめた。

 しかしオスカーは静かに「待て」と告げて、落ち着くように促す。


「その者は犯人についてはなにも知らない。捜すなら別の方向からにしないと」


 ではなぜ、宴でワインに毒を盛られると知ったのか。

 もし、ほかの誰かに聞いたというなら元をたどっていけばいいだけだが、オスカーからの許可が出ない。

 ルシアンは腑に落ちなくて首をかしげた。


「俺はそんなに下の者たちから嫌われているか?」

「いいえ、滅相もありません。若い侍女などは身の程もわきまえず、王太子殿下のお姿に目を奪われているくらいですから」

「はは。そうか」

「笑っている場合ではございませんよ」


 小さく笑みをこぼすオスカーを見て、ルシアンは真顔で場の雰囲気を引き締めた。

 先ほどのことは決して見過ごせない王宮内での一大事件だ。

 オスカーの身に危害を加えようと企む者がいるなら、即刻捕まえなければならない。

 それに、ルシアンはオスカーの最側近としての責任がある。


「犯人は……単純に俺に恨みがある者か、誰かに指示をされて犯行に及んだか」

「……指示、ですか」


 王太子のグラスに毒を入れて殺めるなどという大それたことを、果たして誰かがひとりで計画して実行したのだろうか。

 複数の人間が絡んでいてもおかしくないなと、オスカーは頭の中で思考を巡らせた。


「国王陛下の息子は俺だけだからな。王室を根絶やしにと考えたのかも……」


 なにか糸口をつかんで、そこから芋づる式に捕まえていったとき……最後にたどり着く人物は誰なのか。


「とにかく、まず使用人たちに聞き取り調査だ。どうせ宴は中止になっているはずだし、料理人や給仕係はみな戦々恐々としているだろう」


「承知いたしました。早急に動きます」


 ルシアンはていねいに一礼し、颯爽と部屋から出て行った。

 ひとりになったオスカーは、あらためてレーナの夢の正確さに感心し、命を救われたことに人知れず感謝していた。


◇◇◇


 宿舎に戻ったレーナは、マリーザが寝泊まりしている部屋の扉をノックした。

 彼女はまだ休憩に入っておらず、調理場にいる姿を確認していたため、この部屋には誰もいないとわかっていた。当然、ノックをしても返答はない。

 レーナはドアノブに手をかけ、辺りをキョロキョロと見回したあと、そっと部屋の中に足を踏み入れた。


(マリーザ、勝手に入ってごめん!)


 部屋の中は掃除も行き届き、綺麗に整理整頓されていた。

 レーナがここへ来たのは、ほかに手がかりになるようなものがないか調べるためだ。

 夢に出てきたものとなにか合致するものがあれば、点と点が線で結ばれるかもしれない。

 引き出しが三段ある木製のチェストに目が留まり、そっと一番上を開けてみた。


(こんな屋探しみたいなことはしたくないんだけどな……)


 特に不審なものは見つからないなと思いながら、ほかの引き出しも調べてみる。

 すると、一番下の引き出しの最奥に、青く光るものがあることに気がついた。


(こ、これって……)


 手に取ってじっくりと眺めてみる。間違いない。それは先ほど調理場の作業台で見た青い小瓶と同じものだった。

 問題はこれの中身だ。もしも毒なら、やはりマリーザが細工を?


「ここでなにをしてるの?」


 急に真うしろから声をかけられたレーナは、驚いてビクリと肩を震わせる。

 振り向くと、そこには怒気をみなぎらせたマリーザが立っていた。


「人の部屋に勝手に入って、コソコソとなにを探ってるのよ。まさか物盗り?」

「ま、待って! 違うの」

「言い訳なんていらないわ」


 なにか盗もうとしたわけじゃないと説明するために口を開きかけたちょうどそのとき、建物の外からザッザッザッと土を踏む足音が近づいてきた。

 力強いので女性ではなく男性だ。しかもひとりではなく何人もいる。


「レーナ! レーナ・アラルースアはいるか?」


 やってきたのはウエストコート姿の高貴な役人の男性で、彼の後ろには従者たちが控えていた。


「私……です」


 名前を呼ばれたレーナは驚きながら即座に部屋を出て、廊下で彼らを出迎えた。

 しかし、なぜ自分を捜しにきたのかと不安な気持ちが押し寄せる。


「最近、調理係の仕事を手伝っていたな?」

「はい」

「取り調べるから一緒に来い」


 彼が後ろにいる部下たちに手で合図を送ると、大柄な男性がふたりレーナのもとに来て両側から腕をつかんだ。


「え! 取り調べってなんですか?」

「今日の宴で、王太子殿下のワインに毒が盛られた。ここ最近で一番怪しい動きをしていたのはレーナ、お前だ。毒殺未遂容疑がかかっている」

「私が?!」


 レーナは自分が犯人だと疑われているとわかり、大きくかぶりを振った。


「待ってください。私は給仕には関わっていませんし、なにもしていません」

「お前が調理場へ出入りするようになってから事件が起こったんだ。怪しまれても仕方ないだろう。身体と部屋の持ち物をすべて調べ、聞き取りをする」


 役人の男が先頭を切って建物の外へ出て行き、レーナも両脇から腕をつかまれたまま連れ出された。

 青い小瓶のことを伝えようかと思ったが、今の段階では、中身が毒だとまだたしかめられていない。


「レーナ、忘れ物よ」


 マリーザがうしろからレーナに声をかけ、半ば強引に青い小瓶を握らせる。


「なに言ってるの。これはあなたの物でしょ? 引き出しにしまってあったわ」

「私は知らない。レーナが勝手に入れたんでしょ」

「なっ……」


 そんなわけない。あれはマリーザの持ち物だ。

 それなのに、ここで私に持たせようとするのは、中身が毒だから?


「怪しい瓶だな。犯人はお前で確定か?」

「違います。私は手がかりを得ようと調べていたんです!」


 マリーザが去っていく中、役人の男性がギロリとレーナを睨みつける。


「五日前、毒でお倒れになる夢を見たとルシアン様ご本人にお伝えしました。私が犯人ならそんなことはしません!」


 レーナは毅然とした態度で必死で訴えかけた。

 あのとき、誰にも話すなと言われていたが、宴が終わった今なら問題ないと思ったのだ。


「は? 誰に伝えたと?」

「ルシアン様です。えっと……とても位の高い方で……いらっしゃいますよね?」


 役人の男は眉根を寄せてレーナを見据え、さらに距離を詰めて真正面に立った。


「ルシアンは、私だが?」


 レーナは自分の耳を疑った。しかし、目の前の男性がこんな状況で冗談を言うとは思えない。


(この人がルシアン様? だったら、私が夢の話をしたあの人は、いったい誰なの?)


 五日前に高貴な男性と会ったこと自体が夢だったのだろうか。

 一瞬そんなふうに考えたものの、あれは間違いなく現実だったと、自分の記憶を信じることにした。


「私がお会いしたのは……背が高くて、ブロンドの髪色の方でした。お名前を聞いたらそう名乗られたんです」


 訝しい顔をしていたルシアンだったが、レーナが口にした身体的特徴を聞いて表情を一変させた。

 堂々と王太子の最側近であるルシアンの名をかたる、ルックスのいい人物はこの王宮にひとりしかいない。


「彼女を放せ」


 考え込むルシアンの背後から男性が現れて、ふたりのあいだに割って入った。

 レーナの両脇に立っていた男性たちは、波が引くようにさっと後ろに下がっていく。


「あ、ルシアン様!」

「だから私がルシアンで、このお方は王太子であらせられるオスカー殿下だ」


 イライラとしながら訂正をした男性が本物のルシアンで、五日前に出会った美しい容姿の男性は王太子のオスカーだったと、レーナはこのときあらためて理解した。

 知らなかったとはいえ、王太子を相手に無礼な発言をしていたのではないかと不安になり、あわてて両手を前に組んで頭を下げる。


「彼女は犯人じゃない。逆だ。毒のことを教えてくれた」

「お言葉を返すようですが、それならなおさら調査せねばなりません。なにか知っていた証拠です」

「彼女は“予知夢”を見ただけだ」


 オスカーの言葉を聞き、ルシアンは不思議そうな顔をして首をひねった。

 実際に口には出さないものの、まさか夢の話を信じたのかと言わんばかりの表情だ。


「俺が彼女と話す。ルシアンたちは違う調査を」

「承知いたしました」


 納得がいかないものの、背筋を伸ばしたルシアンが素早く頭を下げて立ち去っていき、役人たちもそれに続いた。

 ずっと身体をこわばらせていたレーナだったが、緊張の糸が解けて思わずハーッと息を吐いた。


「怖がらせてすまない」


 しかし気を抜いてはいけない。目の前にいるのはこの国の王太子なのだ。

 オスカーから声をかけられたレーナは緩んでいた気を張り直して前を向いた。


「王太子殿下とは知らず、先日はご無礼を……。どうかお許しください」


 深々と頭を下げるレーナの肩に、オスカーがやさしく手を添える。


「俺が無事だったのは君のおかげだ。あのとき言っただろう? 君は命の恩人だと」


 そんなふうに言われると照れ臭くなり、恐縮しながら視線を上げた。

 オスカーのやさしい眼差しに心を奪われたレーナは、眉目秀麗な彼から目が離せなくなってしまう。


「ご無事でなによりです」

「君が見たのは、近い未来の出来事を予見する予知夢だ。そういう夢は昔からよく見るのか?」

「そ、そんなたいそうなものではありませんが……変な夢を見るようになったのは、二ヶ月ほど前に事故に遭って頭を打ったあとからです」


 もちろん事故のあと、レーナは身体に異常がないか医者の診察を受けたけれど、外傷以外は異常がないと言われたのだ。

 そのあとでおかしな夢を見始めるとは思ってもみなかった。まさかそれが――予知夢だとは。


「……事故?」

「はい。用事で王宮の外に出たときに馬車と衝突してしまって」

「馬車……」


 突然オスカーが目を丸くして驚いた。

 レーナはそれがなぜなのかわからなくて、不安になりながら小さくうなずく。


「ほかにはどんな夢を?」

「いつも一瞬の場面だけで繋がっていないんですけど、どこか異国の風景が出てくるときもあって……」


 ふざけた話だとそっぽを向かれそうな気がして、最後は尻すぼみになった。

 しかしオスカーは、バカバカしいとあきれることなく真剣に耳を傾けている。


「もしかして、そこでは髪も瞳の色も黒じゃなかったか? 服装は前合わせの“着物”と呼ばれる衣を着ていた?」

「そのとおりです。夢に出てきた使用人の女の子が“まがれいと”という髪型の名前を言っていました」

「やはりそうか。レーナ、一緒に来てくれ」


 なにかまずいことを口にしただろうかと、レーナは不安になって眉尻を下げた。

 オスカーの表情を見る限り、ウソをついているとは思われていないみたいだが。


「こっちだ」


 レーナはどこに向かうのかわからないまま、オスカーの後ろをついて行った。

 シルヴァリオン宮殿の正面広場を通り過ぎたオスカーは、どんどん王宮内の東側のエリアへと進んでいく。


「あの、ここは……私が立ち入っていい場所ではありません」


 足を踏み入れたことはなくとも、レーナはこの先になにがあるのかわかっていた。

 王太子が結婚後住む予定にしているフィンブル宮殿だ。


「大丈夫だから。おいで。見せたいものがある」


 足を止めたレーナに、オスカーが手招きをして呼び寄せる。

 入口の門の前で警備をしていた衛兵ふたりがオスカーの姿に気づいた途端、きびきびとした動作で頭を下げた。


 フィンブル宮殿の中は秋のさわやかな風が吹き抜けていて、清掃も行き届き、とても綺麗な宮殿だとレーナは思った。

 小さな池のそばを通って奥へと進んでいく。すると今度は花畑のような光景がレーナの目に飛び込んできた。


「綺麗だろう?」

「はい。とても」


 ふたりの目の前には、薄紫色の花が一面に広がっている。

 レーナはふと、フィンブル宮殿には花が咲いているという噂を思い出した。


『王太子殿下が中庭に植えさせたんだそうだ。どこか東方の国で種を手に入れたとかで。珍しい紫色のアスターだってさ』


 たしかクリフもそんなふうに言っていたな、と。


「君は予知夢を見ることができる。でも、異国の夢に関しては違う。それは……前世の記憶だ」

「……前世?」

「これは誰も知らないことだが、俺には前世の記憶があるんだ」


 わざわざフィンブル宮殿にまで連れてきて、オスカーが意味不明な冗談を言ってからかったのだとは、レーナには思えなかった。

 とても真剣に、切ない瞳でレーナを射貫きながら伝えてきたからだ。


「俺たちはこの国、異世界で転生したんだよ」

「な、なにを仰せなのかわからないです」

「転生前は日本という国の、明治の世にいた。俺は君と恋人同士で婚約していたんだ。この花にも見覚えがあるだろう?」


 矢継ぎ早に言われても、レーナは混乱するばかりだった。

 前世の自分がオスカーの婚約者だったなんて、信じられるわけがない。

 けれどオスカーの言うとおり、目の前に咲き誇っている薄紫色の花には見覚えがあった。

 夢の中で作っていた押し花は、たしかにこの花だったのだ。


「おそらく思い出せる。頼む、どうか思い出してくれ」

「夢で、押し花を作っていました。コウタロウ様からいただいたから大事にしたい、って……」

「俺がコウタロウだ。野宮(のみや)煌太郎(こうたろう)。この世界でも必ず会えると信じていたよ、桜和(さわ)」


 オスカーから“桜和”と名前を呼ばれた瞬間、頭の中でなにかの回路が繋がったように、怒涛の如くさまざまな情報が押し寄せてきた。

 それはおそらく――前世の記憶。


 混乱とともに眩暈がして、レーナはその場で意識を失ってしまう。



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