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追放令嬢の辺境スローライフ〜精霊に愛された手料理で大地を豊かにしたら、無愛想な次期辺境伯の胃袋を掴んで激しく溺愛中!〜  作者: 黒崎隼人


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第13話「豊かな大地と永遠の誓い」

 窓から差し込む陽光が、厨房の床に落ちて幾何学模様を描いている。

 風が吹き抜けるたび、光の帯の中に漂う細かな塵が、金色の砂のようにきらきらと踊っていた。

 リリアーナは新しいエプロンの紐を背中で結び、首元で小さく息を吐き出す。

 王都の使者が逃げ去ってから数ヶ月が経ち、辺境伯領の季節は豊穣の秋を深めていた。

 領民の誰もが王都からの報復を危惧したが、王都からはその後、何の連絡もなかった。

 噂によれば、水源が完全に枯渇し、土地が死に絶えた王都は、近隣諸国へ助けを求めることすらできないほどの深刻な衰退状態にあるという。

 エドワードやシルビアがどのような結末を迎えたのか、リリアーナはもう知ろうとも思わなかった。

 過去の暗い記憶は、彼女の心からすっかり抜け落ち、今はただ、目の前の豊かな食材をどう調理するかに全ての意識が向かっていた。

 木のまな板の上に置かれたのは、両手で抱えきれないほど大きなカボチャだった。

 深い緑色の皮には張りのある艶があり、叩くと中身がしっかりと詰まった鈍い音が鳴る。

 包丁の刃を皮に当て、体重をかけるようにしてゆっくりと押し込んでいく。

 硬い手応えの後、ぱかっと二つに割れたカボチャの断面からは、鮮やかな黄金色の果肉が姿を現した。

 甘く、少しだけ青臭い土の匂いが鼻腔をくすぐる。

 種を丁寧に取り除き、一口大に切り分けたカボチャを、厚手の鉄鍋に敷き詰める。

 そこへ、領地の牧場で朝一番に搾られたばかりの濃厚な牛乳と、木の実をすり潰して作った黄金色の油を加えた。

 かまどの火は静かに燃え、赤く熱された薪がぱちぱちと小さな音を立てている。

 鍋を火にかけると、やがて牛乳が温まり、鍋の縁からふつふつと白い泡が立ち始めた。

 木べらでゆっくりとかき混ぜながら、リリアーナは鍋から立ち上る甘い湯気を深く吸い込む。


『あまい、いいにおい』


 視界の隅で、ルークが嬉しそうに上下に揺れた。

 精霊である彼は、リリアーナが王都の使者を拒絶したあの日から、少しだけ大きくなり、放つ光もより一層温かみを増していた。

 リリアーナは微笑み、ルークの柔らかな光に指先で触れる。

 指の腹から伝わるひだまりのような温もりに、心がほどけていくのを感じた。

 カボチャがとろけるほど柔らかくなったところで、彼女は少量の塩と、森で採れたばかりの香草を振り入れた。

 火から下ろし、木べらで果肉を潰しながら滑らかなペースト状にしていく。

 甘い香りが厨房いっぱいに広がり、冷えた朝の空気を優しく温めていった。

 次に彼女が手に取ったのは、数日前に仕込んでおいた鹿肉の塊だった。

 赤身の肉は独自の香草液に漬け込まれ、深い赤色に染まっている。

 表面の水分を丁寧に拭き取り、熱したフライパンに放り込む。

 じゅわっという激しい音と共に、肉の脂が焦げる香ばしい匂いが立ち上った。

 表面にこんがりと焼き色をつけ、肉汁を閉じ込めた後、かまどの奥の余熱でじっくりと中まで火を通していく。




 昼下がり。

 澄み切った青空の下、屋敷の裏庭に置かれた大きな木のテーブルには、リリアーナが腕を振るった料理が所狭しと並べられていた。

 カボチャの甘みを活かした濃厚なポタージュ。

 香草の香りをまとい、しっとりと柔らかな鹿肉のロースト。

 麦の甘みが広がる焼き立てのふっくらとしたパン。

 そして、森で摘んだばかりの木苺をたっぷりと乗せたタルト。

 ガウェインは豪快な笑い声を上げながら、鹿肉のローストを口に運び、目を細めている。

 エレナはポタージュの温かさに息をつき、リリアーナに優しい視線を向けていた。

 そして、アレクセイは無言で料理を口に運びながらも、その表情には隠しきれない穏やかな喜びが溢れ出ていた。

 失われていた彼の味覚は完全に戻り、今では食事の時間が彼にとって何よりも大切なものになっている。


「本当に、リリアーナ嬢の料理は心底から力が湧いてくる」


 ガウェインが木製のジョッキを傾けながら、心底満足そうにつぶやく。


「ええ。こんなに豊かな食卓を囲める日が来るなんて、昔は思いもしなかったわ」


 エレナがパンをちぎりながら、しみじみと同意した。

 リリアーナは自分の作った料理で家族が笑顔になる光景を見るたび、胸の奥が熱くなり、目頭がじんわりと温かくなるのを感じていた。

 侯爵家の冷たい厨房で、一人ぼっちで凍えていた日々が遠い昔のことのように思える。

 ここは、彼女の本当の居場所なのだ。




 太陽が西の山並みに沈みかけ、空が燃えるような茜色から深い藍色へと変わり始めた頃。

 リリアーナは片付けを終え、屋敷のバルコニーで夜風に吹かれていた。

 風はひんやりと冷たいが、エプロンの下に着込んだ厚手の羊毛のドレスが、しっかりと体温を逃がさずに保ってくれている。

 眼下に広がる領地の村々からは、夕餉の支度をする煙が立ち上り、ぽつぽつと家々に明かりが灯り始めていた。

 それは、かつての死に絶えた暗い景色からは想像もつかない、人々の営みと温かさに満ちた光景だった。

 背後から、静かで重い足音が近づいてくる。

 振り返らずとも、それがアレクセイのものであることはすぐに分かった。

 彼は無言のまま、リリアーナの隣に立ち、同じように村の明かりを見下ろした。

 彼の大きな身体が隣にあるだけで、冷たい夜風が遮られ、安心感が彼女を包み込む。


「……寒くないか」


 不器用なほどに低い声が、静かな夜の空気に溶け込む。


「はい。ドレスがとても暖かいので」


 リリアーナが微笑んで答えると、アレクセイは短く頷き、バルコニーの手すりに両手をついた。

 彼の手には、剣を握り続けてできた硬いタコがある。

 その無骨な手が、リリアーナは好きだった。

 自分たちを守るために、彼がどれほどのものを背負ってきたのかを物語る手だからだ。

 しばらくの間、二人は言葉を交わすことなく、ただ肩を並べて夜の静寂を共有していた。

 ルークが二人の間をふわりと漂い、柔らかな光の軌跡を描いている。


「リリアーナ」


 静寂を破ったのは、アレクセイだった。

 彼は手すりから手を離し、ゆっくりとリリアーナの方へ身体を向けた。

 彼の漆黒の瞳が、バルコニーの壁に掛けられたランプの光を反射し、真剣な熱を帯びて揺らめいている。


「はい」


 リリアーナも彼に向き直り、その深い瞳を見つめ返した。

 アレクセイは少しだけ視線を彷徨わせ、何かを言い淀むように口元を覆った。

 彼がこれほどまでに躊躇う姿を見るのは初めてで、リリアーナの胸の鼓動がわずかに早くなる。

 やがて、彼は深く息を吸い込み、意を決したようにリリアーナの両手をそっと包み込んだ。

 大きくて、温かい手。

 その感触が、リリアーナの指先から心臓へと真っ直ぐに熱を伝えていく。


「お前がここに来てから、俺の世界は変わった」


 彼の声は微かに震えていたが、言葉は確かな重みを持っていた。


「飯の味、風の匂い、土の温かさ。それらすべてを、お前が教えてくれた。お前が笑うと、胸の奥が熱くなる。お前が悲しそうにしていると、自分の心臓を握り潰されるような痛みが走る」


 アレクセイの言葉は飾り気がなく、ただ彼の内面から溢れ出た真実の感情だけが紡がれていた。

 リリアーナは息を呑み、瞬きをするのも忘れて彼を見つめ続けた。

 目頭が熱くなり、視界がじんわりと涙で滲んでいく。


「俺は、不器用だ。甘い言葉も言えないし、気の利いた贈り物もできない。だが……お前を想う気持ちだけは、誰にも負けない」


 アレクセイはリリアーナの手を強く握りしめ、片膝を床についた。

 騎士が主君に忠誠を誓うような、あるいはそれ以上に神聖な動作だった。

 彼はリリアーナを見上げ、その瞳に全ての愛情を込めて告げた。


「俺と、結婚してほしい。俺の生涯をかけて、お前を守り、愛し抜くと誓う」


 涙が、リリアーナの頬を伝って零れ落ちた。

 それは悲しみでも恐怖でもなく、ただ純粋な幸福の形だった。

 侯爵家で不要な存在として扱われ、誰からも愛されることなく死んでいくのだと思っていた彼女の人生。

 それが、この最果ての地で、こんなにも温かく、誠実な青年に求められている。

 リリアーナは涙で声にならない喉を必死に震わせ、アレクセイの大きな手に自分の手を重ねた。


「私で、いいのですか。何も持たない、ただの料理しかできない私で」


「お前がいいんだ。お前以外は、考えられない」


 アレクセイの断固たる言葉に、リリアーナの心の中にあった最後の不安の欠片が、完全に溶けて消え去った。


「はい……喜んで」


 かすれた声で答えると、アレクセイの顔に、今まで見たこともないような、心からの安堵と喜びの笑みが広がった。

 彼は立ち上がり、リリアーナを大きな腕でしっかりと抱きしめる。

 彼の分厚い胸板に顔を埋めると、力強い心音と、日向のような温かい匂いが彼女を包み込んだ。

 リリアーナも背中に腕を回し、彼の服の生地をきつく握りしめる。

 もう、一人で凍える夜はない。

 冷たい視線に怯えることもない。

 この豊かな辺境の大地で、彼と共に生きていく。

 ルークが無数の光の粉を散らし、二人を祝福するように周囲を舞い踊っていた。

 星空が広がる夜のバルコニーで、二人はいつまでも、互いの温もりを確かめ合うように抱きしめ合っていた。

 過去の傷痕は癒え、未来へと続く確かな絆が、今ここに結ばれたのだった。

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