さらわれた天女
*
やがて庭の桜は咲き誇った。
何度も泣き言を言っていたリオンも、カラタチにしごかれたのか、踊りは上達していた。練習とは言え、肩や腰に触られている話を人伝に聞くだけで苛々したが、気持ちを抑えた。少なくともカラタチはリオンに対して他意はない。こんなことでどうする。
お披露目の日には、チカゲの傷ももうほとんど完治していた。
トキワはチカゲらにリオンの舞を見ることを許した。シフォンやセザール、クロサギもだ。それはリオンが姫になったことを示す意味もあった。
そのために中庭に作られた舞台の周りには数人が集まっていた。
トキワはカガリの頭をとうに焼いて、その骨壷を持っていた。カガリにも舞を見せるのだと、そう言った。
やがて笛の音が鳴り響き、リオンがゆっくりと現れた。
シフォンは目を潤ませ、そして煌めかせてリオンの晴れ姿を見ていた。
それというのも、現れたリオンは酷く美しかったのだ。いつもはかわいいという表現が似合う少女だが、桃色の着物には花の模様が散りばめられ、その上に羽衣を纏っていた。
下ろした髪に、いつもの髪紐はつけていない。代わりに美しい花飾りをいくつもつけていた。
笛の音が鳴り響き、続いて小鼓や三味線の音が鳴る。
リオンは鈴と扇子を持っていた。鈴がしゃりん、と鳴る。チカゲが知る限り不器用だった少女が、扇子を美しく翻し、それはそれは優雅に踊っているのだった。
幼い頃の思い出が蘇る。
――――サクラさんは、天女様なの?
遠い昔、家出した時に出会ったその人は、リオンであった。彼女は今まさしく、天女のように美しく舞っていた。しゃりん、しゃりん、と鈴が透明な音を響かせる。
セザールがうっとりと見惚れている。クロサギも鳥の姿のまま、目をまんまるにして眺めているのだった。
チカゲは――ただ恋焦がれ、今にもどこかへ行ってしまいそうな彼女を引き留めたくなった。
胸が痛い。あれは紛れもなくサクラだった。それは紛れもなく自分の知るリオンであった。
始まる前に終わった初恋。それはまた今日、ここで終わるのだ。
天女のように舞う彼女を掴んだら最後、自分の住まう世界に下ろして血に染めてしまうに違いなかった。だからただ、眺めることしかできなかった。それほどにリオンは美しかったけれど、その踊りはどこか儚く、痛々しくもあった。彼女の表情が、動きがそう魅せるのか、胸を締め付けるような痛みがそこにあった。
しゃん! と鈴が響き渡る。水を打ったように辺りは静かになり、チカゲは我に返った。
舞は終わり、拍手が湧き起こる。チカゲはその割れるような音を、ぼうっと聞いていた。リオンは――遠くの人間になってしまった。
*
舞が終わった後、リオンは帝である兄の部屋に呼ばれた。彼は骨壷を脇に置き、やさしい声音で告げた。
「ああ、リオン――本当に綺麗だったよ。カガリもきっと喜んでいるだろう」
リオンはほっとした。慣れないなりに、たくさん練習したのだ。カラタチにしごかれた甲斐があったというものだ。
「兄上、わたし、これからは――」
「うん、これからはずっと一緒だよ」
嬉しい。嬉しいはずなのに、何故か胸が痛んだ。原因は分かっていたが、あえて知らないふりをした。自分は幸福だと、そう思い込むことにした。なんたって位を授かり、正式に姫になるのだ。
「足りないものがあれば言ってね? いつでも用意する。君の晴れ姿、とても美しかった。着物をもっとたくさん用意してもいい。髪飾りも、お菓子も、もう我慢しなくていいんだよ」
我慢した覚えはなかった。刀を振ってばかりの生活だったけれど、それでも満たされていた。
ただここでしか手に入らないものがあった。それは家族。
「わたしは――わたしは兄上がいればいいんです」
素直な気持ちでそう答えれば、「そうか」とだけトキワはつぶやいた。
「おいで……リオン」
リオンがすぐそばに座ると、彼は告げた。
「戦いの夜、僕の神力が目覚めた。未来を予知できる力だ。万能という訳じゃないけど、災害や悪いことも予知できる。既にこの力で災害が起こり得る場所を特定して、周知し、被害を最小限に食い止めているんだ」
自分がカラタチにしごかれている背景で、そんなことがあったのか、とリオンは思う。カラタチは恐らくすべて知っているだろう。
「カラタチさんは……」
「彼は有能な部下だ。君も知っての通り。――とにかく、この予知の力が使えるようになってから、僕は前のような病弱じゃなくなった。カラタチが言うには、神力を使いこなせずに身体の中で抑圧していたと。それが使えるようになったことで、前の僕じゃなくなったんだ。もう戦えるし、君を守ることもできる」
「兄上……。自身のこともですか?」
「勿論だよ。君達には心配をかけたね」
リオンは兄を抱きしめた。弱かろうが強かろうがどんな兄も好きだ。やさしいから。周りの人達を大切にしてくれるから。
「もう大丈夫だよ、僕のために戦場に立つ必要はないんだ」
兄はやさしくリオンを抱きしめ返した。それは温かな体温だった。
半分だけれど、確かに、同じ血が流れているのだ。リオンはそっと身を寄せた。
「おやおや……」
しばらくして部屋に入ってきたカラタチは切ない笑みを浮かべた。
「なんと美しい光景でしょう、ねえそう思いませんか、カガリ」
骨壷は答えない。けれど寄り添って眠る兄妹を見守っているようだった。
*
夢の中でリオンは幼子になって、廊下に立っていた。
やはり幼いトキワが中庭に立っているのだった。
「――母上を奪われたと思っていたんだ」
小さな兄は鞠を持ったまま、こちらに背を向け、散りゆく満開の桜を眺めていた。
「母上に捨てられたと思っていた。妹がいると知った時、僕は選ばれなかったと思い込んだ」
「わたしも、です」
小さなリオンは中庭へと駆けて行った。
「わたしも、兄上が憎かった。母上を助けなかったと思っていた。そうじゃなかった、兄上は、苦しんでいたのに」
「……リオン」
声をかけられ、リオンはちらりとトキワを見た。
「なんて綺麗な桜だろう……」
彼は気づけば大人になっていた。彼がやさしい目でこちらを見た。
「そうして君も、綺麗になった」
言われて見やれば、自分もいつしか背が伸びて、今の姿になっているのだった。
彼が鞠を持って微笑んだ。
「リオン、蹴鞠をしないかい? 昔カガリとよくやったんだ」
なんて綺麗な夢だろうとリオンは思った。
「わたしは、やったことは……」
「大丈夫、蹴るだけさ。僕はもう病弱じゃないんだ。幾らだって遊べるよ」
兄が鞠を蹴る。ぽーんと飛んだそれを、慌ててリオンは蹴り返した。
ぽーんぽーんと鞠が飛ぶ。
繰り返し、繰り返し遊んだ。けれども何かが違うと、リオンは思った。
次の瞬間蹴ったそれは、勢いよく弾んだ。トキワは慌てて蹴り返そうとしたけれど、鞠は転がった。
「ああ……そうか、君は普段からよく動くから、慣れてるんだね」
彼は困ったように笑った。
「君は強いよ、リオン」
「わたしは、わたしは強くなんか……ない」
次の瞬間、目を覚ました。
同じように、兄も目を覚ましたようだった。どうやら同じ夢を見ていたようだった。リオンは気づかぬうちに、思いきり兄に抱きついて寝ていたものだから、ばっと身を離した。
「ご、ごめんなさい!」
「ああ、いいんだよ――何を笑ってるカラタチ」
振り返ればカラタチが立っていた。
「起こそうと思ったわけではないのですよ。――むしろご兄妹の可愛らしい寝顔が見られてごほん、いえ、よく眠っておられたようで」
トキワがため息をついた。
「まったくお前は……。それにしても、リオン?」
「わたし……夢の中で思ったの。兄上に伝えなきゃいけないことが……」
強い子だと、兄は言った。確かに敵の首を落とした。でもそれは一人じゃできなかった。
「わたしは、強くなんかない。一人じゃ生きていけない」
「リオン? 僕がそばにいるよ。これからずっと、何不自由なく暮らせるよ」
「そうだけど、――そうじゃなくて、」
ああ、蹴鞠なんてしている場合ではないとリオンは夢の中で思ったのだった。
この美しい庭が、守られた城が、自分のいるべき場所ではないと。
その時、カラタチが目を細めて開けた障子の向こうを見やった。
「ああ、来客がお帰りになる様子」
見れば、シフォンやセザールが門を出て、クロサギも続き、最後にチカゲが出ていこうとしているところだった。先の二人は馬車に乗り、クロサギも出発してしまった。チカゲも馬に乗るところだった。
「あ」
恐ろしい虚無が胸を襲った。酷い焦燥感だった。カラタチが澄ました顔で告げる。
「さて、我々はお茶にしましょうか」
「わたしっ、ごめんなさい……!!」
リオンは駆け出した。羽衣は脱げ、着物を砂で汚しながら、走った。滑稽な姿だったに違いない。
兄が呼ぶ声もとうとう耳に届かなかった。
リオンは叫んだ。
「待って、行かないで……!」
彼が振り返る。馬車に乗ろうとしている男が。
その灰白色の髪が揺れ、赤い瞳がちろりとこちらを見た。見開かれたその瞳に、ぜえはあと肩を揺らす、無様な自分が映っている。
「チカゲさん!」
腕を伸ばした。
「わたし、やっぱりあなたがいなきゃ生きられない!」
チカゲは酷く切ない目で、どこか泣きそうに笑った。
「相変わらず、手のかかる方ですね」
その言葉に、リオンはめげそうになる。けれど彼は――ふわりと笑った。
「お望みとあらば」
どこか悪者みたいな笑みを浮かべていた。
「アナタをさらって差し上げましょう」
次の瞬間にはだき抱えられ、馬に乗せられていた。
「わっ」
「五月雨丸は?」
いつもは刀を装備しているが、今日は舞のため装備をしていない。
「お、置いてきちゃいました」
「取りに戻るのは難しいかと」
「あれは、お母さんの形見でもあるから――兄上にあげます。こんな形で、いなくなるのだから」
「そうですか」
チカゲはリオンの後ろから馬に乗った。
「本当によろしいので?」
「ち、チカゲさんこそ、いいの? 後で罰を受けるかも――」
「アナタのようなじゃじゃ馬の面倒を見られるのはワタシぐらいしかいないでしょう」
「なっ」
「ほら捕まって」
チカゲが手綱を操り、馬が走り出す。
いななきをあげ、馬は颯爽と走り出した。
城は遠くなって行く。
ところどころに、桜が咲いていた。風が吹き、桜吹雪が舞った。
リオンは笑ってしまった。声を上げて、明るい声で笑った。なぜか涙がこぼれたけれど、世界は美しかった。
あの大きくて小さな城よりも、よっぽど残酷で、美しかったのだ。
蹄の音が高らかに続いている。
「小鳥みたいに笑うのですね」
「何か言った?」
「いいえ、何も」
背後でも彼が、ふっと笑うのが聞こえたような気がした。
*
「ああ……結局こうなるんだ」
トキワは呆然と、門の向こうに消えて行った妹を見つめた。
「あの子と今度こそ、ずっと一緒に暮らせると思ったのに」
カラタチは意にも介さず茶を注いでいた。二人分注いだそれを丁寧に置いている。
「分かりきっていたことではありませんか」
「…………」
「あなたの妹君は守られる側の人間ではなかったのですよ。まあかどわかされたも同然ですからね。今からでもあの人攫いを追って、捕まえることはできますが」
「捕まえてどうする」
「それは帝の意のままに。切腹でも晒し首でも。――まあ身柄を拘束するのであれば、私に引き渡して頂ければ良い玩具に――」
「もういいやめろ」
トキワはため息を吐いた。
「あの男を傷つけたらリオンに嫌われる。そんなのはごめんだ」
「……そう仰ると思いましたよ。あなたの妹君は弱いと言いながらもお強いのです。あの男といるとね。五行の火と水は打ち消し合う関係なのですが、現実の彼らは逆のようです。まるで不知火のように不気味で美しいですね」
「難しい話はやめろ。カラタチ、僕は――」
トキワは重い口を開いた。
「夢の中で、あの子と蹴鞠をしていたんだ」
「ほう」
「僕は、負けたんだ……」
「そうですか」
「負けを認めるよ。――でもああ、やっとひとりぼっちじゃなくなると思ったのに」
「おやおやそんな言い方をされると、まるで私が存在しないみたいじゃないですか。悲しくて泣きたくなりますねえ」
わざとらしく言うカラタチに、トキワはむっとしてみせる。
こういうところもあの妹と似ているとカラタチは思うけれど、口には出さず、笑った。
「将棋をしませんか? 暇つぶしにはなりますよ。それともまだ自分は一人だーと嘆くのですか? 私は構いませんが」
「いちいちうるさい奴だな。ああ受けてたとう。本気でやれよ。手加減したら首を斬ってやるからな」
「おお怖い怖い」
笑いながらカラタチが将棋盤を出す。
「ああそういえば――この前茶屋でこちらを買ったのです。カガリの行きつけの店だったとか。いかがです?」
そう言って置いたのはこんぺいとうの入った箱だった。
「いただこうか」
トキワはそれを食べながら、将棋をすることにした。
桜が散っていく。
切ないけれどなぜかやさしい気持ちになれた。
こんぺいとうを味わいながら、最初の歩兵を打った。悪くない午後だった。




