彼女はそうして姫になる
目を覚ますと見知ったような天井があった。どこか上質な場所だとは分かるが、どこも似たようなものだから分からない。縁側から光が差している。部屋の広さからして城だろう。
そしてチカゲは布団の中にいた。隣になぜか――リオンが丸くなって一緒に入っていた。
いやいやおかしいだろう。
そっと抜け出そうとしたが、全身の――主に腹の痛みで小さく呻いてしまった。よく見れば包帯が巻かれている。
だんだん状況を理解し始めた。
おそらく介抱されていたのだろう。そしてリオンは疲れて眠ってしまったのだ。だが隣に潜るのは問題があるのではないか?
「リ、オンさん、起きて……」
「んぅ」
無意識なのか擦り寄ってくるものだから、ますますチカゲは動揺した。
「起きなさい、起きて……」
「ん……」
目を覚ましたリオンは不思議そうにしていたが、ぼうっとチカゲを見て、ふっと嬉しそうに笑った。
「ちかげさんだ」
その瞳は甘い色を含んでいる。
「いい加減にしなさいアナタは!」
思わず声を上げれば、ハッとしたようにリオンが覚醒する。あまり大声を出させないで欲しい。腹が痛むのだ。
「ああ……お腹の傷、大丈夫?」
「ああ、まあ、安静にしていれば平気ですよ」
「ごめんね、わたしが刺したから」
「謝罪は結構」
「そ、そう? 結構深かったし、その、わたしが治療したくて」
もしかしてこの娘が傷薬を塗って包帯を巻いたのか? なんて破廉恥な、とチカゲは動揺したが。
「わたしはやらせてもらえなくて、カラタチさんが治療しました」
「あっそうですか!」
馬鹿馬鹿しくなってチカゲはそっぽを向いた。
「治療の心得はあるんだよ。でもカラタチさんに、わたしは姫だから安易に男の身体に触るなって言われちゃった」
しゅん、とリオンが言う。
逆に良かったのかもしれない。彼女に触れられていたらと考えると身が持たない――いや、だが実際カラタチが治療したと言うのだから――もしかしたら彼は意気揚々と薬を塗っていたかもしれない。どちらにしろ癪だ。
「そういえば、アナタも傷を負ったでしょう。平気なのですか?」
「女官達が手当てしてくれました。あなたより浅い傷です。じき治ります」
「おや、お目覚めになりました?」
カラタチが襖を開けてやってきた。
「感謝してくださいチカゲ。あなたの治療をしたのは私ですよ」
「ハイハイリオンさんから聞きましたよ」
「覚えていないでしょうが、あなたなかなか呻き声が色っぽくてですね」
にこにこと告げられ、チカゲは頭にキた。だが口を開くより早く、リオンが声を上げた。
「不謹慎です、彼怪我してるのに!」
「そうは言いますけどねえ」
「あとその言い方やめて下さい。チカゲさんはわたしのです!!」
当たり前のように言われてチカゲは赤くなった。告白はしたがリオンのものになった覚えはない、いや、いつだったか他の人のものにならないと、そう約束はした気がするが。あんまり堂々と言われると恥ずかしいからやめてほしい。
カラタチは相変わらず澄ましていた。
「何を仰る姫君。いい加減諦めなさいと言ったでしょう」
その言葉にチカゲはハッとする。カラタチは次の瞬間、ちろりとどこか冷たい目でこちらを見た。
「チカゲ、カガリの首を落としたとか?」
「え、ええ」
「仕方のないことです。私の指示の延長線としてやったのでしょう。ですが想定外でもあります。彼は立派な武士だった。あの首は今、帝が箱に入れて保持しています」
「!」
「帝は――怒りはしませんでしたよ。ただ深く――悲しんでいました。過去に多々過ちを犯し、作戦の為とはいえ帝の重臣を殺めたあなたに、姫君と添い遂げる資格などありません」
それは――それはあまりにも正論であった。
リオンが声を上げる。
「でもわたしは――!」
「帝をこれ以上悲しませる気ですか?」
珍しく真剣な声音でカラタチが告げた。
「兄弟同様のカガリをあの方は失った。アヤメ様ももういない。肉親はあなただけです、姫君」
「わたしは、わたしは……」
「私は知っている。あなたは帝に似てやさしい。あの方の側にいてあげたいとは思わないのですか?」
姫になれと、暗に彼は言っているのだ。正式に位を持てと。
「戦は終わったのですよ姫君。トキワ様の神力も、最中に目覚めたそうです。けれど彼の孤独は私でさえ完全には埋められません」
誠実なようで、逃げ場をなくす、卑怯な物言いだとチカゲは思った。けれど彼の言葉は事実で、トキワからカガリを奪った自分が言えることは何もなかった。
「分かってる……わたしは」
リオンは瞳を揺らがせたが、それでもカラタチを見た。
「兄上を……一人にはできない」
カラタチが満足げに微笑んだ。何かが決定してしまった瞬間だった。
庭の桜がそろそろ満開を迎える頃だった。
リオンは姫として位を授かる記念に、そして帝のために、舞を踊ることになった。
リオンは剣舞はまだしも、扇を使った舞は初めてで、全くもって素養がなかった。そのためにカラタチに稽古をつけさせられ、時々隙をついては、安静にしているチカゲの部屋に来て、くだらない泣き言を言うのだった。
チカゲの傷は治りかけだった。だがまだ大きく動くことはできない。布団で身を起こすチカゲに、リオンは言うのだった。
「カラタチさんにしごかれてばかりですよ〜まだチカゲさんに教わる方がいい」
「アナタ、ワタシとあまり接触しないよう言われているでしょう」
チカゲは半ば呆れながらも、この少女が愛おしくて仕方なかったから、話し相手になってやった。こうしている間にもどんどん彼女が遠くへ行ってしまうような気がした。
「接触するなっていうのは身体的なことでしょ。別に話すなとは言われてないもん。あーあ、口づけもしてないのに」
「なっ……」
「……これは真面目な話なんだけど」
リオンがじっと、底知れぬ深い瑠璃の目でチカゲを見た。こういう時の、彼女のあまりにもまっすぐな目が、チカゲは苦手だ。
「なんですか」
「チカゲさんはこれでいいの? わたし、帝の妹として、お姫様の位を授かることになるよ。そしたら、その……当然だけど、一緒には、なれない……」
チカゲは目を細めた。
今更自分が言えることなどなかった。トキワが人格者だと理解していた。
カガリを殺した負い目もある。
何より、リオンが兄といて幸せなら、姫になって安全に暮らせるなら、それが一番良いのではないかと思った。
だから答えは一つだ。
「アナタとの時間は楽しかったですよ。でももう終わりです」
リオンが目を見開いた。どこか絶望した瞳をしていた。
「そんな顔をなさらずとも」
「わ、わたしとは遊びだったんですか!?」
「遊びも何も、まだ始まってもいない関係だったでしょう。丁度いいです。始まる前に終わらせましょう」
「復讐ですか?」
「え?」
リオンがぐらぐらと熱い目でこちらを見た。
「初恋は始まる前に終わったと、あなた言ったでしょう。サクラはわたし。不本意だったけど、あなたを確かに置き去りにした」
あっはっは、とチカゲは笑った。あまりにも健気な彼女に、なぜだか泣きたくなった。
「まさか、復讐だなんて。――ああでも、サクラへの初恋も確かに終わったのでしたね。アナタが彼女であったなら、これが運命なのかもしれません。迎えに来てくれたことは感謝しています。――けれど結局、別れる定めなのですよ」
「なにそれ!」
リオンはどこか憤慨していた。彼女はきっと、引き留めて欲しかったのだ。やさしすぎて、自分では決められないから。トキワのそばを離れることができないから。
そしてまた、彼女自身の意志で、きっと兄のそばにいたいと願っている。ならばそれが全てではないか。
「トキワ帝に見せる踊り、ワタシも拝見させて頂きますよ。アナタの姫としての晴れ舞台ですね」
にっこりと微笑んで言えば、リオンは泣きそうな顔を隠して、引き攣った笑みを浮かべた。
「わ、分かった、楽しみにしててね」
時々馬鹿みたいに、嘘が下手な子だとチカゲは思った。
チカゲはきちんと理解していた。傷が治ったら――あの子の晴れ舞台を最後に、城にいることは許されなくなるだろう。
もうすぐ桜が満開になる。その日が訪れるのが何故か、恐ろしかった。
数日後、セザールが来た。
「あなたはそれでいいんですか?」
また面倒なのが来たとチカゲは思った。せっかく覚悟を決めたのに。
「リオンさんが幸せならそれでいいです」
「ああそうですか。あなたは知らないんだ、カガリの首を僕に押し付けたあの子の顔を」
セザールは言った。
「リオンはあの日、あなたを殺すなら自分がとどめを刺さなきゃと、約束したから果たさなきゃいけないと、そう言って向かったんです。僕が言うのもなんですが、あの子の覚悟をあなたは蔑ろにするのか! 腹立たしい!」
「彼女の覚悟なら分かっていますよ」
チカゲは言った。
「この身でその刀を受け止めました。それがこの傷です。あの子の愛の証明のようなものですよ」
「狂ってますよあなた……!」
「なんとでも。この傷ももう消えます。もとはと言えばビワが発端ですが、ワタシがいなければここまで大事にならなかったかもしれません」
「どうだか」
「とにかく」
チカゲは言った。
「もうあの子にあんな顔をさせたくないんです。血まみれの戦場に立たせたくありません」
きっぱりと言い切ったチカゲを、セザールは困ったように見た。
「僕、あの子のためならこのまま警備隊を除籍したって構わない。正式な手続きを踏んで、この都で言う誉を手にして、位を手に入れ、いつかあの子に求婚します」
「そうですか」
静かな声でチカゲは言った。
「何故そうも冷静なんだ、あなたの考えていることは全くわからない!」
わからない? 考えていることなんて単純だ。あの子を誰にも渡したくない。触らせたくない。
けれどそばにいれば血まみれにしてしまう。何度泣かせたか、傷つけたか分からない。
だからこれが正解なのだ。
「リオンさんが姫になれば、結婚相手は国の担い手の一人となります。ワタシは――その器ではない。大陸の外れで、静かに暮らすのがワタシの生き方です。アナタが求婚したいならそうすればいい。ワタシは位を手に入れるつもりも、彼女を巻き込むつもりもないんです」
「……分かりました。僕はいつか彼女を手に入れます。後から文句言われても知りませんから!」
セザールはそう言って行ってしまった。
チカゲの中に、恐ろしいまでの嫉妬や独占欲と、寂寥に満ちた諦めが湧いた。
姫でなければ良かったのに。いいや、そんなことは考えるべきではない。
あの子にとって、兄と共に城で平穏に暮らすのが幸せなことなのだから。




