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彼岸の庭を駆ける竜



チカゲは四本の杭を刺し、最後の一つを持って中央へと歩いていた。どういう訳か、リオンと対峙し、刺された後――杭は火を帯びたように、燃えているように見えた。触っても熱くないけれど、不思議なほどに燃えていた。きっとそれが完成品。

その杭を四つ刺してきたのだ。残りは一つだけ。


もうすぐ辿り着くだろうというその時に、どこからかビワを罵る叫び声が聞こえた。

頭上で巨大な化け物が、また誰かを食べているようだ。このままにしておく訳にはいかない。



目の前にビワが現れた。

チカゲは眉を顰め、彼を見る。

「あの化け物、アナタの仲間まで食べているようですが」

「スオウは仲間じゃない。利用しただけさ。大丈夫、君は必要だからね、食べさせやしないよ」

「そんなことは聞いていません。あんな恐ろしい化け物――」

「化け物って言うけどね、一番恐ろしいのは何か知ってるだろう? それは人間だよ、チカゲ」

ビワが告げた。

「僕を騙していたね? この裏切り者め」

リオンにもそう言われた。腹からだくだくと血を流しながらチカゲは考える。もう痛みで何もかもぐちゃぐちゃだ。大嫌いとあの子に言われた。ただ五本の杭を刺さねばならない。

それだけが自分を動かしていた。

「聞いているのかい、もう死ぬところじゃないかチカゲ。よく歩けたものだね。妖力の弱まりを感じたんだ。帰ってきてみれば君が結界を壊そうとしている。なんたる裏切り!」

演技がかった口調で言うと、ビワは手を差し出した。

「そんなものは捨てて僕とおいで。演技はやめて本当の仲間になるんだ。そうして君のツクヨミ様を蘇らせよう」

「アナタにとって何の得が?」

「賢者の石にはいくつかの使い道がある。それで不老不死を望む者もいた。でも君の望みは死者を蘇らせること。僕のものと一致している。僕はねチカゲ、この世の理が壊れるのが見たいんだ。死者が跋扈する世界が。生者が慄き震える世界が。それが僕を裏切った常世への復讐さ」

「ワタシは――ワタシは」

大好きな人がいた。ツクヨミ様。一緒にお団子を食べた。家出したチカゲを迎えに来てくれた。たくさんたくさん、一緒に過ごしたやさしい師匠。けれどそれをも上回るほどに、愛おしい人がいた。怒ったり泣いたり、花が綻ぶように笑う女の子。ちっぽけでちょっと頑固な、かわいらしい少女。


――――嗚呼、凛音。


もう間違えたくないと、思ったのだ。

「そこを退いて下さい。最後の杭を打ち、結界を壊します。ワタシは協力しない。アナタの夢は終わりです」

彼にも悲しい過去があったのだろう。それを垣間見た。この結界の最中で。

けれどもそれは、誰かを傷つけていい理由にはならない。世界を滅ぼしていい理由にはならないのだ。

ふっと、ビワの姿が変わった。


目の前に立つ男に、チカゲは目を見開いた。

ツクヨミだった。

「私を捨てるのかね? 愛しい弟子よ」

満月に照らされ、ツクヨミは静かに立っていた。一面の血みたいなヒガンバナの中に。


チカゲは眉を吊り上げた。

「貴様――! 師匠の名を騙るなど」

「迷いがなければ見破れるはず。だがどうだ、今もお前は私を愛している。違うかね?」

「ツクヨミ様」

満月が赤い瞳に映り込む。

「チカゲ、私はお前にとってそれほどの存在だったか? 捨てていいほどの矮小な存在だったのか?」

「違う、違います」

「おいで。哀れなチカゲ。かわいそうなチカゲ。寂しがり屋の我が弟子よ。誰もお前を愛しはしない。愛するのは私だけ」

だいきらいだと、リオンはそう言った。血を腹から流しながら、今にも倒れそうなチカゲは、夢にまで見た師匠の前で、視界を揺らがせた。

「寂しかったのです」

「分かっているとも」

「孤独だったのです」

「ああ」

「抱きしめて下さいませんか?」

「いいともチカゲ」

ツクヨミが両手を広げる。そうしてチカゲを抱きしめた。

その腹に、ぐさりと杭が刺さった。

「なっ、あが、……ぐっ」

最初から、そこにツクヨミはいなかった。

姿が戻ったビワが、口から血を吐いた。

「ワタシはあの人がいなくなってから、ずっと一人だった」

チカゲはこれでもかと杭を握る手を強めた。

ふらついたビワが、目を見開きチカゲを見た。

「き、さま……!」

「でも今は一人じゃない。そう信じることができるのです」

チカゲもまた、口から血をこぼしていた。リオンを抱きしめた時に刺さった刀。その傷の弊害だった。死なない。こんなところで死んでたまるものか。だがビワは嗤った。

「僕を殺しても、終わらないよ。僕を裏切った世界が……悪い。鵺は妖力から作り出した化け物だ。いわばクロサギやシラサギと同じ……独立する妖だ」

その目に野望が未だちらついていた。生にしがみつく彼の、その目は濁っている。

「僕を殺そうが、杭を刺して結界を消そうが……あの化け物は消えない。……この世の全てを喰らい尽くすだろう」

言いながら彼は不敵に嗤っていた。それは最早狂気だった。その右手が動くのをチカゲは見逃さなかった。

「そんなに血がお好きですか」

彼が動くよりも早く、チカゲは杭から手を離し、抜き放った刀を振るった。

「ならば味わえ!」

次の瞬間血飛沫が舞った。ごとんと、ビワの首が落ちた。


「はーっはーっはーっ」

チカゲは動けなかった。腹から流れる血が、口から溢れる赤が、月夜に映えた。


「殺したのね!」

悲痛な叫び声が聞こえ、白い鳥が飛んでくる。それはシラサギだった。

「ビワ様!」

まるで泣き叫んばかりに声を上げ、人の姿になる。その背中には白い翼。

真っ白な娘はビワの首をかき抱いた。白い着物がしとどに赤く塗れた。

「ああ、ビワ様、私を愛して下されば、こんなことには……」

ぎっと、少女はチカゲをねめつける。

「私はビワ様と暮らすわ。この首を埋め、そのお傍に――あなたには分からないでしょうね」

チカゲはシラサギを見た。今更どうでもいいことだったけれど、何か思わずにはいられなかった。

ビワは彼女の献身に気づいていたはずだ。けれどもその愛を利用しようとしかしなかった。正しく受け止めれば、与え返せば、こんな末路を辿らずに済んだのかもしれない。けれども彼には無理なことだったのだろう。きっと想定の内にはなかったのだ。なぜなら彼は既に、この世のすべてを諦めて、憎んでしまっていたのだから。それはかつての自分のようであり、しかし自分とは明確に異なった。

ビワはきっとどこかで、人の道を違えるあまり、人ではなくなってしまったのかもしれない。ならば妖であるシラサギがその首を持っていくのは、なんだか道理が通っているように思えた。おかしな話だ。

ともかくシラサギは、恐ろしい目をしてこちらを見ていた。彼女がどうするつもりなのかは分からない。ただ、チカゲにはもう戦う力はなかった。

しかし彼女は、はっと頭上を見て、悔しげに首を抱きしめたまま、どこかへと飛び去って行った。白い羽根が舞い、それきりだった。


嫌な予感がした。

迫り来る巨大な気配。それはビワの妄執が作り上げた化け物。独立した妖。

鵺は大きな口を開けて、チカゲを呑み込もうとしていた。

巨大な牙が見えた。真っ赤な口腔が迫りくる。


逃げようにも走る力がなかった。

さっきの一撃で精一杯だった。


ああ終わりだ。

間に合わない。


その時、チカゲは竜を見た。血の海のようなヒガンバナの中、巨大な鵺の上を、白銀の竜が飛んでくる。そしてがぶりとその首に噛み付いた。

いいや、それは鵺の背中を走るリオンだった。次の瞬間、刀で思い切り斬られ、鵺の首が飛んだ。

「わたしは守るために斬るの」

そう告げて、鵺を斬ったのはリオンであった。

「さようなら」

血飛沫が舞っていた。巨大な化け物の首がごとりと落ちた。同時に体も消えていく。

「わっとと、」

地面に降り立った少女の横で、鵺の首も体も消えていく。


先ほど見たのは幻か。けれども確かに竜が見えたような気がしたのだ。


「これ、で、ぜんぶ……?」

血に濡れたリオン。しかしヒガンバナはまだ消えない。ああこの妄執が、ある意味ビワを生み出したようなものだ。

チカゲは最後の杭を、死体から抜き、地面に突き刺した。思い切り。

まるで敵の心臓を刺すように。


そうしていつしか、血でできた花びらが風に舞うようにして、ヒガンバナの花畑は消え去った。

結界は消え、辺りは無惨な戦場へと姿を化した。


リオンが瑠璃の瞳に、男を映した。再会を果たしたというのに、彼女は泣きそうだった。それはきっと、争った時にできたチカゲの傷のせいだった。彼女に刺された腹から、今もだくだくと血が流れている。


「あなたは最初から、わたしを好きでいてくれた」

震える声で彼女は告げた。

「あなたはわたしに名前をくれた、サクラと」

チカゲはハッとする。すべてを悟った。常世と隔世の境目の結界。その中で、何が起きても不思議ではなかった。

この少女は何かの深淵を見たのかもしれない。幼いチカゲと会ったのかもしれない。

幼い頃、桜の下で恋をした。

天女のような娘に。彼女は自分を捨てた。


――――否、捨ててはいなかったのだ。


チカゲの腹からただただ血が流れる。もう立っているのもやっとだった。リオンも怪我をしているが、チカゲの方が傷が深かった。

「わ、たし、なんてことを」

彼女の唇がわなないた。

「裏切り者だと、あなたを刺した……だいきらいだと、」

「リオン」

口の端から血が流れ落ちる。けれどチカゲは笑った。嬉しかったのだ。彼女が自分を想ってくれることが。自分のために、涙を流してくれることが。

「アナタはワタシを捨ててはいなかった。こうして迎えにきてくれたじゃないですか」

ほろほろと、少女の目から真珠のような涙がこぼれ落ちた。美しいと思った。

「今すぐ、今すぐ止血するから!」

膝をつき、倒れ伏したチカゲに少女が叫ぶ。涙を拭って、懸命に包帯を取り出した。

「ごめんなさいごめんなさいっ、こんなはずじゃ」

「凛音さん」

「な、なに」

嗚呼――愛しいいとしい少女。アナタは――お前は――唯一無二だ。

「アナタの刀で死ねるなら、本望です」

カッと少女の瞳が燃え上がった。

「やっぱりあなたは嘘つきです!!」

「え」

「生きたいと願っているくせに!! ――そうでしょう、お願い! わたしまだあなたとやりたいことがたくさんある! 千景さん!!」


それはリオンの願いであったけれど、きっと自分もそう願っているのだと思った。馬鹿な話だ。

ああ、もうきっと二度と血影には戻らない。

この子がいるなら、千景でいられると、そう思った。

「千の景色を見に行こう!? ねえ、――ねえ!! 千景さん!!」

そんなに叫んで、なんといじらしいのだろうと、思った。同時に置いて行かれた自分が蘇る。

彼女はちゃんと迎えに来たのに。

この子を置いて行きたくないなと、そう思った。けれども血は流れ、とうとうチカゲは意識を飛ばした。



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