千の景色をあなたと
*
リオンはチカゲと共に村に戻った。
馬を降りていると、その姿を見て驚いたのか、先に着いていたシフォンが走って来た。
「リオン!? 残らなかったの!?」
「うん」
汚れてしまった着物で、けれども晴れやかにリオンは微笑んだ。
「わたし、自分のいるべき場所が分かったの」
「そっか、良かったー!! 雲の上の人になっちゃったって思ってたんだよ。本当は寂しかったの」
シフォンが抱きついてくる。リオンは笑ってその背を撫ぜた。
同じく先に着いていたセザールがつまらなそうな顔でチカゲを見ている。
「ああそう、結局そういうことですか」
どういうことなのかよく分からない。けれどもチカゲは不敵に微笑んでいるだけであった。
クロサギが飛んできて、リオンの頭にとまった。
「リオンは俺たちといる方が楽しいんだ、そうだろ?」
「兄上のそばも悪くなかったよ。でも……うん、過ごしやすいのは、ここだから。ここがわたしの場所なの」
リオンは切ない目をしてそう言った。
ダリウスから無事に帰って来た祝いにとかで苺ジャムの瓶をもらったり、なかなか離れようとしないシフォンを嗜めたりして、リオンは自分の家へ帰った。チカゲは相変わらず澄ましていて、何を考えているのかわからない。けれど別れ際に見た瞳は澄んでいたから、きっとおかしな企みはもうしないだろうと思えた。
自分の家に帰ると、なんだかしみじみとしてしまった。そこは豪勢な城の部屋とは違い、こじんまりとしている。けれども見慣れていて、何より心落ち着く場所であった。汚れた着物を洗って干し、隠し持っていた髪紐を取り出した。ずっと前にチカゲから貰った髪紐は、どんな時でも手元に持つようにしていたのだ。いつもの紺の装束に着替え、下ろしたままの髪を、紅の髪紐で結った。
「ああ……」
帰って来た。やさしい郷愁が胸を覆う。そうしてリオンは思ったのだ。
家族を手放してでも選んでしまったあの人を、必ず手に入れると。
兄には申し訳ないことをしたと思っている。後できちんと手紙を書こう。
そう思いながら、その日はゆっくり休んだ。
次の日、リオンはチカゲの家の戸を叩いた。
扉を開けたチカゲは、頭の上から爪先までリオンを見て、深く息を吐いた。
そんなにじろじろ見られても困る。
「な、なんですか」
尋ねれば、彼はなぜか切ない目をして、それを誤魔化すかのように笑うのだった。
「なんでもありませんよ。ただ、ただ――」
「着物の方が良かったですか?」
「どちらも良――いえなんでも」
「今どちらも良いって言った? もっかい言って!!」
「ハァ……うるさい人ですね」
チカゲは言いながらも、なんだか安堵に満ちた表情をしていた。
「ええ、アナタの着物姿はその、綺麗でしたよ。――でも今の姿は、しっくりきます。特にその、」
チカゲの目がつい、とリオンの髪紐を眺めた。
「ああこれ、チカゲさんがくれた髪紐。ずっと大切にしてるんだよ!」
にっこりと笑うと、彼は唇を結んで、胸の辺りを掴むような仕草をした。まるで無意識のように。
「どうしたの? どこか痛い?」
「えっと、別に」
「なんか隠してる?」
「まさか!」
珍しく彼の声が裏返る。好奇心が抑えきれず、リオンは近づいた。彼は頬を染めたが、こちらを睨みつけて口を開いた。
「あの、な、なんですか?」
「胸元に何か隠してるよね? 見せて」
「気のせいですよ」
「じゃあなおさら隠す必要ないよね?」
なんだかんだ文句をつけるチカゲをよそに、リオンはそっと襟に手をやった。
「ちょっと失礼……あ」
そこにはずっと前――去年の夏祭りに、チカゲにあげた青い首飾りがあった。
「これ、わたしがあげた……」
「触るなこの小娘!」
ぱしんと手を振り払われる。けれど手負いの獣のようにこちらを見る彼は、どこか様子がおかしい。威嚇してるように見えて、耳まで赤い。
「なんなんですかアナタは! その距離感どうにかできないんですか!!」
「ずっと持っててくれたの?」
「人の話聞いてますか?」
「嬉しい――うれしい!」
思わず抱きつくと抵抗されたが、今は拒絶されているようには思えなかった。彼の首にはあの首飾りが下がっているのだから。
肩に顔を埋めて、ぎゅうと抱きしめた。
「好きです――すき、だいすき」
「っ」
チカゲがふらついた。ふらついて、リオンの肩を押し戻した。
「あの」
「なに?」
「勘弁……してください……」
小さくこぼした彼は真っ赤になっていて、リオンもつられて赤くなった。
「う、うん! ただ伝えたかった、だけなの。嬉しくって。だいすきって」
「だからそれが! ……ハァ」
彼は髪をかきあげてため息をついた。そうしてどこか困ったような顔で、真面目くさって言うのだった。
「ワタシはツクヨミ様から人の愛し方を教わりました。でもそれは尊敬やら親愛であって、アナタへ向けるモノとは違う」
「わたしが尊敬できないってこと?」
「話を聞きなさいリオン。真面目に、い、言ってます」
チカゲは頬を染めたままこぼした。
「アナタのことは好きです。でもこの先――どうしたらいいのか、分からないんです」
リオンは目をぱちくりとさせたが、やがてやさしく微笑んだ。
「千の景色を見に行こうって、言ったじゃん。それは旅でもいいし、そうじゃなくてもいい。アケボノ村にいるだけでも、皆と一緒にたくさんの光景が見られるよ。人を愛するのって――生きていくのって――そういうことじゃないかな」
わたしも本当の答えなんて知らないけど、と付け足した。
チカゲはため息をついて、それからゆっくりとリオンを見ると、首飾りを握って告げた。
「……まったく、アナタには敵いませんね」
*
元の生活が戻って来た。いつのまにか除籍されていたリオンは、また元の警備隊に戻り、隊長やセザール、シフォンと森や村の周囲の見回りをしている。盗賊がいれば切ったし、道に迷った人があれば手助けした。
かたやチカゲはダリウスのところで共に店番をし、その建前の人相の良さでそれなりに稼いでいた。錬金術を使って人工宝石を作り、時には店番で売る、それが彼の暮らし。
彼が錬金術を悪用することはもうなかった。
クロサギがリオンの手元を見て呟く。
「それで? なんでこんなに紙屑が?」
黒い鳥は机の上に留まり、屑籠を眺めているのだった。この鳥は村のあちこちを飛び回って生活しているのだが、時たまリオンの家に遊びにくるのだ。
対してリオンは真面目に白い紙と向き合っていた。
「兄上になんて言ったらいいか分からないの……」
リオンはあれから兄に手紙を書いていた。
勝手に飛び出してきてしまったことへの謝罪の手紙や、五月雨丸を渡す旨を書いて送ったのだが、返事が来たのだ。
兄のトキワ曰く、五月雨丸は自分よりリオンが持っていた方が良いとのことで、刀は手元に返ってきた。
その刀は共通の母アヤメの遺品でもあったのだ。妹だけでなくその刀まで手放した兄に、なんと返事を送ればいいのかリオンは分からなくなってしまった。
「ごめんなさい? 違うよね? なんて書いたら……」
屑籠の紙は増えるばかりである。クロサギが呆れたように言った。
「そこはありがとう、だろ」
はた、とリオンはクロサギを見た。
「あんたの兄貴はさみだれまる? をあんたに使って欲しかったんだろ。だから返してよこしたんだ。ありがとうって伝えればいいんだよ」
それもそうか、とリオンは手を動かした。難しく考え過ぎていたらしい。一度感謝の気持ちを伝えようと決めれば、筆がのった。
そんな風にして日々は過ぎていった。
トキワとのやりとりは手紙を通して続いていた。彼との繋がりが切れなかったことに、リオンは感謝していた。飛び出してきてしまったけれど、大事な兄には変わりない。彼の手紙には時折カラタチへの愚痴もあって、けれどあの陰陽師が城で献身していることが読み取れた。兄のそばにカラタチがいて良かった、とリオンは思う。
やがて葉桜の季節が終わると、夏が始まった。暑い夏は抜けるような青空と共に過ぎ、夏祭りの日が近づいてきた。
リオンは去年と同じ赤色の、けれど柄の違う浴衣を着た。帯はやっぱり金魚のように結んでいる。シフォンやセザールの誘いを断って、チカゲを誘った。
夏祭りは賑やかだった。子どもたちの笑い声が響いては遠ざかっていく。
あれがやりたい! これがやりたい! とあちこち動くリオンをチカゲはどこか微笑ましそうな目で眺めていた。
一通り遊び終わると、リオンはりんご飴を食べながら歩いた。
「今年は落っことさないと良いですね」
チカゲがわざとらしく笑う。
「去年はアナタが落として、ワタシが買ったのを手ずから食べる羽目になったでしょう。無様でいい眺めでした」
「相変わらずの性格ですね」
「ええ、あの時のアナタは……愛らしかったですよ」
リオンは少しびっくりした。危うく飴を喉に詰まらせるところだった。
皮肉を言ったかと思えば、時折こういう甘い言葉をさらっと吐くのだから、この男は心臓に悪い。
賑やかな祭りの景色の中で、またあの時と同じ、二人だけの時間が流れているような気がした。
「……花火を見に、行きませんか」
リオンがそれとなく誘うと、チカゲは微笑んだ。
「そうですね、我々は穴場を知っていますから」
そうしてリオンはチカゲと共に、裏山を登り、木々の合間の眺めのいい場所で足を止めた。
「村があんなに小さく見えるよ!」
「お転婆もほどほどにして下さいね。落ちて怪我しても知りませんよ」
「わたしこれでも警備隊だから! 見くびらないで欲しいかな!」
などと浴衣の裾をぱたぱたしながら主張するリオンはまさしく金魚のようであった。
チカゲがどこか妖しく微笑む。しかしその目はやさしいものだった。
「アナタは本当に――」
その時、弾けるような音が響いた。
「花火だ!」
リオンが夜空を見上げれば、大輪の花火が咲いていた。
「綺麗だね!」
瑠璃の目に映る花火に、チカゲが既視感を抱いたことに、リオンは気づかなかった。
「ええとても――綺麗だ」
花火はいくつもいくつも咲いていく。
この一年、たくさんのことがあった。思い出が巡り巡って、夜空の花と重なるようだ。
リオンは花火を見ながら、たくさんのことを思い出していた。
それはやさしい兄だったり、こんぺいとうのように戦場に散ったカガリであったり、村の仲間たちであったりした。
藤が咲き乱れる秘境は――銀竜村はもうどこにもない。けれど五月雨丸はリオンの元に戻ってきた。
自分はこれからも、アーノルド王の使いとしてこの地に留まり、刀を振るうだろう。そしてもしも、その役割が変わったなら――警備隊をやめてでも残ろうと思っていた。
東雲大陸が自分の居場所だ。特にこのアケボノ村が。ダリウスのジャムは甘くて美味しい。活気のある小さな村は懐かしくも愛おしい。
それでももし、チカゲが旅をしたいなどと望んだら、一緒に着いて行こうと思った。
彼ならそれぐらい許してくれると、リオンにはなんとなく分かっていた。
始まりは賢者の石を巡る衝突だった。二人は監視者とその対象だった。刀を交えたこともあった。それでも互いに惹かれあったのだ。
その証拠に、チカゲの胸元には丁度去年、この場所でもらった首飾りが隠されている。それを握りしめ、チカゲがこっそりため息をついた。
「チカゲさん」
咲き乱れる花火を見ながら、リオンが言った。
「あなたがまた道を間違えたら、わたしが正すよ」
「なるほど、見張っていて頂けるのですか?」
「うん、だから――安心してね」
チカゲは目を細めた。どうにもこの少女が愛おしくてたまらなかった。建前に本音を隠してあまりにも健気に笑う娘。この想いは伝わるまい。
ただ手を伸ばして、少女の頬に触れた。
「ではせいぜい、ワタシから目を離さないでいてくださいね?」
少女の顎を掬う。はっと見開かれた目に映った自分は、悪い顔をしていただろうか。
唇を重ねれば、りんご飴の味がした。
「――甘い」
どんっと突き飛ばされた。赤い顔のリオンが声を上げる。
「チカゲさん! そういうことするならじ、じ、事前に言ってよ!」
「事前に? ではもう一度宜しいですか?」
「な――んっ」
角度を変えて、何度も口づけた。かつて死ぬほど憎んだ少女が、今は焦がれるほどに愛おしい。この感情が恋か。この娘を食べてしまいたいほどだ。ああ誰にも渡したくない。憎いほどに愛しい、守られることを拒む魂を、けれども守りたいと願った。
唇を離すと、彼女ははーっ、と息をついた。
「あ、ああのね、もう突然するのはやめてよ!」
「嫌でしたか?」
くつりと笑うチカゲに、リオンはむっとしたような目を向けて、けれども分が悪そうに言った。
「い、いやでは、ないけど」
「そうですか」
にこにこと笑ってみせれば、思い切り蹴られた。
「痛っ」
「ふん、あなたにはこれぐらいが丁度いいです」
言いながらもリオンは抱きついてくる。切ない目をして彼女はこぼした。
「あなたにはわかんないよ……」
何がわからないというのか。
「わたしばっかり、あなたに振り回されて、馬鹿みたい……」
それはこちらのセリフだ。チカゲは思う。どれだけこのじゃじゃ馬の行動に一喜一憂したことか。
「それならおあいこですよ」
「そうなの?」
「ええ。言ったでしょう。――愛しているんです」
抱きつくリオンの腕の力が、少し強くなった。チカゲはその背に手を回す。
リオンは一瞬固まって、それから花火を見ながら、とつとつとこぼした。
「来年もまた、花火見ようね」
「ええ、そうですね」
「もしもあなたが旅に出るなら、わたしも着いて行くから。来年も、その次の年も、一緒だよ」
「そうですね。アナタはワタシを見張らなくてはなりませんから。大変ですね」
「……好きだよ」
「おあいにくさま。ワタシの方が好きですよ」
そう告げれば、何かが吹っ切れたような、彼女の明るい笑い声が聞こえた。
花火にかき消されそうだったけれど、確かに聞こえたのだ。
目の前の少女を見つめる。その黒髪を耳にかけてやれば、照れたように彼女は笑った。花が綻ぶように。ああやっぱり、小鳥みたいな笑い声だ。
そうして山のただ中で、二人は抱きしめあっていた。
花火は夜空を色鮮やかに彩っていた。
見張りなんてのは建前で、もはや冗談のような皮肉だ。ただそばにいたい。そんな事実がそこにあった。
その証拠に、二つの影は、照らされながら寄り添って、いくつもの大輪の花火を眺めていたのだった。
きっとこの子と共に千の景色を見るのだろう、とチカゲは思った。来年も、再来年も、ずっとずっと先も、きっと一緒にいるのだろう。
月は花火にかき消され、それでももう、あの凍てつくような孤独は消えて、寂しさはなかった。
腕の中の温もりを、大切に大切に抱きしめ返す。
溢れんばかりの感情を、逃さないように。
これをきっと幸せと呼ぶのだろうと、チカゲは思ったのだ。
それは切なく胸を締め付け、けれども咲き誇る花のように、やさしさでいっぱいに満たしたのだった。
終わり




