鮮血とヒガンバナ
*
リオンは泣いていた。カガリの生首をだき抱え、子どもみたいに泣いていた。
死体の間を、焼け野原の合間を。泣きながら歩いていたのだ。
「リオン」
声を掛けてきたのはセザールだった。
「そ、それはカガリかい?」
はらはらと少女の目から涙が落ちた。
「チカゲさんが、殺したの」
セザールが眉を顰めた。
「チカゲさんが間者だったんだ。包囲陣の情報が漏れていたろ? 最初から僕らを騙してビワにつくつもりだったんだよ」
「そんなはずないもん!」
子どもみたいにリオンは叫んだ。カガリの首を持ったまま。
「わたしのことが好きだと、そう言ってくれたもん!」
「証拠は?」
セザールの言葉に、リオンの目からまた一粒涙が落ちた。
「わかんない、でもわたし、今度こそ信じると――なのにあの人っ」
「君は何度騙されてきた? 信じて裏切られて、傷つけられて。僕ならそんな想いはさせはしない。どうか言うことを聞いてくれ。一緒にここから去ろう。もう勝ち目はない」
視界の先では鵺が雄々しく鳴いては、人間を喰らっていた。
「だめ、逃げたら、兄上が殺されちゃう」
「それも運命だリオン」
「運命ってなに!?」
リオンは叫んだ。
「兄上が――兄上が殺される運命だったのなら、カガリさんは何のために戦って、何のために殺されたの!?」
セザールがたじろいだ。リオンは彼にカガリの首を押しつけた。
「これをカラタチさんに渡して。わたしは行かなくちゃ」
「リオン、どこに」
「わたしの運命はわたしが決める。チカゲさんのこと赦さない。あの人に言ったの。いつか彼が死ぬ日が来るなら、わたしが殺してあげると。約束したの、行かなくちゃ」
「――リオン!!」
リオンは歩き出した。
いつのまにか火はヒガンバナへと姿を変えていた。どうやら結界の中へ入ったようだと、何となくわかった。それ以上は分からない。
空が嘘みたいに黒く美しい。凍てつく空に光る星に、カガリとこんぺいとうを思い出した。
彼は星が燃えていると言った。星のように生きたいと告げた。
彼は星のように輝き、星のように燃えて死んだ。彼の生き様はこんぺいとうのように甘くはなかったけれど、こんぺいとうのように不器用で、美しかった。だからこそその頭を斬り落としたチカゲを――裏切り者を始末しなければと、リオンは思った。
*
トキワは城にいた。
やけに静かだ。それもそのはずほとんどの武士達は戦場に出てしまっていた。
そして仲間達も皆戦場へ。
カラタチはここを去る前言ったのだ。
「朝日が昇るまでは、決して襖を開けてはいけません」
妖を封じる結界を部屋に張り、彼は出て行った。
だからトキワは大人しくしていることに決めた。日はとっくに落ちて、辺りは暗い。今日は寝ずに過ごそうとトキワは決めていた。
「兄上!」
灯籠を持った少女の声が聞こえ、襖の向こうで揺らいだ。
「どうか開けてください、戦は終わりました」
リオンの影が灯籠と共に映っている。
トキワは静かにそれを見ていた。
「開けてください、開けて、兄上」
「入りたいなら自分で入ってきなさい」
そう告げると、今度は少女の影は伸び、烏帽子を被った長い髪の姿になった。
「開けてくださいませ、帝。カラタチです、開けてくださいませ」
カリカリと襖を引っ掻く音。
トキワはゾッとしながらも、暗い部屋の中にいた。
「帰れ妖、いや妖術使いのビワか? どちらにせよお前の前で襖は開けない」
恐れながらも、強くありたいと、トキワは願った。
こんな病弱な体で、皆に守られてばかりで。今は自分の代わりにカガリやリオンが戦場に立っている。せめて神力を使いこなせたら。役に立てたのならよかったのに。
その刹那。
心臓のある辺りから光が漏れ出した。
「う……っ!?」
胸を抑えても、指の隙間から眩い光は漏れるのだった。
「ああ……!!」
襖の向こうでカラタチの姿をした誰かが言った。
「それこそ神力です! やはり先祖よりお継ぎになられたのですね! ああなんと、こちらまで灯りが差すようです。帝、帝、開けてくださいませ!!」
「黙れ偽物が!!」
チカゲは言ったはずだ。ビワはトキワの心臓を狙っていると。もしかしたら兵のいない今を、いや戦に乗じる形で、すべてを有耶無耶にするこの機会を狙ってやってきたのかもしれない。
トキワは心臓を抑えた。障子の向こうでカリカリと引っ掻く音がする。
恐ろしさに耐え、必死に胸を抑える。
ハッと、何かの光景がよぎった。それはまさしく伝説にある、先祖のもたらした神力。未来予知の力だった。
真っ赤な地をスオウが歩いている。彼の想いが何故か手に取るように分かった。
幼い時分に父親のカズラは、謀反を起こそうとし、タイザンに殺された。
この世は理不尽だ。だから仙丹を――賢者の石を手に入れ、強く――死なない身体になるのだと。
「スオウ……」
呟くとまた障子の向こうの影は姿を変えた。
「俺を呼んだのか? 開けてくれ。なぜお前だけに神力は受け継がれ、俺は恵まれない? 何故俺の父は殺され、病弱なお前はのうのうと生きている?」
「だ、黙れ!!」
「俺をみくびるな。俺を――そう、何が見えましたか帝?」
不意にその姿は見知らぬ男へと姿を変えた。
何故かビワだとトキワには分かった。
「お、お前は……」
「お察しの通りビワですよ。スオウ様は実に人情味のあるお方です。酒も女もほどほどに好きで、強かな方です。そして――僕を信じ込んでいる」
「貴様――っ」
「さあここを開けて。人間とは皆寂しい生き物なのですよ。スオウ様は僕を盟友と仰って下さった。哀れで偉大な方なのです。あの方は今血の海の中を歩いている。哀れだと思うなら――さあここを開けてください」
「開けるものか」
トキワは必死に声を荒げた。
「僕はここを出るなと言われた。非力な僕ができるのはそれだけだ。心臓を渡したら全てが終わるのだと諭された。血の海を歩いているのはスオウだけじゃない。リオンや僕の部下達もだ!」
「へえ」
その時、障子の向こうの影が苦しそうに揺らいだ。
「っ! 誰かが――僕の結界を壊そうとしている! クソ、心臓が目の前にあるのに――ああ、口惜しい――口惜しい」
言いながら、影は消えてしまった。
トキワは一つ、大きくため息をついた。
先ほど見た、スオウのことが気にかかった。心配しているのではない。誰を手にかけるか分かったものではない。そんな恐ろしい目をして、歩いているのを見たのだ。
リオンが無事であればいい。皆が無事であればいい。
非力で勇敢な帝は、そう願った。
*
満月が輝いている。夜の花畑はそれはおぞましく艶やかだった。
赤い手のようなヒガンバナの間を、リオンは歩いていく。
ぽつんと、いつか見たように小屋があった。だが人の気配はない。
素通りしてさらに歩いていけば、花畑のはずれに、人影があった。
何か棒のようなものをいくつも持っていた。
彼の白銀に照らされた髪を――赤い目を見た途端、リオンの中にあの蛇のような憎悪がとぐろを撒き、首をもたげた。
「こんばんはチカゲさん。最低な夜ですね」
「ああ――こんばんは、リオンさん」
チカゲはわずかに動揺しているようだった。まさか来るとは思っていなかったと、そんな風体だった。
「わたしのこと、好きだと言ったね」
「はい」
「嘘だったんだね」
「……ちが、」
「違わない!!」
リオンは言うなり抜刀し、その切先をチカゲに突きつけた。赦せなかった。彼は嘘を重ね続け、信じろとまた、嘘をついた。その結果がこれだ。
「どこから謀ってたの? また最初から? カガリさんの頭を斬り落とした気分はどうですか?」
「リオン、」
「その棒はなに? 何かのお呪い? 最初からあなたはビワにすがるほど弱虫だったんだね」
彼はハッとしたように目を見開いた。彼の落とした杭がガチャガチャとうるさい音を立てた。
「ワタシは弱虫じゃない!」
「孤独で哀れな弱虫」
「違う! 聞いてくださいこれには理由が」
彼は必死だった。ぐらぐらと煮え立つような瞳でリオンを見るのだ。そのすべてが、愛おしくて憎らしくて仕方なかった。
「理由? 分かるよ? 寂しかったんだよね?」
ひくりとチカゲの赤い目が揺れた。図星のようだった。リオンはハッと笑ってやった。けれども悲しくてやりきれなくて仕方なかった。
「わたしでは不服だった? クロサギは? ダリウスさんは? 他のみんなは? それじゃ足りなかったの? ツクヨミ様には及ばなかったってわけ?」
チカゲの赤い目がごうごうと燃えた。澄んだ瞳のまま、それでも泣きそうに、底知れない感情に呑まれていくようだった。リオンには得体の知れないものだった。そもそも嘘つきのチカゲが何を考えているかなど、今更どうでも良いことだった、はずなのに。
「リオンさんいい加減にしてください!! ワタシは――!!」
「月が綺麗だね」
彼が何かを言う前に、リオンは遮った。そうしなければならない気がした。微笑んで彼を見つめた。甘さと憎しみを込めた瞳で。
「愛しいいとしいチカゲさん、刀を抜いて。わたしと決着をつけよう?」
チカゲはまっすぐに、紅の目で言った。
「お断りします。アナタを殺す意味はない。愛しているから」
「この期に及んでまだ嘘をつくの? あなたって最低!」
あはは、と声を上げてリオンは笑った。笑ったけれど、視界が滲んだ。もうこんな茶番は懲り懲りだ。何度騙されて来たのだろう。
「終わらせよう? さあ受け止めてよ――この卑劣な裏切り者が!!」
リオンは駆け出した。ヒガンバナが散る。ハッとしたチカゲが抜刀した。そのままリオンの攻撃を防いで突き放す。
「あはははは! いいね、素敵!! ほらもっと攻撃してよ! できないの? 寂しがり屋のチカゲさん!!」
チカゲは泣きそうにリオンを見て、攻撃をすべて受け止めた。けれど防ぐばかりで踏み込んではこない。それが悔しくて憎たらしかった。彼のやさしさの証明でしかなかったから。
それこそが嘘のはずだった。なぜ今になってやさしくするのかわからなかった。
「攻撃しなよ!! この嘘つきが! 他の人のものにならないって、約束したじゃん! うそつきうそつきうそつき!!」
いつのまにか涙が溢れていた。ほろほろと雫が頬を伝って落ちた。
「だいきらいっあなたなんかだいきらい!!」
この想いなど分かるまい。愛おしくて憎いひと。ああ――嗚呼、そう、約束したのだ。
「あなたはわたしが殺してあげる!」
刀の音が鳴る。チカゲは歯を食いしばり、必死にすべての攻撃を捌いている。けれどやっぱり踏み込んでこない。彼は悲痛に叫んだ。
「やめてください、殺したくないんです!! ――もうやめてくれ!!」
その言葉も声も全てが愛おしかった。どこかやさしさが滲んでいたから、いまだに嫌いになれなかった。リオンは泣きながら笑う。
「わたしのことがまだ好きだと言うの?」
「ええ」
「じゃあ抱きしめてよ。殺してあげるから」
チカゲの赤い目から、一筋の冷たい涙が落ちた。
「ツクヨミ様はもういないんです」
「そうだね」
彼は歩み寄ってきた。ヒガンバナがくすくすと、皮肉げに揺れた。
「アナタの代わりもいないんです。何故分からない?」
「嘘つきの言葉なんてわかんないよ」
「そうですね、ワタシは嘘ばかりついていた。きっとツケが回ってきたんですね」
彼は刀を捨てた。リオンはハッとする。
「待って、お願いそんな、」
違う。まさかそんなことを本気でするとは思っていなかった。
やめて、やめてわたしのチカゲさん。
「アナタが望んだことでしょう。さあ、抱きしめてあげますよ」
彼が手を広げる。後ずさったリオンを、思い切り抱きしめた。その拍子に彼の腹に刀が刺さった。チカゲは微笑んだ。
「愛している、あいしています、信じてください」
ぽたぽたと刀を伝い、血が落ちていく。
リオンの瑠璃の瞳から、大粒の涙がこぼれて落ちた。
「うそ、じゃなかった?」
「これだけは、本当ですよ。でも許してくださいね。少し手荒な真似を――」
次の瞬間、腹を殴られ、リオンは意識を飛ばした。




