切り札と呼ばれた男
戦場はまさしく血の海だった。屍がいくつもいくつも。
暗雲から轟く雷が落ち、どこからか火が広がった。
燃え盛る火の中を、リオンは走る。
敵が立ちはだかれば斬った。スオウは一体どこへ? ビワは一体どこに?
スオウは両親の仇だ。逃してなるものか。
必死に戦っているうちに、無意識でさえ追いかけていた男の姿を見失っていた。
「チカゲさん……?」
ばたりと敵の一人がリオンの刀に倒れる。辺りは赤に染まっていた。屍の中、火の海が燃える中、少女は一人立っていた。
目的に突き動かされたまま、迷子のように。
*
チカゲはいつのまにかリオンと離れていた。
「リオンさん!?」
チカゲは必死に辺りを見回したが、気づけば火の手が上がっていて、そこら中が燃えていた。
「リオンさん!」
「落ち着け」
来る敵を共にひたすら薙ぎ倒していたカガリが、告げた。
「俺、カラタチから聞いた。最後の切り札があるって」
目の前で白虎と鵺が戦っている。獰猛に白虎は応戦していた。鋭い爪と牙で強大な敵に挑んだ。鵺が雷鳴のような悲鳴を上げる。そうして白虎に噛みついた。轟くような声を上げ、白虎が倒れ、消えた。
カガリが言った。
「切り札は、あんただと」
言いながらも膝をついた。
「俺はもう動けない。白虎がやられたということは、カラタチも打つ手がなくなったということだ。だけどあんたがいる」
チカゲは思い出していた。確かにカラタチはあの夜言ったのだった。その記憶が鮮やかに思い出された。
茶を前にしながら、彼は確かに言ったのだ。
「よくお聞きなさい。――チカゲ、あなたは最後の切り札です」
カラタチの目に嘘はなかった。
「切り札? どういうことですか?」
「スオウの背後にはビワがいる。妖術も未知数の危険な男が。戦で万が一こちらが不利になった場合、ビワはスオウと共にこちらの城へ向かい、トキワ様を狙うでしょう。それだけは阻止しなければなりません」
真摯に彼は言うのだった。
「ビワの求めるものは帝の心臓と――それを賢者の石へと変化させられる錬金術師。つまりはあなた。こちらが劣勢になった場合、あなたはビワの味方のフリをして、敵側につくのです」
「裏切れと?」
「そう申しております」
「馬鹿な――ワタシは!」
「かつて姫君を殺そうとした愚かな錬金術師。あの方と添い遂げる夢を見るなど、笑止千万。その身をもって償いなさい」
「……なるほど、分かりました」
ふざけているようで、この陰陽師は本気だとチカゲは悟る。
かつての罪は消えない。リオンの首を絞めて殺そうとした。神力のある心臓の持ち主だと決めつけ、命を奪おうとした。その償いを今ここで。
「運の良いことに五行はあなたに味方している。ビワの五行は金。そしてあなたは火。相剋の関係です。やり方を教えてあげますから、仲間のフリをして彼の弱点をつきなさい。どんな手段を使ってでも、ビワの信用を得るのです。どんな手段でも」
五行などチカゲには分からない。ただカラタチの教えた方法があった。だがまずは、ビワに取り入るのが先決だった。そんなことはしたくなかった。
だが今、戦場の視界の先で白虎は消え、鵺は轟音のような咆哮を轟かせていた。
やがては皆が死ぬだろう。
そうしてまるで残酷な運命のように、ビワが目の前に現れたのだった。
「どうしたのチカゲ、そんな目をして。そっちの、ええと、カガリだったっけ? トキワの武将はもう膝をついてるし。やめた方がいいよ、君たちでは勝てない」
「鵺はアナタが出したのですか?」
チカゲはわずかに血走った目で問うた。
「そうだよ。僕以外にあいつを出せる奴がいると思うの? 大人しく降参したら? それにチカゲ、君の技術が必要なんだ。こっちへ来ると言うなら命は助けてあげる」
「行かないと言ったら?」
「トキワの心臓を手に入れ、また錬金術師を探す旅が始まるかな。何年もかかるだろう。……君ほどの技術者はいないよチカゲ。さあ、僕と一緒においで」
チカゲは奥歯を噛み締めた。まさしくカラタチの言う通りだった。ビワは自分を必要としている。
「そ、それでは――アナタにつきます」
「あはは! よく言った!」
ビワが楽しげに言う。
「それじゃあ忠誠を証明して?」
「え」
血に濡れた頬でチカゲはビワを見た。ビワはにこにこと笑っているのだった。
「そこの男だよ。そいつ怪我してるみたいだし、もう逃げられないだろう。首を取って、チカゲ」
カガリを目で示してビワが言った。
チカゲは目を見開く。駄目だ、カガリは仲間だ。とても出来やしない。
「何してるの? もしかして忠誠は嘘だった? 僕を騙そうとしてる?」
カガリが頭を垂れ、小声で言った。
「首を取れ、チカゲ」
ああ――嗚呼。これを知ったらリオンは泣くだろう。
勇敢な武将は言った。
「トキワ様、万歳」
チカゲは刀を振り上げる。その首を、思いきり、斬り落とした。
ごとん、と音がした。
頭のなくなった身体が崩れ落ち、倒れる。その拍子に、隠し持っていたらしいこんぺいとうが、ぽろぽろと散らばった。
そうしてごろんと、首が転がったのだった。
「はっはっ、はっ」
涙がこぼれそうになる。けれども泣いたら意味がない。チカゲは瞳を揺らがせ、どうにか胸に押し寄せる激情に耐えた。
ぱちぱちとビワが拍手する。
「よくやった、いい子だね、チカゲ」
いつのまにか火はヒガンバナへと姿を変えていた。幻覚だろうか。いや、ビワの結界の力が広まっているのだろうか。
ヒガンバナは赤く紅く、残酷に燃えるように咲いている。どこまでも、どこまでも。
そこへ呆然としたように、少女が近づいてきた。あちこちに死体が転がっている。カガリの屍を見た少女は、瞳を揺らがせた。
「なに、してるの」
チカゲは言葉を失った。少女が叫んだ。
「何をしたのチカゲさん! ねえ! どうしてあなたが――!!」
「この戦は勝てません。ですからビワについて行くことに決めたのです」
「嘘つき!!」
「嘘ではありません」
嘘に嘘を重ね、泣きそうにチカゲは笑った。黒い衣も、白い顔も、刀も、赤に染まっていた。
「――申し訳ありません、凛音さん」
リオンが膝をついた。歪む瑠璃色が悲しくて、チカゲは背を向けた。ビワに勝つにはこれしか方法がないのだ。
「裏切り者!!」
罵倒を甘んじて受け入れた。まさしく今の自分は裏切り者でしかなかったから。
やがてチカゲはビワを追い、ヒガンバナの中を歩いて行った。
後ろから、置いてきぼりにされた子どもみたいな泣き声が聞こえて、チカゲは唇を強く噛み締めた。
*
一面のヒガンバナ、それは異様だった。
「先ほどまでここは戦場だったはず。結界ですか?」
「そうだよチカゲ。ここでは僕の力が増幅される。ああ――良い心地だ。混沌の最中に結界を敷いたんだ。美しいだろう?」
揺れる一面のヒガンバナは、手招きしているようで、チカゲはゾッとする。
「それにしても血影、先ほどは見事だったよ」
「その呼び方やめてください」
古い真名で呼ばれ、チカゲは不快感を露わにした。
「ああごめんごめん、でもぴったりだと思ったから。ほら見えるだろう。あそこが僕の小さなお城」
それはかつて見たのと同じ小屋だった。素朴で美しく、ヒガンバナの中に、何の違和感もなく、ただ一軒建っているのだった。
ビワはチカゲを連れて中へ入る。以前ここで二ヶ月も作業していたことがあった。ツクヨミ様を蘇らせるという妄執に取り憑かれていた時だ。そして入り口から入った部屋の囲炉裏には――かつてと同じように、鳥の姿のクロサギが吊るされていた。その下には火がついていて、クロサギは苦しげに呻いているのだった。
あまりに残酷なやり方だ。けれどここですぐに動いてはまずいと、チカゲは思いとどまった。
「君の作業部屋はここね。前にも言った通りだ。賢者の石の材料は三つ。二つは揃っているが抽出が難しいんだ。最後の帝の心臓は僕が取ってくる。君はここで作業を続けるんだ、いいね?」
「分かりました」
仕方なくチカゲは腰掛けた。
奥から美しい娘が出てきた。真っ白な着物に、真っ白な翼。シラサギだ。
「ビワ様、私もお供しますわ」
「駄目だシラサギ、お前はここに残るんだ。チカゲを監視しろ」
シラサギは不服そうにしていたが、つまらなそうに言った。
「分かりました、ビワ様。どうかお気をつけて」
ビワが行ってしまうと、チカゲはどうしようかと考えた。
クロサギを助けに行きたかったが、シラサギを説得するのは骨が折れそうだと思った。
そして目の前には机と大量の資料に実験道具。
ビワの用意したものは前回と同じだった。材料のうちの二つは、太陽と月の雫――金と銀から抽出した、硫黄と水銀だ。
これを的確に、できるだけ多く抽出するのは骨の折れる作業だ。だから前回、チカゲは他の石を使って実験のようなことを繰り返していた。本物はそれぞれ一つずつしかないから、まだ手をつけていない。
どちらにせよ好都合。
今のチカゲには目的があった。カラタチが作戦を話したのだ。
あの時茶を注ぎながら、すまして彼は言った。明確に思い出せる。
「賢者の石の作業に貢献するフリをして、別のモノを作って下さい」
「別のもの?」
「杭です。きっと彼は結界を張るでしょう。彼の五行は金。そして強力な妖術の使い手。私の知る限り、相剋の関係となる火の五行を持つのはカガリとあなたです」
「はぁ、つまり?」
「火は金の弱点なのですよ。カガリは物作りには向きません。あなたが作らねば。万が一結界が貼られた場合、相剋の五本の杭を作り、東西南北、そして中央に打つ。そうすれば結界は消え、敵の力も大きく弱まります」
「では戦が始まる前に今ここで作ればいい話ではないのですか?」
「話はそう単純ではないのですよチカゲ」
言いながら彼は空になった椀に茶を注いだ。
「強大な敵を倒すにはさながら強力な武器が必要です。通常『怒り』は木に属しますが、火も相応することがあります。それから火には情熱の意味合いもある。つまりは強い情熱に突き動かされて作らなければ、ビワを倒し得る強力な武器として機能しないのですよ」
「今のワタシでは駄目ということですか?」
「そうですね。あなたは情熱的な人間だ。けれど今は落ち着いている。第一感情なぞ操ることは無理でしょう。きっと戦場にいるうちにあなたの中の怒りや情熱は昂まります。それを杭に打ち込めばいい」
カラタチが言ったのはそんなことだった。今のチカゲには想いがあった。
カガリを殺した絶望、リオンに誤解された悲しみ、幾重もの数えきれない感情の渦。
だがまだ何か足りない。とにかくクロサギをあんな囲炉裏で苦しめられるのはごめんだった。
「シラサギ、クロサギを下ろして下さい」
「嫌よ、あの子裏切ったからこうなったの。自業自得よ」
「賢者の石を作るには他にも材料が必要です。アナタが取りに行きますか」
シラサギは舌打ちした。
「いいわ、勝手に解きなさい」
チカゲは手前の部屋へ行って、クロサギをおさえると、刀で吊るされた紐を切ってやった。
畳に置いてやれば、クロサギはこほこほと息を吐いた。
「ちか、げ? なんでここに? ああ――ああそっか、カラタチが前に――けほっこほ」
どうも彼も何か知っているらしいとチカゲは察した。けれどここで喋られては意味がないのだ。
「動かないで。手当てをして差し上げたいところですが、シラサギが見張っています。余計な言葉は不要です」
「ぐすっ、俺もうダメかも……吊るされるの本当に辛くて……」
「ええ、ええ――そうでしょうね。でもあなたはまだ役に立てる。ワタシも現にカガリを殺しました」
「は?」
クロサギの目が見開かれる。
チカゲは彼の口ばしを抑えて小声で告げた。
「全部芝居です。そうするしかなかった。ビワの仲間だと証明するためにカガリを殺しました」
「っ……!」
「クロサギ、ワタシを信じるのであれば、戦場から刀を五本取ってきて下さい。遺体のもので構いません。それでビワの術を封じる杭を作ります」
クロサギはこくこくと頷いた。
「何をコソコソと話してるの」
シラサギが言った。美しい白い羽根を揺らしてやってきた。
「おかしな真似をしたらただじゃおかないわよ」
「この哀れな鳥に命令しているだけですよ。石の材料で足りないものがありましてね」
チカゲは言った。
「さあ取ってきなさい」
クロサギはよたよたと歩き出すと、羽根を広げてふらつきながら飛んでいった。
シラサギがつぶやいた。
「まったく、あの出来損ない。ビワ様の面汚しだわ」
「そうは言いますがアナタは何か貢献したんですか?」
「あら当然でしょ。今もあなたを見張ってる。そしてあなた達の包囲網の情報を伝えたわ。そうよ、私が作戦を盗み聞きしたの」
――――この女!!
チカゲは激しい憤りを覚えたけれど、必死にそれを抑えた。
今頃ビワはトキワの心臓を狙いにいっているのかもしれない。
だがカラタチがそうはさせないだろう。
今はクロサギの帰りを待ち、作業のふりをするしかない。チカゲは机の前に仕方なく座り直した。
しばらくしてふらふらとクロサギが帰ってきた。五つの血塗られた刀を携えて。人の姿をしていた。翼はしまっていなかったが。
「鳥の姿だと持てなかったんだ。ほらこれ」
机の上にじゃらりと血濡れの刀が置かれた。
かつてのチカゲだったら精密な計測をしているのに何をしてくれてるんだと怒ったことだろう。だが今のチカゲは冷静だった。心配なのはリオンだった。あの子は戦場で今頃泣いているだろう。
一刻も早くすべてを終わらせなければと、刀を加熱し、溶かし、一本目の杭を作った。
シラサギといえばこちらが逃げないと知ると、興味なさげに見張りをしていた。クロサギとの会話も意味のないものだと思っているのか、聞こうともしていなかった。
「……まだ足りない」
こそりとクロサギが言った。
「え?」
「前にカラタチから五行の話やビワの弱点を聞いた。あんたが作ってるのは結界を破る杭だろ? 俺妖だから分かるよ。結界を破るには、『気』が足りないよ」
「気?」
「分かりやすく言うと感情とか念のこと」
「そんなことを言われても」
感情を込めて作れとカラタチは言った。チカゲは心を込めて作った。けれども足りないとクロサギは言う。この妖が言うならきっと本当だろう。さてどうしたものか。
二本目、三本目と作っていく。それは熱く、チカゲは懸命に作り続けた。
そのうち疲れ果て、いつのまにか眠り込んでしまった。
気づけば戦場に立っていた。あの結界から追い出されたのか? そう思ったけれど、すぐに違和感に気づいた。
燃えているのは家々だった。村が丸ごと燃えている。
それを遠くから見ている子どもがいた。狂ったみたいに笑っていた。
「あはは、あはははは……!」
これもまた幻影だ。遠い誰かの過去。そして目の前で笑っている少年は、ビワだった。
「アナタは……」
「あいつらがいけないんだよ! 僕の村の人間、全員連れてかれて殺されたんだ」
「なぜ」
「知らないよ! 開拓の邪魔だとかなんとか。案内されてこっちへ来たら、皆殺しにされたんだ」
チカゲは少年を見た。傷だらけの子どもは馬鹿みたいな笑顔を浮かべている。彼の仲間はきっと迫害されたのだ。皆殺しなんて確かに酷い。けれど丸ごと火をつけるこの少年も狂っているようだと思った。
「あんな火事を起こしてどうするつもりです。アナタの仲間すら助かりませんよ」
「もういいんだよ、皆とっくに死んだしね」
ビワは言った。
「もういいんだ、もともと仲間なんていらなかった。僕は誰も愛さない。愛するのは僕自身だけ!」
絶望と虚無に満ちた目で、それでもビワは嗤っている。
「この世界は僕を裏切った。だから僕も世界を裏切ってやる。賢者の石ができたら、この世をひっくりかえしてやるんだ」
やがて少年はだんだんと成長していく。
「ツクヨミ様に会いたいでしょうチカゲ? 僕は君の願いを叶えてあげる。そうすることで死者が跋扈する世界を作るんだ」
チカゲは眉を顰めた。ビワはさらに成長して、見覚えのある姿になった。
「どうしたの? 大好きなツクヨミ様に会えるんだよ。世界をひっくりかえしたら、この世の奴ら皆絶望に堕ちるだろう。僕はその顔が見たいだけ! 僕を見捨てた世界が、自ら絶望するのをこの目に焼き付けるんだ。きっとすっごく素敵だよ」
ごうごうと向こうの村が燃えている。悲鳴が聞こえる。
「思い出してチカゲ。君の師匠は殺された。赤い赤い血を流して、君を庇って死んだんだ。血影、君は寂しくてたまらないんだよ」
チカゲは震えそうな声で、必死に言い募った。
「寂しいのはアナタでしょう!」
「違うよ血影」
うっそりとビワは嗤った。
「孤独に怯えているのは君さ」
ハッとしてチカゲは我に帰った。
机の上で寝てしまっていたのだ。
顔を上げればあの小屋の中で、他には誰もいなかった。ビワも、シラサギも――クロサギも。
助けたクロサギがいないことに、どこか打ちのめされながらも、チカゲは残りの杭を作った。
それは炎にめらめらと燃え、けれど触れても熱くはなかった。いや、そう感じるのは自分だけかもしれない。
杭を持って誰もいない小屋を出れば、夢ではなく、けれども夢のようにおぞましく美しいヒガンバナが一面に咲いているのだった。
チカゲは五つの杭を携えて、それぞれを刺して回ることに決めた。クロサギは、リオンは、今何をしているのだろう。考えては駄目だ。
そう言い聞かせながらも、頭の中は夢でビワに言われた言葉に囚われていた。
――――孤独に怯えてるのは君だよ、血影。
違う、違う、ちがう。
必死に東へ歩いた。一つずつやっていこう。東西南北の東だ。
四つが終わったら中央に突き刺す。そうカラタチが言ったのだ。
赤いヒガンバナは手招きするように揺れているのだった。まるで死者が呼んでいるようだと思った。




