赤ケ原の戦い
*
時は流れ、夜が訪れた。
開戦は明日の正午だと聞いている。
リオンは一人、廊下の縁に座り、空を眺めていた。とん、と誰かが隣に立った。いつのまにか屋根から降りてきたらしいカガリだった。
「なんかクロサギみたいだね」
リオンは言う。
「彼、神出鬼没なの」
「あいつが心配かい?」
「うん、ビワのことすっごく怖がってたのに、わたし達を逃すために捕まったから……でもそのおかげで重要な情報を持ち帰れた。あれは、そうきっと、銀竜村やツクヨミ様を知る、わたしやチカゲさんしか引き出せない情報だった」
自分に言い聞かせるようにリオンは言う。
「わたし……わたし達にしか」
カガリがじっとこちらを見た。
「まるで自分を責めてるみたいだ」
「今頃クロサギは泣いてるかも。……絶対に助けなきゃ」
「そうは言うけどさお姫様」
カガリは言う。
「自分のことを疎かにしてはならないよ」
彼の言う通りではあった。けれどリオンには果たさねばならないことがある。
クロサギを助けたい。兄を守りたい。敵を討ち果たしたい。
「あんまり考えると疲れちゃうよ、ほら」
差し出された小さな箱にはこんぺいとう。リオンはそれを手に取り食べた。
カガリが言う。
「こんぺいとうって星みたいだろ。俺星みたいな生き方がしたいんだ」
赤く燃えるような髪でカガリは言った。
「星は燃えてるんだってカラタチが言ってた。だから輝いてるんだって。俺も大切なもののために輝きたいな」
そう言って彼もこんぺいとうを食べた。彼には敵意を向けられたこともあったはずだ。でも今こうして見ると、どこか落ち着いて見える。
彼の「大切なもの」はトキワなのだろう。
リオンは彼と二人で、夜空に広がる星を眺めていた。
*
同じ頃、チカゲは別室に呼び出されていた。
カラタチの部屋だった。いつかのように机に急須が置かれ、カラタチは茶を注いでいた。
「何の用ですか」
「あなたに伝えなければならないことがありまして」
「リオンさんとの件ですか」
あっはっは、とカラタチは笑い、茶を飲んだ。
「あなた姫君に告白したとか。残念ですよ、私の相手をして欲しかったのに」
流し目で言われても、チカゲはくだらないと思うだけだった。
「アナタは私をからかいたいだけだ、そうでしょう?」
「おやおやこれでもあなたのこと気に入ってたんですがねえ」
「否定はしないと」
「ははは、聡明ですねチカゲ」
カラタチはそこまで言って、椀を置いた。
「その話は置いておきましょう。どうせ身分の差であなた方は一緒になれませんから」
「っ」
「そんな目をせず。今話したいのは戦のことです」
「戦」
「ええ」
カラタチは美しく微笑んだ。
「よくお聞きなさい。――チカゲ、あなたは最後の切り札です」
カラタチの目に嘘はなかった。
*
一行は先に休みを取ると、夜も更ける頃に出発し、夜明けに赤ヶ原についた。
リオンはチカゲと共に西側の茂みに、カラタチや元警備隊の二人は東側の茂みに、それぞれ武士達と共に隠れる手筈となった。
「リオン、絶対に命だけは大事にしてね! 約束だよ!」
シフォンが必死に訴えてくる。まるで今生の別れみたいだ。
「大丈夫、シフォンも気をつけてね」
リオンが言えば、シフォンは切なげに笑って、それでも健気に頷いた。
正午に近づくにつれ、赤ヶ原の向こうに軍が集まってきた。開けた平地にこちらは三百、向こうはおおよそ九百の兵がいた。
リオンは聞いたことがある。前帝のタイザンは野心家で強かった。だが長男のトキワは病弱でやさしく、それをよく思うものもあれば、幻滅した者もいたと。タイザンが亡くなった時、野心を持つスオウの方がいずれ帝の座を奪うだろうと見受け、そちら側についた者も多かったと。城にはいなかった数の兵だ。こちらと同じく、各領地から集まったに違いない。
数の差では負け戦にも見えるが、こちらには茂みにそれぞれ二百ずつの兵がいる。すべて合わせればこちらは七百だ。九百の敵に対し、挟み撃ちをすればきっと有効であることに間違いはなかった。
向こうから声が聞こえてくる。先頭で馬に乗っているのはおそらく――
「我こそはスオウ。お前らの主は話し合いにも応じない腰抜けと見える。ここに開戦を申し出る」
三百の軍の先頭にいるのはカガリだ。馬に乗り、長い槍を掲げている。
「我こそはカガリ。帝の代理であり、一番の武将だ。帝への侮辱、誰であろうと万死に値する。ことスオウ、卑怯者のお前の首を俺が取る!」
「卑怯者だと!? 進め!!」
向こうから馬に乗ったスオウと兵士達がやってくる。馬の数はこちらと同じ二百ほど。ほどなくして挟み撃ちにする予定だったが、なぜか相手の陣営は形を変えた。
三つに分かれ、真ん中はそのまま、東と西に向かって走ってきたのだ。
リオンはぎょっとした。
陣形を変えようにももう遅い。こちらの馬は真ん中の陽動軍に揃えている。
歩兵で揃えた隠れていた軍は馬に蹴散らされていった。
陣形がバレていた。誰かが向こうに伝えたのだ。
誰が。――誰が?
「――うあっ」
突き飛ばされてリオンは転がる。
起き上がろうとしたところでチカゲの背中が見えた。彼は刀を抜き、勇猛果敢に戦っていた。主に馬の腹を狙っている。
リオンは起き上がる。
「そうだみんな、馬を狙って!! 敵を馬から落とすの!!」
淡々と刃を振るうチカゲの代わりに叫び、リオンも走り出す。仲間達の怒号が聞こえた。
味方の悲鳴と敵の悲鳴が混じり合った。
リオンはひたすら刀を振るっていた。兄を城に残してきて正解だった。ここはあまりに血生臭い。病弱な兄は殺されてしまうだろう。
そう、お父さんとお母さんはスオウに殺されたようなものだ。
これは兄を守ると同時に仇打ちでもあるのだ。斬って斬って、斬り続ける。血飛沫が頬を汚した。腕の疲れも分からない。ただ両親の形見である五月雨丸は血に染まっていく。人の肉の切れる感触。誰かが倒れる音。
気がつけば日は大きく傾いていた。
戦場は名前の通り血に染まっていた。
敵の数の方が多いのだ。なんとか拮抗しているが劣勢に見えた。三つだったはずの部隊は混ざり合っていた。もうぐちゃぐちゃだ。
ただ無意識にチカゲを見失わないようにしていたらしい。そばには彼がいた。
「はあーっはあーっ、はーっ」
「リオンさん、リオンさん、ワタシを見てください」
血に塗れた彼が言った。
「アナタは時々普通じゃなくなる。それが今だ。敵の注意が幸い中央部隊に向いています。今のうちに休みましょう」
人気のない岩陰に連れて行かれたものの、リオンは声を荒げた。
「休むって何!? カガリさんが死んだらどうすんの!! 誰かが――誰かが情報を漏らした! そうじゃなければこんなことには」
「リオンさん!!」
肩を掴まれてリオンはハッとした。
「カガリは行方が知れません。こちらの陣営が崩れたとはいえ、向こうの陣営もぐちゃぐちゃです。休める時に休むべきです」
リオンはぜいぜい肩で息をしながら、チカゲを見た。
「どう、しよう……負けちゃったら、スオウが城に乗り込んだら――兄上が殺されちゃったら!!」
「落ち着きなさい。ビワは合法的に心臓を奪うと言ったのです。奇襲を仕掛けることはないでしょう。もっともこちらの作戦が漏れていたのは、奇襲と言えなくもありませんが……」
荒くなる呼吸に、チカゲがじっとこちらを覗き込んでくる。
「大丈夫です。敵の軍はここで食い止めましょう。ワタシを信じてください」
その時だ。
「リオーン!!」
少女の声が聞こえた。
シフォンだ。背後の軍から抜け出して、どうにか走ってくる。赤に濡れた彼女にゾッとして、リオンはすぐさま彼女に触れた。
「大丈夫なの? 血は? どこか怪我は?」
「こけて擦りむいたけどそれだけ。これは敵の血。舐めないでよね。警備隊何年やってたと思ってんの。リオンもでしょ? 良かった、そっちも無事だね?」
リオンは安堵の息を吐く。
「良かった、ああ、誰かが死んだらと思うとゾッとするの」
「同じだよ。落ち着いてリオン、あのね」
その時空に暗雲が垂れ込めた。青空は濃紺へと化し、雷が轟いた。
「な、なにあれ」
シフォンが眉を顰める。
そこには奇妙な化け物がいた。
いくつもの動物を掛け合わせたような、とにかく恐ろしく大きな化け物だった。
「鵺です」
チカゲが言った。
「文献で読んだことがあります。アレはおそらくビワが作り出したもの――」
ぎゃぁぁあ、と悲鳴が聞こえた。
鵺はこちらの軍の人間を食べていた。ばりばり、ぼり、ぐしゃり。
ヒッとリオンは声を上げる。
鵺は血だらけの口で次の獲物を探している。
シフォンが言った。
「落ち着いてリオン、あの人きっと来るはず」
次の瞬間、いななきが聞こえて、大きな白いユニコーンが鵺の前に現れた。
「えっあれって」
「カヌレさんの魔法だよ」
シフォンが言った。
「『困った時は金のインクを使いなさい』」
それはカヌレの謳い文句のようなものだった。彼女に渡された金のインクで名前と用件を書けば、彼女は余程のことがない限り、訪れる。
けれども最初に王都を出た時、頼りたくないからとリオンは受け取らなかった。
代わりに受け取ったのだとシフォンが言う。
「前にリオンが子どもになっちゃった時があったでしょ? あの時も金のインクでカヌレさんを呼び出したの。リオンが困っていたら、カヌレさんは駆けつける。王属なんてのはあの人にとって便宜上でしかない。自由気ままな人だから」
リオンは呆然と鵺とユニコーンを眺めていた。兵士達が何やら叫んでいるがそれすらも耳に入らない。
鵺は爪を食い込ませ、ユニコーンは角で刺そうと争っていた。雷が轟き、恐ろしい光景だ。
やがてユニコーンが角を刺したが、同じタイミングで思い切り噛みつかれた。
悲しげないななきを上げ、ユニコーンが倒れて消えた。
次の瞬間、ふっとリオンの前に傷だらけの魔女が現れ、倒れ込んだ。
「カヌレさん!」
慌てて駆け寄る。カヌレは疲れたように笑った。
「ごめんなさいね、私それなりに強い方だと思っていたのだけれど……あの化け物は未知数だわ」
チカゲが口を挟んだ。
「あの鵺は幻術の類ですか?」
「そうね、でも本物の妖だったわ。きっと妖術で作られたのね」
疲れたようにカヌレが手を伸ばし、リオンの頬を撫でた。
「かわいい私の子猫ちゃん、ご褒美が欲しいわ」
「ご褒美」
「ほっぺにキスしてちょうだいな」
リオンは半ば呆れたのと同時に、一抹の郷愁を覚えた。血まみれのカヌレが要求するのはそんなものなのか。
隣にチカゲがいる手前、頬にはキスせず、代わりに額にキスしてあげた。
魔女は少し目を見開いて、それから少し瞳を揺らがせた。
「死んではダメよリオン」
「分かってます」
「ああそうだわせっかくだからハグも」
「はいはい手当てしましょーね」
シフォンがカヌレを担ぎ、木陰に連れて行こうとする。
「リオン気をつけてね!」
シフォンはそう言ってカヌレを連れて行ってしまった。
「ビワがどこにいるか、特定できればあの化け物は消せるでしょう」
チカゲがそう言った。
「おそらく我々の目の届かないところで操っているのだと思います。そこまで辿り着かなければ」
向こうでは武士達が戦っている。おまけに空は雷鳴が轟き、鵺が食べ物にする人間を探しているのだった。
チカゲの示すのは戦場のはるか先だ。
「どうやって行くつもりです? 第一カガリさんもいないし」
そこまで言ってリオンはハッとした。
「もしかして、カガリさんが密偵なんじゃ、」
「そんな訳ないでしょー?」
不意に現れたのはカガリだった。槍を持ち、やはり血に濡れていた。
「化け物が現れたことで兵達は大混乱。スオウはどこかへ行方をくらませたし、俺も困っているところだよ」
「疑ってごめんなさい」
リオンは慌てて謝った。
「その怪我……」
「ああ平気平気、これぐらい」
「血だらけじゃないですか!」
リオンは包帯を出した。
「お姫様は心配性だねえ、く、う」
痛そうに彼は奥歯を噛み締めた。
リオンは水筒の水で血を洗い流し、包帯を彼の腹に巻きつけた。
「わたし、あなたの真意が分からない」
「俺の――なんだって?」
「何考えてるかってこと」
「俺は、」
「あなたはわたしが嫌いなのかと思ってた。――でも今は、そんな風には見えなくて」
「そりゃそうさ」
暗い空の下、雷の轟く戦場の片隅で、彼はからりと笑った。
「あんたが邪魔だって、前に言ったよね。あれ嘘なんだ」
リオンは目を瞬かせた。
「俺は確かに帝の兄弟のように育った。でもね、あんたが現れて、多少嫉妬はしたけど、でも嬉しかった。トキワ様は寂しい人だったから。あんたはあの時、トキワ様を認めず出て行こうとした。だからわざと、認めたくなるよう仕向けただけ」
「……やさしいんだね」
リオンはこぼす。
「やさしいのはあんたさ、お姫様。あんまり他人にやさしくすると、隣の男が妬くぜ?」
リオンはそっと振り返る。チカゲが罰が悪そうにぼやいた。
「別に妬いてませんし」
あはは、とカガリが笑った。
「素直になりなよチカゲ」
「アナタは少し黙った方が良いのでは」
「あはははは」
何が面白いのか、カガリは笑っている。
その時また恐ろしい悲鳴が轟いた。鵺が人を食べているのだった。あまりにおぞましい化け物。
そこへ今度は大きな白虎が走って行った。
カガリが槍を持ち直す。
「カラタチだ。あいつの術だよ」
白虎は鵺と必死に戦っている。
「今戦場はめちゃくちゃだ。突っ切るには今しかない。行こう」
傷を負ったまま、カガリが立ちあがる。
「ワタシも行きましょう」
チカゲが刀を抜いた。
「わたしも行く」
「お姫様には隠れていて欲しいんだけど――言っても聞かないよね? それじゃ、突撃!」
帝の代理、一番の武将と彼は言った。
その通り、カガリは戦場の中央へまっすぐ走って行く。チカゲとリオンも後を追った。




