飛車はいつしか竜となる
*
暗い中、二人はトキワの待つ城へ向かった。
迎え入れられて、やっと一息つくことができた。身体中の血を洗い流して、けれどリオンは、またきっとこの手が血で汚れるのだろうと思った。
「今回はご苦労だった」
城の一部屋で、そう告げるトキワは、大層居心地の悪そうな顔をしていた。本当は自分が行きたかったのだろう。歯がゆい彼の思いを、リオンはなんとなく悟ることができた。兄妹だからかもしれない。
カラタチがすまして告げた。
「つまりスオウがすべての元凶と。銀竜村を襲ったのも、チカゲの師匠を殺したのも彼の部下だと。すべては賢者の石に起因し、それを作るため。そして今、背後にはビワがいる」
リオンはわずかに声を荒げた。
「カラタチさんは何故そうも冷静なのですか、お母さんのこと気にしてると言いましたよね? 銀竜村についてあれだけ調べようとしておいて、やっと犯人が分かったのに……!」
「蔵を調べるよう言ったでしょう」
カラタチは目を細めて言った。
「予想はついていたのです。ですが犯人は絞れなかった。推測で物を言うのは大きな齟齬を起こすことがあります。ですからそれを踏まえた上でのことです。蔵に入れば証拠の品もあるかと」
トキワが眉を顰めた。
「スオウが犯人だと目星をつけていたのに、リオンを行かせたのか!? どれだけ妹が傷ついたと……!」
「ではあなたが行きますか」
「行けるものなら行っていたさ!!」
トキワは立ち上がり、カラタチに掴み掛かろうとしたが、体制を崩した。カラタチは目を細める。
「ただでさえ体調がよろしくないのです。どうぞお座りになってください」
「クソ!」
トキワは悔しそうに座り直した。
不意に静かにしていたチカゲが口を開いた。
「――ビワの、目的を知っています」
彼はわずかに瞳を揺らがせて、顔を上げた。
「賢者の石の完成――そのためには神力を持つ心臓が必要なのです。ワタシはかつて、心臓を手に入れるためにリオンさんを利用しようとしました。しかし彼女の心臓は材料とは違うとビワは言った。彼女の父――つまりあの竜は――もう信仰を失って神ではないからと」
カラタチが片眉を上げた。チカゲが続ける。
「お分かりですね? この国で確実に、唯一強い神力を持つのは、先祖より代々受け継がれてきた、帝の第一子。つまり今代ではトキワ様にあたります」
リオンはハッとしてチカゲを見た。彼の目にかつての濁りはなく、迷いもなかった。
「ビワはかつてワタシに言いました。材料として必要なのは帝の心臓であり、それを加工できる錬金術師がワタシなのだと。ワタシは彼に加担する気はありません。とにかく気に掛かるのは――暗殺するでもなく、合法的に帝の心臓を手に入れると、彼が言っていたことです。つまりあの男はスオウを利用して、戦を起こさせる気かと」
ゾッとする話だ。トキワが信じられないと言うようにチカゲを見た。
「スオウさえも――ビワに利用されていると?」
「ええ。アナタの心臓を奪えば一生追われる身になると、ビワは言ったのです。ならば合法的に手に入れると。当時はその意味が分かりませんでしたが――スオウについているのも、戦を起こすためだとしたら説明がつきます」
カラタチがなるほどというように口を開いた。
「つまりはビワにとって、スオウも使い捨ての駒にすぎないということですね。スオウの探究心と野心利用して、賢者の石を完成させようと。いやはや恐ろしい男です」
リオンは口を挟んだ。
「使い捨ての駒にすぎないとしても――」
強い瞳で見上げた。
「スオウはわたしの両親を――村を、滅ぼしました。チカゲさんのお師匠を殺したんです。賢者の石の探究のために。わたしにとっては仇です」
「リオン」
トキワが言った。
「感情的になっている君は、時折周りが見えなくなる時がある。かつての僕と同じようにね。それが心配だよ」
「ご心配には及びません」
リオンは強い瞳で言った。
「兄上はわたしが守ります」
トキワはやはり心配そうな顔をしていた。
チカゲの言葉は本当のようだった。文が届いたのだ。
内容は要約するとこうだった。
不審人物を派遣された。誠に遺憾である。ついては話し合いのため、帝に直接本丸に来てもらいたい。これを拒否するのであれば、三日後の正午に宣戦布告をする。
完全に罠だと誰もが分かった。帝が行けば心臓を奪われてしまうだろう。今回の件はきっかけに過ぎず、相手は戦の機会を伺っていたに過ぎないはずだ。
帝を渡す訳にいかないリオン達は、顔を見合わせた。
「そうと決まれば作戦を決めなくちゃあね。開戦まで向こうも立て直す時間があるだろうし」
そう言って入ってきたのは、様子を見ていたカガリだった。彼の赤毛はよく映える。
リオンは振り向いた。
「作戦といっても――向こうにはクロサギが捕まってるの。人質にされたら……」
「さあそれはどうかな? 人質にするなら今頃別の内容の文でもよこしてるんじゃないか? その価値もないと判断されたのかもしれない」
「それって」
「クロサギは軽視されてる。その点も相手の隙だ。ビワのスオウへの動きからすると、奇襲をさせることはなさそうだ。どうも慎重に動いているようだし。こちらが要求に応じないと分かれば、開戦はきっと赤ヶ原で行われるだろう」
「赤ヶ原?」
「そうさ、代々帝や武将達の戦いはそこで行われてきた。どちらにせよ、互いの城へ行くには赤ヶ原を通る必要があるし、そこを突破したら、向こうはなりふり構わず城へ乗り込んできてトキワ様の首を狙うだろう。あそこは何度も戦場として使われ、血に染まった。それで赤ヶ原というのさ」
カガリはおもむろに地図を敷き、さらには将棋の駒を並べた。
「相手側にビワがいる。それが問題だ。妖術使いに正攻法は通じない。対してこちらにはカラタチがいる」
リオンはカラタチを見た。
「私は術を使いますが、陰陽道に則ったもので、妖術ではありませんよ。ビワに対抗できるかは未知数です」
リオンは口を挟んだ。
「でも一度、ずっと前に洞窟で、シラサギを負かしたじゃないですか」
「あの時は相手が予期していなかっただけです」
「それだ」
カガリが言い、駒を並べて行く。
「相手の隙を作る。まず俺が陽動を起こす。先導はおそらくスオウ本人だろう」
「僕は……! お願いだ、僕にも何かさせてくれ」
立ち上がりかけたトキワを、カガリが優しく諭した。
「お気持ちは分かりますトキワ様、しかし今のあなたでは戦場にはたてません。どうか分かってください。帝が城で生き残ることが俺達の願いなのです」
カガリの言葉に、トキワが悔しげに眉根を寄せる。
リオンはその気持ちが痛いほど分かったけれど、口には出さないでおいた。カガリは駒を並べて行く。
「先導がおそらくスオウ、そして俺が前に出る」
言いながら地図の相手側の先頭に玉を置き、こちら側の先頭に金を置いた。
「どう? 金は帝の一番の武将だ。俺っぽいだろ?」
リオンは頷いた。よく見ると、地図の帝都の城には王の駒が置かれている。あくまで「王」はトキワであり、スオウは「玉」だというカガリの考えが見えるようだった。
「俺がそうだな、部下を引き連れて陽動を起こす」
言いながら金の後ろに歩兵を二つほど置いた。
相手の玉の後ろには歩兵がたくさん置かれている。
「で、赤ヶ原は木々に囲まれている。そこであらかじめ両脇に隠し部隊を入れておく」
言いながら木々の片方に飛車と銀、もう片方に角と桂馬を置いた。
「これにはどういう意味が……?」
「飛車はあんただリオン。銀はチカゲ。――角は読めない動きをするカラタチだ。桂馬は――くるか分からないけど助太刀ってことで」
「来るか分からない?」
「今さっきアケボノ村に鳩を飛ばしたんだ。リオン、あんたの友人が受け取るようにね」
「まさか……やめてよ!」
リオンは声を上げたが遅かった。
「兄貴の命と友達とどっちが大事? まあ俺にとっちゃ帝がすべてだけど。あんたのオトモダチは文を受け取るはずだ。早馬を使えば戦までにここに来られるはず。まあ立場上加われないかもしれないけど、その時は仕方ないさ。両方に歩兵を配置しておくから」
何事もなかったかのようにカガリが言い、それぞれに残りの歩兵を加えた。
カラタチが顔色ひとつ変えずに言う。
「私はこの脆弱な布陣の中で戦えと言うのですか」
「まあまあ、歩兵はいるからさ、あんたには前に出て刀を振るえって言ってるわけじゃないんだ、何かあった時術で対抗してほしいんだよ。――それでね、いいかい、ここからが大切だ」
神妙にカガリが言った。
「相手には飛車も角もいない。ただ大勢の歩がいる。強い相手がいるとしてもビワだ」
歩兵の後ろにカガリは金を置いた。
「これがビワだとする。でまあ、スオウは性格上、煽れば突っ込んで来るはずだ。俺が陽動を起こして相手が乗ってきたとするだろ」
カガリがこちらの金とそれに連なる歩兵を前に動かした。そして相手側の玉と歩兵も同じように前に動かす。二つの軍は重なってぐちゃぐちゃになった。
「そこへあんたらが出てくるんだ」
横の茂みに置いておいた飛車や銀、角や桂馬を動かして、相手の陣を挟み撃ちにした。
カラタチが眉を顰める。
「前に出なくていいと仰いませんでしたっけ? 流血沙汰など勘弁です。私に武術の心得はありませんし。そもそもその桂馬、来るかも分からないんでしょう?」
「まあまあ、例えの話だ。向こうの武士もそうだが、こっちの武士もそれなりの兵力だ。挟み撃ちにするだけで叩き潰せる可能性は高い」
リオンはじっと地図を見据え、相手の金を指差した。
「彼は……? うまくいったとして、ビワはどうするんです?」
カガリは当たり前のように飛車をまっすぐ動かした。飛車は敵の歩兵やら何やらを突破して、裏返った。
「あんたが竜になればいい」
リオンは瞬きした。将棋の駒は、敵の陣地に行けば裏返ることができる。飛車は裏返ると竜になるのだ。
カガリはあっけらかんと、しかし確固たる声で言った。
「実際にはこんなうまくいくか分からないけど。なんにも作戦を立てずにいくよりマシだろ、ねえお姫様?」
――――お姫様。
そう、自分はトキワの妹だ。
なんとしてでも、敵の首を討ち取らねばならない。そのためならきっとなんにだってなれるだろう。
「分かりました」
「リオン」
声をかけたのはチカゲだった。
「ワタシが側にいます。どうか自分を見失わないでくださいね」
真摯に言われた言葉は、どこか重みがあった。
二日後、早馬で来た訪問者があった。シフォンとセザールだった。
二人は廊下でリオンと出会った。
シフォンがあの琥珀の目で言った。
「手紙を受け取ってきたの! クロサギ捕まったんだって?」
ああ――巻き込みたくなかった、けれども来てくれたことは嬉しいと、リオンは複雑な心情になった。
「うん、シフォンあの、」
ぎゅうっと抱きつかれた。
「あたしほんとーに心配した! というか今も心配! 隊長はすっごく悩んでたけど村に残った。あくまでアーノルド様に仕える身だからって。あたしとセザール、一時的に警備隊員から除籍してきたんだよ!」
「じょ、除籍!?」
なんてことをさせてしまったのだろうとリオンは思う。
「だってよく考えてみて! あたし達がここで戦に加わって問題を起こしたら、アルジェントとの国際問題になっちゃうでしょ? だから隊長に言われたの。リオンも一時的に除籍にされてるよ」
「そ、そっか」
自分が除籍にされたことに、なぜかほっとしてしまった。そうだ、海の向こうにまで迷惑をかけるわけにはいかない。もうさんざんかけたのだから。
幼い頃目の敵にしてきた敵は、アルジェントではなく東雲大陸にいたのだ。
そしてそれなのに、シフォンとセザールは来てくれたのだ。
シフォンが微笑む。
「リオン本当にお姫様だったんだね? あたしが守るから」
「いや、気持ちはありがたいけど陣営が違うし」
「はぁ? 布陣したの誰?」
「俺でーす」
カガリが槍を持ったまま出てきた。
「あんたシフォンだね。こんぺーとー好きだったよね? いる?」
「ふざけないでよ! リオンと同じ布陣にしてよ!」
「ああ別にして正解だった。あんた感情で動きそうだし」
「なんですって!」
シフォンがぎゃんぎゃん騒いでいる。城の廊下では静かにするものだが、異国の出の彼女がそれを知らないのも仕方ない。リオンも大声を出す時だってある。
そこへセザールが顔を出した。
「やあ会いたかったよリオン。君が心配で駆け付けたんだ」
そう言ってこちらの手を取ろうとするので、リオンはやんわりと振り払った。隣にはチカゲもいて、つまらなそうな目をしていたから。そして妙な圧まで感じた。
セザールが異変を悟ったらしくこぼす。
「な、なに?」
「あの、えっとそのね、そういうのはもうやめてほしいの。わたしね、その、ち、チカゲさんに告白されたんだ!」
なぜかチカゲに軽くげんこつを落とされた。
「いたい! なんで!」
「そうやすやすと言いふらさなくてもいいでしょう」
「でも本当のことだよ」
チカゲはため息をついた。呆れているわけではなく、ただ困っている風だった。
「なぜこうも振り回されなければならないのですか」
セザールが驚愕した目をしている。
「え、え、チカゲさん告白したんですか?」
「……そうですが何か」
「そ、そうですか……でもリオン、君のこと守るからね」
「アナタ陣営違いますけどね」
珍しくセザールが舌打ちして去っていった。
リオンは少しだけムッとしてチカゲを見上げた。
「なんで告白のこと言っちゃいけないの」
「言うなとは言ってません、ただ場所を考えなさいと言ってるんです」
シフォンが背後から声を上げるのが聞こえた。
「ええっ、リオンやっと告白されたのお!?」
「ほらね」
チカゲの言葉にリオンは少し赤くなった。彼は文句を言おうとして、なぜかつられて赤くなった。
「なんでこんなやつと! 前にも言ったじゃん、せめてセザールにしなよ!」
「ううん、チカゲさんがいいの」
リオンは言った。
「わたしこの人が好きだし。チカゲさんもわたしのことだいすきだもんね?」
「うるさいですよ」
そう言われたけれど、彼の目はじっとこちらを見ていた。笑いかけると逸らされた。
まだ距離感は難しいけれど、きっと前と何かが変わったのだとそう思えた。
不意に頭を撫でられる。嬉しくなってこっそり擦り寄れば、深いため息が落ちてきた。




