双六(すごろく)遊びとこぼれた涙
「お受けしましょう」
リオンが言えば、チカゲが目を細め、硬い声で言った。
「ワタシが代わります」
恐らくリオンのために放った言葉だ。だがスオウは言った。
「残念ながら俺は野郎には興味がないんだ。まあお前が何者かも知る必要はある。そこで黙って見ているがいい」
チカゲはムッとした顔をしたが、すぐにそれをひそめた。
二つの双六を使った遊びは簡単だ。それぞれ二つずつ筒に入れて振り、出た目を加算し、大きい方が勝ちだ。
スオウがまず振った。出目は四と五。リオンは一つ息を吐き、振った。出目は三と四だった。
「お前の負けだ女、酒を飲め」
リオンは大人しく酒を飲んだ。酒に強くはないが一杯で変になる程でもない。
「さて質問だ。そうだな――ここへ来た目的は?」
「スオウ様にお仕えするためでございます」
「そんな当たり前の答えじゃ面白くない」
彼は言った。
「では別のことを。お前達、二人一緒にここに来ただろう。どういう関係だ? 恋人か?」
「いいえ」リオンは答えた。実際恋人ではなかったし、チカゲを守るためだった。「ただの知人です」
スオウは愉しそうに笑い、チカゲを見た。
「だとよ、チカゲとやら――お前とこいつはただの知人なのか?」
「……ええ、そうです」
チカゲもまた慎重に言葉を選んでいるようだった。
「ほう、では俺が手を出しても問題ないな?」
リオンはその言葉にゾッとした。からからとスオウは笑う。
「ははは! 俺が怖いか? そんなので女官が務まるのか? さあまだ遊びは始まったばかりだ。続けるぞ、俺からだ」
双六を筒に入れ、スオウが振る。出目は二と四。リオンは三と五だった。加算すればそれぞれ六と八。リオンの勝ちだ。ほっとする。スオウはそれでも愉しそうな様子で酒を一杯飲んだ。
「よし、俺も飲んだぞ、さあ質問をしろ」
リオンは迷った。空き倉庫で見た銀の鎧について尋ねたかった。チカゲのためにツクヨミのことについても尋ねたかった。だが踏み込み過ぎれば危険だということは予想がついた。
「ここには、その……銀の鎧があるとの噂を聞きました。わたしは噂好きでして……銀竜村という場所が、その鎧を纏った男達に襲われたと聞いています。あの噂は、その、本当ですか?」
「ふむ、妙なことを聞くな……。お前……その村の生き残りじゃないだろうな? ああいや、あそこは全滅したんだっけか。――そうだなぁ」
彼は遠いどこかを見るようにして呟いた。
「そう、あの村を襲ったのは俺の部下達だ。あの頃兵を持て余していたからな」
リオンは思わず激情に駆られた。隠していた懐刀まで抜きそうになったが、どうにか抑えた。
「スオウ様、なぜ、その村だったのですか?」
「リオンと言ったな、娘。質問は一度に一つだ。知りたければ俺と双六をするんだ。いいな?」
リオンは仕方なく頷いた。スオウが上機嫌に筒を揺らし、振った。リオンも続ける。幸いなことに、またリオンの勝ちだった。
酒をぐびりとスオウが飲む。負けだというのにやはり愉しそうだ。
「さあ尋ねろ。質問は一つだ」
「ぎ、銀竜村を襲ったのは何故ですか?」
「竜の心臓を手に入れるためだ」
その答えにリオンもチカゲもハッとした。どうにか顔に出さないように努めたが。
酒の入ったスオウは少しずつ喋り出した。
「あれは隠された秘境だった。美しい藤の花が咲いていたと聞いている。俺が立ち入った時にはすべてが終わっていたがな。竜と戦って多くの部下が死んだ。当時は痛い損失だった。そこまでして手に入れたかったのはひとえに賢者の石を作るためさ」
リオンの唇はわなないた。かつてチカゲが言っていたことと同じだ。神力を持つ心臓は賢者の石の材料になると。
「竜は死に、信仰する村人もいなくなった。竜を生け取りにできればよかったんだが……とにかく、その竜はもう神ではなくなった。材料にもならない――無駄骨だ」
怒りのあまり、飛び出したくなるのをリオンは抑えた。この男の私利私欲のために父は死んだ、母も殺された。紫に彩られた美しい銀竜村は赤黒く燃え、やがては廃村と化した。
「当時は略奪が知られたら面倒ごとになると分かっていた。だから村人の口封じをしたし、他国の鎧を着て誤魔化した。まあ今となっては昔の話だ、教えてやるだけ感謝するといい」
そう言って笑う彼に、リオンはなんとか斬りかかりたいのを堪えた。ここは敵の本丸。例え彼を殺したとして、自分も殺されてしまうだろう。
「どうした娘、あの村に思い入れが?」
「いいえ、噂で聞いただけです。……一目見たいと思っていただけですから」
ああもう一度、もう一度あの美しい村を見られたなら。母に抱きしめてもらえたなら。父に微笑んでもらえたなら。けれどそれは遠い幻想でしかない。
スオウが双六を振る。リオンも振った。
今度はリオンの負けだ。仕方なくリオンは酒を飲んだ。少し頭がふわふわとしたが、なんとか耐える。
「おや、ははは。お前、酒に強くないようだな。ところでさっきからあの男がお前をしきりに気にしている。恋人でないならあの男はお前のなんだ?」
リオンは「大切な人」と答えそうになって、懸命に頭を働かせた。
「知人です、それ以上でもそれ以下でもありません」
「そうかそうか。ではチカゲ――お前はどう思う?」
話を振られたチカゲは目をぎらぎらと怒りに燃やしていた。
「どうもこうも――彼女の言う通りただの知人です。そうお伝えしたはずですが」
はは、とスオウが笑う。
「お前達、案外面白いな。さあ双六を!」
リオンは少しくらくらしてきた。どうも強い酒のようだった。二杯目だというのにどこかふわふわする。よろしくない。
スオウが双六を振る。リオンも振った。幸い勝ちだ。
スオウが酒を飲む。彼の方が飲んでいるのに、強いのか、はたまた慣れているのか、困っているようには見えない。否、彼はこの状況を愉しんでいるのだ。酒を飲むのもきっと彼の楽しみの一つ。乗せられまいとリオンは気を強く持とうとした。
「さてリオン? 次の質問はなんだ?」
リオンは酔いかけた頭でなんとか答えた。怒りにぎらつく目を隠すのも難しくなっていた。
「銀竜村を襲ったのは、賢者の石の材料を、探すためだと仰いましたね。いつからそんなことを? ……石を作るには錬金術が必要でしょう?」
「ほう、面白い質問をするな。お前も賢者の石が望みか? あれはいわゆる仙丹。手に入れば不老不死になれると聞いて、長いこと探していたんだ。確かに錬金術師を調査したこともあった」
スオウは酔っていた。愉しそうに告げた。
「錬金術を扱うものなど、もうこの大陸にはほとんど残っていない。部下が間違えて殺したこともあった。いくつか書物を持ち帰ってきたが、役に立たないことしか書いていなかった。惜しいことをしたものだ」
リオンは側から殺気を感じた。それはすぐに消えたけれど、チカゲから漏れたものだと分かった。彼の瞳も憎悪に染まりかけている。
ツクヨミを殺したのもまたスオウの部下だったのだ。
スオウは酔ったまま言った。
「まあ最近ある者から情報をもらっている。今は城にはいないが、」
「それは誰です」
「無礼だぞ娘、質問は一度に一つと言った」
リオンは無言で双六を二つ、筒に入れた。スオウが笑う。
よせ、とチカゲが目で合図してきたが、構わなかった。双六を振る。出目は六と五。これならほぼ勝ちだ。ほっと胸を撫で下ろしたところで、ころりころりとスオウが双六を転がした。六と六だった。
「ははは!」
スオウが高らかに笑う。
「運が俺に味方したようだ。さあ飲め。今度は俺が質問をする番だ」
リオンは仕方なく飲んだ。もう酔っ払い始めていた。意識をはっきり保たなければ、と自分に言い聞かせる。
「では質問だ。お前、男の経験は?」
「……は?」
「何を呆けた顔をしている。俺との双六に付き合うとは度胸のある女だ。気に入った」
ゾッとした。この男が気に入った女を自分のものにするという話は聞いていた。
「お前達はただの『知人』なんだものな。ならば俺が抱いても構うまい」
思わず懐刀を手に取ろうとしたが、腰に手を回されぎょっとした。その隙に腕を掴まれてしまった。
「おや懐刀を。――悪い娘だ」
取り上げられた短刀はからんと床に落ちる。
「勇敢な小娘だ。だが男の経験はないだろう。なあチカゲよ?」
名を呼ばれたチカゲが恐ろしい目をして言った。
「お戯れを。おやめください」
「ははは、これほど面白いのにやめられるか」
いつのまにか襟の間から手を入れられる。リオンはぞわりと全身に鳥肌が立った。いつもならやめろと叫んだであろうが、それすらできなかった。
代わりに叫んだのはチカゲだった。
「やめてください!!」
「くく、お前達はただの『知人』だ。何故庇う? 俺は帝のいとこだ。立場を弁えろ下郎」
チカゲが恐ろしい目をして、刀に手をかけようとした。
「やめろ、外には武士が控えているぞ。ははは!」
リオンは太ももをさぐられ、胸をまさぐられて半泣きだった。ただ感じるのは恐怖だった。
「やめ、やめておねがい、です」
「くく、そうだ、目の前で抱いてやろう。ただの『知人』ならば文句もあるまい。生娘なのだろう? もっと鳴いてみせろ」
スオウが服を脱がしにかかる。はだけた身体でリオンは叫んだ。「やめてください」と。
とうとうチカゲが立ち上がった。刀を抜かんばかりの勢いだった。
「彼女は――彼女は!」
そこに割って入る声があった。
「人質にする価値があるんだよねえ」
どこから降って湧いたのか、それはビワだった。
「び、ビワ……」
リオンは目を見開いた。
「お嬢ちゃん、ここは君の来るところじゃなかったんだよ、チカゲもね。スオウ様、こいつらトキワの手先ですよ。二人とも捕える価値があります。遊ぶのは後にして捕まえてしまいなさいな」
「トキワの手先? なるほど。だが俺は今この娘と遊んでいて、」
「スオウ様」
ビワが少し苛立った声を出した時だった。
黒い何かが飛んできて、ビワやスオウの邪魔をした。
「リオン、チカゲー、逃げろ!!」
それはクロサギだった。
スオウが苛ついた声を上げる。
「なんだこの鳥は!! くそっ、羽根が邪魔だ!」
ビワが叫ぶ。
「今更何をしに来た! この出来損ないが!!」
その隙にチカゲがリオンを引っ張った。
「あっ」
ふらつきながら立ち上がったリオンに、クロサギが叫ぶ。
「俺のことはいいから! 逃げて!!」
「チカゲさん、クロサギが」
「――犯されたいのですか!!」
恐ろしい目をしてチカゲが言った。
「クロサギのことは後で助けに行きます!! 今はここを出るのが先決です」
彼は既に刀を抜いていた。
「敵だ!! 捕まえろ!!」
スオウが叫ぶ。ビワの顔面をクロサギがつついている。
喧騒の中を二人は駆け出した。障子を開けて庭に出れば、あちこちに敵がいた。短刀を奪われたリオンはどうしようもなかった。
「たまには守らせなさい!」
言いながらチカゲが刀を振るい、リオンを連れて庭を突破して行くのだった。けれども敵は多く、暗闇の中で多勢に無勢と思われた。
金属の重なる音がいくつも聞こえる。チカゲは敵の攻撃を捌いては、薙ぎ払っていった。いくつもの血飛沫が舞う。
「はあっ、はあっ」
獰猛な獣のように刀を振るうチカゲは、いつもとどこか違って見えた。恐ろしい怒りに突き動かされているかのようだった。
「そのままじゃ死ぬよ」
屋根の上から声がした。
すとん、と誰かが飛び降りてくる。トキワの部下、赤毛のカガリだった。
「リオン、ほら、これ欲しかったんでしょ」
言いながら渡してきたのは、ここに来る前、カラタチに預けた刀だ。
「どうして、」
「どうしてって、最初から待機してたんだよ。もしうまくいかなかったら助太刀するようにって」
そう言えばカラタチが用心棒がどうとか言っていたかもしれない。とにかく細かいことを尋ねている余裕はなかった。
「三人で戦おう。俺もいれば突破できる。門の方面の連中はある程度片付けた」
リオンはほっとした。
「チカゲさん、わたしも戦います」
「アナタはまた――ッ」
ゾッとするほど恐ろしい目で睨まれたけれど、リオンも刀を振るわずにはいられなかったのだ。五月雨丸。それがこの刀の名だ。両親の形見を、リオンはひたすら振るった。
チカゲが無謀とも言える攻撃を仕掛ける、その隙をついてくる敵を、リオンは捌いた。
チカゲはどう見ても普通ではなかった。その気持ちがなんとなく分かる気がして、けれど聞くのも恐ろしくて、リオンは懸命に刀を振るった。
背後から襲ってくる敵をカガリが槍で突き刺している。
暗くて血みどろの夜更け。三人は門を突破し、命からがら森へ逃げ込んだのだった。
「ここまで来ればもう大丈夫、追っ手も来てないしね」
血まみれのチカゲを見ながらカガリが言った。
「あんた、フツーじゃないね」
「黙っててください」
「どうもご機嫌斜めだね。あとでトキワ様の城で落ち合おう。俺は仕事終わらせたし、報告に行かなきゃ」
そう言ってカガリはあっという間に行ってしまった。
森の湖畔では、月が美しく水面に映っている。
チカゲが木のそばに座り込んだ。リオンは慌てて駆け寄った。
「どこか怪我してない? 大丈夫?」
「それはこちらのセリフです」
言いながら不意に強く抱きしめられた。
「ワタシの心臓の音が聞こえますか?」
「え、ええ」
「怖かった。目の前で、アナタを失うかと思った」
犯されそうになったことを言っているのか、はたまたビワに捕えられそうになったことを言っているのか。
リオンは強く抱きしめられたまま、チカゲの心臓の音を聞いていた。スオウに触れられた恐怖と混ざり、ぐちゃぐちゃになって、それでも遅れて、悲しい安堵が広がっていく。
「……わたし、この音がすきです」
「そうですか」
「うん、すきなの」
緊張がはがれ落ちて行く。瑠璃の目が溶けるように、ほろりほろりと涙がこぼれ落ちた。
「こ、怖かった」
「ええ、そうでしょうね」
「怖かった……!! 怖かったよ!!」
「分かっています」
チカゲがさらに強くリオンを抱きしめた。
「もっと早く刀を抜くべきだったのかもしれない。ワタシは無力で」
「無力じゃないよ! 守ってくれた!」
リオンは叫ぶように言った。
「あなたはいつもそう! 意地悪なくせにやさしくて、やさしすぎて」
「アナタは泣き虫ですね」
「あなたが泣かないからだよ! だからわたしが代わりに泣くの!!」
リオンは声を上げた。
「お父さんもお母さんも――あの男のせいで死んだ。でもわたしだけじゃない。あなたのツクヨミ様も。もう頭がぐちゃぐちゃなの。なのにあなたは泣かなくて、だからわたしっ、」
チカゲは泣きそうに告げた。
「――愛しています」
「え」
木々が風にざわざわと揺れていた。水面に葉が落ち、波紋を作る。リオンの心のように、湖に映った星々がゆらゆらとゆらめいた。
「それ、は」
「頭がごちゃごちゃなところに申し訳ありませんね。ワタシは伝えるのが下手で」
リオンはハッとして彼を見た。彼の垂れ下がった髪が、月に照らされ銀に染まり、すべてを覆い隠すようだった。ただ赤い瞳がまっすぐこちらを射抜いていた。
「アナタを愛している、凛音。誰にも渡さない。渡したくない。ワタシだけのものだ」
視界がやっぱりぼやけてしまう。
「ほんとに? わたしのこと、誰にも渡さないでいてくれる?」
「アナタが望むならこの命も賭けましょう」
「じゃあ、じゃあ約束だよ」
熱い涙がこぼれ落ちた。
「チカゲさんも他の人のものになんないで。勝手に死んだら呪ってやる!!」
「ははは……あははははは!」
彼は笑った。まるで狂人のようだった。それなのに、その赤い瞳は暁の空のごとく澄んでいるのだった。
「ああそんなところも、すべて、愛しているのですよ、ワタシの凛音」
切なげに笑いかけられ、その細い指が、またこぼれ落ちた涙をやさしく掬った。




