女官と武士の潜入調査
*
数日後、リオンはチカゲと共に城に呼ばれた。
クロサギは勇気を出してまた訪れたのにも関わらず、閉じ込められはしなかったものの、廊下で待機するように言われ、つまらなそうな顔をしていた。
カラタチはいつも通りすました顔をしていたが、トキワはやはりどこかやつれているようだった。
「兄上、どうしてそんな顔をなさるのですか」
リオンがおもむろに尋ねると、カラタチが笑った。
「少々私と口喧嘩致しましてね――まあ内容は他でもない、あなたのことですよ姫君」
リオンは顔を上げる。
「スオウ様の噂をどこまでご存知か知りませんが、はっきり言いましょう。スオウ様は帝のいとこにあたります、そして玉座を狙っている。その背後に誰かがついているようなのですが、それが分からないのです。ですからあなたに潜入調査をと」
「反対だ!」
トキワが声を上げた。
「せっかく見つかった妹に何故そんな危険な真似をさせねばならない!」
「散々申し上げたはずですが、」
カラタチが言い聞かせるように告げた。
「スオウ殿は女好きです。それも選り好みをする。気に入った者には口が軽くなるとか。この城にはその勇気も素質もある女人はおりません。適任なのは姫君です」
「僕は利用するためにリオンをここへ呼んだ訳じゃない!!」
リオンは一連の流れを聞いていた。チカゲが口を挟む。
「なかなか良くできたお芝居ですね」
カラタチが片眉を上げた。チカゲが怒りのこもった口調で続ける。
「トキワ様は恐らく本心からそう仰っているのでしょう。ですがカラタチ、あなたは最初からこれが目的だったのでは?」
「滅相もない。ただ私は帝に妹君を会わせて差し上げたかっただけ。そしてお二人の幸せには――彼女のお力添えが必要だったというだけです」
だん、とトキワが畳を叩いた。
「断固拒否する! 大体僕が直接乗り込めば――」
「おやめくださいな帝。それこそ病弱なあなたが乗り込めば、話し合いなど拒絶され、殺されておしまいです」
カラタチは言った。
「その点、姫君はまだ顔が割れておりません。彼女は調査にうってつけの人材です」
「カラタチ、リオンに僕への情を持たせ、利用する気だったのか!?」
「すべてはあなた方のためなのですよ、どうぞご理解ください帝」
「この……!」
トキワが思い切り眉を吊り上げたが、乱暴をすることはなかった。ただ必死で感情を抑えているようだった。リオンは口を開いた。
「わたしやります。カラタチさんの真意は分かりませんが――この前わたしに五行説とやらを説きました。よく分からないけど――わたしを悪く思うならそんなことはしないはずです。何より兄上に長年仕えていたのでしょう? やり方こそ問題があったとしても――信頼はできるはず、です」
真剣に言葉を選んで言えば、トキワが切ない目でリオンを見た。
「僕は昨日この作戦を聞かされた。けれど結局利用する立場には変わりないんだ」
「いいのです、兄上。それにわたしは利用されるのではありません。進んでこの仕事をやりたいと思うのです、兄上を守りたい」
たった一人の家族。ようやく芽生えたその感情は大切なものだった。
竜だった父は槍に射抜かれて死んだ。信仰を失い、神ではなくなってしまった。
かつて帝の正室だった母は、遠い銀竜村で安寧を求め、挙げ句の果てに殺された。
遺されたのは兄だけ。それもやさしいひと。
トキワが悲しげに言った。
「君はこの後もきっと利用される。カラタチ――そして、何もできない僕に」
「何もできない訳じゃありません」
リオンは言った。近づいて、帝の手を取った。
「兄上は帝です。兄上がいるだけで、城下の平和が保たれる。何より――わたしの心の支えになる。あなたは大切なひとです」
「ああ、君は――本当に、いい子に育ったんだね、きっと母上が育てたからだね」
トキワは切なくも優しく笑うのだった。
「それで? 私が呼ばれた訳はなんですか?」
チカゲが言った。
「こう言わせたいのでしょう。『一緒に行く』と」
カラタチがくすりと笑った。
「その通りです。我々の部下はほとんど顔が割れていますし――万が一のことを考えて姫君をお守りして欲しいのです。まあ断って頂いても構いませんが」
「断れないと分かっていて仰るのですね?」
チカゲはムッとしていた様子だけれど、真剣だった。
カラタチはただただ微笑むばかり。結局チカゲも同行することになったのだった。
帰り道の廊下でチカゲがぼやいた。
「ああ頭にクる! ワタシ、やはりあの陰陽師嫌いです!」
「まあまあそう言わず。断れないって言ったのは――わたしが心配だったから?」
リオンが少し微笑みを浮かべて言うと、彼はむすっとしたまま答えた。
「そうですよアナタは手がかかるから。無茶もするし。そばにいてやれるのがワタシしかいないのなら――断れないでしょう」
リオンは思わず愛おしくなって、背伸びをした。頬にキスしようとしたが止められた。
「駄目です」
「なんで」
「何故いいと思ったんですか? どうかしてるんですか? 帝のいる城内ですよ? 誰かに見られたらどうするんです?」
「ここじゃなきゃいいの?」
「ああ言えばこう言う」
「でも本当の拒絶はしないんだね」
にっこり笑うリオンに、チカゲは深くため息を吐いた。どこか苦悩しているようにすら見えた。
宿に帰った後も彼は疲れた顔をしていた。
畳に座る彼にリオンは声をかける。
「ごめんね、困らせた?」
「ええそうですね困りましたよ。……そういえばクロサギが帰ってきていませんね」
「うん、よく寄り道するから今日も――ってうわっ!?」
不意にリオンは押し倒された。チカゲが何をするでもなく、しかし酷く切ない目でこちらを見下ろしていた。
「ワタシも男です。いい加減理解してください」
「そんなこと知って……」
「何も分かっちゃいない」
いつだったか――遠い紅葉の湖で叫んだように、彼はリオンを見下ろしたまま、声を荒げる。
「ワタシの立場が分かりませんか? お望みなら口づけして差し上げましょう。手酷く抱いてやったっていいんです。なのにアナタは――アナタは――!! どんどんワタシの手の届かないところに行ってしまう!!」
泣きそうな声で言うものだから、リオンは彼の頬に手を添えた。
「わたしはただの女の子だよ」
彼の赤い目が溶けるようにして揺らいだ。
「分かっています、分かってるけれど――ワタシは怖い。アナタが遠くに行ってしまうのが。失うのが」
「大丈夫だよ」
リオンは微笑んだ。
「わたしはどこにも行かない。いなくなったりしない」
ぽとりとチカゲの目から涙が落ちた。
「破ったら赦さない」
「うん、分かった」
そのまま彼が、かがみこんでくる。この流れはまさか、とリオンは思う。もしかして彼から口づけを――、
「あ、何してんの!!」
丁度帰ってきたらしいクロサギが声を上げた。鳥の姿だった。
「リオンを襲おうってんじゃないだろうな!」
チカゲが眉を顰めた。
「…………何故このタイミングで」
「リオンから離れろよ!! だいじょーぶリオン!?」
チカゲと無理矢理引き離されたリオンは「う、うん」と生返事をした。
気のせいじゃない。彼はキスをするつもりだった。重なりそうになった自分の唇に手を当てる。チカゲを見れば赤くなっていたが、そのままどこかへ出かけようとしているところだった。クロサギが声を上げる。
「あー逃げんのチカゲ!」
「うるさいですね少し頭を冷やしてくるだけです」
そう言ってチカゲはさっさと出て行ってしまった。
「リオン……?」
クロサギが声をかけてくる。
リオンはぼーっとしていた。チカゲの熱い瞳が、切なく掠れた声が忘れられなくて、心臓が音を立てていた。
彼は何かを気にしていた――恐らく、身分の違いを。
そして失うことを。
彼のためにも下手なことで死ぬわけにはいかないと、リオンは思ったのだった。
*
それから二日後、リオンとチカゲはカラタチからの偽の推薦状を手に、スオウの城へ向かうこととなった。
リオンは女官の格好を、チカゲは武士の姿を装って。
「二人で乗り込んで大丈夫なんですか?」
リオンが少し心配そうに言うと、カラタチは余裕そうに笑っていた。
「今回は用心棒を雇っています、大丈夫でしょう」
チカゲのことではなさそうだ。だが用心棒など姿は見当たらない。信憑性に欠けるが、信じるべきだと言い張ってしまったのはリオンである。ただ兄の力になりたい一心で、そのまま任務を遂行することにした。
スオウの本丸は帝都より離れた北西にあった。二人はそこへ乗り込んだのだ。
カラタチの推薦状はそれなりの効果があった。
スオウの部下の一人が尋ねてくる。
「カラタチからの推薦状――お前達二人をスオウ様の部下に、と。あの陰陽師、人を見る目だけはあるが、何やら企んではいまいな?」
リオンは済まして言った。
「わたし達はカラタチ様の意見に従っただけです」
「ふん、おおよそトキワ様との交渉にでも持っていくつもりだろう。まあいい、スオウ様は退屈しておいでだ。夜になったら呼ばれるだろう。それまで待機をしておけ」
そう言われてリオンとチカゲは待たされることになった。
リオンの使命はスオウについて調べること。彼の背後には何者かがついているとのことだ。それを調べろとカラタチに言われた。それから使われていない倉庫を確認してきて欲しいとも。
「倉庫に何か隠してるんでしょうかね」
リオンはチカゲに耳打ちした。
「さあどうでしょう。使われていない――というのが気になりますが、その分警備は手薄ですし、行くだけ行ってみましょう」
敵の本丸の敷地内には、立派な宝物庫とは別の、古びた倉庫があった。見張りはいない。他の場所に回されているようだった。
リオンが目で合図をして、チカゲがかんぬきをあけた。
中は暗く、埃っぽい。昼間だからかろうじて見えるほどだ。
「けほっこほ、カラタチさん、こんな所に何を調べろと――」
リオンは中を見てハッとした。瞳を大きく揺らがせた。
「ぁ、あ――」
そこには鎧があった。それは銀色だった。いくつもいくつも並んで。銀竜村を襲った男達の着ていたものだった。
「リオンさん? っ――!」
リオンは膝をついた。そう、そうだあの日。炎の燃える中男達は銀竜村の人々を殺した。血に濡れた赤に染まり。銀の鎧はそこにあった。
見た目はどう見ても海の向こうのアルジェントのもの。でも違ったのだ。
アルジェントではもう使われていないというこの鎧を――誰かが――スオウが部下に盗ませた。そしてアルジェントの人間を装って銀竜村を焼いた。
一体何のために?
「はーっはっ、はっ」
王都の人間をみんな殺してやると、幼い頃息巻いた。あの熱い怒りが胸に渦巻いた。すべては間違いだった。
敵が違うと、廃屋の広がる村で言われたはずだ。槍を持った鎧の死体があそこにはあった。槍を持って戦うのは東雲大陸の人間だ。
そしてこの鎧はスオウの部下が着ていた。
――――お父さんと、お母さんを、村のみんなを。スオウが部下に殺させた。
その事実が体中を駆け巡る。
「ゆるさない、ゆるさないゆるさない……」
ぶつぶつと呟く少女の背後でチカゲが言った。
「リオン……リオンさん、落ち着いてください」
リオンは深く、深く息を吐いた。
「分かってる。こんなところで、感情的に、なってはだめなの」
分かっている。分かっているのだ。
抱きしめて欲しかった。チカゲに抱きしめて欲しい。でもここは敵の本丸だ。そんなことは言っていられない。
と、不意にチカゲの目つきが変わった。彼はふらふらと倉庫の奥に行き、居並ぶ銀の鎧の横に積まれた箱やら何やらの上に乗った、本を一冊手に取った。
「これは……」
ぱらりぱらりと捲り、彼はつぶやいた。
「ツクヨミ様……」
「え?」
「つ、くよみ様の品です。かつて名も知らぬ武士達がワタシを殺そうとした。庇ったツクヨミ様は殺された。でもあんな辺境の地に何故彼らはいたのでしょう!? なぜ書物がここに!?」
明らかに動揺しているチカゲを、落ち着かせなければとリオンは思った。お互いに、どうかしていた。
「落ち着いて、落ち着いてチカゲさん。わたし達、ここでボロを出してはいけないの。わたし達はいわば密偵です。わたしの両親だけじゃない――あなたの大事なお師匠様を殺したのがスオウの部下なら――それを確かめなければ」
「ああ、ええそうですね。ワタシとしたことが、取り乱しました……」
「わたしも人のこと言えないもん」
リオンは無理をして笑って見せたが、チカゲは眉を顰めた。
「無理して笑わなくとも良いんです。今夜だけ乗り切りましょう。そして無事に帰りましょう」
「うん……うん、ありがと」
リオンはほう、と息を吐いたけれど、まだあのとぐろを巻く感情は消えてはくれなかった。
スオウに会って、なんとしてでも聞き出さねばならないと思った。
夜になり、リオンとチカゲはスオウに呼び出された。彼の本丸はトキワの城より少し小さく、造りは似ていた。だが向こうで流れていた穏やかな空気とは違い、どこか緊迫感があった。
背後で襖が閉められる。
スオウが目の前に座っていた。
「カラタチからの推薦状を読んだぞ。リオンとチカゲと言うのか。どうも仕事がよくできるとか。あの男とは子どもの頃から顔見知りだ。だが唐突に推薦状を送ってくるというのもおかしな話じゃないか?」
リオンは静かにスオウを見る。彼は笑った。
「信用に足る証拠を見せてほしいところだ。そうだ、俺と『遊び』をしないか?」
「どういう意味です」
スオウが部下の一人を呼び、何かを持って来させた。それは双六と、酒の瓶、そして杯だった。
「俺と双六遊びをしよう。負けた方は酒を一杯飲み、勝った方の質問に答えるんだ」
思ってもない好奇だ。おそらくスオウはこちらの素性を探るためにこの戯れを採用したのだろう。だがリオンにはチャンスであった。




