帝都の兄妹
*
チカゲの機嫌は良くなかった。最悪だった。
リオンが帝都に行くことになったのだ。カラタチに言いくるめられ、兄に会いに行くことになったのだった。
桜には苦い思い出があった。始まる前に終わった失恋が。
それを上書きしようと、リオンは言ったのだ。
実際、かつての記憶は忘れられず、けれどもリオンとのやりとりも忘れられない思い出になった。
そんな大切な思い出を作っておいて――帝都に行くなんて。どんどん彼女が自分から離れていくようだ。まるでかつて恋した人みたいに。
これじゃ悲しみの繰り返しだ。「上書きしよう」そう言った責任を取れ。
リオン――凛音。
「それじゃお前もついて行くわけ?」
ダリウスはいつもみたいに通りで商品を売っていた。
「ええそうなります。今度はいつ戻ってくるか分かりません」
「そんな気はしたよ」
ダリウスが寂しげに言った。
「よく分かんないけど、あの陰陽師偉いところの手先なんだろ?」
「手先? ふふ、まあ、そんなところです。悪い人なのかよく分かりませんが、手癖は良くないですね」
「まさかそいつ嬢ちゃんに手出ししようってんじゃ、」
「ああ誤解なさらないで下さい。この話はどうでもいいんです。とにかくリオンが行くなら――ワタシも行きます」
ダリウスはじっとこちらを見た。
「なぜ行くんだ? 愛しているから?」
チカゲは珍しく微笑んだ。寂しげな笑みだった。
「ええ、そうです」
*
帝都までの道のりは歩いて四日だ。東雲大陸の真ん中にある。アケボノ村からは北東だ。
リオンはカラタチとチカゲ――そしてなぜかついてきたクロサギと、帝都に向かっていた。
「帝都はあなたには向きませんよ」
旅立ちの時、カラタチはクロサギに言ったのだ。
「妖は特にバレると面倒なことになります。まあ隠し通せば問題ありませんが」
「構わない、俺リオンの力になりたいんだ!」
クロサギの動機は思いの他純粋だった。リオンは感動した。
「チカゲにも助けてもらったしね! あとおいしいものいっぱいあるって聞いた!」
リオンは感動して――苦笑した。クロサギの動機は――まあ純粋すぎた。
「帝に気に入られれば美味しいもの貰えるでしょ!」
カラタチはつまらなそうな目をしていた。
「あなたのような妖、城に入れたくはありませんが。穢らわし――ンン、粗野ですし。まあ害意がないのであれば、姫君のご意向に委ねますよ」
そんなこんなで一行は森の中を歩き続け、やがて帝都に到着した。
帝都は城を中心とした城下町が広がっている。
「すげー! でっかい!」
クロサギが居並ぶ店や向こうの城を見て、感動した声を上げていた。
「クロサギは帝都に来るの初めてなの?」
「うん! 俺ずっとビワのところで働かされていたから」
つかぬことを聞いたとリオンは気まずくなったが、本人は気にしていないようだ。
あれがすごい、これがすごい、と目を輝かせている。
リオンも普段ならそうしていただろう。なんせ居並ぶ店はアケボノ村とはまるで品揃えが違う。アケボノ村には海産物が多く、こちらは内陸で手に入る物品が多い。
リオンは緊張と不安の中にいた。
兄に会うのだ。カラタチ曰くやさしい人だと言うが、まああの陰陽師のことなのであまり信用できないでいた。
チカゲはアケボノ村を出てから口数が少なく、何を考えているのか分かったものじゃない。
「えっと……チカゲさんはここに来たことは?」
「帝都ですか? かつてツクヨミ様とあちこちを旅しましたから――最後はタソガレ村に落ち着きましたが――ここへ来たこともありますよ」
チカゲは言った。リオンは時々心配になる。
彼がもう賢者の石を狙っていないと信じてはみたいものの、ことあるごとに彼の過去の話にはツクヨミ様が登場するからだ。まあずっと一緒にいたのだろうから、当然ではあるが。
帝都は賑やかだった。馬車が当たり前のように行き交っている。貴族が乗っていると言うよりは、荷台を運んでいた。
「実質、帝都の権力者は帝ただ一人です」
カラタチが得意げに言った。
「ま、もう一人面倒なのがいますけれど――その話は置いておきましょう」
帝都に来たカラタチは何やら活気があった。まあ本拠地なのかもしれない、時折やたらと饒舌になるのだった。
「この赤い橋は昔は吊り上げ式のものでした。城を囲む川は昔は堀として使われていたんですね。近年は戦は起こらず、生じる場合も皆都を壊すことを避けたものですから、使われなくなり、今やここに掛かるのは、こうした美しい赤い橋となったのです」
「はぁ」
チカゲは面倒そうだった。クロサギは楽しそうに橋の下を覗いている。
「見てリオン! 綺麗な魚がいるよ!」
「どれ?」
掘だったと言われた川には魚が何匹も泳いでいる。鯉だ。赤も白黒も、金もいる。
「あれは鯉だよ、綺麗だねえ――てちょっと!」
今にも飛び込もうとするクロサギをリオンは抑えた。
「何してんの!」
「食べたらおいしいかなと――ああ、人間じゃなく鳥の姿の方が、」
「そういう問題じゃなくて! お城の魚を取ったらダメ!」
「ダメなの?」
「ダメ!」
こんなんで帝にお目通りして大丈夫かなぁ、とリオンは心配になる。カラタチなんか舌打ちをしていた。
「下賎な妖風情が。不愉快極まりありませんね」
言いながら息をついていた。
城の門番に何か伝え、少し考えた後意外なことにクロサギにも許可を出した後、門の中へ入った。
立派な城だった。
「すげぇ……。きっとビワが欲しがるよ」
クロサギの素直な感想にカラタチが眉を顰めた。
「本当に口の減らない鳥ですね。あなたはそこの部屋で待っていなさい」
廊下を通り、案内された部屋に、クロサギは大人しく入った。障子が閉められる。
カラタチが微笑んで歩こうとした時、叫び声が聞こえた。
「出して! 何これ!? 結界だ!! 出してよ!!」
リオンは思わずカラタチを睨んだ。
「クロサギに何をしたの!?」
「別に。閉じ込めただけです。そこの障子は開きませんし破けもしませんよ。あらかじめ術を掛けてあります。まあビワの部下であったのですから、これぐらいは当然でしょう」
珍しくチカゲが眉根を寄せた。
「クロサギに危害を加えないでください」
「危害? まさか! ただあまりに失礼な鳥なので閉じ込めただけですよ。帝との話が終わる頃には出して差し上げます、おそらくはね」
おそらく、という言葉にリオンはムッとしたが、とりあえず下手な動きができないということは分かった。
やがて長い廊下を進み、曲がり、そんなことを繰り返して、いくつもの部屋を過ぎた後、大きなふすまの前に来た。
カラタチが声をかけると、女中がふすまを開ける。
その先には若い青年が座っているのが見えた。
リオンは近づいたが、一歩一歩進むことが、どこか恐ろしく思えた。
わたしの、肉親。
もういなくなったはずの、家族。
――――今更、今更何を言えば、
「やあ、座って。君がリオンか」
やさしい声の人だった。焦茶の髪に烏帽子を被り、緑の着物を纏っている。おそらく五つくらい歳上だろう。
「僕はトキワ。君の兄だよ」
――――ふざけるな。
最初に浮かんだのは怒りだった。リオンは大人しく座ったものの、胸に渦巻く怒りを抑えていた。こんなはずではなかったのに、彼が目に入った瞬間、やさしく微笑み掛けた瞬間――自らを兄だと名乗った刹那――その怒りは沸き起こったのだ。
隣に座ったチカゲが心配そうな目をしているのも気づかなかった。
「隣の君は、ええと?」
カラタチが口添えした。
「彼はチカゲです、報告書でお伝えしたでしょう、あなたが会いたいと仰っていたので」
「ああ、なるほど。ふむ――まあいいや。さあリオン、顔を見せて、君のことはカラタチから聞いていた。ずっと会いたかったんだ。僕達は半分血の繋がった兄妹で――」
「お母さんを、」
とぐろを巻く蛇のような怒りが、首をもたげた。
「何故、助けてくれなかったのですか」
リオンは恐ろしい目で帝を睨んだ。
「何故! 何故ですか! あの村が襲われた時、あなたは帝の息子であったのでしょう。何故母を助けなかったのですか! 何故!!」
「リオンさん!」
チカゲが声を上げたが今のリオンには届きはしなかった。
「わたしの家族は父と母だけです。カラタチさんに促されてここに来ましたが――来なければよかった。母が殺された時、あなたは城でのうのうと暮らしていた。――今更よくも、」
トキワの瞳が悲しそうに揺れた。
「リオン」
「あなたなどわたしの兄じゃない!!」
リオンは叫んで立ち上がった。
「リオン!!」
兄と名乗った青年が叫んだ。知るものか。
リオンは駆け出し、ふすまをばんと開けて廊下を走って行った。
ああお母さん、お父さん。
わたしは今さらどうすれば良かったの。
視界が滲んだ。
なんて子どもじみたことを。
でも何事もなかったように笑う青年相手に、突然湧き上がった怒りを、このやるせない悲しみを吐き出さずにはいられなかったのだ。
廊下を走って行けば、赤毛の青年とぶつかりそうになり、嗜められた。
「ああ、廊下を走るなんて危ないよ、俺もよく怒られるけど」
彼はリオンを見て瞬きした。
「泣いてるの?」
リオンの目から涙が落ちた。
「ああ泣かないで。俺のこと覚えてる? カガリだよ。――ほら、悲しい時はこれを食べるといいよ」
彼はこんぺいとうを差し出した。星くずみたいだった。
リオンは思い出す。どこか奔放で、掴みどころのない彼のことを。ずっと前にもこんぺいとうをくれたのだ。
「あ、ありがとう」
リオンはこんぺいとうを食べた。甘い。
「あんたやっぱりお姫様だったんでしょ? 前に銀竜村のことを尋ねたのはその調査だったんだ。嫌な思いをさせたなら謝るよ」
「…………」
「帝と会ったんじゃないの? なぜ泣いてる? 彼は酷い兄貴だった?」
「あなたはこの城で働いてるはず。……知ってるくせに」
そう、トキワは優しかった。非の打ち所がないような人だった。
カガリが悲しげに笑う。
「俺帝と一緒に育ったよ。立場は違ったけど。武士としてね。――トキワ様が嫌い?」
「いいえ――いいえ、ただ、赦せないの。あの人はお母さんを助けなかった。助けられる立場にあったのに」
「本当にそうかな?」
カガリは持っていた長い槍をくるりと回した。
「父親が乱暴な権力者で、周りに暴力を振るっていたら? 子どもの声を聞こうとしない親だったら?」
「…………そんなの、」
「ねえお姫様、結果論だよ。あんたはきっと両親に愛されて育った。その結果何もかも失ったとしても、愛されてはいたんだ。トキワ様は国一番の後継だった。その代わり母親には捨てられたのさ」
「っ」
「同情しろなんて言ってないよ。ただトキワ様に残された肉親はあんただけで、それがどれだけ重要か、もう一度考えた方がいいよって話」
風が吹き、彼の赤い髪が炎のように揺れた。綺麗だと思った。
「わたし、」
「これあげるよ」
カガリは小さな箱を取り出した。開ければこんぺいとうがたくさん入っていた。
「俺よく持ち歩くんだ。また欲しくなったら言ってね」
そう言ってカガリは行ってしまった。リオンはまた一粒口に入れた。それは口の中で星のように溶けた。




