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帝都の兄妹



チカゲの機嫌は良くなかった。最悪だった。

リオンが帝都に行くことになったのだ。カラタチに言いくるめられ、兄に会いに行くことになったのだった。


桜には苦い思い出があった。始まる前に終わった失恋が。

それを上書きしようと、リオンは言ったのだ。

実際、かつての記憶は忘れられず、けれどもリオンとのやりとりも忘れられない思い出になった。

そんな大切な思い出を作っておいて――帝都に行くなんて。どんどん彼女が自分から離れていくようだ。まるでかつて恋した人みたいに。

これじゃ悲しみの繰り返しだ。「上書きしよう」そう言った責任を取れ。

リオン――凛音。


「それじゃお前もついて行くわけ?」

ダリウスはいつもみたいに通りで商品を売っていた。

「ええそうなります。今度はいつ戻ってくるか分かりません」

「そんな気はしたよ」

ダリウスが寂しげに言った。

「よく分かんないけど、あの陰陽師偉いところの手先なんだろ?」

「手先? ふふ、まあ、そんなところです。悪い人なのかよく分かりませんが、手癖は良くないですね」

「まさかそいつ嬢ちゃんに手出ししようってんじゃ、」

「ああ誤解なさらないで下さい。この話はどうでもいいんです。とにかくリオンが行くなら――ワタシも行きます」

ダリウスはじっとこちらを見た。

「なぜ行くんだ? 愛しているから?」

チカゲは珍しく微笑んだ。寂しげな笑みだった。

「ええ、そうです」



帝都までの道のりは歩いて四日だ。東雲大陸の真ん中にある。アケボノ村からは北東だ。

リオンはカラタチとチカゲ――そしてなぜかついてきたクロサギと、帝都に向かっていた。


「帝都はあなたには向きませんよ」

旅立ちの時、カラタチはクロサギに言ったのだ。

「妖は特にバレると面倒なことになります。まあ隠し通せば問題ありませんが」

「構わない、俺リオンの力になりたいんだ!」

クロサギの動機は思いの他純粋だった。リオンは感動した。

「チカゲにも助けてもらったしね! あとおいしいものいっぱいあるって聞いた!」

リオンは感動して――苦笑した。クロサギの動機は――まあ純粋すぎた。

「帝に気に入られれば美味しいもの貰えるでしょ!」

カラタチはつまらなそうな目をしていた。

「あなたのような妖、城に入れたくはありませんが。穢らわし――ンン、粗野ですし。まあ害意がないのであれば、姫君のご意向に委ねますよ」


そんなこんなで一行は森の中を歩き続け、やがて帝都に到着した。


帝都は城を中心とした城下町が広がっている。

「すげー! でっかい!」

クロサギが居並ぶ店や向こうの城を見て、感動した声を上げていた。

「クロサギは帝都に来るの初めてなの?」

「うん! 俺ずっとビワのところで働かされていたから」

つかぬことを聞いたとリオンは気まずくなったが、本人は気にしていないようだ。

あれがすごい、これがすごい、と目を輝かせている。

リオンも普段ならそうしていただろう。なんせ居並ぶ店はアケボノ村とはまるで品揃えが違う。アケボノ村には海産物が多く、こちらは内陸で手に入る物品が多い。


リオンは緊張と不安の中にいた。

兄に会うのだ。カラタチ曰くやさしい人だと言うが、まああの陰陽師のことなのであまり信用できないでいた。

チカゲはアケボノ村を出てから口数が少なく、何を考えているのか分かったものじゃない。


「えっと……チカゲさんはここに来たことは?」

「帝都ですか? かつてツクヨミ様とあちこちを旅しましたから――最後はタソガレ村に落ち着きましたが――ここへ来たこともありますよ」

チカゲは言った。リオンは時々心配になる。

彼がもう賢者の石を狙っていないと信じてはみたいものの、ことあるごとに彼の過去の話にはツクヨミ様が登場するからだ。まあずっと一緒にいたのだろうから、当然ではあるが。


帝都は賑やかだった。馬車が当たり前のように行き交っている。貴族が乗っていると言うよりは、荷台を運んでいた。

「実質、帝都の権力者は帝ただ一人です」

カラタチが得意げに言った。

「ま、もう一人面倒なのがいますけれど――その話は置いておきましょう」

帝都に来たカラタチは何やら活気があった。まあ本拠地なのかもしれない、時折やたらと饒舌になるのだった。

「この赤い橋は昔は吊り上げ式のものでした。城を囲む川は昔は堀として使われていたんですね。近年は戦は起こらず、生じる場合も皆都を壊すことを避けたものですから、使われなくなり、今やここに掛かるのは、こうした美しい赤い橋となったのです」

「はぁ」

チカゲは面倒そうだった。クロサギは楽しそうに橋の下を覗いている。

「見てリオン! 綺麗な魚がいるよ!」

「どれ?」

掘だったと言われた川には魚が何匹も泳いでいる。鯉だ。赤も白黒も、金もいる。

「あれは鯉だよ、綺麗だねえ――てちょっと!」

今にも飛び込もうとするクロサギをリオンは抑えた。

「何してんの!」

「食べたらおいしいかなと――ああ、人間じゃなく鳥の姿の方が、」

「そういう問題じゃなくて! お城の魚を取ったらダメ!」

「ダメなの?」

「ダメ!」

こんなんで帝にお目通りして大丈夫かなぁ、とリオンは心配になる。カラタチなんか舌打ちをしていた。

「下賎な妖風情が。不愉快極まりありませんね」

言いながら息をついていた。

城の門番に何か伝え、少し考えた後意外なことにクロサギにも許可を出した後、門の中へ入った。


立派な城だった。

「すげぇ……。きっとビワが欲しがるよ」

クロサギの素直な感想にカラタチが眉を顰めた。

「本当に口の減らない鳥ですね。あなたはそこの部屋で待っていなさい」

廊下を通り、案内された部屋に、クロサギは大人しく入った。障子が閉められる。

カラタチが微笑んで歩こうとした時、叫び声が聞こえた。

「出して! 何これ!? 結界だ!! 出してよ!!」

リオンは思わずカラタチを睨んだ。

「クロサギに何をしたの!?」

「別に。閉じ込めただけです。そこの障子は開きませんし破けもしませんよ。あらかじめ術を掛けてあります。まあビワの部下であったのですから、これぐらいは当然でしょう」

珍しくチカゲが眉根を寄せた。

「クロサギに危害を加えないでください」

「危害? まさか! ただあまりに失礼な鳥なので閉じ込めただけですよ。帝との話が終わる頃には出して差し上げます、おそらくはね」

おそらく、という言葉にリオンはムッとしたが、とりあえず下手な動きができないということは分かった。


やがて長い廊下を進み、曲がり、そんなことを繰り返して、いくつもの部屋を過ぎた後、大きなふすまの前に来た。

カラタチが声をかけると、女中がふすまを開ける。

その先には若い青年が座っているのが見えた。

リオンは近づいたが、一歩一歩進むことが、どこか恐ろしく思えた。


わたしの、肉親。

もういなくなったはずの、家族。

――――今更、今更何を言えば、


「やあ、座って。君がリオンか」

やさしい声の人だった。焦茶の髪に烏帽子を被り、緑の着物を纏っている。おそらく五つくらい歳上だろう。

「僕はトキワ。君の兄だよ」


――――ふざけるな。


最初に浮かんだのは怒りだった。リオンは大人しく座ったものの、胸に渦巻く怒りを抑えていた。こんなはずではなかったのに、彼が目に入った瞬間、やさしく微笑み掛けた瞬間――自らを兄だと名乗った刹那――その怒りは沸き起こったのだ。

隣に座ったチカゲが心配そうな目をしているのも気づかなかった。


「隣の君は、ええと?」

カラタチが口添えした。

「彼はチカゲです、報告書でお伝えしたでしょう、あなたが会いたいと仰っていたので」

「ああ、なるほど。ふむ――まあいいや。さあリオン、顔を見せて、君のことはカラタチから聞いていた。ずっと会いたかったんだ。僕達は半分血の繋がった兄妹で――」

「お母さんを、」

とぐろを巻く蛇のような怒りが、首をもたげた。

「何故、助けてくれなかったのですか」

リオンは恐ろしい目で帝を睨んだ。

「何故! 何故ですか! あの村が襲われた時、あなたは帝の息子であったのでしょう。何故母を助けなかったのですか! 何故!!」

「リオンさん!」

チカゲが声を上げたが今のリオンには届きはしなかった。

「わたしの家族は父と母だけです。カラタチさんに促されてここに来ましたが――来なければよかった。母が殺された時、あなたは城でのうのうと暮らしていた。――今更よくも、」

トキワの瞳が悲しそうに揺れた。

「リオン」

「あなたなどわたしの兄じゃない!!」

リオンは叫んで立ち上がった。

「リオン!!」

兄と名乗った青年が叫んだ。知るものか。

リオンは駆け出し、ふすまをばんと開けて廊下を走って行った。


ああお母さん、お父さん。

わたしは今さらどうすれば良かったの。

視界が滲んだ。

なんて子どもじみたことを。

でも何事もなかったように笑う青年相手に、突然湧き上がった怒りを、このやるせない悲しみを吐き出さずにはいられなかったのだ。


廊下を走って行けば、赤毛の青年とぶつかりそうになり、嗜められた。

「ああ、廊下を走るなんて危ないよ、俺もよく怒られるけど」

彼はリオンを見て瞬きした。

「泣いてるの?」

リオンの目から涙が落ちた。

「ああ泣かないで。俺のこと覚えてる? カガリだよ。――ほら、悲しい時はこれを食べるといいよ」

彼はこんぺいとうを差し出した。星くずみたいだった。

リオンは思い出す。どこか奔放で、掴みどころのない彼のことを。ずっと前にもこんぺいとうをくれたのだ。

「あ、ありがとう」

リオンはこんぺいとうを食べた。甘い。

「あんたやっぱりお姫様だったんでしょ? 前に銀竜村のことを尋ねたのはその調査だったんだ。嫌な思いをさせたなら謝るよ」

「…………」

「帝と会ったんじゃないの? なぜ泣いてる? 彼は酷い兄貴だった?」

「あなたはこの城で働いてるはず。……知ってるくせに」

そう、トキワは優しかった。非の打ち所がないような人だった。

カガリが悲しげに笑う。

「俺帝と一緒に育ったよ。立場は違ったけど。武士としてね。――トキワ様が嫌い?」

「いいえ――いいえ、ただ、赦せないの。あの人はお母さんを助けなかった。助けられる立場にあったのに」

「本当にそうかな?」

カガリは持っていた長い槍をくるりと回した。

「父親が乱暴な権力者で、周りに暴力を振るっていたら? 子どもの声を聞こうとしない親だったら?」

「…………そんなの、」

「ねえお姫様、結果論だよ。あんたはきっと両親に愛されて育った。その結果何もかも失ったとしても、愛されてはいたんだ。トキワ様は国一番の後継だった。その代わり母親には捨てられたのさ」

「っ」

「同情しろなんて言ってないよ。ただトキワ様に残された肉親はあんただけで、それがどれだけ重要か、もう一度考えた方がいいよって話」

風が吹き、彼の赤い髪が炎のように揺れた。綺麗だと思った。

「わたし、」

「これあげるよ」

カガリは小さな箱を取り出した。開ければこんぺいとうがたくさん入っていた。

「俺よく持ち歩くんだ。また欲しくなったら言ってね」

そう言ってカガリは行ってしまった。リオンはまた一粒口に入れた。それは口の中で星のように溶けた。



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