リオンの正体
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アケボノ村に戻った後、一晩が経ち、リオンはカラタチの仮宿に呼ばれた。
なぜかチカゲも同席させられた。
リオンはてっきりカラタチと二人きりで話すものだと思っていたから――少し意外に思った。
「ま、私にその気はないんですが、その男に何か疑われても困りますし」
カラタチはそう言った。チカゲが眉を顰めたが、カラタチの方は飄々としていて、顔色一つ変えなかった。
「それにこの件は――まあチカゲにも知っておいてもらった方が良いと思ったので、同席して頂いたのです」
リオンはすまして陰陽師を見た。彼は茶を飲んでいる。
「もったいぶってないで話してもらえませんか? わたしの母がその、ええと、帝の正室だとか言ってませんでした?」
「ええ、一代前の帝の話です。――事情は複雑なのですよ。まず前帝にあたるタイザン様は、今でこそ言えるのですが、横柄な方でした。アヤメ様は貴族ではありましたが、小さな家の出で、庶民のように暮らしていました。彼女には恋人がいたのです。ですが美しい方でしたから、タイザン様が目をつけましてね、半ば攫うようにして城へと連れて行き、無理矢理婚約させたのです」
リオンは呆然とそれを聞いていた。信じられなかった。
自分の知る母は編み物が好きで、髪をとかしたり、歌を歌ってくれたりするやさしい人だった。父と仲睦まじく、藤の花が咲き乱れる村で暮らしていた、それだけだ。
「アヤメ様は恋人と別れ、正室にさせられました。そうして生まれたのが現帝、トキワ様です」
トキワ帝、その名は聞いたことがある。まあ簡単に言えば、この大陸で一番偉い人――ということになっている。すべての地を管理している訳でもないが、建前はそうだ。帝都の一番の権力者。病弱だと聞いてはいるが。
カラタチは言った。
「タイザン様はまあその――乱暴な方でしてね、妾もたくさんいたのですが、よく乱暴を振るわれまして、アヤメ様も正室とは言え、例外ではありませんでした。そしてある日、アヤメ様は幼いトキワ様を残し、どこかへ消えてしまわれたのです」
返す言葉もなかった。それはつまり――
「アヤメ様は逃げ出して――まあ早い話が駆け落ちなされたのですよ。そして銀竜村に身を隠しました。そこであなたを身籠ったのです。つまりはリオンさん、あなたは現帝の妹君――姫君なのですよ」
リオンは絶句した。カラタチは当然のごとく続ける。
「今までのご無礼をお許しくださいね。こちらにも私情がありましたから――アヤメ様がそれほどまでに慕った相手が誰だったのか、そしてあなたが本当に彼女の娘だったのか、確かめたかったのです。ですからあのような方法を」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
リオンは声を上げた。
「そんなことを突然言われても困ります。第一わたしを見つけてどうしたかったんですか!」
「決まってるではありませんか」
カラタチは怖いぐらいにまっすぐな目をして言った。
「あなたは存ぜぬでしょうが、アヤメ様が受けた仕打ちは酷いものでした。逃げ出すのを知っていて、私は見過ごしたのです。言ったでしょう。『何もしなかった』と。それがあの方の幸せになると思ったのです。あなたには分かるまい。銀竜村にいるという情報を掴んだ時には、その村は滅びていた。あなたは彼女の忘れ形見。トキワ帝と半分血の繋がった肉親です。あなたを城へ連れて行き、幸せにすることが――」
「勝手なこと言わないで!!」
リオンは叫んだ。
「母のことを、哀れな人だと前に言いましたね!? 最後は確かにそうだったかもしれない。でもお母さんは幸せだった! 少なくともわたしにはそう見えた! それに忘れ形見って何!? 償いだかなんだか知らないけど、わたしで埋め合わせをするおつもりですか?」
ハッとカラタチの瞳が揺れた。リオンは続ける。
「わたしの幸せはわたしが決めます。それにお母さんはそんなことはきっと望んでいません。生きていたら、きっとわたしらしく生きろと言ってくれるはずです。わたしはお城に行く気なんかありません。これっぽっちも!!」
カラタチは言葉を失った。それでも懸命に続けた。
「参内しなくとも構いません。帝はいとこのスオウ様とは仲が悪いのです。妹君が存命でいらっしゃったと知れば、大層お喜びに――」
「母の捜索はいつ始まったのですか」
リオンの唐突な問いに、カラタチは少し動揺したけれど、真摯に答えた。
「タイザン様はアヤメ様がいなくなってから捜索を続けましたが――何しろ銀竜村は森の中の隠れた秘境でしたから――見つけることもできず、たった一年で捜索を打ち切りました。それから何年も経ち、タイザン様が亡くなり、トキワ様が即位してからです。つまり、十年ほどでしょうか」
「お母さんが死んでからずっと後じゃないですか!!」
リオンは声を荒げた。近くにいるチカゲが目を細めたが気づきもしなかった。
「お母さんのことを! 知ろうともせず! 助けもしなかった!」
「それは、タイザン様が存命の時、大層お怒りになり――捜索を打ち切った後も何もできなかったからで――」
「知ったような口を利かないで! 何も知らないくせに!!」
「姫君、」
「その呼び方もやめて!! 不愉快です!!」
リオンは叫んでカラタチの仮宿から飛び出した。
「ハア……行ってしまわれましたか」
カラタチは急須を置き、代わりに酒瓶を取り出した。そしてチカゲを見た。
「何故あなたを呼んだかお分かりですか?」
「…………」
チカゲにはもう分かっていた。悲しい事実だった。
「ワタシに彼女は不相応だと言いたいのでしょう」
「まあ、端的に言えばそういうことです。彼女がなんと言おうと帝のところへは連れて行きますよ。あの方はとても寂しい方なのです。妹君がいればきっと元気になるでしょう」
「リオンさんを利用するおつもりで?」
「利用? そんな気はありません。帝はやさしい方です。おそばで幸福に暮らして欲しいだけです」
「それが利用することに他ならないと言ってるんです! 彼女の幸せは彼女が決める。本人もそう言っていたでしょう」
「チカゲ」
うっそりとカラタチが笑った。
「認めたくないのでしょう? あの娘が――リオンさんが姫君であるという事実を。彼女がそれを受け入れれば、あなたはいずれ近づくこともできなくなる」
チカゲはわずかに息を呑む。カラタチは微笑んだ。
「諦めなさい。そして――くく、そうですね、私のものになってはいかがです?」
「は?」
「前に言ったじゃないですか。私男色でしてね。叶わぬ恋をするより私と――」
いつしか胸に這わされた手にぎくりとして、チカゲはぱしんとそれを跳ね除けた。
「おやおや、悪ふざけが過ぎましたか」
いいや、悪ふざけではない。恐らくこの男は本気だった。チカゲはそう思ったけれど、口には出さなかった。
「失礼します!」
腹が立つのを抑え、そのまま借宿を飛び出すようにして出た。
*
リオンは森の端っこで俯くようにして座り込んでいた。チカゲはおもむろに近づく。
「リオンさん」
木々がさやさやと風に揺れていた。もうすぐ春を知らせる風だった。だというのに、チカゲは失恋したような心地だった。
「チカゲさん……聞いていたでしょう、わたし、あんなこと突然言われても困ります! わたしはわたしで、でもお母さんにそんな過去があったなんて知らなくて、」
「……もうすぐ春になりますね」
「え? ええ、そうですね」
「アナタがしたいことは何ですか」
チカゲは尋ねた。少女の目は揺らいでいたけれど、どこか凛とした美しさを宿しているのだった。
「わたしのやりたいこと……警備隊の仲間と一緒に、皆を守ることです」
「ならそれを貫けばいいではないですか」
少女の目がハッとこちらを見た。どこか救われた目をする少女に、悲しげにチカゲは微笑んだ。
「けれどもしも――アナタが別の道を選んでも、ワタシは止めませんよ。他ならぬアナタの人生ですから」
「そ、それはわたしが城の人間になるとか、そういう話ですか」
「そういう話ですね」
「その気はないと……!」
「人間は変わる生き物です。そうワタシに教えたのはアナタです」
それは予防線だった。別の形で失うとは思わなかった。けれどその可能性が出てきたのだ。
結局この娘は手に入らない。
それどころか目の前にいるのに、その存在が遠ざかっていくようにすら思われた。
「ワタシはカラタチが好きではありませんが――彼の話は筋が通っています。仮にアナタの気が変わって、」
「そんなことは絶対ないよ!」
リオンはどこか泣きそうに言った。癇癪を起こした子どものように。
「わたしはただの女の子だよ。今更兄がいたなんて……! 帝の妹だなんて言われてもどうしたらいいか分かんないよ!」
「今まで通りにしていればいいんです」
「今まで通りって?」
「アナタが変わりたくないのなら……そのままでもいいんです」
きっとそれは難しいだろうけど、とチカゲは思う。
リオンの目から涙が落ちた。
「チカゲさん……」
「なんですか」
「わたしやっぱりあなたが好きです」
「そうですか」
この子は別れ道の途中にいる。
姫だという素性が分かった以上、告白なんてもうできないと、チカゲは思ったのだった。
*
「春だー!」
雪がすっかり溶けて、緑が芽吹く頃、クロサギが人間の姿ではしゃいでいた。
クロサギは妖であり、鳥の姿も人間の姿にもなれる。
普段は鳥の姿で、森の中や家々の軒先で暮らしているようだが、時折り人間の姿になることもあった。
クロサギがまた鍋を囲みたいと言い出したので、リオンは言った。
「鍋は冬しかやらないものなの」
「そうなの? 皆と一緒に食べたの楽しかったのに」
無垢に言う彼に、なんと答えるべきかリオンは迷った。彼はどうやらビワの所で酷い扱いを受けていたようだし、人間の常識も分かっていなかった。
何か彼に素敵な思い出を、もっと作ってあげたいと思った。
「それじゃ皆でお花見でもしようか」
「お花見? 花を見るの?」
「そうだよ」
クロサギは不思議そうにしていた。「もう少し桜が咲いてからね」とリオンが言うものだから、真面目に頷いた。
やがて桜が咲く頃、皆で集まってお花見をする予定を立てた。普段は警備隊として見回りをしているリオンだが、この日ぐらいはと知り合いをたくさん誘った。
警備隊の三人――隊長とシフォン、セザール。それからダリウスとチカゲ、それにクロサギ。
「近々花見をすると聞きました。私は誘ってくれないのですか姫君」
ある日の仕事帰り、笑みを浮かべたカラタチに声をかけられる。リオンは今、ちょっとだけこの人が苦手だ。彼といると決断を迫られる気がするから。他にも理由はあった。
「花見をしたいと言い出したのはクロサギです。あなた陰陽師でしょ? クロサギが怖がるんです」
そう、クロサギは彼が苦手だと言っていた。クロサギが村に住み着く時も、唯一いい顔をしなかったのはカラタチだ。
「当然です。アレはビワとかいう不届者の部下なのでしょう? スパイの可能性はないのですか」
「帝のスパイしてたあなたには言われたくありませんね」
からからと彼は笑った。
「姫君には敵いませんね」
「その呼び方やめてください」
「申し訳ありませんが、これだけは譲れません、ご容赦を」
リオンは眉を顰めた。
「クロサギを怖がらせないのなら来ても構いませんよ」
「ハァ、あんな取るに足りない妖と姫君が繋がっていることが不愉快ですが――まああなたがそう仰るなら良いでしょう、分かりました」
少し棘のあるような言い方はチカゲと似ているようで違う。チカゲはどういうわけか、文句を言いながらクロサギにやさしくしていた。過去にカラスと友達だったことがあるらしい。それと重ねているのかもしれない。
とりあえず断るのも憚られ、リオンは息をついた。
「分かりました、クロサギと喧嘩しないでくださいね」




