水浴びはほどほどに
*
年が明けたからと言って、何かが変わるわけもない。いや、変わったものもある。
クロサギの存在だ。
彼の存在は仲間の警備隊員にも知れ渡った。隊長が無害だと判断を下したところで、大事にはならなかったが。
唯一苦言を呈したのは、借宿に泊まっている陰陽師のカラタチだった。昨年霧の中を、船に乗って捜査をしに行った時、彼は同行したのだ。あれからずっと彼はこの村に滞在している。借宿もいい部屋を取っている。そのお金は一体どこから出ているのだろうかと、リオンはふと疑問に思うことはあったが、尋ねはしなかった。
陰陽師はあの長い黒髪に相変わらず烏帽子を被っていた。白い衣が対照的だ。
「リオンさん、そいつは仮にも妖なのですよ。ビワの部下であり、危険です。そもそもあなたがあの錬金術師と関わらなければビワに狙われることもないのですが」
「そんなこと言われても……。クロサギは今更ビワのところへ帰るつもりはないと言っているし、チカゲさんといるのはわたしの意志だし」
カラタチは静かに告げた。
「少し腹を割って話しましょうか。銀竜村のことです」
リオンは少し警戒した。チカゲは最初あの村の竜の伝説の噂を元に近づいて来たのだ。
カガリという男にも尋ねられた。目的は違ったけれど。
「その話をしてくる人は大抵何か裏があります。なんなんですか一体」
「まず、カガリと私の目的は同じだと言っておきましょう」
カガリ。リオンが怪我をして病院にいた時、金平糖をくれた男だ。それからシフォンと一緒にお祭りを回っていた。まあ情報収集のためだとバレて、シフォンに大層怒られていたが、本人はへらりとしていたのだ。
「私とカガリは訳あってアヤメという女性を探しています。カガリからも尋ねられたはずです」
「ええ聞かれました。知りませんよそんな人」
嘘だ。それはリオンの母であった。見知らぬ他人に、今は亡き故郷のことを尋ねられ、亡くなった母のことを聞かれるのは、思い出をずかずかと踏み荒らされるようなものだった。だからリオンは言いたくなかったのだ。
「私はね、リオンさん、どうしてもその女性の行く末を知りたいのですよ」
「そうですか。わたしには関係ないことです」
「本当に? あなたはあの方に似ているのです」
ぎくりとした。彼の言葉だけにではない。その声音に。まるで懐かしむような、悲しげな声音だった。
「あな、たは、……ええと、その人の知り合い?」
「お母さんの」と言いそうになってなんとか気をつけた。
「ええ、あの方はやさしくもお強い方でしたよ」
「強い? 剣が?」
母が剣を使ったところなど見たこともない。いつだってやさしく、慈しむような目をしてリオンを撫でてくれた。
カラタチは言った。まるで遠くに思いを馳せるように。
「いいえ、あの方は剣など使いませんでしたよ。ただお強い方でした」
まるで懐かしむような言い方に、思わず尋ねた。
「……その人に、恋でもしていたの?」
「はは、まさか」
カラタチは悲しげに笑った。
「ただ救いたかったのですよ。あの人は……いつだってやさしくて、哀れな人だったから」
「そんなことないよ!!」
その言葉に不意にカッとなってリオンは叫んだ。
「お母さんは、最後は、最後はあんなだったけど、哀れなんかじゃないよ! あわれなんかじゃ……!」
――――凛音。私のかわいい凛音。
笑って髪を撫でてくれた母。一緒に遊んでくれたひと。いとしいいとしいおかあさん。
「なんにも知らないくせに……!!」
そこまで言ってリオンはハッとした。「お母さん」とつい言ってしまったことに気づいた時には、カラタチが恐ろしいほどにこちらを凝視していた。
「みつけた」
彼はリオンの肩に手を置き、じっと見下ろした。
「あの方の忘れ形見――やはりその血を引いておられるのですか」
リオンは思わず刀を抜いた。
「近寄らないで。あなたに何が分かるというの! あなたのことなんかお母さんはひとっことも喋ってなかった!!」
「ええ、ええ、そうでしょうとも」
悲しそうに、やはり彼は微笑むのだった。
「言うはずがありません」
リオンは眉を顰めた。
「お母さんに何をしたの!!」
「何も、しませんでした」
淡々と、けれども揺れる灯火のようにカラタチは告げた。
「なにも、しなかったのです」
どうも様子がおかしかった。見上げたリオンに、彼は言った。
「銀竜村に、案内して頂けませんか」
「残酷なことを言うのですね。あの村はもうありません」
「あった場所で構わないのです。そこに行けば何かが分かるかもしれない」
「お母さんは殺されました。どうしてこんなことを、今更、言わなきゃいけないんですかっ、あそこにはもう何もない!」
「そうですか……ではあなたのお父様は?」
リオンはわずかに後ずさった。
「あの方が誰と結ばれたのか知りたいのです。あなたは一体誰の娘なのです」
「お父さんは――」
リオンの目が揺らいだ。父は時折どこかに行っていた。父の名を――リオンは知らない。「お父さん」と呼んでいたから。
チカゲはリオンを竜の娘だとかぬかしたことがあった。馬鹿げたことだとリオンはその時思ったのだけれど、確かに村には竜の伝説があった。信じている人も、そうでない人もいたけれど。
混乱したまま、彼に問うた。
「あなたも賢者の石を狙っているのですか?」
「は? 賢者の石?」
カラタチは眉を顰めた。
「違います。アヤメ様がどうなったのか私は知りたいのだ! そしてあなたが何者なのか!」
どうも普通ではない剣幕だった。
「そこまでにして差し上げてはいかがです?」
静かな声が割って入った。チカゲだった。
「彼女の過去は色々あったようですから。ワタシもまあ踏み込んだことはありますから、人の事は言えませんが――ほどほどにされた方が良いかと」
自分との間に割って入るチカゲを見て――守ってくれているのだとリオンは気づいた。かつて彼はリオンを手にかけようとし、今は庇っている。
カラタチが少し眉根を寄せた。
「チカゲ、今回のことに関して正直あなたは部外者です」
「部外者ではありません」
チカゲが笑う。
「彼女とは殺し合いをした仲です」
「訳が分からない……まあいいです。私にリオンさんを害す理由はありません。ただ真実が知りたいだけです。どうか私にその機会を与えてください」
「わたしに言ってるの?」
「あなた以外に誰がいますか?」
「……真実って?」
「自分が何者か知りたくはありませんか」
カラタチは真剣だった。
「私はその答えを知りたい。それがアヤメ様への償いになるかもしれませんから」
訳が分からなかった。だがこの男が自分の母に何か負い目を感じていることは分かった。
他人事ではないのだ。
母は彼のことを一切語らなかった。
一体彼は何者なのか。そして自分は?
「分かりました。案内する代わり、あなたの気が済んだら、知ってること全部話してもらいますからね」
「いいでしょう」
そこでようやく、リオンは刀を鞘に収めた。
*
雪解けの終わる頃、リオンは銀竜村に行くことになった。
そしてなぜか大所帯になっていた。元々カラタチとチカゲと共に行く予定だったが、そこに何人か増えたのだ。
銀竜村はかつてアルジェントの鎧を着た男達に滅ぼされたのだ。
場所が分かるならその真実の調査も兼ねてと、隊長ブレッドも加わることになった。シフォンとセザールも加わり、六人だ。
片道は三日ほどか、往復の間村を開けるのは心配だったが、これは調査だからと隊長に言われ、結局リオンは進むことになった。
もともと派遣の身であり、調べるべきものがあるならそれが優先だという隊長の主張は、人情に欠けるけれど、合理的で、ある意味隊長らしいとリオンは思ったのものだった。
共に進むシフォンの主張は感情的なものだった。
「リオンに故郷の――それもその、なくなった村の案内をさせるなんて残酷! リオンはあたしが守る!」
隊長が呆れた声で言った。
「ハイハイリオンはお前に守られなくとも平気だ。それぐらい分かってるだろ」
そう、そのはずだったけれど、リオンは記憶を辿りに森の中を歩くにつれ、胸が軋むようだった。
行きたくない。あそこがどうなってるかなんて見たくない。
「リオン、大丈夫?」
セザールが声をかけてくる。
「気分が悪いならいつでも言ってね?」
「へいき」
言いながらも白い服の陰陽師が恨めしかった。あの男は母に償いをしたいと言った。勝手に償えばいいのだ。でも何をしたかも教えてくれない。だから歩を進めるしかない。
チカゲはそんなリオンを横目に静かに歩いていた。彼の存在が、リオンの心の支えだった。彼は賢者の石を諦めるとそう言った。果たしてどこまで本当か分からないけれど――ただ分かるのは、大切な人を失うという、同じ痛みを知っているということ。そして相変わらず棘はあるものの、最近妙にやさしいことだった。何より彼のことが好きだったから、そばにいてくれるだけで嬉しかったのだ。
数日歩き、途中、水浴びをすることになった。
シフォンはぎゃんぎゃん騒いでいた。
「男共! いーい? 覗き見したら許さないから!」
ブレッド隊長が面倒くさそうに言った。
「お前らの裸なんぞ興味はない」
カラタチもにこにこと続けた。
「そうですよ。女人の裸よりも面白いものがこの世にはたくさんありますから」
リオンはよく分からないなりにゾッとした。面白いものってなんだ。読めない人だ。
シフォンの怒気はその他の二人に向けられていた。
「隊長とおんみょーじの心配はあんまりしてない。問題はそこの二人! セザールとチカゲさん!」
「は? 僕?」
「何故ワタシなのですか」
「二人ともリオンに興味あるよね? 覗き見したら殺すからね!」
セザールはちょっとうろたえていた。
チカゲは澄ました顔で告げていた。
「お子様の体にキョーミはありません。そんなことより早く入って上がったらどうですか」
リオンはその物言いにムッとした。
「お子様って何!」
「アナタのことです」
「お子様じゃないもん! ほら!」
頭にキたので脱ぐふりをして、ちょっとだけ衣服をたくし上げようとしたら、セザールが赤くなった。
「ダメダメリオン! それは、」
彼の首根っこをチカゲが掴んだ。
「何見てんですか」
「は? あなただって見てたんじゃ、」
「あっち行きますよ、我々は見張りです」
チカゲは真顔でセザールを木々の向こうに引っ張って行った。
シフォンが怒ったような声を上げた。
「男ってサイテー!」
続いてリオンに向き直る。
「駄目だよリオン、体見せてないでしょうね」
「まさか。頭にキたからちょっと見せるふりしただけ」
「それでもあいつらは勘違いするから駄目なの」
「あいつら? チカゲさんも?」
「そうだよ、まあいいや。――ふふ、入ろ? 久々に二人っきり――うわ冷たっ」
「そりゃ川だからね」
リオンは後ろを確認しながら脱ぐと、シフォンと川の中に入った。冷たいけど、思ったほどではなかった。
シフォンの癖っ毛がリオンは好きだ。白い花みたいで可愛らしい。
「どうしたの?」
「シフォンの髪綺麗だなって」
「あたしは昔リオンの黒髪が羨ましかった、というより妬ましかったかな」
そう、初めて出会った頃、確かこの少女はツンツンしていたのだ。それが今じゃべったりである。シフォンが琥珀の目でこちらを見た。
「そういえばチカゲさんとタソガレ村? とかいうところに遠出したこともあったんでしょ? その時も水浴びを?」
「うん」
「覗き見されなかった?」
「まさか。でも無防備だとか怒られた気がする。あとその日は機嫌が悪くてあんまり口利いてくれなかった」
「ふうん。……あの人、」
「なあに」
「なんでもないよ」
シフォンは切ない目で言った。
「あの人ムカつくけど、リオンのことやっぱり好きだと思う」
「そうなの? だったら嬉しいけど」
分からない。最近優しいからそう信じたくなる。でも何度信じて裏切られたことか。
失望も絶望も、きらいだ。
「リオンは何故チカゲさんが好きなの? セザールの方がさ、まだマシだと思うよ。紳士だし、やさしいし。チカゲさんはトゲトゲしてるじゃん」
リオンはちょっと笑った。トゲトゲしているのはシフォンも同じである。
「んー、何故だろうねえ。でも好きなんだ。好きなの……」
そっと膝を抱えるリオンを見てシフォンが抱きついた。
「わーんあたしの親友が取られちゃう」
「シフォンはいつでも親友だよ」
リオンは微笑んだ。それから笑って二人でぱしゃぱしゃと水の掛け合いっこをした。
*
チカゲは機嫌が悪かった。どこかすわった目で遠くの焚き火を睨んでいた。
隣にはセザールがいる。
向こうにはブレッドとカラタチがいた。焚き火で魚を焼いている彼らのことはどうでも良かった。問題は隣にいるセザールと、背後の木々の向こうから聞こえる少女達の無邪気な笑い声だった。こちらの気も知らないで。
もっと離れるべきかと思ったが、あの二人が裸のまま誰かに襲われたらひとたまりもないだろうと、一応距離を取って見張りをしているのだった。
「……あのクソガキ」
「チカゲさんってたまに口悪いですよね」
セザールが言う。チカゲはちろりと彼に視線をやった。
「悪いですか」
「別に。なんでリオンがあなたを選んだのか全然分からないなーと思っただけです」
どうやら喧嘩を売られているらしいと察知した。
「あんなおぼこい娘はどうでもいいです」
「じゃあ僕が貰っていいですか」
チカゲは彼の胸ぐらを掴んだ。
「あの子の意志はどうなります」
「違いますよね?」
セザールは言った。
「あなたが彼女に執着してるんだ。いい加減認めてください。というかいつも邪魔なんですよ」
「邪魔なのはアナタです」
「あの子がかわいそうだ」
かわいそう? ああそうとも、あの子は馬鹿で愚かで、哀れだ。
チカゲは声を荒げた。
「ええ愚かな娘ですよ、ワタシに惚れるなんて!」
チカゲは言った。
「そうですよ悪いですか? ワタシはあの子を殺そうとした。首を絞め、刀を突きつけた。それでも今は――」
愛しているのだ。あの子が愛してくれたから。そう言おうとした時だった。
「はいリオン上がって。こっちだよ」
シフォンの声が聞こえた。
「ああ、そこの二人結局見張りしててくれたわけね。ドーモ」
チカゲは背を向けながらため息をついた。
「相も変わらず愛想のない人ですね」
「それ自分のことじゃないの?」
「そんなことを言うなら、アナタだって」
振り返りチカゲは固まった。シフォンはもうほとんど着替え終わっていたが、リオンは布を身に纏っているだけだった。
リオンが顔を上げる。
「あ、チカゲさ――」
びゅうと風が吹き、ぴらりと布がめくれそうになった。
「わあっ」
慌てて押さえたリオンがこちらを見た。
「み、み、見えた?」
セザールが真っ赤になって言った。
「み、見え……てないよ! なんにも見てない!」
チカゲはげんこつを落としたくなったが、自分も大層動揺していた。
「なんにも見えてません」
「う、嘘だっ、二人とも嘘ついてるっ」
涙目になったリオンがこれまた目の毒だった。
「わぁ〜見られた!」
涙目のリオンをシフォンが慰めている。
いやお前の過失だろうとチカゲは思ったけれど、頭がどうにもぐちゃぐちゃで言葉にしがたかった。
様々な感情を抑えた結果出てきたのは怒りだった。
「アナタは! どうしてそう!! 無防備なんですかいい加減にして下さい!! こっちに近づくなら着替えてからにするべきでしょう! 自業自得です!」
「自業自得って……! やっぱり見たんだ!!」
「アナタのうっすい胸なんか見てもどうとも思いませんが」
「この馬鹿! ばかばかばか!」
布を抑えたままぽかぽか殴られても気が遠くなるだけだ。
「服を着なさい服を。それでも淑女ですか」
「女の子扱いしてくれるの?」
ちょっとリオンの機嫌が治った。ちょっとだけ。一体どういう情緒をしてるんだとチカゲは思った。恋する少女の胸の内なんてわからない。同じように自分の感情の嵐すらわからなかった。
シフォンが声を上げる。
「二人とも見たの? 信じらんない!」
セザールが声を上げた。
「ふ、不可抗力だよ!!」
「うわホントにサイテー!!」
シフォンがぎゃんぎゃん怒鳴り、セザールは弁明をし、チカゲは呆れやら何やらで突っ立っていた。やがて木々の裏に隠れたリオンが、着替えを終わらせて出てきた辺りで、ブレッドに呼ばれた。
「お前ら何ごちゃごちゃ騒いでんの? 魚焼けたからそろそろ来い。中まで焦げるぞ!」
その一言で、結局四人は顔を見合わせて焚き火の方へと向かった。
「青いねえお前らは」
ブレッドが串刺しにした魚を手に取りながら告げる。
チカゲは眉を顰めた。自分は彼より歳下だが、子どものつもりはない。立派な大人だ。
そんなチカゲを見てからからとカラタチが笑った。
「文句を言いたいのですかチカゲ? あなたは充分青いですよ」
愉しそうに言うので不愉快だった。




