年越しの鍋は温かく
*
「ハァ、アナタね、この鳥を甘やかすのもいい加減になさい」
「いや最初に手当てしたのチカゲさんだからね?」
ダリウスの家に来たクロサギを見てチカゲが文句を言っている。まあリオンには想定していたことだ。
クロサギは興味深そうにきょろきょろしている。
「これは? 魚だ!」
「あ、気をつけろ、なんで鳥が入って――お前クロサギか?」
水槽の前にダリウスがやってくる。時々クロサギの姿は見かけていて、存在はチカゲから聞いているようだった。最初は敵の部下を助けるなんてお人よしだと、リオンとチカゲを心配していた。けれどクロサギが思いのほか無垢なことを聞いたらしく、彼は彼で接し方に困っているようだった。
「そう、俺クロサギ。お鍋があるって聞いたから来たんだ。まさか俺が具材じゃあないでしょ?」
「違うよ、それと――そこの魚は食い物じゃないからな、絶対手ェ出すなよ」
それはチカゲとリオンがお祭りで取った金魚達だった。ダリウスは言葉通り大切にお世話してくれているのだ。
リオンはなんだか感動してしまった。お祭りの金魚を生き延びさせるのは難しいらしく、減ってしまっていたが、それでもまだ半分ほど水槽にいる。
クロサギがじーっと水槽を眺めた。
「なんかこの魚達あんまり動かないけど」
「金魚は冬は冬眠するの」
ダリウスはぶつくさ言いながら、鍋の準備をしていた。チカゲを手伝わせている。
料理の得意でないリオンと、まったく出来ないクロサギは買い物を任された。
「行こうクロサギ。ここにメモがあるから、この通りに買い物するの」
「俺お金持ってないよ」
「わたしが持ってるから大丈夫」
リオンはクロサギの目を見つめて言った。
「いい? 人前でその姿で喋っちゃダメだよ、鳥は普通喋らないものなんだから、妖だとバレちゃう」
「じゃあこうすりゃいいよ」
クロサギはあっという間に人の姿になった。久しぶりに見る姿だ。黒髪に黒い着物、リオンと同い年くらいの姿。ただ背中から生えている立派な黒い翼が目立った。
「うーんその羽なんとかならない?」
「隠せるよ」
彼が言うと、次の瞬間には翼は消えた。いや、折り畳まれたようにも見えたが、とにかく見た目は普通の人間と変わりなくなった。
リオンはなんだか感心しながら、雪の降る中出かけようとした。チカゲが傘を持っていけとうるさいので、赤い傘を借りて出かけた。
クロサギはいい意味でも悪い意味でも無垢だった。そして妙な愛嬌があった。
「おばちゃん、そのキノコおばちゃんが取ったの?」
「主人が取ってきたんだよ」
「へえ、寒い中大変だね」
クロサギが行く先々で素直な感想を言うものだから、リオンはちょっとひやひやしたけれど、結局その愛嬌のおかげで、得をすることが多かった。
「キノコを食べてるから髪も綺麗な茶色なの?」
「いいこと言うねえあんた!」
大体の人は機嫌を良くして、クロサギと不思議と仲良くなった。
そしてクロサギのおかげでおまけまでつけてもらうこともあった。
「買い物上手だねえクロサギは」
リオンは帰りに荷物を持ちながら言った。
「そうかな? 俺買い物初めてだけど」
クロサギは無邪気に笑った。
それから帰って、買ってきたものを並べた。キノコや豆腐、にんじんや芋。
てきぱきとダリウスとチカゲがそれを料理する。リオンはお椀を並べることにした。お皿も。
その時、それは起こった。
クロサギが皿を割ったのだ。途端に彼の様子がおかしくなった。
「おれ、おれ――ごめんなさい!」
ダリウスが眉を顰めた。
「どうした、皿一枚大したことじゃ、」
「ごめんなさいごめんなさい殴らないで!」
リオンはぎょっとして動けずにいた。過去の自分を見ているようだった。
チカゲが動いた。動いてそっとクロサギのそばに寄った。
「怪我は?」
「お願い、痛いのはやめて。俺具材にされないよね? ねえ、お願いごめんなさい、言うこと聞きます! もう吊るさないで!」
「落ち着きなさい、アナタは一体――とにかくここはビワの家ではありませんよ」
はたはたと少年の目から涙が落ちた。
「俺、俺、鶏肉にされちゃう、ごめんなさ、次はうまくやります、お願いだから」
「よしなさい、謝罪は求めていません」
チカゲは言って、少し迷った後――クロサギの頭を撫でた。
リオンはダリウスと共に、意外な彼の行動を見守っていた。
クロサギはぽろぽろ涙を流していた。
「なぜぶたないの」
「何故ぶつ必要が」
「躾だってビワが」
「ワタシはビワではありません。アナタを害する者はここにはいません。それだけです」
そこでようやく、クロサギは我に返ったようだった。
「あの、わかった、お皿割っちゃったけど、どうやって弁償すれば」
ダリウスが割って入った。
「あーあーいいよ、片付けるから。怪我してないならいいんだ」
「俺、俺、ほんとにごめんなさ――」
ぽんぽん、とダリウスがクロサギの肩を叩いた。
「チカゲの言う通り。ここにはお前をいじめるやつはいないから、安心しろ。それで今日はたくさん鍋を食え」
クロサギはしばらく呆然としていた。
食事の時間になっても、やっぱり居心地悪そうだった。
「えっと、俺、食べていいの?」
皆がクロサギを心配して手をつけないものだから、彼は心許ない様子で言った。
「いいんだよ」
リオンはできるだけやさしく言った。幼い頃、カヌレが自分にチョコレートを何故くれたのか、なんとなく分かった気がした。よそってあげようと声をかける。
「クロサギが好きな具は何?」
「な、なにも」
「ふうん、じゃあ全部入れるね」
「え、あ、あの」
「一緒にお買い物行ったでしょ? キノコとー、にんじんとー、だって好きって言ってたでしょ? お豆腐とじゃがいもとー……」
そう、自分はあの日、カヌレに何か要求されるのではないかと、頑なにチョコを受け取ろうとしなかった。けれど結局食べたそれは酷くおいしくて、カヌレは何も要求しなかった。
たくさんの具が入ったお椀をクロサギの前に置く。
「わたしも取っていいかな? えのき好きなんだよねえ」
チカゲが顔色も変えず告げる。
「どうぞご自由に」
そんな訳でリオンは自分の分をよそった。他の二人の分もよそおうとしたけれど、チカゲがそれを止め、自らよそった。ダリウスに好物を尋ねる彼は――なんとなく、親を気遣う子のように見えた。
「俺? なんでもいーよ、どうせ美味しくできてるからな」
からりと笑うダリウスに、なんとなくリオンは救われた気分になる。この鍋を囲む会だって、彼が発端らしいのだ。
そうして四人は鍋を囲った。ダリウスは王都の出身だけれど、すっかりこちらの文化に馴染んでいる。
「いただきます」をして、リオンは口に入れた。
「うーん美味しい!」
クロサギはお椀を手に固まったままだ。
「食べないの? 冷めちゃうよ」
「え、えと、いただきます……」
そうしてにんじんを口に入れた。
「おいしい……」
しみじみと、ちょっと涙目になってクロサギは告げた。
「おいしい……!」
ふっと温かな空気が流れる。チカゲが少しだけ表情を和らげた。
「寒いですからね、ちゃんと食べて体力をつけないと駄目ですよ。勝手に倒れられては困りますので」
「うん、うん」
クロサギはもぐもぐと、切ない目をして、それでも嬉しそうに食べるのだった。
リオンも温かな気持ちになって、お鍋を食べた。雪で冷えた指先までが温まるような、そんな鍋だった。
――――対価なんていらないのよ。
幼い頃、カヌレにかけられた言葉が思い出された。
――――私はあなたに美味しいものを食べてほしいだけなの。
彼女は今でこそちょっと問題のある魔女だけれど、根がいい人に変わりはないのだ。
こうして年の終わりに集まって、鍋を食べられるなんて幸せだなと思った。
お世話になったダリウスも、やさしいクロサギも、大好きなチカゲもいる。
ああ、シフォンやセザールも誘えば良かったかな、隊長も。でもお鍋が足りないだろうな、なんて考えた。
クロサギも落ち着いて来た頃、ダリウスが酒瓶を出してきて、チカゲと飲み交わし始めた。家族のような団欒だ。
クロサギは不思議そうにしながらも鍋を食べ、リオンは笑顔で会話を聞いていた。
「リオンさん、何をにこにこしてるんですか、シラフでしょうが」
「何って、なんか皆でこうしてるの、嬉しいなって」
チカゲが少し罰の悪そうな顔をした。
「ワタシも――こんな年越しは初めてです」
クロサギが明るく言った。
「俺も!」
やがて夜も遅くなり、真っ先にリオンが声を上げた。
「時計を見て! 次の年まであと少しだよ」
「数えてどうするの?」
尋ねるクロサギにリオンは笑った。
「誰かと一緒に、新しい年を迎えることに意味があるんだよ、ほら」
向かいの席でチカゲが酒をちびちびと飲んでいた。飲み過ぎに気をつけているらしい。
「アナタの理論はいつでもアホらしいですね」
「チカゲさんはノリが悪いし口も悪いね」
「悪口ですか」
「先に言い出したのそっちじゃん」
ダリウスが口を挟んだ。
「おいお前ら、どうでもいいけど日が変わるぞ」
リオンはハッとした。
「ほら時計! あと十秒……」
クロサギはぱちりと瞬きをしているだけだが、まじまじと時計を見つめていた。
リオンは数えた。
「……四、三、二、一……! 新年おめでとーございます!」
明るく言えば、チカゲが思わずと言う風に笑った。
「ハイハイおめでとうございます、楽しそうですねアナタは」
「だって楽しいもん!」
クロサギがこぼした。
「俺も、楽しいかも……こんなの初めて」
リオンはクロサギを撫でてやった。
「ね、皆で一緒にいることに意味があるんだよ」
ダリウスがぐびりと酒を飲んだ。
「んー悪くない夜だ。これからもまあ、よろしく頼むよ」
それから年が明けたということで、お鍋を囲む会はお開きになった。三人はダリウスにお礼を言って、家を出た。
「ああ楽しかったね!」
リオンが笑うとクロサギも明るく告げた。
「楽しかった! この後はどうするの?」
「お酒飲む人もいるけどわたし達はこれで終わり。寝るの!」
「そっか。じゃあ俺リオンの家に――」
ぐいとクロサギの首根っこをチカゲが掴んだ。
「調子に乗らないで下さいクロサギ。一応その娘は女人なのですから、男のアナタが一緒に泊まるなど言語道断です」
「そういうもん?」
「そういうもんです」
真面目に叱るチカゲにリオンはちょっと笑った。まあ実際そうなのだけれど、クロサギは今や弟のように思えたのだ。
けれど一応チカゲに任せることにした。どうもクロサギは人間社会の常識が不十分なところがあるようだから。
「おやすみ、クロサギ、チカゲさん。また明日会おうね!」
「ったくなんでワタシがコイツの面倒を」
「おやすみーリオン!」
リオンは白い息を吐いて、二人を見送った。見上げた冬の空は寒いからこそ一層澄み渡り、いつに増して星が美しく、静かに瞬いているようだった。




