紅い傘と黒い鳥
*
帰りの船が出発した。船縁に腕をつきながら、リオンが離れていくアルジェントを眺める。
「さよなら……アルジェント……」
「どうせまたあの国に帰るのでしょう」
チカゲはそばに寄りかかりながら告げた。
「アナタはあそこに所属している」
「前に言わなかった?」
リオンがこちらを見ずにしみじみと言った。
「両方とも大切な場所なの。――でも本当のわたしの故郷は東雲大陸で――難しい話なの」
まあそうだろう。この娘は難しい立場にいる。自分の故郷は東雲大陸だ。認めたくないが、自分は心配なのかもしれない。いつかこの娘がアルジェントに行き、定住してしまうことが。
「チカゲさん」
蒼い風に吹かれながら少女は微笑んで言った。
「そばにいるよ」
嘘つきめ。
お前はアルジェントの王の部下。
いつあちらへ行くかも分からない。
例え東雲大陸に残るとして。刀を振いながら生き続け、いつ死ぬかも分からない。
「ワタシはね、守れない約束をする人は嫌いです」
チカゲはぽつりとこぼした。
「ツクヨミ様は死にました。ワタシを置いて行かないと告げたのに。アナタは警備隊に所属している。いつ死ぬか分かったものじゃない」
リオンはふとこちらを見つめ、それから切なげに笑った。
「確かに、守れるかはわかんないけど。でもわたし、そんなに簡単に死なないよ」
手をやさしく握られて、なぜか胸が痛んだ。
「そばにいたいって思うのは、そんなに悪いこと?」
「曲解です」
チカゲはこぼした。
「そばにいるなとは言ってない」
「ふふ、難しい人」
リオンは笑って告げた。霜月の風は冷たいのに、握られた手は不思議なほど温かく感じた。
*
やがて船は東雲大陸の小さな港にたどり着いた。しばらく歩いていけば、アケボノ村に辿り着く。チカゲにとって、最初は滞在場所の一つだったのだ。それが既に懐かしい場所となっていた。
一緒にいたはずのセザールは、リオンがチカゲとばかりいるので、不貞腐れてさっさと自分の家へ行ってしまった。
「ああ、ようやく帰ってきたか」
いつもの通りで商品を広げていたダリウスが、二人を見て言った。タソガレ村から帰ってきた時も彼はこんな表情を浮かべていたなと、チカゲはふと思う。
「ただいまです、ダリウスさん」
リオンが言った。
「……どうも」
チカゲも短く告げる。ダリウスは笑った。
「お前らが何事もなく帰ってくるのが一番だよ」
からりとしたその笑顔は、安堵に満ちたもので。チカゲはやはりどこか切なくなった。まるでここが帰る家のようにすら思われた。そんな場所はとうになくしていたはずなのに。
「また俺と一緒に仕事をしてくれるか」
そう言われて断る気にはならなかった。
やがて師走が訪れ、雪の降る季節になった。本格的な冬だ。
「雪だー!」
空を見てはしゃぐリオンに、チカゲは目を細めた。
「雪など毎年降っているでしょう。珍しいものでもないでしょうに」
「大人げないなぁ。一晩で町が白に早変わり! ですよ」
「アナタ、そういうところが子どもなんです。寒いだけでしょうが」
「まったく……まあ遭難事故が起きやすくなるのは問題だけどね。警備隊の仕事も大変にはなるし」
「冬でも働くんですか、大層なことで」
「チカゲさんだってそうでしょ」
「ワタシは部屋にこもって人工宝石作っているだけですから」
実際その通りだったが、チカゲはリオンが心配だった。
王都から帰ってきたことで、新しく入隊したセザールが加わり、警備隊は四人体制となった。曰く、ブレッド、シフォン、セザール、そしてリオンの四人だ。
セザールは教えてもらいながらも真面目に仕事をこなしているという。給料は王都から定期的に送られてくるそうだ。知らなかった。
ここに派遣された警備隊の目的は、東雲大陸――特にアケボノ村の治安を守ることと、賢者の石を狙う人物を捕えることだった。前者に関しては、国王の厚意もあるだろうが、政治的な意図もある。港に近いアケボノ村は流通の要でもある。ここが万が一盗賊などに潰されては困るのである。
そして賢者の石に関しては――チカゲはもう関わる気はなかった。錬金術は人工宝石を作るために使った。出来上がったものをダリウスに渡す。その売り上げの折半を、週末にもらうのだ。
リオン達は相変わらず森の方で人助けをしているようだし、ダリウスは雪の中接客をしていた。
チカゲはある日、ダリウスに声を掛けた。
「ワタシも店番……しましょうか」
ダリウスは嬉しそうだったけれど、不思議そうな顔をした。
「どういう風の吹き回しだ」
「どうもこうも。アナタ方が寒い中外にいるので、ワタシも何かしようと思いまして」
「そう? 店番してくれるのは嬉しいけど……もうお前売り物作るっていう仕事してるじゃん」
ダリウスは優しい目でチカゲを見た。
「それでも何かしたいっていうなら……頼むよ。そう、週の半分くらい。お前顔がいいから客が集まりやすくなると思うんだよな」
まあ彼の言う通りで、冬の寒い時期に足早に去っていく人々は、商品だけでなくチカゲを見て足を止めるのだった。そういえば他人の前で笑顔を作るのは得意だったな、などと思い出したチカゲは、作り物の笑みを浮かべてニコニコと接客した。ダリウスは物珍しそうな顔をしていたが知ったことではない。
雪の中、赤い傘を差して接客する美しい男の噂は少しずつ広まり、若い女性客が増えた。
仕事帰りのリオンはすぐ近くを通りかかる。家がそばにあるからだ。彼女は女性に囲まれているチカゲを見てはつまらなそうにしていたが、ある時とうとう直接やってきた。仕事帰りの夕方だった。
「こーんにちはチカゲさん」
「おやこんにちはリオンさん」
ニコリと笑いかければむすっとした顔を向けられた。
「ちやほやされていいご身分ですねっ」
どこか刺々しい言い方だった。
王都でお前も少女達にいい顔をしていたではないか、と言いたいのを堪えて、チカゲは微笑む。まさしく最近商品の売れ行きは良かった。
「ええおかげさまで」
ぶしゃっと、何かが顔に当たった。彼女の投げたらしい雪玉だった。
「この――小娘!」
「この前見たもん、綺麗な女の人に髪飾りつけてあげるのを」
「試着頼まれたんでしょうがないじゃないですか。所詮は客商売ですよ」
リオンはご機嫌斜めのようであった。
「わたしだけの……特別が良かったのに」
ぽつりとこぼす。
「ハイ?」
「分かってるよこんなのわがままだって。でも前に髪紐くれたじゃん……。わたしの髪に似合うって……嬉しかったのに」
少女は切なく呟いた。そのまま踵を返して家に帰ってしまった。
「ハァ……」
思わず首元に隠している首飾りを抑えた。
「それ、癖になってるの?」
黙って見ていたダリウスが告げた。顔を上げたチカゲに彼は言う。
「店の売り上げがあがるのはいいけどさ、お前らの仲が悪くなるのは俺の本意じゃない」
「仲などもともと――ワタシとあの子は――そういう関係でもないし、」
「向こうはそういう関係になりたいと思っているようだけど?」
ダリウスは真面目くさった顔をしていた。
「その気が無いわけじゃないだろ?」
「…………ワタシは恐れているのかもしれません」
「何を」
「大切なものを作ったところで、それが失われてしまうのを。何度か経験していますから」
幼い頃友達だったカラス。やさしく育ててくれたツクヨミ様。それぞれ殺されたのだ。もう戻らない。
しんしんと降る雪の中、ダリウスが白い息を吐いた。
「リオンは――そんなにヤワじゃない」
「本人もそう言いました、でも」
「信じるのが怖いか?」
ああ、図星だった。この優しい男はまるで父親のように自分のことを見守っている。それがどこか居心地が悪くて、それなのにありがたかった。
「アナタにはなんでもお見通しなのですね」
「まさか。陰陽師でもあるまいし」
ダリウスは言った。
「そのうち年が明ける。それにかこつけて、年の終わりに鍋を囲もう、俺の家で。お前も来ていいから――リオンを誘え、いいな?」
*
雪は降り積もるばかりだ。アケボノ村の家々の屋根は白く染まり、道にも積もった。何軒かの家の前には雪だるまがあった。
リオンは今日も森で警備隊の仕事をしていた。幸い今日は晴れている。
雪が降って気分が高揚したのは最初だけだ。足を取られるし、寒いし、雪は厄介だ。でも美しくて嫌いにはなれないのだった。
シフォンがやたらと自分といたがるのだけれど、これは仕事だ。それぞれ管轄の地を回る。
リオンはセザールに仕事を教えながら、遭難した人を助けていた。
それが終わると、他に迷っている人や倒れている人がないか見回りをするのだ。
「熱心なのはいいけど、日が暮れると君まで帰るのが危なくなるよ、隊長もそう言ってただろ」
「うん、向こうの崖を回ってから戻るよ、何もなければそれでいいの」
「分かった、僕は先に戻ってるからね、気をつけて」
セザールがそう言い、木々の向こうに去っていく。
リオンは反対へと歩き出した。彼や隊長の言う通りで、暗くなると帰り道が分かりにくくなる。特に雪が降り出したら面倒だ。
そう思いながら見回りをしていると、雪が降り出してしまった。
しんしんと音もなく降っている。黒い肌の木々に白が降り積もり、赤い髪紐が映えた。
このままでは足跡もかき消されてしまうだろう。適当なところで戻らないと――そう思っていると、雪の上の向こうに、場違いな黒を見つけた。
近づいてみれば、それは鳥だった。埋もれるようにして落ちている。
「カラス……?」
とは少し違うような。近づけば、鳥が喋った。
「カラスじゃない。近づかないで。あんたの手なんか借りない」
雪が少しずつ鳥の上に降り積もっていく。
「……クロサギなの? ビワの命令で来たの?」
「……俺に構わないでよ」
「このまま放っといたら、あなた凍えるよ」
「……あんたをいつか捕まえるんだ。それで、人質に……」
「する前に死んじゃうよ」
「チカゲを連れて来ないと、ビワが、ビワが……」
「教えて、どうしたの?」
雪はどんどん降り積もっていく。リオンはしゃがみ込んだ。とうとう鳥――クロサギが泣き出しそうな声でこぼした。
「逃げて、来たんだ……」
「…………」
「もう放っておいて。ここで死んだ方がいいんだ、俺、出来損ないだから」
リオンは哀れな鳥を抱き上げた。
「かわいそうだけど生きてもらうよ。出来損ないなんてビワに言われたの? 次あったら一泡吹かせてやろう? ね?」
「なんで、たすけ……」
「困ってる人を助けるのが仕事なの」
「俺人間じゃない。妖だよ」
「人間じゃなくてもだよ」
リオンはクロサギを抱えた。見たことのあるサギという鳥と違って、やっぱりカラスぐらいの大きさだった。腕に収まるクロサギは雪に降られ、やがては眠ってしまった。どうも怪我をしているらしい。雪の中で放置していたら大問題だったが、今は寝かせてやるかと、リオンはそそくさと木々の間を抜けた。
村へ戻ると、空は夕闇に包まれるところだった。そこから白がしんしんと振り続けている。
提灯がぼんやりと灯る向こうから、赤い傘が近づいてきた。
それはチカゲだった。
「……チカゲさん?」
「いつもの時間に、そこを通らないから……」
「心配してくれたの?」
「……。ええ、まあ」
珍しく素直だ。リオンは近づいた。
「クロサギがね? ほら、あのビワの部下、逃げて来たんだって。匿ってあげられないかな」
「…………」
チカゲが赤い目を細める。
「いいでしょう。傷薬ならワタシの家にあります」
てっきり反対されると思っていたので、少しだけ驚いた。
「わたしも行っても?」
「構いませんが、……一つ条件が」
「なあに?」
チカゲは言いづらそうに目を逸らしたが、やがて口を開いた。
「年が変わる日に、ダリウスさんの家で鍋を囲むそうです。アナタも来るようにと、その……」
「わぁ、いいの!?」
思ってもない申し出だ。リオンが声を上げると、チカゲはやはり目を細めた。そうして傘の中にリオンを入れた。
「ダリウスさんもアナタも、傘を使わないんだから……風邪をひきますよ」
リオンはそっと隣を歩き出した。彼の肩が半分出てしまっている。雪が積もっていた。
でもそれをここで指摘するのは野暮な気がして、胸にクロサギを抱えて歩いた。やっぱり根はやさしいひとなのだと思った。
チカゲの家は実験器具やら書物やらがあった。反対側は寝床になっている。妙な既視感をリオンは覚えた。
「わたしここに来たことあったっけ」
「ああありましたね。アナタが子どもになった日に」
「え、ええと?」
「忘れてください。さあ、その鳥を――ああ雪まみれですねまったく」
言いながらチカゲはお湯で濡らした布を用意して、クロサギを拭いてやっていた。どこか慣れたような手つきだった。
「鳥のお世話したことあるの」
「ええ、ありますよ。――死にましたが」
「そ、そっか」
しばらくしてクロサギが目を覚ました。
「ヒッ」
クロサギは飛び上がって、チカゲの腕から降りるようにして落ちた。
「チカゲッ! なんで!? 俺を殺しに――」
チカゲが怒ったように目を吊り上げた。
「アナタを殺す理由がありませんが」
「だって俺ビワの部下で、」
「リオンさんから話は聞きました。逃げて来たんですって?」
「え、う、うん……」
見ていたリオンは少し身構えた。チカゲがあまりにも心無い言葉を言うようだったら、止めなければと思ったのだ。彼は冷たい目をしていたから。
けれども心配とは裏腹に、チカゲは言った。
「逃げるのは、人によっては弱虫とも取られかねませんが――必要な時もあります」
クロサギが顔を上げた。
「アナタとは何度か会いましたが――要するにビワと反りが合わないんでしょう?」
「そ、そうなんだ、シラサギはなんでもうまくやるのに、俺はできなくて――」
「ただ不器用なだけではないでしょう。アナタがやさしいからできないのでは? 殺せと言われてリオンさんを殺さなかったことがあったでしょう」
「……あんた、」
「言いたいことはそれだけです。別にいいんじゃないですか? ここにいたって」
クロサギは嬉しそうに告げた。
「なんだ! あんたって思ったよりいいやつ、――いてっ」
翼を動かそうとして畳に突っ伏した。
「もう少し休憩が必要なようですね」
リオンも微笑んだ。
「良かった。チカゲさんもここにいていいって。どうする? わたしの家でもいいよ」
「リオン、あんたも――じゃあ俺リオンの家に」
「ダメです」
冷たい声でチカゲが言った。クロサギが言い募る。
「なんで? 助けてくれたのはリオンだよ? 俺を抱きしめてあっためてくれ――」
「ダメなものはダメです。落ち着くまでワタシが面倒を見てやりますから、勝手に彼女の家に行かないように」
そうして、クロサギは怪我が治るまで、チカゲの家に居候することになった。元気になると、時折リオンの家に遊びに来ては、チカゲに叱られていた。
そうして師走も過ぎ、年の終わりが訪れた。
クロサギはリオンとチカゲの家を行ったり来たりしながら、アケボノ村に潜むようにして暮らしていた。
「なに? 仕事終わったんじゃないの?」
いつしか家に入り込んでいたクロサギが、外へ出かける支度をするリオンを見て言う。稀に人間の姿をとることもあったが、今は相変わらず鳥の姿だった。
「あのねクロサギ、女の子の家に上がり込む時は一声かけてほしいの。そうじゃなくても遠慮しないと」
「なんで?」
「なんでもだよ」
言いながらリオンは立ち上がった。
「どこ行くの」
「ダリウスさんのお家。お鍋をするんだって」
「鍋?」
「……一緒に来る?」
「行く!」
そういうわけでクロサギも鍋を囲むことになった。




