白亜の城にて
*
三日後、牢獄から出たチカゲは、真っ先に訓練場へ行った。日も暮れる頃だった。
他の隊員は解散しているのに残っている者がいた。
座っている少女を、同じく隣に座った青年が慰めているのであった。
「わたし……っ、どんな顔をしてあの人に会えばいいのかわからないっ」
「大丈夫、大丈夫だ、僕がいるよ」
やさしく抱きしめるセザールの腕の中で、彼女は文字通り抜け殻みたいに涙をこぼしていた。
「わたしは、わたしは何度もあの人を信じようとしたの。なのにどうして――っ」
ああそう、リオン。
伝えたはずだ。もう終わったと。
必要ならばまた伝えるつもりだったけれど。
そんな風に他の男の胸で泣かれたら。どうにもたまらない。
「――リオンさん」
声をかければ、涙を拭ったリオンが、恐ろしくも殺意のこもった目でこちらを見るのだった。
「嗚呼、あなた――どの面下げて来たんですか」
どうも普通ではない雰囲気だった。チカゲは目を細める。
「どの面も何もありませんが。アナタ誤解なされているようですので謝罪をと」
「いりません――この裏切り者!」
言うが早いかリオンは刀を抜き、走り出した。
さすがに驚いたのかセザールが声を上げる。
「リオン!」
チカゲは素早く刀を抜き、それを受け止めた。重い一撃だった。どうも彼女がやはり普通ではないと気づいた。いつもの澄んだ瞳とは違う。擦り傷だらけなのは、必要以上の鍛錬をしたからだろう。
「このうそつきうそつき大嘘つきが――ッ」
殺意に満ちた彼女が、刀を振るう。それは鋭かったけれど、どこか乱暴で隙があった。幾度も向けられる攻撃を、チカゲは的確に捌く。
「リオン――はは、リオンさん! そうですか、ああ、話を聞く気もないと!」
だんだんと泣きたくなって、チカゲはとうとう笑った。一週間も暗い地下牢にいたので、こちらも少しおかしくなっていた。
先ほどセザールの腕の中で泣いていた彼女が思い出された。
嫌われたのだ。もう終わったのだ。
「そうですか、ワタシを殺す気ですか?」
「だってあなたは、きっとまた同じことをする。――いつか本当に何かしでかして――捕まって殺されるぐらいなら――わたしが、わたしが今ここで――っ」
普通じゃない。普通じゃないこの娘。
それは責務でもなんでもなかった。
彼女のそれは執着だった。嗚呼、結局は因縁の相手なのか? それとも?
「リオン、リオン、もうやめなさい――、やめてくれ、ワタシはただ――話を――」
「聞きたくない聞きたくない聞きたくない!!」
繰り出される剣捌きをすべて打ち返し、とうとうチカゲは思い切り合わさった刀を突き返した。
体制を崩したリオンが突き飛ばされる。
「ハッ、はーっ、はーっ」
「今のアナタは正気じゃない。ワタシを見てください」
リオンがこちらを見た。その目から涙が落ちた。
「愛してるの……」
「知ってますよ。謝罪をしに来たのに、アナタと来たら聞こうともしないんだから」
「…………」
彼女は立ち尽くす。大きな瑠璃の目が、揺らいでいた。
「ワタシに惚れてるのに殺したいのですか? 酔狂ですね?」
「だってあなたが!」
「聞きなさい、ワタシは確かにビワの言葉に一瞬迷いを覚えました。それは謝罪します」
彼女はじっとこちらを見ていた。
「でもそれ以上でも以下でもない。彼に加担しようとはもう思っていません。賢者の石を追う気はもうないのですよ。そう言ったはず。ツクヨミ様は蘇らない。死んだ者は生き返らない。そう教えてくれたのはアナタでしょう――凛音」
彼女の目から大粒の涙がこぼれる。その手から刀が落ちた。
チカゲはほっとして、自らの刀を鞘にしまうと、手を広げた。
「ほら、おいで」
ぽろりと涙をこぼして、リオンが地面を蹴った。
「千景さんっ」
思い切り抱きつかれ、ちょっとふらついた。なんせ牢を出たばかりの上戦わされた後だ。
「ワタシを殺そうなど百年早い」
「うん、……うん」
言いながら彼女がきつく抱きついてくる。胸が切なく締め付けられる。でも何故か落ち着く――と思ったのも束の間。
「馬鹿、ばかばかばかこの大馬鹿!」
ぽかぽかと胸を叩かれた。
「痛い痛いです、少し加減しなさい」
「どんだけあなたのこと思って悩んだと思ってんの!!」
「ハァ、それは申し訳ありませんが、アナタはアナタで、そこのオトモダチに慰められていたのでは?」
ちろりとセザールを見やる。リオンがこちらを見た。
「まさか妬いたの?」
チカゲはムッとした。そこで素直になれれば良かったのだけれど、どうもうまくいかなかった。
「まさか」
「あっそ!」
言うなりリオンが背伸びをして――こっそりと、見えないように首に噛みついた。かぷりと。
「――――は?」
「仕返し!」
仕返し? なんの? 思い当たり過ぎてわからない。というかちょっと痛いくらいだ。まるで所有欲を示すようで。チカゲは赤くなりながらそっと首をさすった。歯形が残っているのが分かってますます居心地が悪くなる。
「あの、ちょ、ちょっと痛かったんですけど……」
「いい気味。わたしの好きなのはあなたです。誤解しないよーに」
「し、してませんけどっ」
「……好きだよ」
ああクソ。この娘。
胸に湧き上がるこの感情はなんだ。今すぐめちゃくちゃにしてやりたい。
そんな何かを抑えた。
気づけばセザールは姿を消していた。
リオンが何事もなかったかのように、けれどもいつものあの瞳でこちらを見上げる。
落ち着いたそれは、どこかやさしげで、嬉しそうなもので。その目に見つめられるとやはりどうにも居心地が悪くなるのだった。
「チカゲさん町まで送ってこーか? あんなことあったからもう宿舎は解約。自分で探さなきゃ駄目だよ」
「ヘーキですよ勝手にします」
「大丈夫? お金持ってる?」
「持ってますよ馬鹿」
「馬鹿って何バカって。親切に言ってあげてるんですけど」
「余計なお世話です」
とにかく今は一刻も早くこの娘から離れたかった。首元がじんじんする。嫌な痛みじゃなかった。それがどうにも恥ずかしくてやりきれなかった。
結局チカゲはリオンを振り切って町へ行き、安い宿に泊まった。
部屋のベッドの上で首に手を当てる。確かに歯形が残っている。ああクソ。
そういえば、あの娘はこちらの隠している首飾りに気づかなかったのだろうか。まあそうだろう。きっちり襟の下に隠しているのだから。
――ああ、どうにもやりきれない。
チカゲは深く息を吐いた。
ツクヨミ様はもうすがる相手ではなくなっていた。ただ過去の恩師であり、問いかけぐらいは許されると思った。
こういう時どうしたらいいのか、あの人は教えてくれなかった。まあ知る由もなかったのだろう。
こんな生活とは無縁だったのだから。
*
それから二日休んで、チカゲは城に行った。訓練場では相変わらずリオンが鍛錬をしていた。セザールがそれを受け止められるようになって、それなりに成長していた。
居ても邪魔なだけだろうと、図書館へいこうかとふと思い、いやあんな事件があったのだからとやめて、結局行くあてもなく――気づけば温室に向かっていた。カヌレの領分だ。
「なあに? 何か用?」
「いいえ……ただ町は少し肌に合わなくて……」
別に町は嫌いじゃ無い。美しい石畳みにカーブの多い洒落た装飾。居並ぶ街灯や家々。時折歩くけれど――ただどこか一人置いてきぼりにされたような気分になる。要は孤独な気分になるのだ。紅葉の中なら落ち着くけれど、街灯の下ではそうでもなかった。
「他に行くところもなく……気づけばここに。――花を眺めたいと思うのはおかしなことですか?」
「おかしなことではないわね」
カヌレは書類に適当に目を通しながら、チョコレートやら何やらの菓子を食べているところだった。名も知らぬ花が咲き乱れるそこで、チカゲは重い口を開いた。
「リオンさんは……昔その、問題児だったとブレッドさんから聞きました」
「ああ、まあそうね」
「本人からも……彼女言ったんです」
タソガレ村の宿で、同じ天井を眺めながら、確か彼女は言ったはずだ。自分には助けてくれる人がいたのだと。
「あなたや前代の王がいたから自分は立ち直れたのだと。……一体彼女に何をしたのですか?」
「何って」
当然のように魔女は言った。
「愛しただけよ」
チョコレートを食べながら、顔色一つ変えず言うのだった。
「彼女は何事にも対価があると思っていた。食べ物にも、居場所にも。何もかもに裏切られ、奪われて来たから。だから与えたの。何をしなくてもそばにいていいって、お城に置いてあげた。あの子は働いて取り返そうとしてたけど。――とにかくね、チョコレートをあげたのよ。それからお花を見せてあげた。見返りなぞいらなかったの。……かわいいリオン」
少し切ない目で魔女は言った。
「子どもは大きくなってしまうものね」
無償の愛とやらか。それは自分に一番縁の無いもの――いいやツクヨミ様がくれて、やがては失い、奪われたものだった。そして今は、
「あなたもすべてに対価があると考えていたのではなくて? 錬金術師」
魔女が美しく告げた。
「でも今、同じように貰っているはずよ。無償の愛をね。――質問の答えの意味、分かるかしら?」
誰かから、なんてのは説明も要らなかった。
リオン。小さなリオンは銀竜村を奪われ、アルジェントに渡り、この城で育った。
悔しいけれど、拾ったのがこの魔女で良かったのだと思った。まあ最近はイタズラの悪癖もあるようだが、それは置いといて。
「――アナタは食えない人ですね」
「あら、あなたほどじゃなくてよ」
美しく笑う魔女は、どこか誇らしげにすら見えた。
自分もそんな風に、素直に誰かを愛せたらと思えた。それがどんなに難しいことかは分かっていた。でもきっと、ここに来て話したことは、意味があることだったのだ。
温室でさやさやと花が揺れている。名も知らない花々だけれど、どれも華やかで美しかった。
*
セザールが警備隊員になった。鍛錬の結果、認められた彼は、アーノルドに応接間に呼ばれた。
チカゲも何故かその場にいた。魔女に見ておきなさいと助言を貰ったので、興味はなかったが、結局惰性で行ったのだった。
アーノルドは簡単な祝辞を述べ、誓いの言葉を告げさせる。
「アルジェントのために働き、また、守るべき者のために剣を振います」
そう告げたセザールに、アーノルドは警備隊の証の勲章を贈った。
「君はまだ成り立てだ。奢らぬように。けれど正しい心の持ち主だとは理解している。弱き者のために剣を振るうように」
チカゲの隣に立っていたリオンが言った。
「わたしも前代の王様に誓ったんだよ」
「勲章は?」
「貰ったけどしまってある。東雲大陸の家の引き出しにね。つけるガラじゃないから」
「それで構わないんですか?」
「構わないって、言われたからいいの。わたしの真意は伝わってるはずだから。アーノルド陛下にも。わたしは守りたい人を守るの」
アルジェントに仕えていても、きっとリオンは東雲大陸に帰ったら、その民のために刀を振るう。それをアーノルドは許しているのだろう。でなければ派遣などされやしない。
そんなこんなで、東雲大陸に帰る日がやって来た。滞在はおおよそ一ヶ月だっただろうか。目的は今までの派遣に関する報告と、セザールの警備隊への入隊だった。それが果たされ、冷たい風の吹く季節、帰りの船が手配された。
チカゲは応接間でアーノルドとリオンが話しているのを見た。
「リオン、帰ったら今まで通り定期的に鳩で報告を頼む。それからブレッドとシフォンによろしく」
「はい、陛下、お元気で」
「君もね。あまり無茶をするなよ」
明るく返事をするリオンを見送った後、チカゲは一人彼に呼ばれた。
「いいかいチカゲ。図書館の事件の後、君を牢から出したのは大方ビワによる冤罪だと考えているからだ」
真面目な顔で国王は言った。
「君がもし本当に道を違えたら、君を始末するのは管轄であるリオンだ」
チカゲは目を細めた。
「そうでしょうね」
「もしも殺すならわたしが」と、先日リオンは叫んでいた。あんな顔はもうさせたくなかった。
「いいか、リオンを苦しめるな。他の隊員達のこともだ。俺にとっては皆大事な部下だ」
「心得ています、陛下」
チカゲは一礼した。裏切る気などとうに失せていた。あの娘には笑顔でいてほしかった。




