禁書棚と企て
それから一週間後の事だった。三日も経てば城は落ち着き、いつもの様子に戻っていた。
チカゲは町の見物もそこそこに、王室図書館に通っていた。アルジェントの国にそこまで興味はなかった上、本の方が手っ取り早く探す情報を得られるからだ。
図書館にほとんど人はいない。中央に司書がいるが、それだけで、奥に行くと誰もいない静かな空間が広がっている。チカゲはなんとなく落ち着くので、その場所が好きだった。
いくつもの本を見ていると、やってきたアーノルドとすれ違ったことがあった。
「よう、舞踏会では世話になったな」
「世話をした覚えはありませんが」
「君のその遠慮のない物言いが気に入ったと言ったろ。どうだ、この国にとどまらないか?」
チカゲはじっと窓の方を見た。頻繁に図書館に通うのは、その窓の下に警備隊の訓練場が見えるからでもあった。そこではほとんどいつもと言っていいほど、リオンがセザールや他の隊員達と鍛錬をしているのだった。
彼女の故郷はきっとどちらでもあるのだ。けれど本当の出身は東雲大陸で――きっとあちらに帰るだろう。
「残りませんよワタシは」
チカゲが言うと、アーノルドは肩をすくめた。
「つまらないな、君なんでも器用にこなせるタチだろ。残って仕事を手伝ってくれると助かるんだが」
「ご冗談を。この前まで捕縛対象だった身ですよ」
「そういえばそうだな、ハハハ」
彼はからりと笑って、本をいくつか手に取ると行ってしまった。
何が面白いのか分からない。まあ敵意は感じないし、人の良い国王なのだろう。なんとなく気は抜けないが。彼が行ってしまうと、チカゲは窓に近づいた。
遙か下で、リオンがセザールと試合をしている。先日までリオンが負けることはなかったのに、セザールが勝つことも時たま出てきた。
初めて彼が一本取った時の勝負も、チカゲはここで見ていた。負けたというのにリオンは喜び、ぴょんぴょん飛んで嬉しそうだった。
――――お人好しが。そんなんだから……、
そんな考えに至り、我に返る。やめよう、余計なことを考えるのは。チカゲは本棚に視線を戻す。背表紙を撫でると知らない場所なのに懐かしい香りがした。古い本の香りはどこでも似ているのかもしれない。
果てしなく広い図書館の本を全て読むのは無理だ。気になるものを何冊も読んだが、少し飽き始めていた。
別のところを回ろうか、そんなことを考えていた折だった。
「賢者の石について書かれた本を読みたくない?」
ふと掛けられた声に振り向けば、そこにはビワがいた。指名手配になっていたはずだ。
どうやって入ってきたのかは謎だ。だがこの男は神出鬼没なのだ、聞く意味もないだろう。
「……アナタ、よくもぬけぬけと」
「いいからいいから。ほら、こういう場所はどこにだって禁書棚があるものだ。君も来なよ」
無理矢理引っ張られる。
「やめてください!」
大声を出そうか考えたが、ビワは悪どい笑みを浮かべた。
「いいのかな? 窓を開けてリオンに助けを求めれば? まあ僕といるところを見られて良いのならね。ここはアルジェント。僕は指名手配犯。かつての君もね。君は牢獄行き待ったなしだ。僕みたいに妖術も使えないものね、捕まったら逃げられないだろ」
捲し立てるように言われ、ぐいぐいと腕を引っ張られる。
「待……って下さい! ワタシにはもうその気はないんです」
「何言ってるの? 今更平凡な人生を享受できると思ってる? 馬鹿げた思考は今すぐ捨てた方が身のためさ!」
言いながら連れて行かれたのは一番奥の禁書の棚のある場所だった。硬い鉄の扉で閉ざされている。
「馬鹿げているのはアナタでしょう。そもそも開きませんよ、厳重に閉めてあるそうですから」
「だから鍵を盗んできたのさ」
当たり前のように言うビワにぎょっとした。
止める間もなくビワは鍵を取り出し、鍵穴に刺してガチャリと回した。ぎぃいと音が鳴る。
ビワが楽しそうに言った。
「あっちの部屋にいた司書は気づいてないみたいだ。ここの管理ってどうなってるんだか」
そんなに簡単に盗めるものではないはずだ。
妖術を使うビワのことだ。鍵を手に入れるのもその類を使ったのかもしれない。
「さあおいで。共に禁忌を犯そうじゃないか!」
「やめ、」
どん、と背中を押されて扉の中に入ってしまった。
辺りには物々しく本棚が立っている。背後で扉が音を立ててしまった。
ビワはにっこりと笑った。
「ああなんだか雰囲気あるねえ。さて、と。賢者の石の文献は――魔法、妖術、違うな、錬金術――あったこれだ!」
言いながら手に取った。
「なぁんだ、僕の知ってる内容しか書いてない」
「アナタ、自分が何をしているのか分かってるのですか!」
「いつのまに真面目ちゃんになったの。君にとってツクヨミ様はそんな簡単に諦めていいものだったの?」
「っ、違います! ワタシはただ――」
その時だ。扉の向こうから声が聞こえてきた。
「禁書庫の鍵が盗まれたですって? とんだネズミがいたものね」
カツリカツリと近づいてくる足音。カヌレだと分かった。
チカゲは扉を開けようとした。だが無駄だった。
「ああやめなよ、鍵は勝手にかかるようになってる。この鍵がないと開かないよ」
ビワがくるりと手の上で鍵を回した。
「クソッ、それを渡して下さい、これじゃワタシも共犯に――」
「違うとでも? 君はほんの少しだけ迷った」
チカゲはハッとして、けれども形相を変えて声を荒げた。
「迷ってなどいない!」
「ならなぜ僕を見過ごした? ツクヨミ様を諦めたなんて嘘だね、君はまだ彼を諦めきれずにいる。あんな小娘になんの価値があるというの? まあここの書物には大した価値はなさそうだけど」
言いながらビワはチカゲを突き飛ばし、尻餅をつかせたかと思えば、更には本を投げつけた。
「なっ」
「どうやら無駄足のようだ。ま、君が捕まるのは面白い展開だけどね。お先に失礼するよ。あはははは!」
言ったかと思えば、鍵を投げつけてふっと消えてしまった。
扉の向こうから誰かの声がする。女の声。呪文。カヌレだ。後ろには司書らしき女性と警備隊の男らしき人間もいた。
扉が開いた魔女が見たのは、座り込んだチカゲと、そのそばに無造作に置かれた賢者の石の書物、落ちた鍵。
「――チカゲ」
魔女が目を細めた。チカゲは悟った。言い逃れすることなど無駄だと。
今までならああ何もかもくだらないと、諦めていたかもしれない。
けれど脳裏によぎる少女の存在があった。あの子がこれを知ったら悲しむに違いない。
チカゲは無茶を承知で声を上げた。
「――ビワです。無理矢理中に連れ込まれて――鍵を盗んだのも彼です」
「それじゃ彼はどこに?」
「逃げました」
「彼がいた証拠は?」
「……ありません」
そこへ遅れて国王アーノルドがやってきた。
「なんの騒ぎ? ああ、チカゲ……」
彼は困った様子で肩をすくめた。
「結局君はそっち側だったの?」
「違います!」
チカゲは立ち上がった。
「ワタシはもうあの石を――ツクヨミ様を――」
そう、諦めた。諦めた。諦めたのだ。
――君にとってツクヨミ様はそれだけの存在だったの?
ビワの言葉が頭の中で蘇る。繰り返し。口ごもったチカゲを見て、アーノルドは眉を顰めた。
隣のカヌレと何か話し合っている。
「んーなるほど。発見時はそこで座り込んでいたと。カヌレの証言では言い争うような声も聞いたとか。であればチカゲ、君の言葉を信じたいところではあるが――君がまた自分の迷いに抗えなかったのも事実。完全に過去を吹っ切れたわけではなさそうだな」
「そんな、ワタシは」
自分らしくもなく、弁明しようとした。他ならぬあの子が悲しむだろうから。
そんな時、当の娘――リオンがやってきた。彼女は惨状を知るなり酷く悲しげに――そしてどこか怒りに満ちた目で言ったのだ。
「……また裏切ったのですか」
「リオン!」
「どうしてこんなことに……あなたが完全に諦めていたなら、利用なんてされるはずもない……あなたはまだ迷ってる、そうでしょ?」
「待ってくださいワタシは」
「終わったはずじゃなかったの? ねえわたし、あなたを信じたのに」
涙目でリオンが叫ぶ。
「このうそつき!!」
ひくりとチカゲは喉を鳴らす。
言いたいことは山ほどあった。それなのにうまく言葉にはできなかった。
当然のような、どこか哀愁の混じった目でアーノルドが告げた。
「投獄だ。俺は優しいからな。一週間にしてやろう。冷たく暗い牢で頭を冷やすといいよ」
チカゲが何か言い募ろうとした時には、リオンは走り去っていた後だった。
*
たった一週間。されど一週間。
あの子は誤解をしたままだ。解かなければ。
――――誤解?
ツクヨミ様を少しでも諦めきれない自分がいたのは確かだ。けれどもそれよりも確信できることがあった。もっと大切なことがある。
リオンはきっとここへ来るだろう。かんかんに怒って怒鳴り込んでくるかもしれない。構わない。彼女に話そう。
ビワの甘言に、一瞬心が揺らいだ。けれども自分は既に、この世の倫理を受け入れたのだ。それを噛み締めて、痛みと共に握りしめている最中なのだ。
他ならぬ自らの誕生日に。あの子が真名を教えてくれた日に。
死んだ人は蘇らない。それよりも大切な存在があると、知ったのだから。
それを伝えたい。もう間違えたくないのだと、その気は無いのだと、他ならぬ自分がそう信じたいのだと。
けれどもリオンは来なかった。一日、二日経つとチカゲは苛つき始めた。そして不安になった。
最後に見た彼女の目。
青いその瞳は悲しみと――憎しみさえ孕んでいるように見えた。
裏切られたと、思っていることだろう。
謝ろう。あの子に。
そう思っているのにリオンは来ない。
失望された? 嫌われた?
暗くて冷たい地下牢で、不安が闇のように募っていく。
四日目、誰かがこつりこつりとやってきた。食事を運んでくる者とは違う、誰かの足音。
「誰ですか」
わずかな望みを抱いたものの、現れたのは少女ではなかった。
「僕です、セザールですよ」
チカゲは目を細めた。まるで正義の王子のように、鉄格子の向こうに彼は立っているのだった。少なくともチカゲにはそう見えた。
「あの子を失望させて、どんな気分ですか」
「……分かっています、今回はワタシの弱さが招いたことです、あの子に謝罪を、」
「彼女来ませんよ。あなたに会いたくないと言ってるんです」
「っ」
「あ、誤解しないで下さいね。僕がそう工作してる訳じゃないです。本人の意志です」
生真面目な彼の言葉は説得力があった。そして剣のようにチカゲの心を抉るのだった。
彼も彼で今回の件に関して、それなりに思うところがあるようだった。
「なぜあなたはそうも残酷なのですか? 彼女が可哀想だとは思いませんか? 年端も行かない女の子ですよ? 彼女は色々背負いすぎなんだ」
「……肯定してほしいのですか? それとも反論を?」
「反省を求めます」
「反省ならとっくにしている!」
チカゲは鉄格子に掴み掛かった。
「アナタには分からないでしょうね! ツクヨミ様とのすべてを――ワタシは諦めなければならなかった! 少しだけ――揺らいだんだ、だからあの子は裏切られたと――謝罪をしたいんです、会わせて下さい!」
「彼女が望めばもちろんそうしたでしょうけど。あの子が望んでないので。今あの子どんな風になってるか想像できます?」
分からない。酷く怒っているか、泣いているか、絶望しているか――あるいは?
「彼女ね、荒れていますよ。鍛錬に打ち込むのはいいことですけど、度が過ぎてるんです。僕練習相手にさせて貰ってますけど――まあ普通ではないですね」
そう言って苦笑いする彼の腕や頬に擦り傷が増えているのをチカゲは見た。
「あの子に伝えたいことがあるんです、せめて伝言だけでも」
「お断りします」
どこか冷たい声でセザールは告げた。
「なぜ僕が? 僕は善人でいたいですが聖人ではありません。あなたより前からリオンが好きだ。言いたいことは分かるでしょう」
チカゲは眉を顰めた。嫌な予感がした。
「鍛錬の相手をさせられる僕の気持ちが分かりますか? あの子は怒りながら、時には泣きそうな目をして、ひたすらあなたの悪口を言うんです」
リオン、と思わず口からこぼれそうになった。
彼女はそう――傷ついているのだ。傷つけてしまった。
「どれだけあの子を傷つければ気が済むんですか? 彼女は僕の相手をしているのに、僕を見ない。ひたすらあなたの悪口ばかり――そして、終わった後、抜け殻みたいになって泣くんですよ」
「…………」
想像できてしまった。今すぐそばに行きたいと願った。
「だから僕は彼女のそばに座って、慰めてやるんです。彼女も可哀想、僕もいい加減可哀想だと思いません? あの子僕の隣であなたのことばかり言うんです」
チカゲは歯を食いしばった。
彼の言うことは尤もで――けれど他の男に慰められているリオンを想像すると酷く胸が痛んだ。自業自得だった。
セザールは静かに告げた。
「あなたが出るまで後三日――。もういいでしょう、明日、僕はあの子を抱きしめて、頭を撫でてあげます」
「な」
「これぐらいは当然の権利ですよね? 彼女の話を聞いて、涙を拭ってあげます。真綿で包むように、あの子の痛みに寄り添います。――あなたが出るまでに、彼女の気が変わらないと良いですね」
「――クソッ、ここから出して下さい! あの子に伝えなきゃいけないことが――」
「どうぞここで大人しくしてて下さい」
「リオンに手を出すな!」
ハッとセザールは笑った。
「何の分際でそんなことを? 恋人でもないくせに」
「ワタシは彼女の何でもない――でも、」
「ご安心を。手など出しませんよ。僕は紳士ですから」
そう言って薄く笑うと、セザールは行ってしまった。
チカゲは鉄格子をより強く握りしめる。そのまま項垂れた。
「こんなクソな世の中なんか……」
違う。ちがう、ちがう。
それでは駄目だ。そんな思考ではすべてが元通り、過去の自分になってしまう。
世界は自分で変えねばならない。賢者の石なんかに頼らずに。
でもこの牢獄から出られるまで後三日。リオンのことを思うと、どうにかなりそうだった。思わず首元に隠した首飾りを握りしめた。




