それはまるで「でえと」のような
やがて数日後、船は港に着いた。
「王都だー!」
楽しげに陸地に降りたリオンが言う。セザールもどこか懐かしげな瞳をしていたが、チカゲにとっては初めての場所だ。
小洒落た街並みだ。建造物――たとえば階段の手すりやらは歪曲しているものもある。なんというか見慣れないものだった。
「チカゲさん、一応気をつけてね。差別は昔よりだいぶ減ったけど、今でも一部では残ってるから」
「承知の上ですよ」
リオンの案内でセザールとチカゲは城に向かうことになった。
*
「ああ、リオンか」
謁見の間に入ると、若い国王――二十代前半に見える青年が、何やら報告書のようなものを立ったまま眺めているところだった。
「陛下、お久しぶりです」
「君の報告書は相変わらず端的だね。まあ無駄がない分、細かいところが分からなくて――君、鳩も飛ばしたね? そこにいるのが警備隊志望の青年か。それから――赤目の――彼が錬金術師ね」
しゃなりしゃなりと彼はチカゲの元に歩いてくる。チカゲは目を細めた。国王はじっとこちらを見た。
「君、かつて監視対象だったんだよ、捕縛対象になったこともあった」
リオンの顔が一気に緊張で固まった。チカゲは動じずに告げた。
「ええ、仰る通り」
「リオンは君が変わったと言うが、どう証明する?」
「証明の手立てがありません」
「君は過去を捨てたそうだね? ツクヨミとやらの手記を持ち歩くこともあるとか。今もあるの?」
「……ええ」
「ここで破いてくれる?」
「陛下っ」
声を上げたのはリオンだ。
無理だ。ツクヨミ様の日記を破るなんて到底できはしない。それに過去を捨てたというのは綿密に言えば間違いだ。捨てられるわけもない。ただ乗り越えたというだけで。それは失われたものではなく、宝物として心の箱にしまっただけ。
だが国王の目は鋭かった。
「俺はね、部下を大切にしてる。ブレッドやシフォンを東雲大陸に送り込んだのも、そもそも君の起こした事件が原因。リオンも大切な部下の一人だ。君に危険性がないとここで証明してくれ」
彼の言うことはまあ尤もだった。
チカゲは日記を取り出した。破こうと手をかけた。
「っ……」
手が震える。どうしろと。ああでも破かなければ。ツクヨミ様。許してください。
ふっと国王の目つきが変わった。
「ああ、もういいよ、ごめんね、試しただけだ」
チカゲは少し怒りを覚えたが、同時にひどくほっとした。
「酷なことをさせたね。それは破かなくていい。しまっておきたまえ。君の目には害意はなさそうだ。少なくともそう見える」
「……そうですか」
酷くほっとしたままチカゲは日記をしまった。
「君がまた道を間違えたら――その時は分かってるね? 君の管轄はリオンだ。今は問題ないと言うけれど――君が不祥事を起こした場合、リオンが君を殺さなきゃいけなくなる。そんな悲劇は避けたいだろ?」
「仰る通り」
「……ま、いいか。なんか思ったより問題なさそうだし」
彼はそう言って今度はセザールのところへ行った。警備隊に入るのにいかに鍛錬が必要か説いている。
セザールは緊張していたけれど、どこか煌めく目で頷きながら聞いていた。
その間にリオンがこちらへやってくる。
「ち、チカゲさん、大丈夫だった?」
「何が」
「ごめんなさい。陛下にはきちんと伝えたはずなのに」
「いいえ、そもそもワタシの信用の問題です。あれぐらいは妥当でしょう。結果的に日記を破くこともなかったから問題ありません」
リオンは酷く切ない目をしていた。
「リオン」
アーノルドに呼ばれてリオンがそちらへと駆け寄る。
「君は城に滞在を。セザールには警備隊の寮を。チカゲは町の宿屋に滞在するといい。このセザールという若者――随分と生真面目みたいだから――君が稽古つけてやったら? 本人もそう望んでるみたいだし」
「あ……ああ、はい分かりました」
「あとカヌレがどうせ君に構うだろうけど、自分でなんとかしてくれると助かる。あの魔女機嫌損ねると面倒だから」
「は、はい」
「……あんまり酷かったら俺から一言言っておくけど。まあこれぐらいかな。話はそれだけ。報告書は読んでおく。君の持ってきた資料多いからね」
「恐れ入ります」
「君こそ真面目すぎやしない? 報告書こんなにきっちりまとめて。稽古つけてやれとは言ったけど、息抜きも大事だから。久々の王都を回ってみるのもいいんじゃない?」
そんなこんなで謁見は終わった。
帰りの廊下でセザールが言う。
「国王陛下真面目な人だねー」
「そう見える? あれでいて時々ふざけたこと言うよ。あとお酒好きなの」
「それは知らなかった」
チカゲは色々聞きながら、なんとなく疎外感を覚えていた。当然だ。リオンもセザールもこの地にいたことはある。だが自分は初めてだ。建物やら何やら文化が違いすぎて、違和感を覚えるばかりだった。
「チカゲさん、聞いてる? チカゲさん」
「え、ああ――考え事してました」
「明日王都案内してあげようかって言ってるの」
「ええと、良いのですか?」
「うん、だって地理全然分かんないでしょ?」
「地図を見れば……」
「実際に見ないと分かんないこともあるよ、ね?」
にこにこと笑うリオンは少し楽しそうだった。
セザールが口を挟む。
「僕には案内してくれないわけ?」
「あなたは昔王都で暮らしてたんでしょ? 案内も何もないでしょー」
これは自惚れだろうか。なんとなく、彼女が自分と二人きりになりたがっているような気がした。
「……分かりました、では明日」
「地図はこれ。宿はここね、噴水のある広場を抜けた先。明日迎えに行くから!」
そう言ってリオンはスキップでもしそうな勢いで行ってしまった。
*
宿へ向かいながら、チカゲはなんとなはなしに孤独を覚えていた。見知らぬ地に来たのだから当たり前だ。
宿は手配されたものだった。こじんまりとしているが居心地がいい。
だが見るもの全てが違う。洒落た家具はなかなか落ち着かなかったが、そのうち慣れるだろうと思い込むようにして、その日は無理矢理眠った。
次の日、扉をノックするものがあった。
目をこすりながら開けると、リオンがにこやかに立っていた。
「おはよーございます!」
「なんか機嫌良さそうですね。どうかしました?」
「チカゲさんと二人でお出かけするんだよ? こんな気分にもなるよ」
「…………」
どうも自惚れではなかったらしい。彼女が二人きりになりたがっているのだと気づくと、妙な優越感と独占欲に似た何かが胸を占めた。
「支度して」
「ああ……はい」
支度といってもたかが知れている。財布をしまい、チカゲは宿の外へ出た。
石畳の道は洒落ている。楽しそうに歩くリオンの背を見ながら、チカゲはここに馴染めるのだろうかと考えながら歩を進めていた。
「はいこれ地図ね! どこか気になる場所ある?」
リオンが広げて見せてくるが、そんなことを言われてもどう回ればいいか分からない。
「本屋とか……ですかね」
リオンが一つ瞬きした。
「構わないけど……書店なら東雲大陸にもあるでしょ? ここにしかないところに行けば……」
「ここにしかない本もあるでしょう。アケボノ村にも輸入品がありますが、それはごく一部では?」
そう告げればリオンはなんとなく納得したような顔をした。
「何の本が読みたいの?」
言いながら歩き出す。
「……さあ、こちらの文化のことをよく知らないので。そういった類のものでも探しますかね」
言いながら歩いているうちに、本屋に着いた。チカゲは目を丸くする。
東雲大陸のそれとはまた違った造りだ。使われている色彩も違う。
「へえ、なるほど、これは興味深い……」
言いながらあれやこれや手にとって、数冊買った。
「何買ったの」
「…………」
説明が面倒になって見せてやる。アルジェントの文化について書かれた本と、もう一つは料理本。
以前リオンがセザールにマフィンの作り方を教えてもらっていたことがあった。いくら相手が紳士といえど家に招き入れるなど警戒心のないことだ。自分だって余計な誤解をしたし、王都の料理が得意になれば、この不器用な娘に教えてやれるかもしれないとなんとなく思ったのだった。
リオンは何か誤解したのか、頬を緩ませた。
「チカゲさん、王都の料理に興味あるの?」
いや別に興味はあまりないが。そう答えようとしたけれど、彼女は楽しそうに続けて言った。
「それじゃその本読む前にどこか料理店に寄ろうか」
嬉しそうに言われてしまえば、チカゲに断る術などなかった。
町並みの間を街灯が立っている。
「ワタシは別にそこまで王都の料理に興味は……」
「じゃあなんであの本買ったの?」
「……なんとなくですよ」
「ふうん?」
リオンはよく分からないという顔をしながら、それでもどこか懸命にチカゲを案内するのだった。
「なぜアナタはそんなに案内したがるんですか」
「だ、だってでえとみたいじゃん」
でえと。アルジェントでは逢引を示す言葉だと聞いた。チカゲは今度こそ答えに窮してしまった。無関心を装ったが、なぜか少しだけ緊張した。
リオンの案内した店は裏通りにあり、洒落た看板があった。
中はオレンジの灯りで満たされ、これまた小洒落た雰囲気だ。
そう思った時だった。
店の奥の机に座っていた男二人が立ち上がった。
「おやおや異邦人じゃねえか」
「東雲大陸から来たのか、お二人さん」
リオンがきっ、と目を鋭くさせる。チカゲも静かに彼らを見た。
「東雲の連中は生で魚を食うんだってな」
「ここから出ていけよ野蛮人」
リオンは強い視線のまま告げた。
「文化の違いがなんだって言うんですか、わたしあなた方に何かしました?」
「不愉快なんだよ、おいこいつらをここから追い出してくれ」
そう言われたのは店員の女だった。彼女は酷く動揺しながらも、懸命に口を開いた。
「し、しかしここには時たま海の向こうのお客様も来ますし……そういった対応はしておりません。ですから、」
「俺らの言うことが聞けねえってのか?」
男二人が店員に近づく。
「おいどうなってんだよ、異邦人の味方すんのか? こんな所で食ってられるか、金返せ!」
「しかしもうお食事はお出しして……」
「いいから金返せよ!」
「そこまでです!」
リオンが刀を抜いた。
「わたしは王室付きの警備隊です。一般人への業務妨害、及び恐喝の件で上に報告します。お嫌でしたらお引き取りを」
唐突に刀を向けられた男達はぎょっとして、悪態をつきながら、逃げるようにして慌てて店を出て行った。
「ありがとうございます」
お礼を言ったのは店員だ。「いいえ、味方をしてくれたのはあなたですから、こちらこそ」リオンはそんな風に返して席に座る。
チカゲはその一連の流れを見ていた。リオンがどうやって生きてきたのか、垣間見えたような気がした。
「どうしました、チカゲさんこっちですよ」
奥の席にいつもの笑顔で座る少女。その向かいに座りながら、チカゲは口を開いた。
「アナタはずっとあんなのと向き合ってきたのですか」
「ずっとと言っても、昔より随分減ったんだよ」
かつて彼女はこの地で育ったのだ。さっきは当たり前のように対応していたが、それはきっと、たくさんの自分が知らない経験から成ったものなのだろう。どこか郷愁とやりきれなさを覚えた。
「チカゲさんそんな顔しないで。せっかく来たんだから、何か美味しいもの食べよ」
それもそうだ。チカゲは気を取り直してメニューを覗き込んだ。訳の分からないものが並んでいる。
「見たことないものばかりです。いくつかはアケボノ村にも輸入されてますが……ほぼわかりませんよ」
「うーんオムライスとかどう?」
「なんですかそれは」
「ご飯を卵で包んだものです」
卵かけご飯と何が違うのかよくわからなかったが、とりあえずそれを注文することにした。
運ばれてきたオムライスだとかいう代物はリオンの言った通りの卵でできた料理で、見たこともないソースがかけられていた。
「それはケチャップです」
「ハァ」
試しに食べてみた。なんだか妙な味がしたけれど、しばらく食べているうちになんとなく馴染んできた。卵の包みを切って、中のご飯と共に食べると、確かに美味しい。
「悪くないですね」
「気に入った?」
そう言って笑うリオンの顔に、こちらも少しだけ温かい気分になる。頷けば、リオンは破顔した。
「今度作ってあげるね!」
チカゲは想像してみた。不器用なリオンの作ったオムライスはおそらくぐちゃぐちゃだろう。ちょっと笑いが込み上げて、奥歯で噛み殺した。




