誕生日の贈り物
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長月の二十三日、それがチカゲの誕生日だ。誕生日は一人で過ごすと決めていた。自分が嫌いなチカゲは、この日になる度、毎年憂鬱になった。生まれてきた意味は何か、そもそも生まれてこなければ良かったと、そんな思考になるからだった。
リオンは仕事中だ。管轄ではないと聞いていたから、二人で紅葉を眺めた、あの湖のほとりで、石に座りチカゲは考え込んでいた。
あの娘をあのまま湖に突き落としていれば良かったのだろうか。手を貸せばすぐに上がって来られるだろう。でも首を絞めてしまえば――。
そうしたら後悔するに違いなかった。もう戻れないほどにリオンの存在は大きくなっていた。
あの日、紅葉の中、楽しそうに落ち葉を踏み分け步く明るい少女は、けれどどこか消えてしまいそうな儚さがあった。前にあげた髪紐をずっと大事にしているらしい。あの赤い髪紐が、あの日も紅葉の中で一段と紅に揺れていた。風に吹かれた黒髪が揺れて、瑠璃の瞳が煌めいていた。恋する少女の目をしていた。
あの目で見られるとどうにも居た堪れなくなるのだ。胸が締め付けられて、いっそのこと彼女を殺してしまえば楽になるのではないかと、そんなことさえ思った。
ずっとツクヨミ様のためだけに生きてきた。失ってからずっと。それを邪魔するものは排除しなければならなかった。この恋心は邪魔だ。葬り去ればいい。できるものなら。
気づけばふと辺りの景色が変わった。湖も紅葉した美しい木々もなくなって、冷たい夜空が広がっている。
一面に咲く彼岸花。チカゲはゾッとして立ち上がった。前に迷い込んだビワの結界と似ている。違うのは夜であること。
夜空の下、一面の彼岸花はやっぱり血の色をして、手招きするように揺れているのだった。
「ぁ、あ」
「やあチカゲ」
ざくざくとヒガンバナの向こうから男がやってくる。ビワだった。
「君の心の隙をついたんだ。見事な場所だろ?」
長月の二十三日。その日の誕生花は彼岸花。なんともおぞましい呪われた日。着物の柄をソレにしているのも、自戒を込めたものだ。この世に希望はないと、自分に言い聞かせるため。賢者の石を手に入れ、ツクヨミ様を蘇らせるため。
けれど、今は。
「か、帰してください」
「帰す? どこに? 僕とおいでと言ったでしょ。君はツクヨミ様を必要としてる、そうだよね」
「か、帰らないと」
「『長月の満月に、愛弟子と月見をした。チカゲは団子を作ってくれた。去年私が教えたやり方で』」
「や、やめろ!」
ビワが読み上げているのは以前奪ったツクヨミの日記だった。その緑の背表紙に泣きたくなった。ビワは朗々と愉しそうに読み上げるのだった。
「『チカゲは器用だ。錬金術だけではない。料理も得意なようだ。この子と食べた団子は美味しかった。これまでで一番』」
そう、そうだった。あの人と食べた月見団子は、これまでで一番、美味しかった。
月を見ながら、風に揺れるススキのそばで、縁側に座って食べたのだ。
けれども同じくらい美味しいものをチカゲは知っていた。塩と砂糖を間違えた、しょっぱいリオンのマフィンだった。
あの人と食べたから美味しかった。
あの子が作ってくれたから美味しかった。
選べない。どちらかなんて選べない。
「『カラスの墓を作ってやることにした。昔この子の友達だったというカラスだ。私は会ったことがない。亡骸もない。だから形だけ共に作った』」
「やめてくれ!」
「『この子はカラスの思い出に時たま執着している。そんな時は、何を言っても無駄なのだ。私が側にいるのに。諭したものの彼は激昂して飛び出して行った。なんと言葉をかけたものか』」
「はあっ、はあっ、返せっ、日記を返せっ」
飛び掛かろうとしたが刀を突きつけられる。チカゲは赤い目をさらにおぞましく燃え上がらせ、自らも刀を抜き、飛びかからんばかりに切り掛かった。器用にそれを受け流しながら、ビワは朗々と読むのだった。
「無駄だよチカゲ。今本気出せてないでしょ。君は弱ってる。ほらここにも書いてある。『あの子を探しに行った。木の根元で泣いていた。カラスの墓のそばで。あなたもいなくなるんでしょうと、泣いていた。私はいなくならないと、何度も言い聞かせた』」
「お願いです――お願いだ、やめてくれ!!」
「『私は言った。いなくならないから、心配する必要はないのだと。お前を捨てたりなんてしないからと。ようやくあの子は頷いて、私の手を取り、涙を拭きながら、共に家路に着いたのだ』」
ガキン! と刀が弾け飛んだ。チカゲの刀だった。
そう、いなくならないと、いなくならないとあの人は――大切な師匠は言ったのだ! それなのに殺された!! あんまりにもあっけなく。残酷なやり方で。それもチカゲを庇って死んだ。
チカゲは膝をつき、とうとう這いつくばった。
「つ、くよみさま」
ぱたん、と本を閉じる音がする。ビワが日記をしまいながら、にこにこと微笑んでいた。
「噂を聞くに、君のせいで死んだらしいね」
赤い目から涙が落ちた。
「潮時だよ。一緒に行こう。君の平穏な日常ごっこは終わりだ。小娘とのおままごとは楽しかった? 君の師匠は君が蘇らせてくれるのを待っている。賢者の石を作ろう。君の技術が必要なんだよ。さあおいで、かわいそうなチカゲ」
「ぁ」
伸ばされた手を、チカゲは取ろうとした。
そう、そうだ。ツクヨミ様は待っているのだ。自分のせいで殺されたあの人は。蘇らせれば、きっともう一度、微笑んでくれるだろう。そのはずだ。
「チカゲさんに何をしたの」
凛とした声が響き渡る。なぜか闇夜の彼岸花の花畑に、リオンが立っているのだった。
「おやよく入って来られたね。相当の想いがなければここまで来られなかったはずだ」
「御託はよして。その人に何したの!」
「御託? 言っとくけど僕は妖術使い。で、今夜はまあちょっとした特別な日でね? 死に執着している人間がいると余計にさ。冥界に繋がりやすくなるの。君帰った方がいいよ」
「冥界? チカゲさんを、――殺すつもりなの?」
「まぁさか! 殺したってなんの意味もないだろう! ここも見つかったってことは別の結界を作らなきゃあねえ。もっと強力なやつ。とにかくここは不安定なの。コイツ――この男の精神の問題もあってね」
「チカゲさんになんの問題が? ねえチカゲさん、教えて、わたし力になる」
「来ないで下さい!!」
チカゲは叫んだ。紅の瞳は彼岸花のような色をしていた。
「ワタシはツクヨミ様を蘇らせるんだ! アナタは邪魔だと何度も言ったはずです!! お願いだからこれ以上苦しめないで下さい!!」
とっくにおかしくなったチカゲは刀を拾った。この異様な空間の中、死者に執着した男はもはや正気とも言えなかった。
「アナタがいるから迷うんだ! アナタさえいなくなれば!!」
「っ、チカゲさん!」
リオンが刀を受け止める。
「やめて! やめてよ殺したくないよ、好きなんだよっ」
泣きそうな少女の目が美しいとチカゲは思った。その事実にすら泣きたくなった。
「アナタが、アナタさえ、ああお前さえいなければ!!」
チカゲは思い切り斬りかかる。すんでのところで避けたリオンは再び降ってきた刀を慌てて受け止めた。鬼気迫るチカゲの様子に明らかに動揺していた。
ビワの言った弱さ――悲しみは――今や激しい憎悪に変わり、化け物のようにチカゲを駆り立てるのだった。
そうだ、いなくなればいい。お前が邪魔をするからだ。お前さえいなければ。迷いはなくなる。すべては大切な師匠のために。
「やめ――っ」
リオンの刀が弾け飛ぶ。地面に突き刺さったそれを彼女が引き抜く前に、その首に刀を突きつけた。
「さようなら、リオンさん」
そのまま刀を振り上げる。
少女の瑠璃の目がどろりと揺らいだ。揺らいで涙がこぼれた。
「さ、さよなら……チカゲさん」
「そこまでだ、やめなさい」
割って入った声を、チカゲは知っていた。ハッとした。まごうことなきあの人の声だった。またビワが化けているのかもしれない。そう思ったけれど、ビワとは別に、一面の彼岸花の中を、烏帽子の男が歩いてくるのだった。緑の着物にはススキの模様が縫われていた。間違いない。あの人だ。
「お前をそんな愚か者に育てた覚えはない」
「ツ、クヨミ様……」
それは紛れもなく師匠だった。幻でもなんでもなく、本物だった。ただ彼は死んだはずだった。
舌打ちしたのはビワだ。ツクヨミが構わず続けた。
「そう、そもそもこの結界がお前の精神に干渉して作られている。お前は死者――私に執着し過ぎた。冥界の入り口と繋がったのだよ」
「そんな馬鹿な」
「神域に迷い込むこともあるだろう。それと似たようなものだ。第一妖術に対する心得は教えなかったか」
「…………」
「そちらも鍛錬しろと言い含めておいたのに。途中から賢者の石の探究に心力を注いだな、この愚か者め」
言いながらもツクヨミの目はどこか労るようだった。
「馬鹿な真似を……チカゲ。私は――私は蘇ることなぞ望んでいない」
「ツクヨミ様、しかし」
「では私と暮らすために黄泉に共に来るかね? そこの娘が泣くだろうが」
「……、それは」
「おねがいです」
ふらふらと立ち上がったのはリオンだった。今しがた殺されそうになったというのに、必死にチカゲの腕を掴んでいた。
「ツクヨミ様! チカゲさんを連れて行かないで下さい! お願いです!!」
泣き叫んばかりに言うものだから、チカゲは胸が締め付けられた。そんなに馬鹿みたいに叫ぶのはやめてほしかった。泣きたくなるから。
「元よりそのつもりはないさ。お嬢さん、うちの弟子が失礼したね。怪我は?」
「え、あ、ちょっと……いえ、ヘーキです」
「お前のせいで怪我をしたらしいぞ謝りなさい」
「いやです」
「チカゲ」
「……すみませんでした」
チカゲはツクヨミには頭が上がらない。リオンに謝るのは癪だが、まあ師匠の言うことは贔屓目がなくてもマトモだったから、仕方なく謝った。
「さてチカゲ、選びなさい。お前を黄泉に引きずり込む気はない。結界が解ければ私も死者として帰るだけ。――賢者の石を作り、私を蘇らせるか、それとも諦めて、この娘の手を取るか」
「ワ、タシは……」
「仲良しごっこでもしてるの? いい加減にしなよ」
割って入ったのはビワだった。
「チカゲ、本物のツクヨミ様だよ! ようやく会えたね? 僕の結界のお陰!」
「それは語弊が、」
口を挟もうとしたツクヨミを遮り、ビワはにこやかに告げた。
「ほら、ツクヨミ様はここにしかいられない。結界が消えたら終わり。そんなのごめんだよね? 懐かしいお師匠様にまた会えたのにお別れなんて」
チカゲの心はぐらぐらと揺れた。正しい答えなんて分かっているはずなのに、それでもぐちゃぐちゃにかき回され、何が何だかわからなくなる。ただツクヨミ様を求めていたことばかりが思い出されるのだった。
「二度も失うのは辛いだろうねえ。ねえチカゲ? 血影。よおく思い出して。君のせいで彼は死んだの」
「はっはっ」
呼吸が浅くなる。息がうまくできない。広がる赤い赤い血が思い出された。そして目の前には血のように滴る彼岸花がどこまでもどこまでも咲いている。
「血影。君の人生は血溜まりでできている。そう言ったはず。君に選ぶ余地なんてない」
「千景、この男の言うことを聞いてはだめだ」
ツクヨミ様の声がする。
自分の真名はどちらだっけ。頭がごちゃごちゃになっていく。ああそう、血だまりの中で生きていた。ツクヨミ様はワタシのせいで死んだ。広がる鮮血をただただ見下ろすことしかできなかった。ワタシは血影。
「――チカゲさん?」
真名を知らない少女が話しかけてくる。
「大丈夫、わたしがいる。ツクヨミ様の代わりになる。ね? お願い、あなたのためなら赤の他人になったって構わない。代わりになるから。ね、側にいるよ」
リオン、リオン――リオン。
ツクヨミ様の代わりになぞ誰もなれやしない。
お前の代わりもどこにもいない。
お前はお前だリオン。どこにも行かないで。逝かないで。そばにいて。
リオンとして、そばにいてください。
「り、おん」
少女の手を取れば、彼女は悲しげに微笑んだ。チカゲは悲痛に声を上げた。
「ち、がうんです。ツクヨミ様の代わりには誰もなれない。アナタはアナタでしかない。分かりますか? 言いたいことが、リオン」
少女の瑠璃の目が潤んだ。
「な、なんとなく」
なんとなく? 今はそれでいい。ああ、目が覚めたような気分だった。血だまりの中に差した青が、本当の名前を思い出させてくれる。
チカゲは立ち上がり、振り返った。
「ワタシは――ワタシは千景。ツクヨミ様の一番弟子です。ツクヨミ様の望まないことはしない。――もう終わりにします。師匠は、――死んだのです。それは覆らない」
深く、深く息を吐き出す音がした。
それがツクヨミのものか、リオンのものかは分からない。ただ安堵のため息だと分かった。
チカゲは続ける。
「ビワ、アナタの戯れにはうんざりです。消えてください」
「チッ、死者が出しゃばるんじゃないよ、そこの小娘もね! そもそもリオン、君がいるからチカゲがこんなになるんだ! 君さえ殺してしまえば」
にっこりとツクヨミが微笑んだ。
「別に妖術使いが嫌いなわけではないんだ。だがお前の行動は目に余る。私の愛弟子と――そこのお嬢さんに手を出そうと――お前は私と共に黄泉へ来るがいい」
「な、何言って」
「共に来なさい。引き摺り込んであげよう。あの世もそう悪くないさ。お前にとってどうだかは知らないけどね」
言いながらビワに手を伸ばそうとする。
ビワはゾッと顔を引き攣らせて、言葉も発さず逃げて行った。
「――ああ、逃げられたか。これでは結界が解けるね」
ツクヨミが困ったように微笑んだ。
「千景、よく覚えておきなさい。お前の本当の名前を」
「も、もう二度と会えないのですか」
「当たり前だ。本来はここで会うはずもなかった。――よく見なさい、彼岸花は死を連想させる花だ。『諦め』や『悲しい思い出』といった意味もある。――でももう一つ『情熱』という意味もあるのだよ。お前にぴったりだ。そうは思わないかね?」
「……ツクヨミ様」
「お前は毎年この日になると悲観してばかりいた。もうやめなさい。お前は私の一番弟子なのだから。生きていることを誇りに思いなさい。千景――誕生日、おめでとう」
ふっと笑って、一面の彼岸花と共に、ツクヨミは消えた。
結界が解けたのだ。辺りは元の景色に戻り――と言ってももう夜になっていたが――湖のほとりで紅葉が風に揺れているのだった。
「……びっくり、したぁ」
膝をついたリオンと対照的に、チカゲは湖を眺めていた。
「……チカゲさん?」
「あの日、アナタをここに突き落とそうとしましたね。でもあのあと、そのまま首を絞めたらどんなに――楽になるかと思ったんです」
「…………」
「そして、どんなに後悔するか」
「!」
リオンが立ち上がる。
「ワタシは、うまく言えないけれど、先ほど言った通りです。アナタにはアナタのままでいて欲しいと。ツクヨミ様の代わりは求めて、いません。あの方はもう……あの世へ還られたのですから」
「そっか……そうだね」
切ない目をして彼女は言った。
「少しはわたしのこと、好きになれそう?」
チカゲは困ってしまった。うまく言葉にできないのだ。出て来ないと言った方が正しいかもしれない。あんなにすらすら回る口が、どうもこの手の話題だと止まってしまうのだった。
代わりに少女の頭を撫でた。
「もう! そうやってすぐはぐらかす!」
言いながらも絆されたように少し赤くなるリオンは――かわいい。不意に抱きしめたくなってぐっと堪えた。よくない感情だ。よくわからないけど、これはよくない。
リオンは赤くなって手を退けると、息を吐いてこちらを見上げた。
「あのね、わたし、真面目な話をしてるの。な、撫でて誤魔化すのやめてくれる?」
「…………誤魔化したつもりは」
「まあいいや、あのね、聞きたいことがあって」
「なんですか」
「ツクヨミ様が、本当の名前って、言ってたでしょ。わたしは部外者だから分からなかったけれど――真名を、呼ばれてたの?」
チカゲは目を細めた。不意に足元に落ちているものを見つける。
ツクヨミの日記だった。暗い月夜の下でも、緑の本だと分かった。ビワが逃げる際落としたらしい。
「それは……?」
「ツクヨミ様の日記です」
「み、見たい……」
非常に物欲しそうな目でリオンが言った。
「駄目に決まってるでしょう」
「はい」
そう、とても見せられない。大切なものであることには変わりない。それ以上に反抗期だった頃のチカゲの事が赤裸々に描かれているのだ。とてもリオンには見せられない。
「ええと――真名ですね。ええ、ありましたよ」
「ありまし、た?」
「そう、変わったんです」
真名は本当に大切な相手にしか教えないものだ。今回日記を読まれたように、意図せずバレてしまうこともあるけれど。そして意志を持って呼んだ時だけ、本人には伝わる。真名を知らない者には分からないのだ。
「教えて差し上げましょうか」
「えっ」
リオンが青い目を輝かせる。やめて欲しい。どうにもその眩しい瞳は苦手だ。
「ええと……助けてくれたでしょう」
「わ、わたし何もしてない」
「しましたよ。ツクヨミ様の代わりになると。アナタは言った。ワタシのためにね。その時気づいたんです。ツクヨミ様の代わりはいないと。アナタはアナタだと。だからこうしてここにいる。アナタに救われたんですよ。ちょっと癪ですけど」
「最後一言余計だね」
「なんとでも」
チカゲは一つ息を吐いた。
「ワタシの両親は血の影と書いて血影と名付けました。呪われた名前です。ツクヨミ様はワタシに出会った時、言ったのです。その名は相応しくないと。けれど……その、両親に愛されたかったのだろうと。だから響きはそのままに、別の名を与えました。千の景色を一緒に見ようと。千景。それがワタシの真名です」
「千の景色……とっても素敵だね。良ければいつかわたしと……なんでもない」
リオンは切ない目で笑った。
「千景さん、いい名前だね」
「普段はフツーに呼んで下さいよ、なんかそれで呼ばれると歯痒いので」
「駄目なの?」
「駄目なものは駄目です」
「そう……ねえもう一つ質問」
チカゲはちろりとリオンを見た。今日は質問が多いこの娘。
「今日、お誕生日なの?」
「えっ」
「ツクヨミ様が最後に言ってたでしょ。誕生日おめでとうって」
「ああ、あれですか……」
「なんで教えてくれないの! わたしお祝いの贈り物とか何も用意してないよ」
「そんなモノいりません。ワタシはワタシが嫌いなので。誕生日も嫌いです」
リオンはちょっと困った顔をした。
「ツクヨミ様が言ってたでしょ、誇りを持って生きろって。一番弟子だって」
「そうしたいところですが、人間そう簡単に変われませんよ。特に……自分を好きになると言うのは……現実的ではありませんね」
珍しくこぼしたそれは、チカゲの弱音だった。リオンがじっと見つめて、手を取ってくる。
「わたしからあげられるもの、一つだけ」
「……な、なんですか」
「わたしも真名教えてあげる」
ハッとチカゲは目を見開いた。真名は特別なものだ。妖術使いなんかに握られると厄介なことになりうる。チカゲはその類ではないものの、簡単に人に教えるようなものではない。
「……それは、」
「だいすきだから。あなたを信じて教えるの。ビワに教えたりしないよね?」
「しませんよ」
思わず握り返した手に力がこもった。
「……凛の音と書いて凛音。赤ん坊の時、わたしの心臓の音を聞いて、両親がつけたんだって」
「凛音……凛音」
口の中でその響きを転がしてみる。なんて透明で美しい音だろう。
「これは……大事にします。アナタの真名。凛音」
「ふふ……ねえ」
彼女が笑う。
「お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう、千景さん」
眩しい笑顔に、不意に心臓が痛くなって、大声で泣き出したくなった。
ただ返事をする代わりに、下手くそに微笑みかけた。かなりぎこちない笑みだったけれど、彼女はそれでも満足そうだった。




