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紅葉の中の二人


アケボノ村に戻ったのはその数日後だった。

夕方頃だったが、商品を片付けようとしていたダリウスが顔を上げる。

「ああ、無事に帰ってきたのか」

無事とはなんですか、そんなにやわじゃありませんよ、と普段のリオンなら返したことだろう。だがあの神域のことを思い出すとどうもそうは言えなかった。

ダリウスは少しだけ考えるような顔をしたが、ただ「お前らに何事もなけりゃそれでいいよ」と返してくれた。相も変わらずやさしい人だと思った。


それからはいつもと変わらぬ日々だった。相変わらずチカゲの様子が少しおかしいだけで。

夏祭りも終わった後の村はいつも通りだ。秋の気配が訪れる。アケボノ村の外れは森になっているけれど、この季節になると見事な紅葉が見られるのだ。

リオンはそれが好きだった。警備隊の仕事をしながら、紅葉の中を駆け巡っている時、木の葉の匂いをいつも以上に感じる気がして。


シフォンとブレッドに戻ってきたことを伝え、シフォンからちょっと友情の重い抱擁を受けながら、それでも帰ってこれたことにほっとした。


神域に迷い込んだ時、食べ物を知らずに食べてしまったのはリオンだ。チカゲがツクヨミの遺品である組紐を渡さなければ、今頃リオンはあの訳のわからない空間に遺されていたかもしれない。おぞましい場所ではなかった。ただ常識の通じないような、怖い場所だと思った。思い出しただけで少しゾッとした。


そんな訳で、感謝の気持ちも込めて、そしてまあ下心もあって、休日にチカゲを紅葉狩りに誘うことにした。

彼と一緒に紅葉を見たことはなかったから。


「ハァ? アナタ一年中森を駆けずり回ってるんでしょう? 今更紅葉狩りですか。随分と高貴な遊びですね」

たまに様子のおかしくなるチカゲだが、普段は相変わらずこの減らず口である。

リオンはそれでも健気に笑って彼を誘った。


「チカゲさん、神域で助けてくれたこと感謝してるんです。あと、えっとその……一緒に見たいの。駄目かな」

チカゲは少しだけ言葉に窮して、それから「分かりましたよ」とだけ告げた。


上機嫌なリオンは落ち葉を踏み分け歩いていく。鼻歌を歌い出しそうなほどだ。

「頭がお花畑……じゃなかった、枯葉で詰まってるんですかね」

「ちょっと酷くないですか? それに枯葉じゃない。葉っぱは今紅葉してるの!」

「怒るところそこですか」

チカゲは静かにリオンの後をついてくる。

楽しげに落ち葉を踏み分ける足音と、その後ろをしゃくしゃくとついてくる静かな足音が響いていた。

やがて湖の近くにくると、リオンは足を止めた。

「ここならよく見えますよ。邪魔も入らないし。水に赤が映って綺麗でしょ。わたしが見つけた場所なんだ!」

「……まあ、綺麗ですね、とても」

「ここの治安は我々警備隊が守っています。紅葉を見てる最中何か出てきてもチカゲさんのことは守るから安心してね!」

「ハァこちらにも刀はあるので結構です」

「なんでいちいちそういう言い方するの」

「アナタが……アナタは、神域に連れて行かれそうになったでしょうが」

どこか切ない目をしてチカゲは言った。

「アナタを助けたのはワタシだ。守られるつもりはありません」

「それは感謝してる。でもビワのところから助けたのはわたしだよ。だからお互い様でしょ」

「ああ言えばこういう! なぜ大人しくしていられないんですか!」

リオンはちょっとびっくりしてチカゲを見た。

「――なんでもないです忘れてください」

「……チカゲさん」

じっとリオンは、青い瞳で男を見上げた。

「わたしのこと女らしくないと言ったよね。その通りです。わたしは守られるのは性に合わないの。助けてもらった時は勿論感謝するけど。……う、失ったあなたなら、分かるかな? 大切なものを守りたいの。もう何もなくしたくないから」

チカゲは目を細めた。

「何も分かってない」

「何が」

「アナタは何も分かってない!!」

ざぁあっと風が吹いた。二人の衣が揺れた。燃え上がるような紅葉がざわざわとゆらめき、散ってははらはらと涙のように落ちていくのだった。

紅葉は水面に落ちて、波紋を作る。揺らぐ心のように波紋は広がっていく。

「ワタシはもう失いたくないんですよ!」

「うん、だから今その話を……」

「だからそうじゃなくて、なくしたくないのは……!!」

彼は赤い目でどこか泣きそうにこちらを見るのだった。綺麗だなと、リオンは思った。紅葉のように、滴るように美しい。

なぜ彼がそんな瞳をするのかわからなかった。


「わたしはね、わたしは……アケボノ村が好きだよ。守りたい人もいっぱいいるよ。……特に、あなた」

こんな時ぐらい、少しぐらい私情を混ぜても構わないだろう。真摯に、彼を見つめた。

「すきだよ」

彼は唇をわななかせた。それから何か言い返そうとして、やっぱりやめてしまうのだった。

最近彼の様子が少し変だ。少しだけ心を開いてくれたのかもしれない。いやまた何か企んでいるのかもしれない。でもどうも企みのようなものは見受けられなかった。例えまた騙されたとしても、きっとこの人を追ってしまうのだろうとリオンは思った。

そっと近づいた。

「な、なんですか」

「綺麗な目だなーって。紅葉みたい」

「血の色だと言われたのを散々聞いたでしょうが」

「でもわたしはすき」

「だ、からなんで近づいてくるんですか離れてくださいなんなんですか!」

なぜか刀を抜かれて突きつけられた。リオンはちょっとびっくりしたが彼の奇行は今に始まったことではない。

「まさか殺すおつもりで?」

「違います防衛本能です」

「はい? たかが小娘とか言ってましたよね?」

そっと刀を持った手に手を重ねればびくりとそれは震えた。なんだ、思ったより力入ってないじゃん、思いながらそっと手を退けた。

「この湖のほとりでキスできたら浪漫があると思いません?」

「は、はあ? 下心があったと?」

「あなたと二人きりで紅葉狩りですよ。ねえ、ない方がおかしいと思いません? わたしあなたに惚れてるんだってば、知ってるよね?」

「知ってるから離れろクソガキ」

「いやです」

湖のほとりで、ちゅ、とほっぺにキスをした。

「…………」

「クソガキにキスされる気分はどうですか。屈辱ですか? ねえ」

「……………………」

「あなたがいけずだからいけないんですよ。二人きりでお出かけなんです。なのに刀むけてくるし、相変わらずですねこの変人」

「ちょ……っと黙ってください」

彼は俯いていた。俯いて口元を抑えていた。

「あれ? 口の方が良かったですか?」

彼はぐっとリオンの胸元を掴んだ。掴んでそのまま――湖に突き落とそうとして――すんでのところでやめた。

「うわひっどい突き落とそうとした」

「……やめたじゃないですか」

そう答える彼はもうこちらを見ないで帰ろうとしていた。

「ねえちょっと! もっと紅葉見ようよ! 大体ちょっと腹が立ったからって突き落とそうとするのおかしいんじゃないですか?」

「……だからやめて差し上げたじゃないですか。アナタに風邪を引かれても困りますし。オトモダチが心配するでしょうから」

「そういう問題じゃないでしょ! いいですか、ムカついた時にすぐ手出ししようとするのよくないです」

「ムカついた訳じゃないです」

「じゃあ何」

「…………。やっぱりムカつくこのクソガキ!!」

言いながらチカゲは振り返らずさっさと帰ってしまった。

ぽつねんと残されたリオンは、少し反省した。また怒らせたらしい。好きなのに。分かってくれない。こんなに好きなのに。



「どうしたチカゲ」

人工宝石を届けに来たチカゲは、ダリウスに声をかけられた。心配そうな顔で。

「どうしたとは」

「なんかぼーっとしてる」

「気のせいでは?」

袋の中身を確認しながらダリウスは言った。

「中に加工前のやつ混ざってるけど」

「えっ、それはすみません!」

「いやいいけど。悩み事あるなら言えって前に言わなかったっけ」

「……言ったところで堂々巡りです。意味もない」

「リオンに惚れたか?」

「はい?」

笑顔が引き攣った。この前自覚したばかりだ。この男が発端となったマフィンで。自分でもその感情を持て余していた。ツクヨミ様を尊敬していた。きっと心から愛していた。でも恋というものは経験がなかった。

「まあいいや、そのうちそーなるんじゃないかと」

「ハァ? 勝手に決めつけないで頂けますか」

「首飾り」

「っ」

「まだつけてる。あの辺からもう怪しいと思ってた。――お前がそう、仮にね? リオンに惚れてたとして。賢者の石の件で板挟みになってる。違う?」

違わない。商人というだけあって観察眼の鋭い男だ。やさしいからと侮るべきではないのかもしれない。

「何その顔。敵見つけたみたいな目やめてくれる?」

「そんなつもりは」

「……ねえチカゲ。両方は選べないんだよ。それが相反するものなら尚更」

チカゲは目を伏せた。どうすればいいのか正直分からなかった。

墓参りに行ってツクヨミ様を諦めようとしたのだ。でもできなかった。やはりあの人は死ぬべきではなかった。生きるべきだった。だから蘇らせたいのだ。それがはたから見てどんなにおかしな行動だとしても。


世界が嫌いだ。何も信じていなかった。ツクヨミ様を殺された日から。故郷のタソガレ村に帰ってからもそう思った。この世にはクソみたいな人間ばかりだと。

けれどリオンが神隠しに遭いそうになった時、心から恐ろしいと思った。おそらく――あの小娘を愛していたから。

腹が立つのはあの無垢さと、苦しみを隠したひたすら健気な笑みだった。

そして何より――何もうまく伝えられない自分だった。ムカつく。自分が嫌いだ。自分に惚れているあの娘も意味が不明だ。

賢者の石を使えば――この世界は壊れる。そんなことどうでもいいと思っていたのに――あの神隠しの後から、恐ろしいと思ってしまった。小娘たった一人消えることが。


すべては矛盾している。


「ちょっと休んだら?」

ダリウスが言った。

「人工宝石はまだ在庫があるし。休んだ分給料は差し引くけどさ。お前にもゆっくり考える時間が必要だよ。――ツクヨミ様と、リオン、両方は、選べないんだよチカゲ」

チカゲは目を伏せた。なぜ彼はこんなにも的確に、そしてやさしく言うのだろう。

どうしたらいいのか分からない。

「何が一番大切なものか考えろ」

困る。そんなことを言われても困る。リオンには惚れている。残念なことにもう自覚してしまったことだ。気づきたくもなかった。そしてツクヨミ様は――何者にも代え難い師匠は、誰かと天秤にかけることなんてできなかった。


もうすぐ、自分の嫌いな日がやってくる。それもまた憂鬱だった。



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