マレビト様の食べ物
行きは二泊三日だった。また森の中で二回野営をすればアケボノ村に着くだろう。
山道を歩くので、近いようで遠い場所だ。
やがて辺りは暗くなって来た。そろそろ寝る場所を探さなければという時に、向こうに灯りが見えた。
「……なにあれ?」
見知らぬ階段が続いている。その上には鳥居があった。
「行きにこんな場所あった? 道間違えたのかな」
「さあ。森は迷いやすいですから、その可能性はありますね」
二人は言いながら夜の森を灯りの方へ進んで行った。
どこからかぴーひゃらと祭りと笛の音が聞こえる。灯りの正体は提灯で、階段に沿って上に並んでいるのだった。
そして階段の両側に屋台がずらりと並んでいる。
「お祭りだ! こんな山の中で!」
「……客寄せには場所が良くないと思いますが」
言いつつも二人は好奇心を抑えきれず、階段に近づいた。
「すごいなぁ、色々出店がある。風車が売ってるよ!」
「まあ季節としては間違っていませんが、どういう生業をしてるんでしょうねえ」
言いながら二人は出店の一つ一つを見て回る。
店の人たちは誰一人喋らず、様々な仮面をつけていた。笛の音がどこから聞こえるのかは分からない。
けれども大層にぎやかで明るい音だ。
「占いもやってる。へええ、食べ物もいっぱい。わたし見てたらお腹空いてきちゃった。わたあめがあるよ。おいしそー!」
「アナタは楽しそうでいいですね」
そういうチカゲも装飾品の店に「人工宝石の買取はやっていませんか」などと場違いに尋ね、無言を貫かれていた。リオンはちょっと笑った後、わたあめ屋に近づいた。
「おいしそうですね、一つください!」
そう言ってお金を払おうとしたが、店主は無言で渡そうとしてくる。
「え……え? いいんですか?」
押し付けるようにして差し出されたわたあめを、リオンは少し戸惑いながらも受け取った。
「あの、お金……」
赤い仮面をつけた店主はそれ以上何も言わない。
リオンが一口齧った時、ハッとしたようにチカゲがそれを叩き落とした。
わたあめが階段に無惨に転がる。
「ちょ、ちょっと何するんですか!」
「リオン!」
焦った口調で彼がリオンの腕を引く。いつのまにか祭りの音は大きくなり、頭上の鳥居の先から、後光のように光が差しているのだった。
さすがのリオンも普通でないことに気づいた。いや、もっと早く気がつくべきだった。
階段を降りようにも、下は暗くて見えなくなっていた。
「ひっ、ち、チカゲさ、」
「落ち着いて。相手が何者かは分かりませんが人間でないことは確かです。しかし害意のあるものとは限りません」
険しい口調でチカゲは言った。
「妖か、精霊か、はたまた神の悪戯か。戻るべきだと思いますか?」
暗闇に包まれた階段の下を、チカゲは見た。リオンは震えそうな声で告げる。
「あ、あの鳥居をくぐってはいけない気がする。で、でもあんな、下には行けないよ。真っ暗で。どっちが罠かもわかんないっ」
その時歌が聞こえて来た。子どもの声で。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
……様の細道じゃ
「あ、ぁあ」
すっかり怯えたリオンはチカゲの着物の裾を掴んだ。チカゲは目を細めて鳥居を眺めているだけだ。
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ
「行くしかなさそうです、リオンさん」
チカゲの言葉にリオンも頷くしかなかったが、怖くてしょうがなかった。
チカゲが歩き出す。リオンもどうにか体制を立て直して、恐々と、階段を歩いた。
やがて――鳥居を超えた瞬間、辺りは眩いばかりの空間に変わった。
「久しぶりのお客さんだぁ」
赤い仮面を被った子どもがそこにいた。
リオンは恐る恐る口を開いた。
「あ、あなたは、誰です」
子どもは仮面を被ったまま片手で逆立ちをした。かと思えば踊るようにぐるりと回ってまた地面に足をつける。その瞬間には子どもではなくなっていた。背格好は大人のそれだ。
「ワシか? ワシは人間にはマレビトと呼ばれておる。お前達は久しぶりの客じゃ」
マレビト。客人と書いてそう読む。人間の世にやってきた神の類だ。だが今回はどちらかといえば、迷い込んだのはこちら側。
リオンは本格的に恐ろしくなった。おそらく神域に迷い込んでしまったのだ。
チカゲが冷静に告げた。
「神域に迷い込んだと見受けました。無礼をお許し下さい。どうか元の場所へ還してください」
「無礼? ふひゃひゃ、ふざけたことを。おぬし、ワシの心臓が使えるか品定めをしておっただろう」
ぎくっとチカゲの顔が強張った。リオンは呆れたが、呆れている場合でもなかった。
「ワシは正しく神だ。妖ではない。だがあいにく心臓をやる気はない。それにお前の考えるほど高位の存在でもあるまいからな。――まあ人が考えることはいつだって愚か。分をわきまえているだけ大目に見てやろうではないか。――お前達は久しぶりの客じゃ。そりゃご馳走じゃ」
ででん、と目の前にご馳走の山が現れる。
「あいにく仙丹なぞはないが。神域の桃ならあるぞ。ほらこの通り」
並べられたご馳走の中には美味しそうに熟れた桃があった。
とても美味しそうだったが、逆に恐ろしくて食べる気にはならなかった。
チカゲがこっそり耳打ちしてくる。
「食べてはいけません。神の食べ物を食べたら帰れなくなります」
「分かってる」
震えそうなのを堪え、リオンは答えたが、すべて見通しているようなマレビトは、ひゃっはっはっと明るい笑い声を上げた。
「お前は食べた、食べたぞ娘」
ハッとしてリオンは青ざめた。そうだ、あのわたあめ。あれをリオンは一口、齧ってしまったのだ。
「娘よ、お前は神の食べ物を口にした。もう還ることは出来ぬぞ」
「そ、そんなっ」
リオンは冷や汗をかいたが、どうにか冷静さを取り戻そうと必死に告げた。
「では、では――チカゲさんは何も食べていないはずです。この人は還してくださいっ」
「仕方ない、そう言うのならば」
「待ってください!!」
声を上げたのはチカゲだった。
「ワタシの野望を止めると息巻いたのは誰ですか!? アナタが一人ここに残るなんてのは――あり得ない! 絶対に嫌です!」
この男の言うことはいつだって矛盾している。だがどうこう考えている余裕もなかった。
マレビトは仮面を被ったまま告げた。
「一人は食べたのだ、どちらかは残るのだ」
「…………わたしが食べたのだから、わたしが残るのが道理でしょう」
リオンは告げたが、本当は怖くてたまらなかった。チカゲはなぜか、いつになく血相を変えていた。
「では、では、交渉をしましょう。人間は古来より交渉をしてきました。神とも。そうでしょう?」
「いいじゃろう。では代わりにお前達の何か――大切な物を渡すが良い」
リオンにとって大切なものは刀だ。これは父の形見だった。
チカゲの刀もツクヨミの遺品だと本人から聞いたことがある。何も知らなかったとはいえ、わたあめを食べたのは自分だ。
リオンは震える息を吐いた。
「こ、この刀を」
「これを」
リオンが言うより早く、チカゲが緑色の組紐を取り出した。
「こりゃ思い出の品じゃな。もう一つと迷ったようだが、これでいいのか? そちらも同じくらいの価値があるようじゃが」
チカゲが胸元を抑え、目を細めた。
「構いません。それを」
「ふひゃひゃ、美しい思い出の詰まった品じゃ、良かろう良かろう気に入った!」
くるりと回ると子どもの姿になり、マレビトは歌い出す。
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ
次の瞬間辺りは眩いばかりの光に包まれた。リオンが目を開けていられず背ければ、次の瞬間階段も鳥居もなくなり、そこは急勾配の山道に変わっていた。
「あ、あ……あ……」
リオンは膝をついた。唐突な安堵と、ゾッとするような喪失感が身を包んだ。彼の大切な物を、自分のせいで奪われてしまった。
「わた、わたし、なんてことを」
「リオンさん」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
「リオンさん」
「ツクヨミ様の、品だよね? ごめんなさい! わたしが行けば良かったのに!」
「リオン!!」
チカゲがしゃがみ込み、こちらの肩を掴むと覗き込んできた。
「ツクヨミ様の品は他にもあります。けれどアナタはアナタしかいない」
「――あなたはいつも矛盾してる。なぜなの」
泣きそうになってリオンは告げた。
「なぜ助けてくれたの」
「……さあ、少しはその足りないオツムで考えてみたらどうですか」
言いながら彼は胸元を抑えていた。
「……? どこか痛いの?」
ハッとしたように彼は手を退けた。
「なんでもないです」
「……、もう一つの品……あなた何か首につけてるの?」
「なんでもないですってば!」
「そ、そう」
リオンは泣くのは失礼だと思って、どうにか懸命に笑ってみせた。痛々しい笑みだったが、本人が気づくことはなかった。
「何も知らず、わたあめを口にしたわたしが馬鹿でした。ごめんなさい。でも――でも、謝るより、ここはお礼を言うべきだよね。……助けてくれてありがとう、チカゲさん」
不意にぎゅっと抱きしめられた。
リオンがびっくりして目を丸くしていると、彼は深いため息を吐いた。
「恐ろしかった」
「っ……それは、わたしも、そうだけど」
「アナタには分からない!」
その声は震えていた。ふと、自分を抱きしめる彼の手すらも震えてることにリオンは気づいた。
「ち、かげさん……教えて。分からないこと、だらけ。わたし馬鹿だから、あなたの考えてること、分からない」
「違う、違う――アナタは愚かだけど、馬鹿ではない。それぐらい誰より知っています」
「ならどうして、」
「す、…………」
「……なに?」
顔を離して見つめれば、彼はなぜか真っ赤になっていた。必死に口を開いては閉じて、開いて――また閉じた。
「と、にかくアナタがいないと困るって、それだけです」
「なぜいないと困るの、目的のためには邪魔なはずでしょ」
「もういいです!」
「……ねえ、本当に、感謝してるんだよ」
リオンは悲しげに笑った。
「なんて言おうとしたの? 『すき』だったら良かったのに。違うよね、分かってる。わたしは、わたしは……あなたが……好きだよ」
チカゲは唇を引き結んでリオンの肩を突き放した。
それきりその日は目も合わせてくれないどころか、口も利いてくれなくなってしまった。




