アナタはいつか敵となる
「少し、腹ごしらえをしましょうか」
そう言ってチカゲが案内したのは蕎麦屋だった。
「言ったでしょう、一応ここの名物だと」
机につき、何かを振り切ったように微笑む彼に、リオンは怖くなってしまった。
リオンは適当に天ぷら蕎麦を選んだが、彼が選んだのは月見蕎麦だった。どう考えてもツクヨミ様を意識しているとしか思えない。
「好きなんですよね、月見蕎麦」
なんて彼は言ってのける。
「わ、わ、わたし」
「お金の方はご心配なく。故郷ですし、奢りますよ」
そんなことを言ってるんじゃない。ただ、ただ、
「あな、あなたは」
「なんですか?」
「終わりにしにきたのでは、ないですか?」
「なんの話ですか?」
にこにこと返されて、リオンは泣きたくなった。
「賢者の石の探究を終わりに、するために、つ、ツクヨミ様をきちんと弔う――その決心を、するために、ここへ」
「思い違いもはなはだしい」
「うそばっか!」
だん、とリオンは立ち上がる。チカゲはにこりと微笑んだ。
「落ち着いて下さい。座って。お行儀が悪いですよ」
「ち、チカゲさ」
「座れ」
びくっとしてリオンは座った。チカゲはつまらなそうな顔でリオンを見た。
「ええ仰る通りです。あの方との思い出や、墓を巡れば気持ちが変わるかと――」
「……わたしのせいですか?」
泣きそうになりながら、必死に涙を堪えてリオンは尋ねた。
「わたしがあんなことを言わなければ、ついてこなければ、今頃あなたはすべてを終わりにして――」
「リオンさん」
静かな、静かな――血の色の目でチカゲは告げた。
「アナタがいようがいまいが同じことです。あなたなど微々たる存在に過ぎない。あの小屋を見た時、ツクヨミ様との思い出が蘇りました。赤い夕焼けを共に眺めたことも。そして何より、この村の人々」
憎悪に満ちた目で彼は嗤った。
「やはり一番恐ろしく、醜いのは人間ですね? 石をなんとしてでも手に入れて師匠を蘇らせます。その結果この世界がどうなろうと関係ありません。死者が跋扈する世になろうとも――そもそもこの世界に、守る価値などないので」
堪えきれない涙がリオンの頬から落ちた。
この男は辛かったのだ。幼い頃の痛みを、ここに来て思い出してしまったのだ。
旅立つ前に止めるべきだったか。いいやそんなこと、分かるよしもない。すべては結果論だ。
「なら、わたしがこの世界を守ります」
「どうぞお好きに。この村の方々を見ました? アレを守ると? 酔狂な方ですね」
「あなたは、傷ついてばかり……っ、あなたを救えたら……!」
「黙れ」
チカゲは憎悪のこもった目で告げた。
「これはただの墓参りの旅です。それ以上何もない。話は終わりです」
言いながら運ばれてきた月見蕎麦を食べている。
リオンは涙を拭いて言った。
「この世界を壊せば月見蕎麦も、食べられなく、なるかもしれませんよ」
「構いませんよ。――ツクヨミ様さえ、そばにいてくれるのなら」
赤い目が妖艶に細められる。
彼が笑っているのに、酷く傷ついていることにリオンは気づいていた。それを見ているだけで酷く胸が締め付けられ、心臓が悲鳴を上げるようだった。
*
その後、二人で宿を探していると、一人の男が道に立ちはだかった。
「よう、チカゲじゃあねえか」
「どなたでしょうか。覚えていませんが」
「どうでもいい。お前が帰ってきたことが問題だ」
男は卑下するように嗤った。
「赤目のチカゲ。お前のせいで呪いが広まる。出ていけよ」
「明日には出て行きますから」
「今すぐ出ていけよ! お前の両親も師匠もお前のせいで死んだだろ!」
「それは迷信です。ワタシの師匠はそう説きました」
「迷信? おいそこの小僧」
「わたしは小僧ではないです」
「なんだ、女か、はは! おい嬢ちゃん、この男といると呪われるぞ。こいつは忌み子なんだ。近しいものは死んだんだよ」
リオンはいい加減頭にキた。
「迷信だと彼も言ってるじゃないですか!」
「それは洗脳されてるだけ。嬢ちゃん、こっちへ来なよ、こんな奴より俺と遊ぼうぜ?」
腕を引っ張られそうになり、反射的に刀に手をかけた瞬間だった。
それよりも早く、チカゲが自らの刀を抜き放ち、男の首に刃を当てた。
「そんなに呪われたいのでしたら呪って差し上げますが」
男はぎょっと目を見開いた。
「ええ、ワタシは何もかも憎いんですよ。この世界を呪っていると言っても過言ではありません。ワタシが忌み子だと言うなら、証明としてアナタを殺して差し上げましょう」
「ひっ」
男が後ずさる。
「く、クソが! お前やっぱりアタマおかしいよ!」
男は捨て台詞を吐いて、逃げるように走って行ってしまった。
刀をしまったチカゲを、リオンはやっぱり泣きそうになって見上げた。
「あなた、矛盾してる」
「なんですって?」
「わたしの存在が些事なんて嘘。あなたが賢者の石を追うなら、わたしは敵になる。前に言ったはずだよ、いつかわたしがあなたを殺さなきゃならなくなるって。――なのにわたしを守った。なぜ?」
彼は酷く悲しそうな目をして、リオンの頬に触れた。
「さあ、何故でしょうね。アナタには分からないでしょうね」
泣き出しそうな、痛ましいその瞳に、リオンは彼を今すぐ抱きしめたい衝動にかられ、どうにかすべてを堪えた。
村の宿舎は一つしかなく、それも小さかった。夜分に来たということもあり、一部屋しか空いていないという。
リオンは少し戸惑ったものの、チカゲが「野宿は同じだったじゃないですか」と言い、結局同じ部屋に泊まることになった。
三日ぶりの布団だ。
それぞれ風呂を浴びた後、チカゲは早々に布団に入ってしまった。リオンも隣の布団に入る。
チカゲが灯りを消した。一気に辺りは暗闇に包まれる。
「…………」
なかなか眠れないで暗い天井を眺めていると、同じく天井を眺めているらしいチカゲが、不意に口を開いた。
「――アナタは幼い頃大層な問題児だったとか」
「えっ」
その通りだ。銀竜村で両親を殺され、復讐心に呑まれたリオンは、こっそり船に乗り込んで、王都へ行った。両親を殺したのは王都の人間だったから。王都の人間を全員殺してやろうと思った。結果は惨憺たるものだったが。
なぜ彼がそんなことを知っているのか疑問だ。話した覚えはない。誰かから聞いたのかもしれない。
「そ、そうですけど。今は違います」
「ええ、アナタは運が良かったのでしょう。カヌレや現国王――当時の王子に救われたとか」
「な、なぜそれを」
「経緯はどうでもいいです。アナタ覚えてないようですから。まあとにかく、アナタには救ってくれる相手がいた。歪んだ世界を正してくれる人が」
チカゲの言う通りだった。憎悪に満ちたリオンを拾ったのはカヌレだ。城に置いていいと言ったのは前代の国王、そして王子は放任主義であるがゆえに――リオンに何もしなかった。彼は守るべきものだけ守った。その中にリオンもいたのだ。
「ワタシにもいました。この村の偏見から救ってくれる存在が。ワタシはあの日から、忌み子ではなくなった」
ツクヨミのことだ。リオンは天井を見ながら、黙って聞いていた。
「呪われた子だとこの村では呼ばれていました。たった一人の――いいえ、一羽の友達も殺されました。でもあの方は私に手を差し伸べてくれた」
淡々と話すチカゲの、感情は分からない。きっとありとあらゆる想いが渦巻いているのだろう。
「新しい景色を見るたびに、ワタシは知りました。自分を蝕んでいたのは偏見だったのだと。ワタシは呪われてはいないのだと。――そのはずでした。ワタシが成長し、落ち着いた頃、あの方と共に、村に戻り、共に過ごすことになりました。あの方はタソガレ村の住人に、ワタシが忌み子でないと知って欲しかったのです」
彼の声に感情が載る。悔しげな、悲しげな声だった。
「村の人々はツクヨミ様を受け入れても、ワタシは受け入れなかった。ツクヨミ様はそれを嘆いていましたが、それでもワタシはあの方と共にいられるだけで幸せだった」
チカゲの声はがらんとした部屋に静かに響いた。
「ある時、帝都から武士がやって来ました。誰の部下かは知りません。帝の配下か、はぐれものか。どちらにせよ、ワタシを妖の子だと言い張り、殺そうとしたのです」
リオンは思わず息を呑んだ。声を殺すように、ぎゅっと布団を握った。
「ツクヨミ様はワタシを守ろうとしました。ワタシを庇って死にました」
彼の声は震えていた。
「今でも思い出せます。赤い赤いあの人の血が。あの人はくだらない迷信を信じるなと言いました。でもそれが迷信かも、ワタシは分からなくなってしまった。両親の死は村人の言いがかりのはずです。でも結局ワタシのせいであの人は死んだ。ワタシの、せいです」
震える声が泣きそうに笑った。
「これでもまだ世界を信じろと? 人を信じろと? 無理な話です」
リオンは手を伸ばしたくなった。彼の手を握ってやりたくなった。その資格がないことも分かっていたけれど、とうとう手を伸ばした。指先が触れる。
「リオンさん、たとえ過去のアナタが矯正されてまともになったとして、その恩人であるカヌレや現国王を殺されたら――アナタの大事なオトモダチを殺されたら――アナタはそれでもまともでいられますか?」
「チカゲさん」
リオンはとうとう彼の手を握った。
「わたしは、わたしでいられます。きっと。みんなが死んでも、もう昔のように憎しみには呑まれない。そうならないと決めたから」
ぱしりと、握った手が跳ね除けられた。
「ではやはり我々は敵同士になるしかありませんね。ワタシはアナタのように清廉潔白に生きることは到底不可能なので」
リオンはがばりと起き上がった。
「わたしの、どこが、清廉潔白なの!」
泣きそうになりながらリオンは言った。
「人を守るために、また別の人を殺すの。それが警備隊の仕事。きっとあなたより多くを殺してる。わたしのどこが――」
「美しいですよ、アナタは」
嫌悪の目を向けて、チカゲは言った。
「アナタは眩しすぎて、到底ワタシの元には堕ちて来ない」
「い、意味が分かりません」
「いいんです。どうぞそのままでいてください。いつかは殺し合いをすることになるのでしょうから」
そう告げるチカゲの目は悲しそうだった。
「アナタがもっと醜かったら良かったのに」
そう言って彼は笑うのだ。
「そうしたら――そうしたら、……」
それ以上、彼は言わなかった。リオンは彼を見つめたけれど、結局仕方なく布団に戻った。
そのうちチカゲは寝入ってしまい、リオンはなかなか寝つけなかった。
普段はあまり見せないが、彼はどうも自分を卑下するところがある。その原因がこの村で過ごした幼少期のせいだとは分かった。でもそれだけじゃない。
この人を救いたいと思った。傲慢なことなのだろうと。それでも救いたいけれど、方法はわからなかった。
彼はツクヨミ様を諦めようとして、諦めきれなかったのだから。
*
次の日、チカゲはけろりとしていた。している風を装っているのかもしれなかったが、いつも通りに見えた。
宿代を二人で払い、また来た道を戻る。
村人はやはりチカゲを見るたびに嫌味のようなことを言ってくるけれど、彼は慣れた様子で流していた。
リオンは彼の代わりにそいつらをどうにかしたくなってしまう。昨夜「昔のようにはならない」と彼の前で言ったが、果たして自分はそうだろうか。
大切な存在を殺された時、憎しみに呑まれないとどうして言える?
いいや、考えてはいけない、とリオンは思った。丁度今の彼がその状態だ。この世を憎んで壊すことも厭わない男。
彼を止めるために自分はいるのだと思い直す。おそらく――止められるとしたら自分しかいない。
村の外れに向かいながら、リオンは明るく言った。
「ねえチカゲさん、あんな人達の言うことなんて気にすることないですよ」
「…………」
「ツクヨミ様は確かに立派な人だったんでしょう。あなたの噂を迷信と一蹴したそうじゃないですか。その点については尊敬します」
「……そうですか」
「それに閉鎖的な村で流行る噂って言うのは、」
「――リオンさん、怒ってるでしょう?」
「え?」
「ワタシが何も言わない代わりに、アナタが村人に腹を立てている、違いますか」
言われてみれば図星だった。観察眼の鋭い男だ。
答えに窮したリオンをチカゲはぽんぽんと撫でた。
「な、なんですか急に!」
「いえ、気遣ってくれたようで、ありがたいなと思ったので」
リオンは目を丸くした。昨日からこの男には振り回されているが、今もそうだ。彼の感情の機微なんて分からない。
ちょっと赤くなってリオンは声を上げた。
「そーいうところですよそういうところ!」
「どういう意味です」
「つ、突き放すならちゃんとしてよ! 急にやさしくされるとこっちも困る……」
「…………」
チカゲは不意に真顔になって、なぜかリオンの髪を撫で始めた。
「な、な、なに」
さらに赤くなって睨みつけるも、彼は無言のままだ。
「ちか、チカゲさん!」
留めた後ろ髪を指先で梳き始めたものだから、リオンは恥ずかしくなって声を上げた。
「やめて!」
ぴたりと、彼は手をとめた。
「いい? わ、わたしがあなたに惚れてるの知ってるでしょ? 人の心を弄ぶ、のも、いい加減にして!」
「……弄んだつもりは」
「この女たらしが!」
「そこまで言われる謂れは」
「うるさい! 誰にでもしてるんでしょ! いいご身分ですね!」
チカゲはため息を吐いて前に向き直った。
「もういいです、アナタに分かってもらわなくとも結構」
「何をわかるの? あなたの思考なんてぜんっぜんわかんない!」
「あっそう。お子様には一生分からないでしょう」
「はあ?」
そうこう話しているうちに、二人はタソガレ村を抜け、あの古びた看板も通り過ぎ、再び森の中へ入っていた。




