複雑な心
ルシウスが去った後、多香子が下から言った。
「維月?話ができたのか。」
維月は、ハッとして多香子を振り返った。
「ええ。手を重ねたら、膜越しでも念の声が届いたわ。私達、とても近い命だから。多分、十六夜とも話ができるんじゃないかな。」
多香子は、頷いた。
「そうか。我は…驚いた。闇は、あれほどに美しい型を取るのだの。まるで、キリルが育った姿のようよ。」
維月は、言われてハッとした。
そういえば、キリルとルシウスは、とてもよく似ていたのだ。
恐らく、ルシウスに幼少期というのがあれば、キリルの姿だったのではないかと言われたら、そうだと言いそうだった。
「まあ。そう言えばそうね。」と、多香子を見つめた。「多香子。実はね、我ら陰の月、闇は、同じ性質を持っておってね。その…異性とか、同性であっても惹き付けて篭絡してしまうだけの、気と能力を持っておるのよ。だから、ルシウスが美しいのもそのためよ。ルシウス自身は全くそういうのに興味はないようだけど…というのも、私以外の人や神とそういう事をしてしまったら、相手が死ぬから。ルシウスにとって、性的な行為って、気を奪う手段でしかないのよ。だから、ルシウスは私以外には触れたりしないのよね。だから…ルシウスを見て、美しいと思う女神は多いけど、皆にそれは死を意味するって教えておるの。」
多香子は、慌てて首をブンブンと振った。
「いや、我は別にルシウスに、そんな想いを持っておるわけではない!ただ、見たら動揺するゆえ…なぜかと思うて言うてみただけよ。」
維月は、頷いた。
「分かるわ。だって、そうなるようにできておるのだもの。私も、他の神に望まれたり多いけれど、ほとんどが陰の月の気に惹き付けられて来る神ばかりで。維心様はそればかりではないから、だから傍に居るのだけどね。でも、そういうのって一過性で、ほとんどが時が経てば、何だったんだろうってほどすぐに忘れてしまうわ。安心して。」
多香子は、バツが悪い心地になりながらも、頷く。
つまりは、そういうふうな興味を持たれることに、ルシウスも維月も慣れているということだからだ。
まんまと陰の闇の部分に、惑わされてしまっているのだ。
多香子は、話題を変えようと言った。
「それで。キリルはどこへ?」
維月は、答えた。
「ええ、地上に。あの子にこれ以上怖い思いをさせたくなかったので、保護してもらったの。どうやっているかわからないけど、ルシウスには私達の膜がある場所が分かるみたい。だから、すぐに戻って来るわ。志心様も、あなたを探して来ておられるようよ。軽々しく出てくるご身分でもないのに…きっと、あなただからなのね。」
多香子は、それを聞いて驚いた。
白虎の王ともあろう神が、わざわざ女一人のために来ているというのか。
「え…我を探して?」
維月は、頷く。
「ええ。維心様と共に。まだ妃ではないから、軍神に任せてもおかしくはないのに、御自ら出て来ておられるのだから、あなたも安心して嫁げるというものだわ。志心様には、それだけあなたが大切だということなのよ。」
多香子は、闇などに惑って顔を赤くしていた自分が不甲斐なかった。
志心は、まだ婚姻を約しただけのただの軍神である自分を、わざわざ探しにこんな所まで来てくれているのだ。
「…畏れ多いことぞ。ご面倒をお掛けしてしもうた。己が不甲斐ないわ。こんなところで、籠められるままで身動き取れぬとは。」
維月は、頷いた。
「私も同じよ。でも、今回はどうしようもないわ。本当にこの膜は面倒なのよ。」と、良くなってきた視界が、また霧で覆われ始めた。「…霧が増えて来たわ。なんだか地上から流れ込んでいるみたい。」
多香子は、進行方向を振り返った。
確かに、やっと視界が良くなって来ていたのに、また多くの霧が上から流れ込んで来ているのが見えた。
「…何か意味があるのかの。とりあえず、王達も闇も来ておるのだ。我らはおとなしく待つことにしようぞ。」
維月はまた頷いて、霧で満たされて行く洞窟の中を見つめた。
恐らくルシウスがやっているのだろうから、何か意味のあることなのだろうが、果たしてこの膜から出ることができるのかと不安を感じていたのだった。
地上では、十六夜が地下のルシウスの気配を追って、志心と維心と共に移動していた。
それが、ふと立ち止まったのでどうしたのだろうと思っていると、目の前に地面の穴という穴から霧が吹き上がって出て来て、柱のように立ち塞がった。
十六夜が、急いで二人を庇って膜を張ったが、その霧が集まって固まったかと思うと、そこにはルシウスが、子供を抱いて出現していた。
「…びっくりするだろ!」十六夜は、文句を言った。「維月は?!その子供はなんでぇ。」
ルシウスは、言った。
「これは我の子。」え、と皆が仰天する顔をしたが、ルシウスは構わず続けた。「キリルと申す。維月と多香子は無事。これの記憶から、膜は二人を生かしておこうとしておるらしく、定期的に膜の上が開いて気を補充するようぞ。これまで気づかなかったのは、膜が二重になっておったから。今は、逃げようと小さくするために、外側の大きな膜を消しておるから気取れたのだ。ちなみに、行方不明のルキアンも、同じように別の膜に籠められていたらしい。今は、あの最初の場所に放置されておるのか共には運ばれておらぬようぞ。膜同士の中は見え、話ができたとこれの記憶が言うておる。まだ移動しておるが、我が霧に命じてあの場に霧を充満させておるから、それが無い場所は容易に分かる。いつでも追える。後は、膜を破るだけよ。」
いろいろ一気に情報が入って来て、皆は混乱した。
十六夜が、言った。
「…まず、維月が大丈夫なのは分かった。で、そのお前の子だけどよ、お前そっくりだから疑っちゃいねぇが、なんで維月の状況を知ってるんだ?」
その子の顔立ちは愛らしく、到底闇には見えないが、しかしルシウスにそっくりで、髪は紫色っぽい黒で、瞳は真っ赤だった。
ルシウスは、答えた。
「維月が生んだからぞ。」
あっさり言ったが、皆が固まる。
維心が声もないのに、仕方なく志心が控えめに言った。
「それは…その、維月は主の子を身籠っておったのか?そのようには見えなんだが。」
ルシウスは、首を振った。
「主らが言うような婚姻という行為は、我らはしておらぬ。だが、維月は己の膜の中に入り込んで来た霧が、我が長く使役していた我の気を分けた霧であるのを気取って、それが長く籠められて意思を持ちはじめていたのもあり、己の気で力を加えて闇として産み出したのだ。これは、気の補充で膜が開いた時に、そこから霧となって抜け出て来て我に維月の場所を教えた。これは、我と維月の気から生まれた我らの子なのだ。」
そういうことになるのか。
維心が複雑な心地でキリルを見ると、キリルはルシウスの腕から降りて、皆に頭を下げた。
「キリルと申します。母上から、外へ出る前にご記憶を少し、分けてもらいました。十六夜、維心様、志心様。よろしくお願いいたします。」
ものすごく愛らしい。
恐らく維月からいろいろ教わっている上に、記憶で知っているのだろうが、きちんと挨拶ができるのだ。
とにかく、知らぬ神でも悶絶しそうなほど愛らしかった。
しかも、天敵であるはずの十六夜のことも、全く怖がってはいなかった。
十六夜は、気を抑えてキリルの頭を撫でた。
「そうか、維月の子ならオレの子のようなもんだ。よろしくな、キリル。」
キリルは、パアッと笑った。
「十六夜。うん、我は十六夜と一緒に人や神を霧から守るんだ!」
維心と志心は驚いた。
十六夜に触れられても、身を退きもしない。
維月の記憶が、十六夜を近くに感じさせているのは確かなようだった。
「そうか、お前はいい子だな。一緒に頑張ろうな。」
キリルは、頷いた。
「うん!」
キリルは、十六夜の足に抱き付く。
十六夜は、そんなキリルに苦笑して抱き上げた。
「…まあ、ニュータイプの闇ってことで。維月が一から育てりゃ、こうなるわ。まして、あいつの記憶をもらってるわけだし。」
ルシウスは、複雑な顔をした。
「我が子が陽の月に懐くというのは複雑だが、まあ良い。とりあえず、主には我と共に来てもらわねばならぬ。首謀者が見当たらぬでな。維心と志心では、同じように膜に取り込まれるやも知らぬからと案じておった。我らなら、相手が闇ならそれはできぬ。が、我には浄化の力は放つことができぬ。ゆえ、主に頼むしかない。」
維心が、言った。
「相手はやはり闇か?」
ルシウスは、息をついた。
「分からぬ。だが、膜が移動しておるのに何の姿も見えぬし、そうなると霧が運んで居るとしか思えぬ。とはいえ、我が命じても霧は我の言うことを聞くし、他の指示を受けているようにも思えなかった。もしやと思うが、何の力で膜が移動しておるのかと考えた時に、神が膜に入って引っ張っておるのだとしたらと、ふと思ったのだがの。」
志心が、言った。
「それは…その、ルキアンがか?」
ルシウスが頷くのに、維心が言った。
「だが、膜同士は中が見えて声が聴こえるのだろう。維月は移動し始めてから、見当たらぬと言うておったのでは。」
ルシウスが、ため息をついた。
「だから分からぬのだ。だが、仮に、であるが、仮にその神が術を放っておったとして、見させたい時だけ見えるようにしておったのなら?見せたくなければ閉じることができるのなら。見えてはおらぬが、あの場にそれが居て、引っ張っていたとしてもおかしくはない。霧は薄かったし、膜の輪郭もゆえにハッキリとはわからなんだ。今は霧を多く引き込んでおるが、確かにいびつな形に霧が無い場所ができておる。見えておらぬだけで、維月の膜にぴったりくっついて引っ張っておるのなら、そうではないかと思わせる形ぞ。」
ならば、そうなのか。
いよいよルキアンが首謀者であるということが現実味を帯びて来て、皆は真剣な顔で視線を交わしたのだった。




