天罰
ニコールは、母親が運ばれたという病院へと駆け込んだ。
「アイダの息子です!ニコールです!母は?!ここに運ばれたと聞きました!」
受付の女性は、驚いた顔をしたが、ニコールから少し身を退いて、答えた。
「…はい。こちらです。ご案内します。」
ニコールは、頷いて回りを見た。
皆が、なにやら睨むような目でこちらを見ている。
中には、関わりたくないとでも言いたげに急いで視線を反らした者も居る。
わけがわからないまま、ニコールは受付の女性について、奥の病室の方へと向かった。
病室へと案内されたが、そこは病室の地下の、本来物置場ではないかというほど粗末な場所だった。
どうしてこんな所に、とニコールは憤った。
昔は金がなかったのでこんな扱いにも仕方がないと思っていたが、今はそれなりに蓄えもあるし、母親だって太りすぎだと医者に注意されるほど、何不自由なく暮らしていたのだ。
だが、今はそれどころではない。
奥のベッドへと駆け寄ると、頭からすっぽり包まれたシーツを剥いだ。
「母さん!」
そして、ニコールは絶句した。
あれだけ丸々としていた母親が、今はまるで枯れ木のようにしわがれて、顔には苦悶の表情を浮かべて口は開いたまま、そこに転がっていたのだ。
どう見ても、もう息があるとは思えなかった。
「…母さんじゃない。」
ニコールは、思わず呟いた。
こんな人が、母親のはずはない。
だが、着ていた物は今朝、朝食の席で見た服、そのままだった。
「…君の母親のアイダだ。」ハッとして振り返ると、白衣を着た男が険しい顔で近寄って来ていた。「回りが見ている。ふらついて倒れたと皆が助けようと駆け寄ったら、目の前でみるみるこうなったらしい。お陰でそれを見てしまった人達が、皆精神に不調をきたしてここへ来てる。アイダが立ち寄った店の店主も、直前まで変わらないいつもの姿だったと言っている。何があったのか、我々にもわからないが、とにかく一刻も早く火葬にするべきだ。何しろこんな死に方なので…牧師も引き取りたがらなくてね。」
ニコールは、言った。
「今朝は普通に話していたんです!こんな…いったい母が何をしたんですか?!毎週教会にも通っていたし、牧師さんとも仲良くしていた!なのに、そんな目に合う理由がない!」
男は、首を振った。
「だから私達にはわからない。とにかく、金は要らないから早く引き取ってくれ。皆が怖がって迷惑してるんだ。ここへ来た時にはもう死んでいたし手の施しようがなかった。すまないが、私も仕事があるんでね。」
男は、一刻もそこに居たくないのか、そう言うとニコールの話も聞かずにそこを出て行った。
ニコールは、母親だったものでしかない遺体と残され、ただ呆然としていたのだった。
それから、運び出すための業者を手配しようとしたが、誰も受けてはくれなかった。
仕方がないので回りの人達に手を貸してくれるように頼んだが、誰も首を縦に振らない。
仕方なく、ニコールは母親をシーツにくるんで、それを担いで病院の裏口から出た。
いろいろ手配していた間に、非はとっぷりと暮れていたが、町の人達はニコールがやって来ると、皆蜘蛛の子を散らすように去って行った。
皆が、もう母親がどうなって死んだのか、噂で知っているのだとニコールはそれで知った。
家に帰ればきっと、母親が食事を作って待っていてくれて、これは母親ではないのだと思おうとしていたが、家に帰るとやはり灯りはついておらず、シンと静まり返っていて、背中に背負っているのが母親なのだと、ニコールに突きつけた。
家事は買い物から帰ってからにしようと思ったのか、洗濯もしたままでまだ、干してはいなかった。
母は、帰ってからやるつもりだったのだろう。
いつも母親が使っていた部屋のベッドにその遺体を寝かせると、ニコールはその隣りに崩れるように座って、項垂れた。
…いったい、どうしてこんなことに。
ニコールには、もうわけが分からなかった。
母親は、あれだけふくよかだったのに、今では背負っているのもわからないほど軽くて固い、本当に棒切れのようだった。
…どうせ、火葬業者にも断られるんだろう。
ニコールは、本来なら棺桶に入れて教会で葬儀をした後に、土に埋められ返って行くはずの母親を、家の裏手の庭で自分でひっそりと火葬することにした。
家で火葬など考えられない事だったが、もう水分も何も残っていないその遺体は、綺麗に燃えて骨も崩れてしまった。
ニコールは、消し炭のようになった母親を、涙を流しながら箒とチリトリで集めて、庭の隅に埋めた。
そうして泣きながらたった一人で天の神に向かい、母親が安らかであるようにと祈ったのだった。
次の日から、しばらくは仕事もせずにただ過ごしていたニコールだったが、自分は生きて行かなければならない。
その前に、母親があれほど願った黒髪に戻そうと、ニコールはハンスの理髪店へと足を運んだ。
中へ入って行くと、ハンスが驚いたように迎えてくれた。
「ああ…ニコール。」と、いつもなら椅子へ促すのに、目の前に立って言った。「どうした。もうこの町には居ないのかと思ったぞ。仕事ももらいに行ってないようだし。」
ニコールは、首を振った。
「いつまでも引きずっていられないからな。今日は、髪を染めに来た。良いか?」
ニコールが空いている椅子に座ろうとすると、ハンスはそれを遮るようにまた、目の前に立った。
「あ、いや他の客が予約しててな。今日は満員なんだ。またにしてくれないか。」
だが、見たところ他に客は一人しかいない。
席は、まだ二つ空いていた。
「…予約?珍しいな、そんなに盛況なのか?」
いつ来てもがらがらなのに。
ハンスは、困ったように顔をしかめる。
よく見ると、一人居る客はこちらをまるで嫌なものを見るような目で見ていた。
…もしかしたら、オレは招かれざる客…?
ニコールは、悟った。
ハンスは、ニコールにここに居て欲しくないのだ。
「…そうか。」ニコールは、踵を返した。「子供の頃から世話になってたのに。分かった、もう来ない。」
ハンスは、悲しげにニコールを見た。
「ニコール…、」
何か言いたげだったハンスを後目に、ニコールはそこを出て走って家へと帰ったのだった。
それから、思った通りハンスでもあの様子だったので、いつも仕事を回してくれる業者も、ニコールを門前払いするようになった。
そのせいで、全く仕事が入らなくなり、ニコールは失業することになった。
他の町に移住すればいいのだろうが、ここには母親の墓もあるし、家を手放す気にもなれない。
あの家を買った時の、母親の喜ぶ顔もまだ記憶に新しかった。
時間が経てばと思っていたが、誰も彼もニコールの顔を見るとあの事件を思い出すようで、市場ですら物を売ってくれなくなった。
もう、どうでもいいとニコールは、ここ数日物を食べていなかった。
それでも、体調が悪くなることもなく、ニコールは生きていた。
…オレは、何のために頑張っていたんだろう。
ニコールは、日がな一日ボーッと家で籠っているだけになっていた。
外からハンスが死んだという会話が聴こえて来たが、もうどうでも良かった。
…眠っていたらどうだ?
心の声が、そう言うのが聴こえる。
ニコールは、そうだ、と思った。
眠ってしまえば何もかもどうでも良くなる。
夢の中で楽しく暮らせる。
ニコールは、目を閉じた。
そして、長い夢を見ることにしたのだった。




