不思議な夢
ニコールがその光が近付いて来るのを待っていると、それはかなりのスピードであるにも関わらず、車のヘッドライトではないようだった。
…あれはなんだ?
ニコールが怪訝に思って手を振るのをやめると、その光は目の前まで来て、止まった。
見ると、光の正体は大きな懐中電灯ようだった。
何しろ、相手はニコールを見ると、その光をスッと消して、こちらを見たのだ。
…走って来た…?
それにしては、かなりのスピードだった。
が、ニコールは人が居たのを見て、嬉々として言った。
「ああ良かった、ちょっと助けて欲しいんだ。車のエンジンが止まってしまってね。懐中電灯もないし、困っていたところで。少し、その懐中電灯を貸してくれないか。」
相手は、怪訝な顔をした。
「懐中電灯?」
その反応にこちらが怪訝な顔をして、ニコールは手を指差した。
「そう、それ。」と言って手を見ると、そこには何もない。「え、あれ?今光っていたよな?」
相手は、答えた。
「…お前は困っているのだろう。オレも困っていて。少し手を貸して欲しい。」
それはこんな所で走ってるんだからな。
人の足で走っていたのなら物凄いスピードで近付いて来たように見えたが、きっと気のせいなのだろうと、ニコールは頷く。
「もちろん、車が動くようになったら助けるよ。見てくれないか、車には詳しいか?」
相手は、エンジンルームをチラと見てから、答えた。
「…それか。」と、エンジンルームの中を覗いた。「これが動けば手を貸すのだな?」
ニコールは、何度も頷く。
「貸す!とにかく助けてくれ。」
相手は頷いて、エンジンルームの中に手を突っ込んだ。
すると、中は暗いがさらに暗くなったような気がしながら見ている中で、あっさりとエンジンは、何事もなかったかのように始動した。
ニコールは、歓喜の声を上げた。
「やったぞ!どうやったんだ?こんなに暗いのに、よくどこが悪いのか分かったな。」と、扉を開いた。「これで乗せて行けるぞ。助手席に乗ってくれ。町まででいいか?それにしても、何でこんな所に。」
相手は、それを聞いて暗い中で苦笑した。
そう見えたが、暗いので実際はどうだったか分からない。
だが、どちらにしろ、相手の顔を見たのは、それが最後だった。
急に目の前が暗くなって、あれ?と思っていると、相手の声が聴こえた。
「約した通り、助けてもらおう。誠に助かったわ。」
いや、助けるにも眩暈がして…。
ニコールは思ったが、そのままフッと、何も分からなくなった。
次に気が付いた時、ニコールはいつものように自分の車に乗り、広い荒野を走っていた。
ハッとして急いでブレーキを踏むが、辺りは朝日が昇り始めていて、すれ違う車もぽつぽつ見掛ける。
…あれ?
ニコールは、回りを見回した。
特に問題はなく、急いで助手席の方を見たものの、そこには誰も座ってはいない。
…夢か?
ニコールは、顔をしかめた。
何も無い荒野の一本道なので、確かに走っている最中に眠くなって来るのはしょっちゅうだ。
珍しく夜、疲れた状態で走っていたので、もしかしたら自分は、居眠りしてしまったのではないだろうか。
考えたら、こんな道を走って来る人など、居るはずはないのだ。
それに、あのヘッドライトのように見えた懐中電灯も、手に持って走ってきているにしてはブレもなく、一定の角度を保っていた。
夢だというなら、納得もできた。
すっかり寝入って夢まで見ながら事故らなかった自分にホッとしながらも、ニコールはまたそっとブレーキから足を話して、そうしてアクセルを踏んで、一路目的地へと向かって走って行ったのだった。
そんな経験をしたので、ニコールはそれから、無理のない範囲で仕事を受けるようにしていた。
基本的に、遠くへ行くならせっかくだからとその地域での多くの荷物を請け負っていたがそれはやめて、日が暮れるまでには必ずこちらへ帰って来られるようにしていた。
だが、あれからおかしなことが増えた。
というのも、仕事をしていてふと、気がつくと、その直前まで居た場所から、かなり離れた位置に立ち尽くしていることが頻繁に起こるのだ。
最初は、気のせいかと思った。
だが、我を忘れるほど没頭して配達していることなどこれまでなかったし、その頻度が頻繁過ぎ、そもそもその間に何をしていたのか全く覚えていない。
特に夜、家の寝室に入って寝たはずなのに、気がつくと町中に立ち尽くしていることもあった。
同居している母親にも、出て行く音は聴こえなかったと言われる。
夢遊病にでも掛かったのかと、町の医者に掛かったがおかしなところはなく、反対に健康過ぎて驚くほどだと言う。
ニコールは気になったが、それでも問題なく仕事はしているし、健康だと言うのならしばらく様子を見るか、と、すぐに気にせず毎日をこなすことに集中して、生活していたのだった。
そんなある日、母親と二人で朝食をとっていると、母親が言いにくそうに言った。
「…あなた、髪を染めた?」え、とニコールは顔を上げる。母親は続けた。「最近、髪が茶色くなったわ。せっかく、お父さん譲りの黒髪だったのに。あの、朝帰りした日からよ。忙しかったとか言ってたけど、美容院に行ってたんじゃないの?」
母親の、責めるような言葉に、ニコールは首を振った。
「え、オレは美容院なんか行ってない。町の理髪店で切ってるだけだ。」と、髪に触れた。「そういえば、ハンスにも言われたな。どっかで染めて来たのかって。」
ハンスとは、その理髪店の店主だ。
母親は、むっつりと言った。
「…別に、あなたの自由だけど。最近、肌だってつるつるしていて見た目に気を遣い始めたのはわかるけど、でも、あなたがお父さんから継いだのは黒髪ぐらいなのよ。私が生きてるうちは、あのままにしてくれても良いじゃない。写真も多くは残っていないし、それを見て懐かしんでいたのは知ってるでしょう?」
ニコールは、母親が気を悪くしているのが分かった。
だが、本当に染めていないのだ。
そもそも、見た目に気を遣ってなどいない。
確かに最近、肌の調子は良いなとは思ってはいたが。
「…オレは本当に染めてない。勝手に変わったなら仕方ないじゃないか。だったら、ハンスに言って黒に染めてもらうよ。それで満足か?」
ニコールが、少し怒って言うと、母親はまずいと思ったのか、顔をしかめた。
「だから、染めずに居てくれたらって思っただけよ。段々に変わったなら分かるけど、いきなり変わるなんて染めたとしか思えないでしょう?あなたがそこまで言うならもういいのよ。」
やっぱり信じていない。
ニコールは、腹が立って朝食はまだ残っていたが、フォークを置いて立ち上がった。
「もういい。仕事に行って来る。そんなに言うなら、黒に染めて来る。」
母親は、慌てて言った。
「ニコール、別に私は…、」
しかし、ニコールはそれを無視して家を飛び出した。
…なんだって言うんだよ。
ニコールは、その日は腹を立てたまま、配送の仕事に回っていた。
その日は在宅している人が多くて、あっさりと荷物を配り終えた。
途中、また意識が飛んでいることがあったが、そう長い時間でもなかったので、問題はない。
ニコールは、本来夕方になるはずだった行き付けの理髪店へと向かった。
本当は来月行くつもりだったが、母親にああ言われてしまっては、軋轢を生まないためにも染めて帰るのが一番だ。
そもそもニコールは、髪の色にこだわりはなかった。
理髪店の扉を開いて中へと足を踏み込むと、ハンスが深刻な顔をして、客と話しながら髪を切っていた。
「ハンス。」
ニコールが声を掛けると、ハンスは振り返った。
そして、客と共に驚いた顔をした。
「ニコール!何をしに来たんだ、まさか髪を切りに来たのか?」
ニコールは、結構な言い種だなと顔をしかめた。
「はあ?髪を染めに来たんだよ。朝から黒髪が何とかって騒ぎになったからめんどくさいって思ってさ。」
だが、ハンスはブンブンと首を振った。
「その様子じゃまだ知らないな。お前のお袋さんが大変なんだぞ!朝、市場で歩いてる時にいきなり倒れて、回りの奴らが慌てて支えたら、目の前で棒切れみたいにしわがれったとかで!」
「ええ?!」
ニコールは、驚いて目を見開いた。
「棒切れみたいにって…それで、母さんは?!」
ハンスは、答えた。
「町の病院に運ばれた。見た奴らも気を失ったり大変だったんだ。何しろ目の前で、みるみる干からびてったって、あれは悪魔の仕業だって…」と、その言葉が終わらない間にニコールは駆け出した。「第二病院の方だぞ!」
背中にその言葉を受けて、ニコールは必死に走った。
…母さんが…!!
朝はあれだけ元気だった。
ニコールは、わけが分からなかった。




