久しぶりの花見
月は毎日忙しくしていたが、神世は普通に正月が過ぎてまた、花見の季節になった。
維月と維心が離縁してからは、神達も月の宮に集う事がなくなっていたが、最近は維月も忙しくしていて、月に居る事が多いので、蒼は神達に気を遣い、久方ぶりに呼ぶことにした。
その日は維月も月の宮に降りないと言い、もっぱら闇達と話すことにしたようだ。
十六夜は、花見どころではなくあちこち見回っているので、もちろん降りては来ない。
そんなわけで、月の宮には早朝から、多くの神が集うことになった。
到着口で待っていると、維心と炎嘉が珍しく同時に降りて来た。
どうやら、示し合わせてそうしたようで、輿から降り立った炎嘉は、機嫌良く言った。
「蒼。久方ぶりだの。月の宮はやはり良いわ。しばらく来ぬとこの気はいつまでも取り込んでいたくなるものよ。」
蒼は、微笑んだ。
「そうですか?オレはいつもここに居るので、もう分からなくなっていますが。」と、降りて来た維心を見た。「維心様も。お久しぶりです。」
維心は、頷いた。
「壮健か、蒼よ。顔を出さぬですまぬな。」
蒼は、首を振った。
「お忙しいですからね。では、こちらへ。」と、足を回廊へと向けた。「皆様、先に到着されています。焔なんか、もう結構飲んでます。めっちゃ早かったですからね、到着が。」
炎嘉は、え、と驚いた顔をした。
「まだ昼には少し早いのに。もうそんなに飲んでおるのかあれは。」
蒼は、歩きながら苦笑した。
「何しろ暇だったそうで、楽しみ過ぎて昨日は寝ていないそうです。」
炎嘉は、蒼と並んで歩きながら、呆れた顔をした。
「子供かあやつは。困ったものよ。」と、維心を見た。「のう、維心よ。」
維心は、頷く。
だが、何も言わなかった。
やはり月の宮にはいろいろ記憶があり、複雑な心地になるのだろう。
炎嘉は思って、そんなことには気付かないふりをしながら、蒼と明るく話しながら庭へと歩いた。
庭へと出て行くと、例年通り赤い毛氈が敷き詰められて、その上に臣下も合わせて多くの神達が花見をしていた。
ここの桜はいつも盛大に咲く。
何しろ、この清浄な気の中で育っているのだ。
ふと見ると、志心がこちらに気付いてこいこいと手を動かしている。
顔が呆れているので、どうしたのだろうと思って近付いて行くと、焔がもう、桜の木の下で転がって盛大にイビキをかいていた。
「…飲み過ぎてのう。」箔炎が言う。「漸とどれだけ飲めると競っておったのだが、先に倒れた。漸は吐きに行っておる。」
言われてみると、漸が居ない。
渡が、呆れて言った。
「あやつはそう強くもないのに急いで飲み過ぎなのよ。」
そういう渡は、脇で巻き込まれないように自分の酒瓶だけを置いて、ゆっくり飲んでいた。
志心が、言った。
「こやつは言うても聞かぬのよ。我が着いた時にはもう、漸と競っておったゆえ、止めたが遅かった。漸は漸で、意地になって飲んだゆえ、焔が倒れてすぐに山へ走って行った。口を押えておったゆえ、箔炎が言うように間違いなく吐きに行ったのだ。」
耳を澄ませてみると、確かに漸の「おえええええ」という声が聴こえて来るような気がする。
蒼は、顔をしかめた。
「だから言ったのに。来て早々から酒だ酒だとうるさくて。次に着いたのが渡で相手にしてくれないからって、漸が来て同じノリで盛り上がっちゃってたからなあ。」
駿が、息をついた。
「我と高彰が着いた時にはもう、ぐでんぐでんだったぞ。志心が着いた時には、まだ話ができたと聞いておるが。」
だからどうしてそんなに飲む。
炎嘉と維心が呆れた様子で設えられた席へと座ると、蒼もその隣りに座った。
「焔が風邪引いたらいけないから、侍女に何か掛ける物を持って来させてくれ。」
蒼は、脇の侍従に命じる。
侍従が、頭を下げて下がって行くのを見送って、蒼は言った。
「正月も、今年はオレは参加してなかったんで知らないですけど、どうでしたか?焔はこんな感じですか?」
炎嘉は、答えた。
「まあ、そうだの。最近はマシになっておったのに、また退屈になって参ったのか憂さ晴らしが出来ておらぬようで、宴でもあったら浴びるほど飲むの。目新しいことがあまりないゆえなあ。刺激もなくておもしろうないのやもしれぬな。」
蒼は、いびきをかく焔を見ながら、言った。
「…仕方がありませんね。来年の正月は、月の宮でやります?また変わった遊びがしたいんでしょう。確かに、今は本当に穏やかになりましたものね。表向き。」
それを聞いた渡が、ふと盃を下ろした。
「…会合で聞いた。おかしな霧が発生して、闇達があちこち分散して配置されたと?」
蒼は、ため息をついて頷いた。
「そうなんだ。今は三か所だけど、将来的には六ケ所に分かれて大陸を見るって事になるはずなんだけど、今は元不干渉地域辺りに面倒な霧が多くて、そこへはデロイスが配置されてるんだけど、それでも追いつかないほど厄介らしい。十六夜も目を光らせているけど、ルシウスと維月も、しょっちゅう元不干渉地域へ降りては霧達を監視してるんだけど…なんか、ほんと聞いてると面倒な性質っぽくて。」
炎嘉が、言った。
「面倒な性質とは?粗暴とかか。」
蒼は、首を振った。
「いえ、狡猾なんです。多分、なんですけど。」
「狡猾?」維心が言う。「霧がか。」
蒼は、頷いた。
「はい。あくまでも感じるだけらしいんですけど、意思を持った霧だと気取られたら消されるという事を、知っているような。知っているから隠しているような感じに見えるそうなんです。面倒なんで、微かにそんな気配を感じたら、十六夜に言って一気に消してもらってるみたいなんですけど、一向に減らない。だけど、そんなに細かくじっと見ている暇もないですし、他の地域も見ておかなければならないでしょう。だから、月には今、暇が全くないんですよ。暇があったらあの地域を見張ったり、降りてって巡回して意思を持つのを隠している霧を探したりしているみたいですね。神の皆様にはどうしようもない事なので、月が励むよりありませんし、あまりお気になさらず。」
そうは言っても気になった。
それがいったい、どんな意味を持つのかも分からないのだ。
「…もう、結構発見されてから時が経っておるよな?あれは、確か秋ごろだったか。もう年末も近くなって来ておるし、試行錯誤しておる状態か。」
炎嘉が言うのに、蒼は頷いた。
「そうですね。何しろ、闇と月が一緒になって追っている新たな霧のタイプなんで。碧黎様が言うには、発生するはずの意思を持つ霧が消されて行く歪みのせいだと言っているらしいんですけど、その歪みの逃し方がまだ、誰にも分かっていないんです。これを放置した後にどうなるのかも分からないから、ただ追いついている間は消している感じで。碧黎様も、監視はしてくださっているし、今のところ大事には至っておりません。ただ、確かに不気味な様子はあります。これ以上、オレ達には今のところどうしようもないので。」
結局、いくら平和になったと言っても、どこかにその歪みが来ると言う事なのか。
王達はため息をついたが、後ろで何も知らずにガアガアといびきをかいている焔を見ていると、心配するだけ損な気がして来た。
そこへ、漸が青い顔をしながら山の方からヨタヨタと帰って来るのが見える。
やっと侍女がやって来て、焔に布団を着せ掛けているのを見ながら、やっと全員が揃った桜の下で、憂さは忘れておっとりと酒を酌み交わす事にしたのだった。




