episode 3
「なぁ」
「んー?」
「おい、聞いてんのかこら」
「んー?」
さっきからずっとこの調子だ。妹は俺の話を聞こうともせず適当な返事ばかりしている。
「聞けって」
「……何」
やっと耳を傾けた。まだ手はミカンの皮を剥いたままだが。
「本当にやるのか?」
「ねぇまだ言ってんの? あのねお兄ちゃん。今もう3月! で、私は明日着任! お兄ちゃんは来週! もーおんなじこと何回も言うの疲れる」
「……ここには戻ってこれねぇんだぞ」
「うん」
「……友達にも会えねぇんだぞ」
「うん」
「……母さんにだって」
「分かってる。分かってて決めたの」
決心の揺らがない妹を見ると、不安が募る。これから楽しいことだって沢山あっただろうし、夢を見つけて就職して……それを全部手放すなんて、そんなのする必要ないんじゃないか。それに戦争からも、母さんの側の方がいざってときに男に構ってもらえるはず。どこのどいつか分からねぇ奴でも、男がいた方がマシだ。俺だって、いつも近くにいれるわけじゃないだろう。これからしなくてもいい辛い経験をすることになるかもしれない。そうなったとき、こいつが後悔するんじゃないかって不安になってしまうんだ。何度も同じことを言ってるって自覚はある……でも今ならまだ間に合うはず……そう思ってしまうともう、聞かずにはいられなくなる。
「お兄ちゃん。私なら大丈夫。だから応援してよ」
妹に悟られるなんて、どっちが年上か分からない。でも、心配なんだ。俺たちはずっと2人で生きてきた。俺はバイト三昧で、妹も学校とバイトの両立で。他の家族に追いつこうと必死だった。娘に旅立たれる親父の気持ちはこんな感じなのかもしれない。
「明日早いしもう寝るね。おやすみー」
さっさと布団に潜り込んで、いつもと同じように壁側を向いて寝ている。この家で寝るのも最後になるかもしれないのに、もう少し寝るのを惜しんでもいいんじゃないか?
「お兄ちゃん……ありがとう」
ふいに聞こえてきた言葉に、思わず耳を疑う。
「私を育ててくれて、ありがとう」
「もっと感謝されてぇくらいだわ。ほんっと苦労したなー」
「うん。ほんとにありがとう」
「……おい」
「ありがとう」
「おいって!」
茶化した冗談に、妹が乗ってこないなんて今までなかった。いつも憎まれ口で、でもそれは俺も一緒で。親譲りだから仕方ないにしても、はたから見たらまるで喧嘩してるように見えてたんじゃないだろうか。それがいつもの俺らで……何でも言える「兄妹」って感じが好きだった。なのにいきなりしおらしい感じを醸し出してくるなんて普通じゃない。そう思ったら衝動的に俺は妹の布団を剥ぎ取ってしまった。
「もー何? 寒いんだけど。乙女の布団取るなんてお兄ちゃん変態」
てっきり泣いてるのかと思ったら目は潤んでもない。全く、いきなりいつもと違う雰囲気を醸し出すのはやめてほしい。
「らしくねぇこと言うなよ。会えなくなるわけじゃねぇだろ? お前もあっち行くんだから」
「そうだね」
そう言って少し笑った妹は、今までの中で一番大人で……一番哀しく感じた。




