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第44回

  瞼を閉じ考え込んでしまったのが何故か馬鹿らしくなって、私は空腹感を解消することにした。夏限定の“海の家”などと名付けられた売店や飲食店が浜づたいに続いている。私はその中の一つに入り、冷麺を啜りながらビールで喉を(うるお)した。その後、混雑する電車を乗り継いで帰途についたのだが、途中で寄り道などもした。そして、(ようや)く家へ辿り着くと、夏とはいえ、もう陽はトップリと暮れていた。シャワーで汗を流し、早めに(とこ)に着いた。

  ウツラウツラと、しかけた頃だった。

「正夫はん、正夫はん…。いやはらしまへんか?」

玄関で私を呼ぶ、男の(かす)れた声がする。恐らくは篠原悟だろうとは思うのだが…、まてよ、以前にもこんなことがあったぞ? と怪訝(けげん)に思いつつも、のっそり動いて玄関の施錠を外す。安眠妨害に気分は醜悪だ。

「すんまへん…、あんなことにはならんと思おとりましたんや。ほんで、正夫はんには偉う迷惑かけることになってしもうて…、ほんま、すまんこってした…」と、悟君は神妙に謝る。だが、よく考えれば、この場面や台詞(せりふ)は、どちらも数年前の出来事と同じなのだ。私は少なからず奇妙に思えてきた。それに、今は悟君に謝られることなど何もないのだ。

「何かあったのかい? 別に謝ることなんてないだろうが…」

「えっ? いや、ほんまに…。すんまへんでした」

  悟君は、ふたたび謝った。妙な雲行きだ。

「どうしたんだ、いったい?」と私は彼に詰め寄った。

「なに()うたはるんでっか。ゴミ収集の一件でんがな」

「ゴミ収集って?」

「ほらっ、僕が不始末をしでかしたヤツでんがな」

「えっ? ああ…そういうこともあったな。でも、あれは随分、前の話じゃないか。そう、もう三年ほどになるぜ…」

「どうかしやはったんでっか? つい二週間前でっせ」

「馬鹿なことを言うなよ。二週間前っていえば、西瓜を持って俺ん()へ寄ったじゃないか。第一、俺は今、町内会の組長じゃないぜ」

「そんなアホなことはありまへんやろ。正夫はんは今、組長でっせ」

 “どうかしてる悟君は…”と、そのとき私は思った。どう考えても整合性のない話である。そんなことがある訳がない。

  悟君は妥協しようとはせず、なおも食いつく。

「ほれに、今、言わはった研究所てなんだす? よう分かりまへんにゃが…」

「なに言ってんだい。悟君と塩山さん、それに俺の三人で作った[時]じゃないか」

「[時]? なんのこってす? よう分かりまへん」

「時間研究所だよ」

「・・・、分かりまへん」

  これはどこまでいっても平行線だ…と思え、なんとなく尻込みするように私は黙ってしまった。

  悟君が狂ったのか、或いは私が(おか)しいのか、その辺りが双方とも分からないのだが、とにかく自分の主張をしている。どちらが正しいにしろ、妙チキリンなことに変わりはない。悟君がいつか言った、狐につままれたような話である。私が正しければ、悟君は三年前の世界をさ迷っていることになり、彼が正しいのなら、私は三年先の世界を漂っている訳で、夢を見ていることになる。いずれにしろ、時空を超越した実に不思議な現象に遭遇したことになる。

 押し問答の無意味さに気づき、ふと、“塩山に訊けば分かるじゃないか…”とひらめいた。それで塩山にさっそくメールを入れた。だが、どういう訳かメールが送れない。アドレスは間違っていないし、キーの打ち間違えもない。二度、三度と送ったが、やはり送れない。それで私は直接、彼に電話をした。すると、「…おかけになった番号は、現在、使われておりません。・・(略)・・」という音声ガイダンスが女性の声で流れて、やはり繋がらない。これも奇妙な現象であった。それは、つい最近、塩山に電話をしたときは通じていたからだし、番号を変更していれば、それなりの連絡をくれるだろうから、やはり奇妙だ、ということになる。

                                                   続

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