第35回
私達のその後は、研究の方向を“見えざる霊力”へと変えた。[時]⇔霊力という構図は、第三者には狂人っぽく映るに違いない。何せ相手は見えないのだから…。かつて経済学者のアダム・スミスは、その著書〔国富論〕において、“見えざる手”と比喩した。恰も、それに類似した発想のようにも思えた。
夏になった。流石にブースに籠るのは、サウナ状態だから億劫である。夕方になっても冷め遣らぬ熱気に部屋全体が茹って、とてもじゃないが長居はできない。で、[時]のブースはグルニエの二階に変更された。ここまで言えば皆さんにはもうお分かりの筈である。そうなのだ。私の部屋にはエアコンが未だに存在しない。櫓炬燵と唯一のストーブで冬場は凌げるが、夏は問題外なのだ。別にエアコンが買えない訳じゃないと、これだけは言っておきたい。要は、工事の手間をウザイ(今風の若者言葉で、『面倒だ、鬱陶しい』ぐらいの意味)と思っていたからである。
悟君は、夕食がありつけなくなったので、研究に覇気がなくなった。夏の暑気の所為ということもあるが、気の毒なことに変わりはない。グルニエは幸い、軽食、といってもカレー、スパゲティ、トーストやサンド類ぐらいなのだが、それらがあるということで重宝した。あっ、それにピラフもあった。悟君はよくこれを食っていた。彼は食後になると一変して、覇気を取り戻す。彼の食事中は私と塩山の二人会だったものが、済めば、俄かに彼が加勢して賑わう。
「怪談のシーズンでんなぁ」と、悟君が賑やかに笑う。
彼はお気に入りの海鮮ピラフをやっつけて、至極満足げである。それまで私と塩山はブルマンを啜りながら、いつものように持ち寄った観察帳を交換して読んでいた。
「ん? …そうだなあ」と私は漏らした。漏らしたというのは、実は態のいい言い訳で、本当のところは悟君の存在を、これもまたいつものように忘れていたのである。彼は二人の話に無頓着で、懸命に食っていた訳で、私達もいつの間にか彼を忘れていたのだ。まあ、これもいつものようにということである。悟君には申し訳ないのだが、私も塩山も最初のうちは遠慮していたのだが、グルニエでの会合が二度、三度となるにつれ、遠慮が忘却へと変化していた。人間の慣性は恐ろしい。もう一人を忘れ去っていた。
「最近は怪談とは言いまへんわなあぁ。ホラーとか若い者は呼んどるが、一度は廃れた怪談も、形を変えて復活しとる。怪談より、こっちの変わりようの方が怖いっちゅうか不気味でんがな。歴史は繰り返しまんのかいなあ…」
「それは悟君の言うとおりだ…。塩山さん、研究は中断!」
互いに見せ合っていた観察帳を閉じ、悟君の話に付き合うことにした。
「なに言うてまんにゃいな、続けとくれ。僕の話は世間話でっさかい」と、彼は遠慮を吐き、恐縮した。
「怪談話はともかくとして、霊の影響を受けるって、あるんですよね?」
研究会は中断されているのだが、塩山は尾を引く話を曖昧に繰り出した。
「それはあると思いまっせ。昔から“狐につままれた”とか言いまんがな」
「自分がその身にならないと分かんない話だなあ」私は傍観して見解を述べる。塩山の方は思い当たることが過去にあったのか、悟君の話に軽く頷き、「私はそういう体験をしていますから、敢えて篠原さんの話を否定しませんが…」と俯いた。
続




