第九十九話 紋様の根
リンが連れ去られた夜、そのまま続けての話です。
夜半、宿を密かに抜け出した一行は、二手に分かれた。
ノアは、少女を背に庇いながら、路地の暗がりを選んで進んだ。隣を、ガロンが音もなく歩く。大柄な体に似合わない、抑えた足運びだった。
「――止まれ」
ガロンの手が、ノアの肩を掴んだ。曲がり角の先、松明を持った守備隊の二人組が、ゆっくりと近づいてくる。
ノアは、少女を抱き寄せ、息を殺した。心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
足音が、すぐ手前で止まった。
「――誰かいたか」
「猫だろ。この辺、多いからな」
足音が、遠ざかっていく。
ノアは、詰めていた息を、ゆっくりと吐いた。少女の手が、いつの間にか、ノアの服の裾を強く握りしめていた。
「……大丈夫。もう少しだから」
ノアは、少女の頭を、そっと撫でた。
町を出て、街道を外れた森の小道を進むこと半刻。灯りの漏れる小さな家が、木々の間に見えてきた。アルトが以前から目星をつけていた、王都直属の隠れ里だった。
戸口に立つ女性は、ガロンの顔を見るなり、事情を察したように頷いた。
「――アルトさんの紹介ね。子供は、預かるわ」
少女は、ノアの服を、まだ強く握ったままだった。
「――ここにいれば、もう、割り振られなくていいの」
ノアが、目線を合わせて言うと、少女は、初めて自分の意思で頷いたように見えた。
「……うん」
「約束はできない。でも、いつか必ず、様子を見に来る」
ノアは、少女の手を、そっと戸口の女性の手に重ねた。指が離れる瞬間、少女は少しだけ泣きそうな顔をしたが、それでも、手を放した。
戸が閉まる音を背に、ノアとガロンは、来た道を引き返し始めた。
「――良い顔だったな、今の」
ガロンが、ぽつりと言った。
「はい。あの子が、自分で決めた顔でした」
ノアは、そう答えて、木彫りの鳥をもう一度握りしめた。
◇
一方、町の裏門へ向かうセレスたちも、影から影へと移動を続けていた。
門の手前で、アルトが片手を上げ、全員を止めた。
「――哨戒が、こっちに向かってる」
物陰から、松明の光が近づいてくる。足音は二人分、間隔は一定。訓練された歩調だった。イリスが、腰の剣にそっと手をかけた。
「戦うか」
「駄目だ」
セレスが、短く止めた。
「今、騒ぎを起こせば、町中の目がここに集まる。ノアたちの足取りまで、危うくなる」
光が、目の前の路地を横切っていく。全員が、崩れた壁の陰で、身を寄せ合うようにして息を潜めた。
光が過ぎ去るまでの数十秒が、やけに長く感じられた。
「……行ったわ」
レイフィアの声に、ようやく肩の力が抜ける。
「今のは、危なかったな」
ミュゼが、胸に手を当てながら呟いた。
「これが、毎晩ってことですよね。あの子たちは」
誰も、それには答えなかった。答える代わりに、足を速めて、裏門の外へと抜け出した。
◇
町を出て半刻ほど進んだところで、一行は森の入り口に落ち着いた。
ノアとガロンは、朝までに合流する手筈になっている。
残ったセレスたちは、小さな焚き火を囲んで、束の間の休息を取った。
「――今夜は、交代で見張りだ。俺が最初にやる」
アルトの言葉に、皆が頷いた。ミュゼとイリス、レイフィアが、それぞれ毛布にくるまり、目を閉じる。
セレスだけは、しばらく眠れずにいた。
手首の紋様に、指先で触れる。ここ最近、疼くたびに、なぜか同じ拍で、リンの手首の黒い線が動いていたことを思い出す。
(――同じ、拍だった)
根が同じだと、誰かに聞かされたわけではない。ただ、感覚として、ずっとそう思っていた。自分の紋様と、リンの紋様は、どこか奥深くで繋がっている。
届かない距離にいても、その根だけは、切れていない気がした。
セレスは、焚き火の向こうに座るアルトへ、静かに口を開いた。
「――なあ。俺とリンの紋様が、繋がってるって話、知ってるか」
アルトは、少し考えてから、首を振った。
「詳しくは知らない。だが、お前らの紋様が似た反応をする場面は、何度か見てきた」
「もし、本当に根が同じなら」
セレスは、拳を握った。
「辿れないか。俺の方から、リンの居場所を」
アルトは、火を見つめたまま、しばらく黙っていた。
「――試す価値はある。だが、今夜じゃない。お前は今、限界まで削れてる」
「分かってる」
セレスは、拳を開いた。
「でも、何か手がかりが欲しい。ただ待つのは、性に合わない」
「その気持ちは、分かる」
アルトは、小さく笑った。
「だが、根を辿るなら、万全な状態でやれ。半端な状態で潜って、お前まで戻れなくなったら、リンを助ける人間が一人減るだけだ」
その言葉に、セレスは黙って頷いた。
焚き火が、小さく爆ぜる。
遠くの森の奥で、何かが動く気配がした。セレスは、反射的に立ち上がりかけたが――それは、ただの夜風が、木々を揺らした音だった。
安堵しかけた、その時。
手首の紋様が、これまでにない強さで、一度だけ、脈を打った。
「――今の」
アルトが、その様子に気づいて顔を上げる。
セレスは、自分の手首を見つめたまま、動けなかった。
脈打った場所から、じんわりと熱が広がっていく。痛みではない。むしろ、誰かの体温に、じかに触れたような感覚だった。
届いたのか、届いていないのか。それすら、まだ分からなかった。
それでも、確かなことが一つだけあった。
(――繋がってる。まだ、切れてない)
セレスは、夜空を仰いだ。同じ空の下、どこかに、リンがいる。
第九十九話「紋様の根」をお読みいただき、ありがとうございます。次はセレスとリンを繋ぐ紋様の謎に、もう少し踏み込んでいく予定です。よろしければ、ブックマーク・評価で応援していただけると嬉しいです。




