第九十七話 選んだ側
守備隊の本拠地に踏み込みます。
三日かけて集めた情報は、一つの場所を指し示していた。
町外れの旧砦。守備隊が「本部」と呼ぶ建物だった。
「――踏み込むぞ」
セレスの言葉に、全員が頷いた。
「私は、外を固めるわ」
レイフィアが、細剣を確かめながら言った。
「アルトさんは、領主邸に。守備隊が異変に気づいたら、町全体が混乱します。その前に、領主側に事情を伝えておいた方がいい」
ミュゼが、そう付け加えた。
「分かった。何かあれば、すぐに知らせろ」
アルトは、そう言って、町の中央へと駆けていった。レイフィアは、砦の裏手に回り、増援の可能性がある経路を見張る位置についた。
「――いつでも呼んで」
その声を背に、セレス、ガロン、ミュゼ、イリス、ノア、リンの六人が、砦の中へと足を踏み入れた。
夜、砦に忍び込むと、地下へ続く階段があった。降りていくと、空気の質が変わる。廃坑や廃教会で嗅いだのと、同じ湿った匂いだった。
「――ここも、繋がってるのか」
地下の広間には、見覚えのある黒い結晶の柱が、鈍く唸っていた。廃坑のものより、一回り大きい。
柱の周りには、鎧姿の男たちが数十人。その最奥に、鎧を着けていない、白髪の男が立っていた。
「――ようこそ。まさか、辿り着かれるとは思いませんでした」
「お前が、守備隊の頭か」
「頭、というより、管理者ですね。この町を、静かに保つ役目を任されています」
男は、柔らかく笑った。あの管理人の男と、どこか似た笑い方だった。
「町の人間を、道具みたいに割り振って、それが『静かに保つ』か」
「秩序、と呼んでください。混乱よりは、ずっと平和的だ」
その時、鉄格子の奥から、小さな悲鳴が聞こえた。
ノアが、真っ先に反応した。
「――あの声」
格子の中には、昼間出会った少女がいた。他にも、数人の子供たちが囚われている。
「――なぜ、あの子まで」
「規則を破った者への、見せしめです。列を離れて、よそ者と話した罰ですよ」
男の言葉が終わるより早く、ノアは動いていた。
鉄格子に駆け寄り、力ずくで錠を叩き壊す。誰かの指示を待たなかった。
「ノア!?」
「――道具じゃない、ってこと。あの子に、私が証明します」
ノアは、少女を抱き上げ、格子の外へと連れ出した。守備隊の男たちが色めき立つが、ガロンとイリスが即座に前へ出て、道を塞ぐ。
「――決めた通りにやれ」
ガロンが、短く言った。ノアは、少女を抱えたまま、迷わず頷いた。
乱戦が始まった。
鎧の男たちが、一斉に切り込んでくる。街道で戦った部隊と同じ動き、同じ統率だった。だが今回は、数が違う。
「――退くんじゃねえぞ!」
ガロンの大剣が、二人、三人と薙ぎ払う。イリスも、無駄のない太刀筋で敵の剣を弾き、道を切り開いていく。
「子供たちを、先に外へ!」
ミュゼの光が、格子の奥に残っていた他の子供たちを包み込む。ノアは、少女を抱えたまま、開けた通路を駆け抜け、階段の方へと走った。
セレスは白髪の男へと向かうが、その手前で、黒い結晶の唸りが、一段と強くなった。
「――リン!」
リンの足が、その場に縫い付けられたように止まった。
「聞こえる……今までで、一番、はっきり」
リンの手首の黒い線が、これまでにない速さで、肘の方まで這い上がっていく。
『――もう、隠れなくていい。ここまで来れば、分かるはずだ』
声が、初めて、明確な意味を持って響いた。
「リン、駄目だ!見るな、聞くな!」
セレスが叫ぶが、リンの目は、すでに焦点を失っていた。
「……知ってる、この声」
リンが、譫言のように呟く。
「ずっと、探してた声。私を、作った」
白髪の男が、目を細めた。
「――ああ、やはり。あなたは、まだ覚えていたんですね」
「リン!」
セレスが手を伸ばすが、リンの体は、これまでのどの時よりも強く、黒い光に包まれていた。
周りにいた仲間たちの動きが、一瞬止まる。
これまでは、ここで踏みとどまれた。だが今回は、何かが違う。
リンの目から、一筋の涙がこぼれた。
「――ごめん」
それだけ言うと、リンの姿が、黒い光と共に、その場から掻き消えた。
「――リン!」
セレスの声が、地下の広間に虚しく響いた。
白髪の男は、満足げに笑った。
「これで、駒が一つ、揃いました」
残されたのは、崩れた鉄格子と、呆然と立ち尽くす仲間たちだけだった。
白髪の男は、それ以上戦う様子も見せず、静かに闇の奥へと下がっていった。追う余力は、もう誰にも残っていなかった。
地上に戻ると、レイフィアが真っ先に駆け寄ってきた。
「――何があったの。リンは」
その問いに、誰も、すぐには答えられなかった。
セレスの拳が、震えていた。
「――連れていかれた」
短い一言で、レイフィアの顔から血の気が引いた。
ちょうどそこへ、アルトも息を切らせて戻ってきた。領主への報告を終えたばかりだったのだろう。
「どうした、その顔は」
誰も答えないまま、セレスが崩れ落ちるように地面に膝をついた。
「――守れなかった」
その一言だけが、夜の砦の前に、重く落ちた。
ノアが、抱きかかえた少女を、ぎゅっと抱きしめる。少女は、何が起きたのか分からないまま、ただノアにしがみついていた。
「――絶対に、連れ戻す」
ノアの声は、震えていたが、確かな決意に満ちていた。
それは、リンへの言葉であると同時に、自分自身への誓いでもあった。
第九十七話「選んだ側」をお読みいただき、ありがとうございます。
ノアが自分の意思で動く場面と、リンにとって最も重い展開を、同じ章に置きました。ここから、物語は次の段階に入ります。
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