第九十三話 白い鳥、また一羽
少し落ち着いた、日常の回です。
廃教会跡地から連れ帰った子供たちは、ギルドの手配で、王都の施設や身元の分かった家族へと、順に引き渡されていった。
「――お父さん!」
「おかえり、本当に、おかえり……!」
門の前で抱き合う親子を、セレスたちは少し離れた場所から見守っていた。
全員に家族が見つかったわけではない。身元の分からない子供たちは、王都の孤児院へ預けられることになった。その手続きに、ミュゼが付き添っていた。イリスとレイフィアは、疲労の残る身体を休めるため、今日は宿に残っている。
「私、行ってきます!」
ミュゼが、子供たちの手を引いて歩いていく。ノアは、その背中を見送っていた。
「――ノア?」
セレスが声をかけると、ノアは少し遅れて振り返った。
「あ、はい。何ですか」
「ぼうっとしてたな」
「……そうですね」
ノアは、小さく笑った。いつもの、遠慮がちな笑い方だった。
「昔のことを、思い出しただけです」
少し離れた場所で、リンが子供たちの列を見つめていた。誰も攫われず、誰も鉄格子の中にいない。それだけのことが、まだ信じられないという顔だった。
「――リン」
「うん」
「大丈夫か」
「分からない」
リンは、正直に答えた。
「今日、あの子たちが帰る場所を見て、少し、変な気持ちになった」
「変な気持ち」
「羨ましいのか、悲しいのか、自分でもよく分からない」
セレスは、それ以上追及しなかった。ただ、隣に立ったまま、しばらく子供たちの列を見ていた。
◇
その夜、宿の自室で、ノアは荷物の底から小さな木彫りを取り出した。
白い鳥を模した、手のひらに収まる飾り。羽の形は、左右で少し違う。不器用な作りだが、握ると、いつも温かい気がした。
ガロンから貰った時のことを、ノアはよく覚えている。
名前を選ぶのに迷っていた自分に、ガロンは「行きたい場所へ、自分で行けるようにな」と言った。あの時は、意味がよく分からなかった。ただ、その言葉の響きだけが、ずっと胸のどこかに残っていた。
今日、引き取られていった子供たちの顔を思い出す。
名前を呼ばれて、駆け出していく背中。
あの子たちにも、これから選ぶべき道が、たくさんあるのだろう。
ノアは、木彫りの鳥を、窓辺にそっと置いた。月明かりが、白い羽をうっすらと照らす。
「……私は、まだ、飛べてないな」
小さく呟いて、ノアは布団に潜り込んだ。
◇
翌朝、食堂に降りると、ミュゼが疲れた顔で朝食を口に運んでいた。
「昨日は大変だったろ」
「はい……。でも、みんな、ちゃんと行き先が決まってよかったです」
ミュゼは、スプーンを止めて、ノアの方を見た。
「ノアも、何か思うところあった?」
「――どうしてそう思う?」
「昨日、ずっと難しい顔してたから」
図星を指されて、ノアは小さく肩を竦めた。
「……少しだけ」
「話す?」
「まだ、うまく言葉にならなくて」
ノアは、スープの湯気を見つめながら、小さく続けた。
「私も、あの子たちと同じだったから」
その言葉に、少し離れた席で朝食を取っていたリンが、顔を上げた。
「――ノアも?」
「うん。詳しくは、今度話す」
リンは、それ以上聞かなかった。ただ、小さく頷いた。
「私も、似てる」
「知ってる」
ノアは、優しく笑った。
「だから、余計に、何て声をかけたらいいか、まだ分からない」
「かけなくていい」
リンは、静かに言った。
「同じだって分かってるだけで、十分」
ミュゼは、それ以上、聞かなかった。ただ、隣に座り直して、ノアの肩に軽く自分の肩をぶつけた。
「言葉になったら、聞かせてね」
「……うん」
食堂の隅で、ガロンが黙って新聞を読んでいた。だが、その耳は、三人のやり取りをしっかりと拾っていた。
朝食が終わる頃、アルトが顔を出した。
「調子はどうだ。廃教会の件、上への報告はこっちで済ませておいた」
「助かる」
「――それと」
アルトは、少し声を落とした。
「しばらく、大きな依頼は入れないつもりだ。今回のことで、みんな疲れてるだろう」
「気を遣ってるのか、お前」
「たまにはな」
アルトは、苦笑して肩を竦めた。
「骨休めの期間だと思って、好きに過ごせ」
セレスは、頷きながら、窓際のノアとリンを見た。
二人とも、窓の外を眺めていた。何を見ているのか、セレスには分からなかった。
ただ、その横顔が、いつもより少しだけ、遠くを見ているように感じられた。
一人は、これから旅立つ場所を探している。
もう一人は、まだ完全には切れていない糸の先を、探している。
二つの視線は、同じ窓の外を見ながら、決して同じ場所を見てはいなかった。
◇
その夜、リンは自室で、一人、寝台に座っていた。
骨休めの期間。アルトはそう言ったが、リンの手首には、まだ薄く、黒い線の名残がある。旅商人の忠告が、頭から離れなかった。
――時間が経つほど、向こうに近づいていきます。
窓の外を見る。月は、いつもと変わらず静かだった。だが、耳の奥では、あの低い唸りが、まだかすかに鳴り続けている気がした。
リンは、自分の手首を強く握った。
「――まだ、大丈夫」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
その声が、少しだけ震えていたことに、本人はまだ気づいていなかった。
第九十三話「白い鳥、また一羽」をお読みいただき、ありがとうございます。
第四十四話で登場した木彫りの鳥、ずっと出す機会を待っていました。今回は、ノアとリンが初めて、お互いの過去に触れ合う場面も入れています。二人とも「型にはめられた存在」ですが、抜け方はまったく違います。この対比を、これからゆっくり描いていくつもりです。
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