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女神の勘違いで女の子に転生した俺、ギルドで測定不能と言われたけど普通に無双してました  作者: 夜華カナタ
第五章 鎖の少女、選ぶ

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第八十九話 値札のない話

旅商人が、今度は逃げません。

 翌日の夕方、宿の裏路地で、セレスは再びあの男を見つけた。


 いや、正確には、見つけられたのはセレスの方だった。


「――今日は、逃げないんですね」


 物陰から、線の細い青年が姿を現した。物腰は柔らかいままだが、目だけが、以前より少し鋭い。


「お前……何のためにこの街に」


「商人ですから。あちこち回ります」


「白々しいな」


 セレスは、剣の柄に手をかけないまま、距離を詰めた。


「リード村で、俺の紋様に触れた。あれは、どういう意味だ」


「さあ、何のことでしょう」


 青年は、いつもの曖昧な笑みを浮かべた。だが、すぐにその笑みを消して、声を落とした。


「――一つだけ、忠告です」


「忠告?」


「廃坑の帳面、ギルドに預けたでしょう」


 セレスの心臓が、跳ねた。なぜ、それを知っている。


「あれを解読する人間は、気をつけた方がいい。記号の意味に近づく者を、向こうは放っておかない」


「向こう、とは」


「銀仮面の、遺したもの」


 青年は、静かにそう言った。


「あの人は、もういません。ですが、あの人が遺した『型』を使う連中が、まだ動いています。あなたたちが今、少しずつ辿っている道は、その連中の本丸に繋がっています」


「本丸って何だ。誰が、何のためにやってる」


「それを話すには、私はまだ、あなたを信用しきれていません」


 青年は、一歩下がった。


「ただ――」


 彼は、ふと、遠くを見るような目をした。


「あの人自身は、悪人ではありませんでした。少なくとも、私が知っている限りでは」


「知り合いなのか」


「昔、少しだけ」


 それ以上は、答えなかった。


「もう一つ、言っておきます」


 青年は、声をさらに落とした。


「あなたたちの中に、あちら側の言葉に聞き覚えのある方がいますね」


 セレスの背筋が、冷えた。


「――リンのことか」


「名前までは、私は知りません」


 青年は、首を振った。


「ただ、彼女に近づくものが、この先も出てきます。それは、私の側の話ではありません」


「守りようがあるのか、それは」


「守るのは、あなたたちの仕事です。私は、値札を教えるだけの商人ですから」


 青年は、踵を返しかけて、もう一度だけ振り返った。


「近いうちに、また会うことになると思います。その時は、もう少し詳しい話ができるかもしれません」


 青年は、路地の奥へ向かいかけて、一度だけ足を止めた。


「――一つ、訂正します」


「何だ」


「悠長に構えていい話ではありません。彼女の中の糸は、放っておいても薄れていくものじゃない。むしろ、逆です」


「逆、とは」


「時間が経つほど、向こうに近づいていきます。私が知っている限り、そういう風に作られている」


 セレスは、息を呑んだ。


「――どれくらいの猶予がある」


「分かりません。ですが、私なら、悠長な調査で済ませません」


 青年の声には、これまでで一番、感情らしいものが滲んでいた。


 言い残して、青年は路地の奥へと消えていった。


 今度は、追わなかった。追ったところで、捕まる相手ではないと、もう分かっていた。


 ◇


 その夜、宿にアルトが駆け込んできた。


「セレス!帳面の記号、半分近く読み解けた」


「早いな」


「昔、似た暗号の仕事をしたことがある。荷の行き先は、複数の中継地を経由してるが……最終的な集積地の候補が、二つに絞れた」


 アルトは、地図を広げた。


「一つは、北の国境近く。もう一つは――」


 彼の指が、地図の一点で止まった。


「王都のすぐ外。半日で行ける距離だ」


 セレスは、地図を見下ろした。


 半日。近すぎる距離に、背筋が冷えた。


「まさか、灯台下暗しか」


「断定はできない。だが、この距離なら、まず当たって損はない」


 アルトの声には、いつにない緊張が滲んでいた。


「セレス、これは正式な依頼として上に通す。準備が整い次第、動く」


「分かった」


 その時、廊下からリンが顔を出した。話を聞いていたらしい。


「――王都の近く」


「立ち聞きか」


「聞こえた」


 リンは、部屋に入ってくると、地図の一点をじっと見つめた。


「この辺り……何かあった気がする」


「知ってるのか」


「分からない。でも、地名を見た時に、胸がざわついた」


 アルトが、慎重な口調で尋ねた。


「行ったことがあるのか」


「たぶん、無い。でも」


 リンは、自分の手首に触れた。


「連れていかれる途中、こういう景色を見た気がする。丘があって、崩れた建物があって」


「崩れた建物」


「うん。それだけしか、覚えてない」


 セレスとアルトは、顔を見合わせた。


「――地図に、廃教会の印がある」


 アルトが、地図の隅を指した。


「三十年前に打ち捨てられた教会の跡地だ。この距離なら、候補地とも近い」


「調べる価値はあるな」


「イリスたちが戻り次第、動こう」


 その時、部屋の戸が開いて、ガロンが顔を出した。買い出しから戻ったばかりらしく、荷袋を肩に提げている。


「――何の集まりだ」


「廃教会の話だ」


「廃教会?」


 ガロンは荷袋を下ろしながら、地図を覗き込んだ。


「ああ、あそこか。子供の頃、肝試しで行けって言われたが、結局誰も行かなかった場所だな」


「知ってるのか」


「知ってるってほどじゃねえ。ただの噂話だ。呪われてるとか、夜になると声がするとか、その手のやつ」


 ガロンは、腕を組んで地図を睨んだ。


「あの手の噂って、案外馬鹿にできねえんだよな。何かしら理由があって広まってることが多い」


「今回もそうかもしれないな」


「だろうな」


 ガロンは、荷袋から取り出した干し肉を一切れ、リンへ差し出した。


「食っとけ。腹が減ってちゃ、まともに考えられねえ」


「……ありがとう」


 リンは、受け取った肉を、少しだけ躊躇ってから口に入れた。


「――しょっぱい」


「文句言うな。塩は保存の要だ」


 その短いやり取りに、張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。


 セレスは頷きながら、頭の片隅で、あの青年の忠告を反芻していた。


 ――彼女に近づくものが、この先も出てきます。


 窓の外、王都の夜景に、目を凝らす。


 どこかで、また誰かが、糸を引いているような気がした。


第八十九話「値札のない話」をお読みいただき、ありがとうございます。


旅商人が少しだけ本音を見せてくれました。「あの人自身は悪人ではなかった」という一言、今後効いてきます。そして、リンが地図を見て何かを感じ取る場面も入れました。彼女の記憶の断片が、少しずつ繋がっていきます。


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