第八十八話 困った視線
王都で少し息をつく回です。銀ランクになってから、意外な視線が増えていることに気づきます。
翌朝、宿の食堂に降りると、ミュゼがすでに待ち構えていた。
「約束、覚えてますよね」
「約束?」
「プリンです!ずっと楽しみにしてたんですから!」
「――ああ、そういえば」
「そういえば、じゃないです!」
厨房から漂ってくる甘い匂いに、ガロンが鼻を鳴らした。
「俺の分もあるんだろうな」
「ガロンさんの分もちゃんとありますよ。まあ、セレスさんの半分の大きさですけど」
「なんでだよ」
「危険な思いをしたご褒美です」
ミュゼは、澄まし顔でそう言うと、皿を運んできた。リンの分もある。彼女は少し戸惑った顔で、それでも小さく礼を言って受け取った。
久しぶりに見る、平和な食卓だった。
◇
昼過ぎ、セレスはギルドの掲示板を眺めていた。銀ランクになってから、依頼の質が明らかに変わっている。見合う仕事を選ぶのも、少し慣れが要った。
「――あの、すみません」
声をかけてきたのは、見覚えのある顔だった。銀ランク試験で共に受けた受験者の一人だ。名前は、確かレオンといった。
「なんだ」
「その、先日の試験の時から、ずっと気になってて」
レオンは、妙に緊張した様子で、髪をかき上げた。
「銀に上がったお祝いというか、今度、飯でもどうかと思って」
「――は?」
セレスは、思わず聞き返した。レオンの顔が、みるみる赤くなる。
「い、いや、変な意味じゃなくて!ただ、話してみたいなと思って」
「セレスさん、モテますね」
いつの間にか隣にいたミュゼが、興味深そうに会話に加わってきた。
「モテてない」
「モテてますよ、この反応」
セレスは、内心で頭を抱えた。相手はどう見ても、ただの好意で誘っている。だが、こちらの中身は、間違いなく男だ。
「悪いが、その手の誘いは受けない」
「そ、そうですか」
レオンは、あからさまに肩を落とした。
「振られちゃいましたね」
ミュゼが、面白がるように言う。
「お前、笑ってるだろ」
「笑ってません」
「絶対笑ってる」
その様子を見ていたガロンが、腹を抱えて笑い出した。
「セレス、お前、見た目だけならそこらの令嬢より整ってるからな。仕方ねえよ」
「笑い事じゃない」
セレスは、深くため息をついた。
(――こういうの、慣れないな)
中身が男だと分かっていても、見た目に向けられる好意には、どう反応していいか分からない。困り顔のセレスを、少し離れた場所からイリスが眺めていた。
「――大変そうね」
「他人事だと思って」
「他人事だもの」
イリスは、素っ気なく言い放った。それから、少しだけ表情を緩めた。
「でも、悪いことじゃない。お前がそうやって困る顔、初めて見た」
「困らせてどうする」
「別に、困らせたいわけじゃない」
イリスは、それだけ言って、掲示板の別の依頼票に目を移した。セレスは、その背中を見ながら、小さく息を吐いた。
自分に向けられる好意も、期待も、まだどこか他人事のように感じてしまう。それでも、こうして戸惑う自分の反応を、少しだけ面白く思っている自分もいた。
◇
昼下がり、宿の裏庭では、ノアが洗濯物を干していた。
「――セレス、モテたんだって?」
噂は、もう回っているらしい。セレスは、げんなりした顔で頷いた。
「レイフィアから聞いたのか」
「ミュゼから」
「あいつ、広めるのが早すぎる」
ノアは、シーツを一枚、丁寧に伸ばしながら、小さく笑った。
「いいと思う。セレスが、困ってるところ」
「なんでだよ」
「いつも、余裕そうだから。今日みたいなの、たまにはいい」
その言葉に、セレスは何も言い返せなかった。
少し離れた井戸端では、レイフィアが水を汲みながら、こちらの様子を窺っていた。
「――女の子に言い寄られて困る、なんて贅沢な悩みね」
「贅沢だと思ったことはない」
「そう?私なら、ちょっと羨ましいけど」
レイフィアは、そう言ってから、耳が赤くなっているのに気づいたのか、慌てて水桶を持ち直した。
「な、なんでもないわ。忘れて」
「今の、聞かなかったことにする」
「そうして頂戴」
その軽いやり取りに、洗濯物を干していたノアが、くすりと笑った。
夕方、アルトが宿に顔を出した。
「――噂は聞いた」
「お前もか」
「この街で、お前の噂が回らない日はない」アルトは、珍しく口元を緩めた。「銀ランクの、無色の。そう呼ばれ始めてるらしいぞ」
「呼び方が変わってきてるのか」
「実力が認められてきてる証拠だ。悪いことじゃない」
アルトは、そう言ってから、帳面の解読状況を軽く報告した。まだ進展はないが、着実に進めているという。
「――もう少し待ってくれ」
「急いでない。地道にやってくれればいい」
その言葉に、アルトは短く頷いて、また資料の山へと戻っていった。
◇
その夜、セレスは一人で市場に出た。
両替と、砥石の買い出し。用件はすぐに済んだが、雑踏の心地よさに、少し遠回りをしたくなった。
人混みの中を歩いていた時だった。
視界の端を、見覚えのある線の細い横顔がよぎった。
旅装束ではない。街に馴染んだ、ごく普通の格好をしている。だが、あの物腰は、忘れようがなかった。
(――あいつ)
「――待て!」
声をかけて、駆け出した。
人混みをかき分ける。だが、青年の姿は、瞬く間に人の波に紛れていった。角を曲がった先には、誰もいない。
「……見失ったか」
セレスは、荒くなった息を整えながら、周囲を見回した。
王都に、いる。リード村で会ったあの旅商人が、この街の雑踏に紛れて歩いていた。
偶然か、それとも。
考えを巡らせながら宿へ戻ると、食堂にリンがまだ起きていた。窓辺の椅子に座って、外を眺めている。
「――眠れないのか」
「うん、少し」
リンは、セレスの表情を見て、小さく首を傾げた。
「何かあった?」
「……あの旅商人を、この街で見かけた」
その一言に、リンの顔が強張った。
「……本当に?」
「見失ったが、間違いない」
リンは、しばらく黙り込んだ。それから、自分の手首に触れながら、ぽつりと言った。
「あの人、たぶん、私たちを見に来てる」
「なんのために」
「分からない。でも……あの声と、無関係じゃない気がする」
根拠のない直感だった。だが、セレスはそれを軽んじなかった。
「気をつけておく。お前も、一人で出歩くのは控えろ」
「……うん」
リンは、素直に頷いた。
窓の外、王都の夜景を、二人はしばらく黙って見つめていた。答えの出ない問いが、また一つ増えていた。
第八十八話「困った視線」をお読みいただき、ありがとうございます。
銀ランクになったセレスに、思わぬ好意が向けられる回でした。中身は男なのに、見た目は美少女という設定、ずっと使いたかったネタです。最後はまた不穏な引きになりましたが、旅商人の目的、少しずつ気になってくる頃だと思います。
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