第八十五話 東への轍
東の国境方面、手がかりを追います。リンとの長丁場、一行五人での旅です。
「東の国境方面、か」
ギルドの一室で、アルトが広げた地図を指でなぞった。
「検問記録にあった馬車は、王都を出てから三つの村を経由している。まずは一番近い、リード村から当たるのが早い」
「俺たちが行けばいいんだな」
ガロンが、大剣の柄に手をかけながら言う。
「頼めるか。ギルドとしても、正式な調査依頼として発注する。ただし――」
アルトの声が、わずかに低くなった。
「相手は、地下遺跡の一件と同じ勢力だと思っておいた方がいい。油断するな」
彼はそこで、リンの方を見た。
「――お前も、本当に行くんだな」
「行く」
「無理はするな。危ないと思ったら、すぐ引け」
「アルトも、心配性」
リンが、ほんのわずかに口の端を上げた。それはこの数日で初めて見る、彼女なりの軽口だった。ミュゼが目を丸くする。
「――リン、今、笑いました?」
「笑ってない」
「笑ってましたよ!」
「気のせい」
短いやり取りに、少しだけ空気が緩んだ。だがその緩みも長くは続かない。アルトが地図を丸めながら、もう一度真剣な顔に戻った。
「試験の推薦組の仕事も抱えてるが、こっちが片付くまでは俺も王都に残って情報収集を続ける。何かあれば、すぐ知らせろ」
「分かった」
翌朝、セレス、ガロン、ミュゼ、リンの四人は、王都を出てリード村への街道を進んでいた。
「のどかなところですね」
ミュゼが、街道沿いに広がる麦畑を眺めながら呟く。
「こういう場所ほど、何かが起きた時の落差が怖いけどな」
セレスの言葉に、ガロンが小さく頷いた。
リンは、隊列の後方を歩いていた。時折、道端の何気ない景色に目を留めては、少し遅れて足を速める。それに気づいたミュゼが、歩幅を合わせて隣に並んだ。
「リン、外、久しぶり?」
「――こんなに遠くまで、初めて」
「そっか」
ミュゼは、それ以上聞かなかった。ただ、隣を歩き続けた。
半日ほど歩いて辿り着いたリード村は、確かにミュゼの言う通り、のどかな村だった。村の入り口にある小さな宿屋兼酒場で、四人は情報収集を始めることにした。
「深夜に通った馬車、ですか」
宿の主人は、しばらく考え込んでから答えた。
「そういえば、十日ほど前かね。見慣れない馬車が、村を素通りしていったのを見た者がいる。急いでいる様子だったと」
「行き先に心当たりは?」
「さあ……ただ、この先の分かれ道で、東の山道を選んだと聞いたよ。あっちは、廃坑のある方角だ」
廃坑、という言葉に、セレスは軽く眉を寄せた。
(――地下遺跡の一件と、繋がりがありそうだな)
「あの廃坑なら、俺も昔、一度だけ様子を見に行ったことがある」
宿の主人が、声を潜めて続けた。
「もう何年も前に資源が尽きて、誰も寄り付かなくなった場所だ。だが、ここひと月ほど、夜になると明かりが灯ってるのを見た、って話す村の若いのがいてな。気味悪がって、誰も近づかなくなった」
「――ひと月前、ですか」
ミュゼが、セレスと顔を見合わせた。地下遺跡の一件からの時期と、ちょうど重なる。
「村の連中に、何か被害は」
「今のところは、無い。だからこそ、余計に薄気味悪いのさ。何をしてるのか、誰も知らないんだから」
情報を集め終えて宿を出ようとした時、店の隅の席に座っていた一人の客が、ふと声をかけてきた。
「――王都から来た冒険者さん、ですか」
旅装束の、線の細い青年だった。物腰は柔らかいが、なぜか目が離せない。
「お前は?」
「通りすがりの、しがない旅商人です」
青年は、名乗るようで名乗らない、曖昧な笑みを浮かべた。
「東の廃坑にご用でしたら、お気をつけて。あの辺りは、近頃物騒だと聞きますから」
「――何を知ってる」
「さあ、何のことでしょう」
青年は、はぐらかすようにそう言うと、代金として、見慣れない意匠の古い硬貨を数枚、テーブルに置いた。
「――お客さん、これ、うちじゃ使えないよ。とっくに廃止になった旧王国の貨幣だ」
宿の主人が、困惑した顔で呼び止める。
「これは失礼。長旅で、つい昔の癖が抜けなくて」
青年は苦笑しながら、今度は普通の硬貨を置き直した。妙に古めかしい言い回しが、その一瞬だけ、彼の口調から滲んでいた。
その視線が、ふと、リンの方へ動いた。ほんの一瞬だった。だが、リンはそれに気づいて、身体を強張らせた。
席を立った青年は、すれ違いざま、セレスにだけ聞こえる声で、一言だけ囁いていく。
「――その紋様、随分と綺麗な色をしていますね。まるで、誰かに似ている」
その一言に、セレスの心臓が、大きく跳ねた。
「――誰かって、誰のことだ!」
振り返った時には、青年の姿は、村の雑踏に紛れて見えなくなっていた。
「セレス、どうした?」
ガロンが、怪訝そうな顔で歩み寄ってくる。
「――いや。少し、妙な奴に絡まれただけだ」
セレスは、努めて平静を装いながら答えた。だが、内心は全く穏やかではなかった。
(あいつ、俺の紋様のことを知ってた。それに――)
誰かに似ている、という一言。あの黒ローブの男たちが口にする「白銀の本物」という言葉と、どこか響きが重なる気がした。
(考えすぎか。それとも――)
ふと、リンの様子がおかしいことに気づいた。顔が青ざめ、拳を固く握っている。
「リン、大丈夫か」
「……あの人」
リンの声が、震えていた。
「見たこと、ある気がする」
「どこでだ」
「分からない。でも、あの喋り方……」
リンは、自分の記憶を辿るように、額に手を当てた。
「思い出せない。でも、嫌な感じがする」
「無理に思い出さなくていい」
セレスは、それだけ言った。リンは小さく頷いたが、その表情は最後まで晴れなかった。
「とにかく、東の廃坑に向かいましょう」
ミュゼの声に、セレスは我に返った。
「ああ、そうだな」
村を出て山道に差し掛かると、木々の密度が急に増した。日差しが遮られ、昼だというのに薄暗い。
「――静かすぎるな」
ガロンが、周囲を警戒しながら呟いた。鳥の声も、虫の音もしない。人の手が入らなくなった土地特有の、重たい静けさだった。
リンが、セレスの少し後ろで、自分の手首に触れながら歩いていた。何かを堪えるような、ぎこちない足取りだった。
「――怖いなら、言え」
「怖くない」
「無理してるだろ」
「無理じゃない」
リンは、繰り返した。だが、その声は、いつもよりわずかに硬かった。
答えの出ない疑問を抱えたまま、四人は東の山道を進んでいった。廃坑まで、あと半日の距離だった。
第八十五話「東への轍」をお読みいただき、ありがとうございます。
廃倉庫の一件から、東の廃坑へと手がかりが繋がってきました。謎の旅商人の正体にもご期待ください。今回、リンが彼に何か引っかかるものを感じている描写を入れました。この違和感は、この先の展開に繋がっていきます。
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