第八十四話 鏡の中の俺
廃倉庫の一件から一夜明けて、少し静かな回です。
廃倉庫での報告は、思ったより長引いた。
運び出された箱の輪郭、証拠と呼べるものが何一つ残っていなかったこと。ミュゼの「誰かが糸を引いているような動き」という証言に、受付嬢は神妙な顔で聞き入っていた。リンが感じ取った「急いでいる」という印象も、セレスは正直に伝えた。受付嬢は一瞬だけ戸惑った顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
「――地下遺跡の一件と合わせて、上に報告を上げます。しばらく、追加の調査員が動くことになるかと」
「頼む」
セレスは短く答えた。答えの出ない問いを、今すぐここで片付けられるとは思っていなかった。
「にしても」ガロンが、報告書を書く受付嬢の手元を眺めながら言った。「あの数の実験体を用意するのは、片手間でできることじゃないだろうな」
「材料も、術式具も、相当な準備が要りますね」ミュゼが眉を寄せる。「誰が糸を引いてるにしても、一朝一夕の話じゃなさそうです」
「だからこそ、尻尾を出す。それだけの規模で動いてるなら、いずれどこかで綻びが出る」
セレスの言葉に、ガロンとミュゼは、それぞれ小さく頷いた。
宿に戻る頃には、すっかり夜が更けていた。
「先に休むぞ」
「私も休みます。あ、そうだ――」
ミュゼが、思い出したように振り返った。
「厨房に、余ったプリンがまだあるんです。セレスさん、後で食べません?」
「……気が向いたらな」
「絶対食べに来てくださいね!約束ですよ!」
「にしても」ガロンが伸びをしながら言った。「銀になってから、依頼の質が変わったな。実感が湧く」
「私もです。銀ランクの装備支給、地味に助かってます」
二人は軽口を交わしながら、それぞれの部屋へ引き上げていった。共用の居間に残ったのは、セレスとイリスの二人だけだった。リンは、今日は自室に早めに下がっていた。
「――お前も、休まないのか」
「まだ、少し眠くない」
イリスは、窓際の椅子に腰を下ろしたまま、外を眺めていた。月明かりが、彼女の横顔を静かに照らしている。
セレスも、向かいの椅子に腰を下ろした。今日一日の疲れが、じわりと肩にのしかかってくる。
「――なあ」
しばらくの沈黙の後、イリスが口を開いた。
「今日の戦い、随分と様になってたな」
「灼熱狼の時より、多少はマシになった」
「多少、じゃないだろう」
イリスは、珍しく真っ直ぐにセレスを見た。
「六体を、一人で相手にしてた。銀に上がってから、また一段と動きが変わった」
「水晶が壊れてるだけだろ、多分」
軽口で流そうとしたセレスに、イリスは追及しなかった。だが、その代わりに、少し違う角度から問いを重ねてきた。
「――お前は、本当は自分をどう思ってるんだ」
「……何の話だ」
「その体のことだよ」
イリスの声は、いつもより低く、抑えられていた。
「女神とやらが名簿を間違えて、女の体に転生させられたんだろう。中身は男のままだって、前に言ってたな」
「言ったな」
「それを、お前自身は、どう思ってる」
セレスは、いつものように軽く受け流そうとして――やめた。
イリスの目に、からかいの色は無かった。純粋に、答えを聞きたがっている目だった。
(――こんな風に聞かれたのは、初めてかもしれないな)
セレスは、しばらく黙って、自分の手のひらを見下ろした。前世の武骨な手とは違う、白く華奢な指先。
「――正直に言うと、まだ慣れてない」
ぽつりと、セレスは言葉を継いだ。
「鏡を見るたびに、知らない誰かの顔を見てる気分になる時が、ある。中身は変わってないはずなのに」
「……」
その先が、上手く言葉にならなかった。嫌なのか、悪くないのか、自分でもまだ整理がついていない。セレスは、口を開きかけて、結局黙り込んだ。
「――言葉にならないなら、無理に言わなくていい」
イリスが、ぼそりと言った。
「私も、上手く言えたことなんて、一度も無い」
「お前が?」
「金ランクになった後、しばらく自分が何なのか分からなくなった。それだけだ」
それ以上は続かなかった。イリスは、それきり口を閉ざし、窓の外に視線を戻した。
沈黙が落ちる。気まずいような、けれどそれほど嫌でもない沈黙だった。
その静けさの中で、セレスの頭に、ふと別の記憶が蘇った。
――転生した直後、女神と交わした短いやり取り。
『あれ、私の管轄じゃなかったんだから!』
あの時、聞き流してしまった一言。俺の紋様は、管轄外だったと、女神は確かにそう言った。
(――あれは、どういう意味だったんだろうな)
管轄じゃない紋様を、なぜ自分が持っているのか。女神はあの後、その質問をはぐらかしたまま、一度も答えていない。
リンの紋様と、自分の紋様。似ていると言われたことが、何度かあった。あの黒ローブの男も、確か「白銀の本物」と口にしていた。
偶然だと思っていた。だが、今夜のようにふと立ち止まると、その偶然の重なりが、妙に気にかかる。
(今度、ちゃんと聞いてみるか)
いつか、というより、そう遠くないうちに。そう思いながら、セレスは軽く頭を振った。今は、答えの出る問いではない。
「――悪い。変なこと聞いた」
「別に」
セレスは、短くそう答えた。答えの出ない問いを、無理に片付けなくてもいいのだと、初めて思えた気がした。
「お前と話すのは、悪くないけどな」
イリスが、ぽつりと呟いた。その頬が、月明かりのせいだけではなく、わずかに赤らんでいるように見えた。
「……そうかよ」
セレスも、それ以上は何も言えなかった。
◇
翌朝、宿の食堂にアルトが顔を出した。いつもの資料の束を抱えている。
「――厄介な話が一つ」
「またか」
「廃倉庫の件、ギルドの追加調査で分かったことがある。運び出された荷は、王都の外へ向かった形跡があるらしい」
「外って、どこにだ」
「まだ絞り込めていない。だが――」
アルトは、資料の一枚をテーブルに置いた。荷馬車の輪郭を示した簡単な図面だった。
「街道の検問記録に、深夜、身元不明の馬車が一台通過した記録がある。行き先は、東の国境方面だ」
セレスは、その図面をじっと見つめた。
(――東、か)
「東の国境って、確か……」ミュゼの顔が、みるみる曇っていく。「あの辺りに、確か小さな村がいくつかあって……もしそこに」
「――言うな」
ガロンが、珍しく低い声で遮った。
「考えたって仕方ねえ。行って、確かめる。それだけだ」
ミュゼは、それでも唇を噛んだまま、俯いた。のどかな村に、あの実験体の材料が運び込まれているとしたら――その先で何が起きているか、誰も口には出さなかった。
部屋の隅で朝食を口にしていたリンが、静かに立ち上がった。
「――私も行く」
その声に、迷いはなかった。
「危険な場所になるかもしれないぞ」アルトが、慎重な口調で言う。「今回は今までより長丁場になる」
「知ってる」
リンは、まっすぐアルトを見返した。
「でも、行かない理由にはならない」
アルトは、しばらくリンを見つめてから、小さく息を吐いた。
「――分かった。止めはしない」
「調査依頼として、正式に受けるか?」アルトが、セレスたちの顔を見回した。
「――もちろんだ」
セレスは、迷わず頷いた。答えの出ない疑問は、また一つ増えただけだった。だが、少なくとも、急ぐべき理由だけは、はっきりと見えてきた。
第八十四話「鏡の中の俺」をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は少し腰を落ち着けて、セレスの内面に触れる回にしました。イリスとの距離感の変化に加えて、女神との過去のやり取りをセレス自身が思い出す場面も入れています。まだ答えは出ませんが、これは後々効いてくる伏線です。リンも今回から本格的に同行を決めています。
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