第八十一話 金色の一閃
待機期間、イリスの本気を見ます。
辺境依頼が制限されると聞いた翌朝、宿の食堂には気だるい空気が漂っていた。
「暇だな」
ガロンが椅子の背に寄りかかり、大きな欠伸をする。ミュゼも、頬杖をついたまま窓の外を眺めていた。
「依頼が減った分、休めるのはありがたいですけど」
「休みすぎるのも、それはそれで落ち着かないもんだな」
そこへ、アルトが資料も持たずにふらりと顔を出した。
「暇そうだな」
「お前が言うか」
「良いことを思いついた」アルトはにやりと笑う。「セレス、イリスと手合わせしてみないか」
「――は?」
思わず聞き返したのはミュゼだった。ガロンも、身を起こして興味深そうにアルトを見る。
「試験は終わった。だが銀に上がったばかりのお前が、金の実力をちゃんと肌で知っておくのは悪くない」アルトが続けた。「イリスにはもう話は通してある。訓練場を借りてる」
「イリスが、了承したのか」
「意外そうだな」
「あいつが、自分から手合わせに乗り気になるとは思えなかっただけだ」
アルトは、それには曖昧に笑って答えなかった。
王都郊外の訓練場に着くと、イリスはすでに剣を持って待っていた。金色の髪が、朝日を受けて眩しい。
「待たせたか」
「別に」
イリスは、いつも通り素っ気なく言った。それでも、目の奥にはわずかな緊張のようなものが見える。
「手加減はしない」
「望むところだ」
セレスは、大剣代わりの得物を構えた。ガロンとミュゼは、柵の外から見守る形になる。
「――始め」
アルトの合図と同時に、セレスは踏み込んだ。
速い。自分でもそう思える踏み込みだった。灼熱狼を単独で仕留めた、あの動きの延長線上にある一撃。
だが、届かなかった。
「――え」
ミュゼが、小さく声を漏らす。
セレスの一撃は、空を切っていた。イリスの姿は、既にその横にある。振り返る間もなく、鈍い衝撃が脇腹に走った。剣の腹で叩かれた、それだけの一撃。だが、受け身を取る間もなく地面に転がる。
「――マジかよ」
ガロンが、柵を握る手に力を込めた。
「今の、見えたか」
「いや、全然」
セレスは、砂を払いながら立ち上がった。何が起きたのか、正直半分も理解できていない。速さの次元が違う。剣を交える、という段階にすら達していなかった。
「これで終わりか?」
イリスの声には、挑発の色はなかった。むしろ、確かめるような静けさがある。
「――まさか」
セレスは奥歯を噛み、もう一度構えた。
二度目。三度目。結果は同じだった。踏み込むたびに、イリスの姿は一瞬だけ揺らぎ、次の瞬間には全く別の位置から一撃が来る。剣を合わせることさえできない。まるで、最初から間合いという概念が違う相手と戦っているようだった。
四度目、セレスは踏み込む前に狙いを変えた。速さで追いつけないなら、動きを読むしかない。イリスの重心のわずかな傾きを見て、先読みで剣を振るう。
――当たる。
そう確信した瞬間、剣先は空を切った。イリスは既にその場になく、次の瞬間には視界の外から一撃が飛んできた。
「読みは悪くない」イリスの声が、すぐ耳元でした。「でも、私はその読みの、更に一歩先を読んでる」
避けられたのは、最後の一度だけだった。それも、紙一重で。
十数合目、セレスは片膝をついていた。息が上がり、全身に鈍い痛みが残る。
「――参った」
その一言に、イリスが初めて剣を下ろした。
「思ったより、粘ったわね」
「褒めてるのか、それ」
「褒めてる」
イリスは、珍しく小さく笑った。柵の外から、ミュゼが慌てて駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか、セレス!」
「平気だ。かすり傷だけだ」
「今の、本気ですか」ガロンが、まだ信じられないという顔でイリスに聞いた。
「半分ぐらい」
イリスは、あっさりとそう答えた。
「――半分」
「全力を出したら、多分この訓練場ごと壊れるから」
冗談とも本気ともつかない口調に、その場の全員が黙り込んだ。
アルトが言っていた「まだ半分も見ていない」という言葉の意味を、セレスはようやく体で理解した。
「……なあ」
息を整えながら、セレスはイリスに聞いた。
「お前、なんで今まで、こんな実力を見せなかったんだ」
イリスの表情が、一瞬だけ揺れた。
「――見せる必要が、なかったから」
「そうか?」
「必要な時に出せばいい。それだけの話」
素っ気ない答えだったが、その声には、いつもより少しだけ柔らかい何かが混じっていた。
「――でも」
イリスは、剣を鞘に戻しながら続けた。
「今日みたいに聞かれたのは、久しぶり。悪くなかった」
それだけ言うと、イリスはさっさと訓練場を後にした。残されたガロンとミュゼは、顔を見合わせる。
「あれ、照れてましたよね」
「らしくねえ」
入れ違うように、訓練場の入り口からレイフィアが顔を出した。買い物帰りらしく、両手に紙袋を抱えている。
「今、イリスとすれ違ったけど……何かあったの? 珍しく機嫌が良さそうだったわ」
「機嫌が良い、あれで?」ガロンが眉を上げる。
「私には分かるの。長い付き合いだから」
レイフィアは、セレスの傷だらけの様子を見て、驚いたように目を丸くした。
「――まさか、模擬戦?」
「ああ」
「それは災難だったわね。あの子、加減がよく分からない時があるから」
「加減はしてたと思うぞ」セレスは苦笑いした。「多分、これでも」
「なら余計に恐ろしいわね」
レイフィアは、抱えていた紙袋の一つをミュゼに渡した。
「差し入れ。訓練場の帰りに寄るかもと思って、多めに買っておいたの」
「ありがとうございます!」ミュゼが袋の中を覗き込み、顔を輝かせる。「――あ、これ、街の焼き菓子屋の」
「口に合えばいいけど」
その言い方には、からかいと親しみが半々に混ざっていた。セレスは、まだ痛む脇腹をさすりながら、遠ざかるイリスの背中を見ていた。
(――届かせてやる、いつか)
銀の壁の向こうに、途方もなく遠い金の背中が見える。だが、遠いからこそ、目指す価値がある。
そう思えたことが、今日一番の収穫だった。
第八十一話「金色の一閃」をお読みいただき、ありがとうございます。
イリスの実力、思った以上でしたね。しかも「半分」とのこと……。次話以降、セレスの成長目標がまた一つ明確になりました。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価でも応援してもらえると嬉しいです!




