第八十話 管轄の外側
女神に、ずっと聞きそびれていたことを聞きます。
ギルドの奥、応接間と呼ぶには物々しい部屋に、セレスはアルトと共に呼ばれた。並んだ幹部たちの顔は、一様に硬い。
「――銀仮面の名が、辺境の氾濫源からも出た、と」
一番奥に座った初老の男が、資料を睨みながら呟く。
「専任の調査部隊を立てる話も、上では出ている。今回の証言は、その後押しになるだろう」
「大げさな話になってきたな」
セレスが小さく呟くと、アルトが横で苦笑いした。
「お前が持ち帰ったものが、それだけの重みを持ってた、ってことだ」
幹部の一人が、資料の別のページをめくった。
「当面、この件は一般の依頼者や街の住民には伏せる。詳細が広まれば、模倣犯や便乗する不逞の輩が出かねない」
「銀仮面が街中で堂々と動くよりはマシだが」アルトが顎に手をやった。「セレス、辺境地帯へ出る依頼は、しばらく減らす方向で調整する。今回みたいな鉢合わせを、また起こすわけにはいかない」
「俺は別に構わないけどな」
「お前が構わなくても、上が構う」
アルトの言葉に、他の幹部たちも小さく頷いた。
報告自体は、思ったより早く終わった。仮面の欠片は正式にギルドへ預けられ、セレスたちの役目はひとまずそこまでだった。
帰り道、アルトとは途中で別れた。宿までの静かな夜道を、セレスは一人で歩く。
(――そろそろ、いいだろ)
人気のない路地に入り、セレスは小さく息を吐いた。
「――出てこい」
声に応えるように、視界がふっと白く滲む。
『はいはーい……って、うわ、地下遺跡の時以来の、ガチな呼び出され方』
真っ白な空間に、女神が姿を現した。相変わらず、どこか気の抜けた雰囲気の服装。だが、セレスの目を見た瞬間、女神の表情から緊張が抜けた。
「約束、覚えてるか」
『……約束?』
女神が、露骨に視線を泳がせる。
「地下遺跡の時に言った。戻ったら聞きたいことがある、って」
『あー……』
女神の肩が、目に見えて下がった。
「管轄じゃない紋様を、どうして持っていたのか。あと、何を知ってるのか」
『それ、忘れてくれてたら嬉しかったんだけどな……』
「忘れるわけないだろ」
女神は、しばらく黙って指先をいじっていた。逃げ道を探しているような沈黙が、少し続く。
「それと、もう一つ見せたいものがある」
セレスは、氾濫源で見た仮面の紋様を思い出しながら、腕輪の下の紋様に触れた。
「あの後、また似た紋様を見た。銀仮面の残した術式具に刻まれてたやつだ。お前の言ってた『原初の紋様核』と、どう繋がってる」
女神の顔から、今度こそ完全に軽さが消えた。
『……本当に、逃がしてもらえないんだね』
「逃げるなって言っただろ」
『言った。言ったけど』
女神は一度、深く息を吸った。
『――あのね、セレス。前に言った通り、原初の紋様核は、本来は誰かに直接渡していいものじゃないの。人の可能性を繋ぐための、すごく古い仕組み』
「それは聞いた」
『うん。でも――』
女神は、言葉を選ぶように、一度言葉を切った。
『それを最初に見つけて、この世界に埋め込んだのは、私たちじゃない』
「……どういうことだ」
『私たち――今のこの世界を管理してる女神や神様は、原初の紋様核を作った側じゃないの。ずっと昔、私たちよりもっと前からある、別の管轄が置いていったものを、拾って、使わせてもらってるだけ』
白い空間に、かすかな緊張が満ちる。
「――誰の管轄なんだ」
『分からない。本当に』女神は、力なく首を振った。『名前も、姿も、私は知らない。ただ、あの紋様に触れた人たちの中に、時々――』
「時々?」
『向こう側が、興味を持つことがある』
その一言に、セレスの背筋が冷えた。
「銀仮面や、王都の奥にいる仮面の男は」
『たぶん、その興味に気づいた側の人間。自分の力で辿り着いたのか、何かに導かれたのかは分からないけど』アルトへの言葉と同じ硬さが、女神の声にも滲んでいた。『どちらにしても、あなたの紋様は、私が思ってた以上に、大きなものと繋がってる』
セレスは、ふと別の顔を思い浮かべた。
「リンは、どうなんだ。あいつの紋様も、同じ根から来てるんだろ」
『……』
女神は、一瞬だけ答えに迷うような間を置いた。
『リンのことは、また今度、ちゃんと話す。今はまだ、私の口から軽々しく言えることじゃない』
「――逃げてるだろ、それ」
『逃げてない。本当に、順番があるだけ』
その言い方には、これまでとは違う重さがあった。セレスはそれ以上は追及せず、代わりに小さく息を吐いた。
「じゃあ、俺は」
『大丈夫』
女神は、思ったより早く言葉を挟んだ。
『今のところ、あなたに何かをしようとしてる気配はない。ただ――目立てば目立つほど、気づかれる可能性は上がる、とだけ思っておいて』
「都合のいい忠告だな」
『ごめん。今言えるのはそこまで』
女神は、申し訳なさそうに肩をすくめた。
『本当に。私も、全部知ってるわけじゃないから』
セレスは、しばらく黙って女神を見ていた。誤魔化されているようで、それでも今のはこれまでで一番、本音に近い顔だった。
「――分かった」
『……怒らないの?』
「怒っても、お前が知らないことは出てこないだろ」
女神は、少し驚いた顔をして、それからほっとしたように笑った。
『……前より、大人になったね』
「うるさい」
白い光が、少しずつ薄れていく。消える直前、女神が付け加えた。
『セレス。何か様子がおかしいと思ったら、すぐに私を呼んで』
「言われなくても呼ぶ」
視界が現実の路地に戻る頃には、女神の姿はもう消えていた。
セレスは、しばらく夜空を見上げていた。
管轄の外側にあるもの。自分の紋様に興味を持つ、名前も知れない誰か。銀仮面。王都の奥の仮面の男。全部が、同じ一本の線で繋がっているような気がしてならなかった。
それでも、今できることは変わらない。
「――目立つな、か」
セレスは苦く笑った。
無理な話だ、と思いながら、宿への道を歩き出した。
第八十話「管轄の外側」をお読みいただき、ありがとうございます。
ずっと聞きそびれていた「管轄じゃない」発言の答えが、少しだけ見えてきました。まだ全部ではありませんが、大きな存在の輪郭が見えてきたと思います。
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