第七十九話 金の物差し
王都に帰還、束の間の祝勝です。
王都に戻ったのは、日が沈みきる少し前だった。宿の裏庭の水場で泥と煤を洗い落とし、それぞれの部屋で服を着替える頃には、もう外は暗くなっている。
「――生き返った」
ガロンが濡れた髪をがしがしと拭きながら、食堂の椅子にどかりと座った。ミュゼも、湯気の立つスープを前にほうっと息を吐く。
「あの匂い、なかなか取れないかと思いました」
「魚と泥と、あと微妙に焦げ臭い匂いだったもんな」
「にしても」ガロンが厨房の方をちらりと見た。「宿の飯もいいが、今日ぐらい俺が何か作った方が良かったか?」
「今日は座っててください」ミュゼが慌てて止める。「ガロンさん、疲れてる時に無理して台所立とうとするの、悪い癖です」
「そうか?」
「そうです」
ガロンは少し不満そうな顔をしたが、それでも大人しく椅子に座り直した。誰かに何かを振る舞うことに、やたらとこだわる男だ。理由をミュゼもセレスも詳しくは知らないが、無理に聞くことでもないと分かっている。
三人分の料理が並んだところで、食堂の扉が開いた。
「――生きてるようで何よりだ」
アルトが、資料の束を小脇に抱えたまま歩いてくる。セレスの向かいに腰を下ろすと、開口一番にそう言った。
「噂には聞いてたが、思ったより元気そうだな」
「まあ、色々あったけどな」
セレスは肩を竦めた。ガロンとミュゼが、顔を見合わせて小さく笑う。
「先に良い方の話をしよう」アルトが資料をめくり、テーブルに広げた。「試験の暫定判定が出た。セレス、ガロン、ミュゼ、三人とも合格ラインだ」
「――本当か!?」
ガロンが身を乗り出す。ミュゼも、ぱっと顔を輝かせた。
「灼熱狼の討伐数、危険回避の判断、それと」アルトは資料の一点を指でなぞった。「氾濫源での一件――証拠を失っても全員無事に撤退した判断が、悪くない評価に繋がったらしい。危険を見極める力も、この試験じゃ立派な実力のうちだ」
「……あの時のミュゼの言った通りだったな」
「言ったじゃないですか」
ミュゼが得意げに胸を張る。ガロンは苦笑いしながら、それでもどこか安堵した顔をしていた。
「おめでとう、と言っておく」
アルトがそう言って、給仕に酒を一杯だけ頼んだ。祝杯というには控えめだが、それでも珍しい振る舞いだった。
「――で、セレス」
乾杯もそこそこに、アルトが不意に真面目な声を出す。
「銀ランクに上がったら、次は何を目指す?」
「……何をって」
「聞いておきたかったんだ。お前、無色から始まって、ここまで来た。だが銀の先には、まだ金がある」
アルトは、指を一本立てた。
「金ランクってのは、な。単に強いだけじゃ足りない。目安で言えば――単独で、金ランク相当の魔物、灼熱狼で言えば十頭規模の群れを崩せること。それも、パーティーを組まずに、一晩でだ。依頼の難度で言えば、国が動くレベルの災害指定を一件、単独で片付けられる実力。数字にすれば、銀の四、五倍は見ておいた方がいい」
「十頭……」
ミュゼが息を呑む。ガロンも黙って腕を組んだ。
「イリスが金なのは伊達じゃない、ってことだ」アルトが続ける。「あいつがどれだけの化物か、お前らはまだ半分も見てないと思うぞ」
「半分も、か」
セレスは、ふと氾濫源で見たイリスの横顔を思い出した。パーティーの中では常に一歩引いた立ち位置。だが、あれが本気でないというなら――。
「銀に上がったばかりで気の早い話だが」アルトが酒を一口あおって、それから真剣な目でセレスを見た。「お前ならいずれ辿り着くと思ってる。だから、目標だけは早めに持っておけ。何を目指すか分からないまま強くなるのと、目指す場所を知って強くなるのとじゃ、後で伸びが変わる」
「――肝に銘じとく」
セレスは、その言葉を胸の奥にしまい込んだ。
和やかな空気が食堂に流れる中、セレスは仮面の欠片を取り出し、テーブルの端にそっと置いた。
「――もう一つ、報告がある」
アルトの表情から、一瞬で笑みが消えた。
「氾濫源の奥で、これを見つけた。銀仮面と同じ紋様の跡がある小屋だ。証拠のほとんどは、待ち伏せに遭って燃やされた」
アルトが仮面の欠片を手に取り、光にかざす。指先が、わずかに強張るのが分かった。
「――辺境にまで、か」
「しかも、待ち伏せのタイミングが妙だった。まるで、こっちが試験でここに来ることを、最初から知っていたみたいに」
食堂の喧騒が、遠くに聞こえるほどの沈黙が落ちる。アルトは仮面の欠片をしばらく見つめてから、資料の束にそれをそっと挟んだ。
「――預かっておく。ギルドの上に、話を通しておく必要がありそうだ」
その声には、これまで見たことのない硬さが滲んでいた。アルトはそのまま、祝いの席とは思えない足取りで席を立ち、資料を抱えて食堂を出ていった。
残された三人の間に、しばらく気まずい静けさが漂う。それを破ったのは、ミュゼだった。
「――でも」ミュゼが努めて明るい声を出す。「合格したのは事実です。今日ぐらいは、ちゃんと喜んでもいいと思います」
「そうだな」ガロンがスープの残りをかき込み、それから笑った。「暗い顔してたら、せっかくの飯がまずくなる」
「単純ですね」
「褒め言葉として受け取っとく」
セレスも、つられて小さく笑った。重い報告があったことは変わらないが、今この場にいる二人が無事で、笑っていられる。それだけで十分だと思えた。
「――ま、明日からまた考えりゃいい」
三人はそれから、他愛のない話をしながら遅い夕食を終えた。
その夜、自室のベッドに横になったセレスは、腕輪の下の紋様にそっと指を這わせた。灯りを落とした部屋の中、その線だけが、かすかに熱を持っているような気がする。
(金ランク、十頭か……)
途方もない数字だ。だが不思議と、怖さより先に、何かを目指せる高揚感の方が勝った。
同時に、あの仮面の刻印の記憶がちらつく。アルトの硬い声。イリスが呟いた「あなたの――」という、途切れた言葉。
答えの出ない問いを抱えたまま、セレスは目を閉じた。明日からまた、できることを一つずつやっていくしかない。
第七十九話「金の物差し」をお読みいただき、ありがとうございます。
三人の合格と、アルトが語った「金ランク」の途方もない基準、そして再び影を落とす銀仮面の一件。次話、ギルド上層部の動きが見えてきます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価でも応援してもらえると嬉しいです!




